神社巡り、宝塚市

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宝塚市、平井(ひらい) 八坂神社(やさかじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地


本社は、宝塚市の東の端、平井地区に鎮座されております。

この地は昔の、川辺郡長尾村、大字平井で、平居とも書きました。

当社の東上には弓場池があり、さらに北方は「親保山(250m)」でその山麓が当社の森となっています。

この弓場池は、かって平井の里の田圃を潤す「神水」として、また周辺には自然の井戸が出来、この井戸

のもとに、人々が住み着き、平井の村落が形成されたそうです。

当社の森の上は、宅地造成が進み、広い住宅地になっていますが、さらに上には、

燈明山古墳群、万籟山古墳、などががあります。

また、この地には、源頼光の四天王の一人、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)が住んでいました。

平井保昌とも称していました。


御  由  緒


当社の創建は、寛仁二年(1018)に、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)の祭祀に

始まると伝えられております。

また、宝徳元年(1449)の創始とも伝えられています。

御祭神は、素 盞 鳴 命 (すさのおのみこと)

     白 山 姫 命 (しらやまひめのみこと)


ご  本  殿


ご本殿は、覆い屋に納められており、外から見ることは出来ませんが、説明板によりますと、


本殿は、通常規模の、一間社春日造り 杮葺(いっけんしゃかすがつくり こけらぶき)で、

一部が修理がなされているが、ほとんど創建当初のままでよく保存されている。

身舎はきわめて簡素で、古い様式の特徴を多く残している。

本殿背面のびわ板に「貞享元年(1684)子ノ三月八 上ふき」と記されており、

この頃に屋根の葺き替えや細部の修理が行われたようである。


全体の様式技法からみて、室町時代後期(16世紀中頃)の建立と考えられ、

この地方の神社建築のすぐれたものの一つである。


境 内 の 稲 荷 社、 祠、 役 行 者 像 など


境内、社叢の中には、末社稲荷社の他に、

社殿の左に石室があり、その中に「役行者(えんのぎょうじゃ)」が祀られています。

役行者(634-706)は修験道(しゅげんどう)の開祖とされています。

さらに森の奥に、石の祠があり前面の蓋が外されて、御神体が見えているが、

祭神は不明です。



ご参考  :宝塚市平井二丁目16−14
      阪急宝塚線 山本駅  北へ 6分  (大宝寺の東隣)




     

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宝塚市、市杵島姫神社(いちきねしまひめじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地


当神社は、宝塚市の中心部に近い、中山寺(地名)の住宅地の中に鎮座されております。

大本山・中山寺のすぐ近くで、山門の前の道を西に200mのヤマモモなどの鎮守の森の囲まれています。


御  由  緒


当社の創建は、慶長八年(1603)三月と伝えられているそうです。

御祭神の市杵島姫命(いちきんえしまひめのみこと)は、安芸の宮島・厳島神社や京都の松尾大社の御祭

神でもありますが、どこから勧請されたかは不詳のようです。


境 内 の ヤ マ モ モ (山桃)


境内に大きなヤマモモの木があり、丁度今が美味しそうな真っ赤な実を付けていました。

下にも一面ヤマモモの実が落ちており、踏みつけるのを躊躇してしまいます。





ご参考   :宝塚市中山寺二丁目11−21
       阪急宝塚線 中山寺駅  西に 5分

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宝塚市、松尾神社(まつおじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地


当社は、宝塚市の東部、旧、長尾村大字山本、田村の森に鎮座されております。

阪急宝塚線 山本駅の北側を通る巡礼街道沿いの中川の橋から参道が通じております。



御  由  緒


当社の創建は不詳ですが、

安和年間(968〜970)に源満仲に仕える四天王の一人、浦辺太郎・坂上季猛(さかのうえすえた

け)が、先祖にあたる征夷大将軍・坂上田村麻呂公(さかのうえたむらまろこう)(幼名:松尾丸と称し

た)を祀り、山本郷の産土(うぶすな)とし、松尾丸社が創建されたと伝えられています。

以降将軍家の祖神として崇敬され、なかでも源頼朝(みなもとのよりとも)の信仰が厚かったと言われて

います。


御  本  殿  (市指定文化財)


本殿は、「一間社流造 杮葺(いっけんしゃながれつくり こけらぶき)」で、

寛文十一年(1671)に再興されたといわれております。

昭和57年、宝塚市文化財に指定されています。

現在は、覆い屋に納められており、見ることは出来ません。


イ チ イ カ シ (一 位 樫)


参道の入り口付近に真直ぐに伸びる樹高は30mのイチイガシがあります。

ブナ科コナラ属で雄雌がありますが、この木は雄のようです。

この木のドングリは、渋くなく美味しく、昔は飢饉に備えて植えられていたそうです。

宝塚市には、当社と天満神社(前回紹介)だけとされています。



ご参考   :宝塚市山本東一丁目9−1
       阪急宝塚線  山本駅  北西に4分
 

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宝塚市、山本 天満神社(やまもと てんまんじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地


当神社は、宝塚市の東部、昔の長尾村大字山本で、山本から中山に向かう巡礼街道の途中、天神川沿い
の鬱蒼とした鎮守の森を背にして鎮座されております。

この地は、「松尾丸社(松尾神社)御旅所中やどり」の場所でもあります。


御  由  緒


当社の創建は不詳ですが、南朝の延元年間(1336〜1340)に攝津国住吉郡吾孫子(あびこ)の豪族であった、若池兵衛尉貞満が天満宮を奉じて、山本郷に祀ったといわれております。

室町幕府の下にあった山本郷は、天文年間(1532〜1555)には織田信長旗下の近隣豪族によって侵略されて炎上しました。

その後、天正年間(1573〜1592)に現在地に再建されたそうです。


御   本   殿  (市指定 文化財)


本殿は、一間社春日造(いっけんしゃかすがつくり)杮葺き(こけらぶき)で、寛文五年(1665)頃に再建されたといわれております。

細部に独創的な意匠が見られ、江戸時代中期初頭の自由な技法の使われた建造物であり、この時代に地方的建築様式の特長をよく表わしているとして、宝塚市の文化財に指定されています。

現在は覆い屋に納められており、見ることは出来ません。


横 穴 式 古 墳


境内社の黒光稲荷社の左脇には、横穴式古墳が完全な状態で保存されております。

この山本付近には多くの古墳群が残されております。




ご参考   :宝塚市山本西一丁目5−33  (松尾神社兼務社)
       阪急宝塚線  中山寺駅  東に12分
       

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宝塚市、中筋(なかすじ)八幡神社(はちまんじんじゃ)のご紹介です。



御 鎮 座 地


当社は、宝塚市の南東部で上中筋の国道と県道の交差点に鎮座されております。

境内の前は国道176号線と東側は県道335号の交差点に位置しています。

古くは、小池村と云い小池一族の土地でした。弘治年間(1555〜1558)中筋村に改められました。



御  由  緒


当社の創建年月は不詳ですが、江戸時代中期に著された、「摂津誌」によると康永四年(1345)平義重(たいらのよししげ)が修理したと記載されており、また、震災後に発見された棟札に、康永四年(1345)二月十四日、大願主、平義重と記されております。

この事から、当社はこれ以前の創建であるとされております。

御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で、大分県の宇佐八幡宮から御分霊を勧請されたと伝えられています。



ご  本  殿 (国指定 重要文化財)


本殿は一軒社春日造りで、特有の意匠や工芸も随所に見られ、手法もすぐれているといわれています。

寛文四年(1665)に修理が行われましたが、室町時代後期(16世紀中頃)の摂津地域の神社建築を代表する建造物の一つとされています。

阪神淡路大震災で破損しましたが、災害復旧保存修理がされ、写真の通り極彩色に蘇りました。

ご本殿の写真は、「重要文化財八幡神社本殿(災害復旧)保存修理工事報告書」のもので、現在は覆い屋に覆われております。



御 祭 神 と ご 神 体


御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)ですが、震災で本殿の倒壊でご神体の下遷宮の際に、初めてご神体の姿が明らかになりました。

本殿の内陣中央に正八幡大菩薩を祀り、その両脇に一体ずつ御神体が祀られていました。

両脇の御神体には墨書き等はなく、神名は不明です。

八幡神社では応仁天皇と神宮皇后と比売神の三神を祀っているところが一般的と言われていますが、当社は異なっております。

このことは慶長七年(1602)に中筋村の宗派替え(真言宗から法華宗)の影響とされています。




ご参考     :宝塚市中筋二丁目6−3
         JR宝塚線 中山寺駅  北東に6分

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