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当神社は、川西市の中心付近、西多田地区の山の中に鎮座されています。 天禄元年(970)に、源満仲(みなもとのみつなか)が創建した 多田院(現在の多田神社)を中心に東側を「東多田」、 猪名川を隔てて西側を「西多田」と称するようになりました。 天 照 皇 大 神(あまてらす おおみかみ) 当社の創建については不詳で、神社誌にも その記載はありません。 明治六年八月に村社に列せられております。 当神社で、川西市の神社22社(登録社21社、その他1社)の ご紹介が終わりました。 大変長期間にわたりましたが、多くの皆様にご覧戴き感謝にたえません。 心より厚くお礼申し上げます。 引き続き、隣の「伊 丹 市」の神社(27社)のご紹介をさせていただきます。 何とぞ宜しくお願い申し上げます。 ご参考 :川西市 西多田 西峠4 (多田神社兼務社) 当神社の場所は非常にわかり難く、探しだすのに大変でした。 下記をクリックして頂きこの地図を参考にしてください。 一旦、一般のお家の庭先を通るように思われますが、そこを左の方向に思い切って進んでください。 大きな鳥居が見えてまいります。 |
神社巡り、川西市
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当神社は、川西市の最北端、黒川地区の奥の妙見山の麓に鎮座されております。 この妙見山(標高662m)は、ケーブルカーと妙見リフトを乗り継いで 頂上に登ることができます。 山頂には、「能勢妙見宮」祭られております。 稲 倉 魂 命 (うがのみたまのみこと) 豊 受 比 賣 命 (とようけひめのみこと) 当社の創始については、不詳ですが、神社誌には 次の通り記載されております。 創立年月不詳。 正徳三年(1713)正月二十八日、宗源宣旨(そうげんせんじ)を以って 正一位を授けられ、文久三年(1863)十二月中旬、本殿を再建する。 明治六年八月、村社に列せられる。 大正五年三月、当地に遷座し、在来鎮座の、白瀧神社、常當神社を 合祀の上、社名を「白瀧稲荷神社と改称する。 と、記載されております。 何がどうなっているかよく解らないのですが、 参拝の皆さんは、ローソクを灯し、お線香をお供えして合掌です。 二拍手は致しません。仏式の拝礼です。 やむなく、拍手を打つことも無く、皆さんに合わせて、仏式です。 ご参考 :川西市 黒川 字口滝谷9−2 能勢電鉄 妙見口 徒歩20分でケーブル黒川駅さらに右側道を入って10分
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当神社は、川西市の最北に位置する、黒川地区の西隣、国崎(くにさき)地区の 知明湖(ちみょうこ)沿いに走る、県道604号線東側に鎮座されています。 国崎の地名は、このあたりにある知明山(ちみょうざん)を奇妙山(きみょうさん) と呼んでいたころ、地名は「国先」又は「国前」と書かれていたのが、 いつの頃からか、「国崎」に変化したとされ、摂津の国川辺郡と能勢郡の 境にあたる位置で、郡の先端であったのが、地名のおこりと言われております。 当社の創始は不詳ですが、神社誌の記載では、 「多田家の記録に、承徳元年(1097)、新羅三郎 源義光の次男 和泉守 源盛義 此の地に城を築くが故に、その頃若しくは、その以前 の創立ならんか。」 とあります。 明治維新前、土俗天王社、又は牛頭天王と称す。 明治六年八月、村社に列せられる。 一庫(ひとくら)ダムの建設によって出来た湖を 「知 明 湖(ちみょうこ)」と呼んでいます。 この名称は、湖北にある、「知 明 山(ちみょうさん)」から 名づけられましたが、この辺り一帯は、多田銀銅山の神教間歩が あったところです。 古くは、銀や銅が出る奇妙な山とされ、 奇妙山(きみょうさん)が、いつのころからか、知明山(ちみょうさん)と 呼ばれるようになったと伝えられています。 ダム湖では一般に釣りは禁止されていますが、ここは珍しく釣が楽しめます。 ブラックバス、ヘラブナの釣り場の好スポットとして有名です。 また中央は、一庫公園として、湖北には、キャンプ場などがあります。 ご参考 :川西市 国崎 字鋪ヶ平1
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当神社は、川西市の北部、一庫(ひとくら)地区の集落の中に鎮座されております。 この地名の起源については伝えがなく解らないそうですが、 「庫」は、「倉」又は「蔵」で一般的に倉庫を指すことから 古来豪族が管理していた屯倉(みやけ)があったのが、地名の 起こりではないかとも言われております。 当社の背後には、大路次川と能勢川の合流点に、638億円と15年の 歳月を費やして、昭和57年に完成した、大きな「一庫(ひとくら)ダム」が あります。 神 魯 岐 命 (かむろぎのみこと) 神社調書には、神 魯 美 命 (かむろみのみこと)も 記されております。 創建年月は不詳ですが、神社誌には 多田源氏の創立せしところか、とも記されております。 明治六年八月、村社に列せられております。 当社には11社の境内神社が祀られております。 これは、周辺の村落の祠の合祀を行ったためでもあります。 天照神社、出雲大社、稲荷神社、山神社、古宮八幡神社、 八坂神社、白山神社、大将軍神社、若宮八幡神社、春日神社 の11社です。 ご参考 :川西市 一庫 2−18−2 能勢電鉄 日生中央駅下車 阪急バス 一庫停留所 北へ500m
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当神社は、川西市の北部、笹部地区の北端の山麓字上竹谷に鎮座されております。 この笹部には、武内宿弥(たけのうちすくね)の子孫の雀部朝臣(ささべのあそん)が ここを拠点として原野を開墾したという説があるそうですが、 この開拓者、雀部(ささべ)氏の名が地名の起こりとされています。 古くは、篠部とも書かれていました。 日 本 武 尊 (やまとたけるのみこと) 素 盞 鳴 尊 (すさのおのみこと) 御由緒について、神社誌には次のように書かれています。 伝えに云う。 保元二年(1157)に、源 満国(みなもと の みつくに)が 平野明神を勧請したのが始まりで、後、天正元年(1573)に 満国(みつくに)の末孫、鹽川伯耆守(しおかわ ほうきのかみ) 伊丹の城主、荒木村重(あらき むらしげ)の為に敗れし時、 神社も亦、荒廃に帰す。村民之を再建するという。 明治六年八月に村社に列せられる。 笹部・八坂神社(祭神:素盞鳴尊)を昭和二年四月に合併す。 北 野 天 満 神 社 御祭神:菅原道真 稲 荷 神 社 御祭神:稲蒼魂命 当社の西側には、川西市郷土館があります。 多田銀銅山ゆかりの製錬所を営んでいた平安家の邸宅、 川西市小戸より移築された英国風建築の旧平賀邸が公開されている。 (川西市のHPより) 国登録文化財 ご参考 :川西市笹部字上竹谷3 JR伊丹駅からJR川西池田駅から能勢電鉄山下駅下車 東に15分
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