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何かと用事が立て込んでおり、記事の掲載も滞り、 皆様への訪問もなかなか思うように出来ず 申し訳なく存じております。 その内に落ち着きますので、宜しくお願いします。
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神社巡り、川西市
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当神社は、川西市の北部の山原地区の高台に鎮座されております。 神社の境内からは、川西市の北部住宅地(緑ヶ丘住宅地)が一望出来ます。 山原の地名は、山の裾=山の原に集落を形成していたのが 起源であると伝えられています。 天 手 力 雄 命 (あめの たぢからおの みこと) 日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、
無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになったのが、
天手力雄命で、信州の戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。当社の創建については不詳です。 「寺社吟味帖」には、九頭大明神とも記載されています。 明治六年八月に村社に列せられております。 境内には、元宮社、六神社、稲荷神社、が祀られています。 元 宮 社 (もとみやしゃ) 御祭神 渡 津 神 (わたつのかみ) 山林、農耕、殖産、の神とされています。 六 神 社 (ろくじんじゃ) 後祭神 春 日 大 神 (かすがおおみかみ) 枚 岡 大 神 (ひらおかおおみかみ) 出 雲 大 神 (いづもおおみかみ) 杵 築 大 神 (きずきおおみかみ) 住 吉 大 神 (すみよしおおみかみ) 大 鳥 大 神 (おおとりおおみかみ) ご参考 :川西市 山原 1−10−7 阪急バス 山下本町停留所 西に400m |
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当神社は、川西市の中央部の西、西畦野地区、旧 字石橋の田園地帯に 鎮座されております。 この、西畦野地区には、昔・昔、宝暦の時代(1751〜1763)、 冷泉が湧き出していました。 「摂津名所図会」には、潮の井(うしほのい)の味は きわめて塩っぽく、これを、わかして入浴すると、 諸病に効果があった。とあります。 素 盞 鳴 命 (すさのお の みこと) 応 神 天 皇 (おうじん てんのう) 天 之 兒 屋 根 命 (あまの こやねの みこと) 神社誌には、次のとおり書かれております。 伝えにいう、 安和二年(969)に、源満仲(みなもとのみつなか)の 勧請した。 合祀、八幡神社(応神天皇)は、渡辺綱(わたなべ の つな) の勧請するところ。 明治六年八月に村社に列せられる。 境内入口の灯籠に盃状穴が穿かれています。 川西市では唯一確認された、盃状穴です。 左右共に、下の台石の上面に、多数の盃状穴が 穿かれております。 ご参考 :川西市 西畦野 2−8−10 阪急バス 西畦野停留所 すぐ東
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当神社は、川西市の中央部の西端、石道地区の 小高い山の中に鎮座されております。 この地は、昔の「多田村 石道 字丸尾」で、 農家を中心とした小さな村落の北端に位置します。 素 盞 鳴 命 (すさのお の みこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟、
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)とも 呼ばれています。 また、牛頭天皇(ごずてんのう)とも同一視されています。 神社誌には次の通り書かれております。 伝えにいう 天徳四年(960)、源満仲(みなもとのみつなか)の臣、 石道左衛門尉(いしみち さえもんのじょう)此の地に住せし時、 鎮守の神として、奉斎したるものにして、中古寺院の支配に 委ねたるにより、記録、その他考証の資料が伝えられていない。 明治六年八月に村社に列せられています。 拝殿の中には、三十六歌仙の絵札がかかげられて おりますが、格子戸の隙間から覗き見ることしか 出来ず、詳細は不明です。 例祭日に訪れたいと思います。 春 日 神 社 (かすがじんじゃ) 御 祭 神 は、「春 日 大 神」ですが・・・・・ 何と大変なことになっていました。 覆屋に納められた本殿の扉が壊され、 中のご神体などが散乱していました。 最近、この様なことがあるそうです。 三田の天満宮さま、でもあったようです。 この神社はどうなってしまったのか〜〜〜 1千年以上の歴史を持つ、由緒ある立派な神社なのに、 境内はゴミだらけで、清掃は一切されておらず、 境内社は壊されたまま、 周辺の地元の方にお聞きしたら、(三十六歌仙の絵札が見せてほしかったので) 「この神社は多田神社の物で、我々は一切関係無い!!!」 大変なけんまくで、言われました。 多田神社の境外摂社になっているのかと思い、お聞きしたところ、 「私共の、兼務社です」とのことでした。 いずれにしても、この現状は見るに忍びない。 同じ多田神社の兼務社でも、前回ご紹介の「市杵島姫神社」http://blogs.yahoo.co.jp/dekunobou36/47946718.html とは、隣り合わせの村落でありながら、あまりにも極端に違いすぎます。 皆様は、両社をご覧戴き、どのようにお感じになられたでしょうか。 ご参考 :川西市 石道 字丸尾11 石道口バス停 北東に800m
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当神社は川西市の北部、見野地区の東端の高台に鎮座されています。 北側は、東谷中学校に隣接していますが、その他は 新興住宅地に取り囲まれております。 この「見野(みの)」の地名は、新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)の氏族に 「三野 造」の名があり、また別に、三野は今の見野であるとも記されており、 三野 造と称する氏族の名が、地名の起源と言われています。 市 杵 島 姫 命 (いち き しま ひめ の みこと) 市杵島姫命は素戔鳴命の御子神で、水の守護神として、 安芸の宮島と同祭神で、俗に辨財天と称せられています。 当社の創建は不詳ですが、由緒の説明書きには、 多田神社の御祭神「源満仲(みなもとのみつなか)」 (912〜997)は、五穀豊穣を計るには水が必要 であると考えられ水を支配なさる神様、市杵島姫命を 琵琶湖の竹生島からここ見野に勧請されました。 と書かれております。 明治六年八月、村社に列せられています。 拝殿の左脇に、一社のみ祀られています。
竹 生 島 神 社(ちくぶしまじんじゃ)
御 祭 神 は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ の みこと)
ずいぶんと長いお名前ですが、天照大神の荒魂で、西宮の「広田神社」の主祭神と同じです。
竹生島姫命(ちくぶしまひめ の みこと)火産霊命(ほむすび の みこと) 当神社の参道が上の住宅地との 通り道になっていることもあり、 次々と参拝者があります。 絵馬も数多く奉納されていて、 さまざまなお願い事があるようです。 新興住宅地の中にありながら、 地域の多くの皆さんに親しまれ、 崇敬されているのが、頼もしくも 見えました。 ご参考 :川西市 見野 一丁目 4−5 能勢電鉄 山下駅下車 南へ 10分 |


