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宝塚市の神社巡りを終え、東隣の川辺郡(かわべぐん)猪名川町(いながわちょう)に入りました。
位 置
阪神間の東北端にあり、東は大阪府豊能郡、南は川西市、西は宝塚市と三田市にそれぞれ接し、北は篠山市に隣接しています。
沿 革
猪名川町は、その昔、東大寺大仏鋳造の際に、銅を献じたと伝えられている多田銀銅山を中心にひらけ、その名が示すように多田源氏ゆかりの地として武家文化の栄えた所でもあります。 近世を迎えますと、徳川幕府は、直領として代官所を設け、周囲の3郡72村を銀山付村として支配しました。この銀山が最も繁栄した頃には、戸数3,000戸、人口15,000人を数えたのです。 明治4年の廃藩置県によって、この地域は、兵庫県、大阪府に分割され、明治22年、町村制の施行により、中谷村、六瀬村が誕生しました。 さらに、昭和30年4月10日、町村合併促進法に基づき、中谷村、六瀬村が合併し、猪名川町が誕生しました。 先月、8月末の人口は、32,406人で毎月40人前後の人口が増加し、都市化が進んでおります。
神 社
当町には、神社本庁登録社が、27社あります。(地図を参照)その中で、御祭神が、素盞鳴命(すさのおのみこと)の神社が12社と多いのが特徴でもあります。 盃状穴は今のところ、(50%の調査済み)見つかっておりません。 今後、南部から北部に向かって、順次ご紹介をさせて戴きます。 銀山地区を中心に10数kmの広範囲に、江戸時代(現在の周辺7市町)には2000前後もの坑道「間歩(まぶ)」が存在しました。 豊臣時代は「瓢箪間歩」・「台所間歩」を中心に栄え、徳川時代も「大口間歩」の発見と共に直轄領となり、代官所も設置されていました。 この多田銅で採掘されるものは品質がよく細工に適していたので、抜荷をされないように厳重な注意が払われていました。 昭和48年には休山となりましたが、今では整備された「青木間歩」の坑道に入り、往時を偲ぶことできます。 江戸中期の科学者・平賀源内も長崎留学の帰路に立ち寄った伝承もあり、歴史のロマンが漂っています。
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