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当神社は、川西市の南部、火打(ひうち)地区の丘陵に鎮座されています。 参道入り口には、浄土真宗 宝塚山 勝福寺があり、裏山(当社の東隣接地)に 六世紀前半の勝福寺古墳があります。 なお、この「火打」の地名は、西にある石切山から、「火打石」を産出 したことによる地名であると云われております。 当社の創建は、延徳元年(1489)九月二日 五穀成就祈願のため、京都祇園の八坂神社を勧請し、 永正十一年(1514)十月二日に現在地に遷されました。 (元の場所は不詳) 拝殿の左側に、境内社、春日神社が鎮座されています。 御祭神は、天照大神、住吉大神、春日大神、です。 この社殿は、大正八年四月にご本殿が新築されたので、 旧ご本殿をこの地に移築したものです。 ご参考 :川西市 火打二丁目 18−7 阪急川西能勢口駅 阪急バス 勝福寺前下車 又は、川西能勢口駅から北へ 徒歩15分
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神社巡り、川西市
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当神社は、川西市の南部の猪名川沿いの出在家(でざいけ)地区の 新しい住宅地の中に鎮座されています。 出在家の地名は、中世に伏尾(池田市)久安寺の 僧が出家修行の苦行に耐えかねて還俗(げんぞく)し、 在家となってこの地を開いたのが地名の始まりで あると伝えられています。 大 巳 貴 命 (おおなむちのみこと) 別名は、大国主命(おおくにぬしのみこと)で、 出雲神話の「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」 に登場したりします。 神社誌によりますと、 往古、川西町の滝山の住民が当地に来てその子孫にて 一つの村が出来た。 そこで、その氏神である村社三輪神社より寛永十六年(1636) に分霊を勧請し、創建されました。 明治六年八月、村社に列せられています。 拝殿の周囲には、三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)の絵札が 掛けられています。 三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)とは、藤原公任の『三十六人撰』に 載っている和歌の名人36人の総称で、 柿本人麻呂 、紀貫之、凡河内躬恒、伊勢 、大伴家持 、山部赤人、在原業平 等等です。 奉納された時代など未調査ですが、2月22日の祈年祭にお聞きして ここに追記させて戴きます。 祈年祭に参拝させて戴き、写真撮影をさせて頂きましたので 三十六歌仙の3点追加致しました。 奉納された年月日は、明治十三年(1880)六月吉日と なっていました。 ご参考 :川西市 出在家町21−5 |
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当神社は、川西市の南部、市街の中心地、小戸(おおべ)地区に 鎮座されています。 阪急電鉄宝塚線、川西能勢口駅の北東、川西市市役所の 東側の住宅地の中にあります。 諸説ありますが、当社の境内に設置された由緒説明には、 大 山 津 見 命 (おおやまつみのみこと) 天 児 屋 根 命 (あめのこやねのみこと) 素 盞 鳴 命 (すさのおのみこと) と書かれております。 ところが、「川西市史第一巻」には祭神不明、信奉していた氏族もわからない。とあります。 由緒説明板に書かれておりますが、 神社誌には次の様に記載されております。 創立年月は不詳なるも、当、小戸の郷は応神天皇の皇子、大山守命の後なる楱原公の居住地なりとの説あり。 (途中略) 大山守命は諸国の海人部山守部の統領なれば、その子孫たる楱原公も山守部として当地に来たりその職掌 山守部なるが故に「大山津見命(おおやまつみのみこと)」を奉斎される。 明治四十二年に八坂神社「素盞鳴命(すさのおのみこと)」と細川姫神社「天児屋根命 (あめのこやねの みこと)」を合祀した。 ご参考 :川西市小戸一丁目13−17 阪急電鉄 川西能勢口駅 北東に500m、(市役所の東100m)
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当神社は、川西市の南部、加茂地区の高台に鎮座されております。 境内地は約4000坪と広いですが、この地は「加茂遺跡」で 弥生時代中期には大規模集落が営まれていたそうです。 大型の銅鐸や、弥生式土器、石器などが多数出土しています。 (次回にご紹介します) 別 雷 神 (わけいかづちのかみ) 創建年月は不詳ですが、延喜式内社(延長五年(927)以前)で、 明治六年八月に村社、同十四年三月に郷社に昇格しています。 「神社調書」には、 祭神は現在「別雷神」だが、従来の典籍には「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と云い また、「事代主命(ことしろぬしのみこと)」とも云われています。 しかし、この地名が加茂であるので、後世に山城の加茂と同名なので 別雷神を祀り、往古の祭神を忘れたるもの。 と記載されていますが詳しいことは不明です。(原文意訳) 拝殿両側に、社殿があり、九社がお祀られています。 天照皇太神社、八幡神社、春日神社、松尾神社、荒神社、 稲荷神社、熊野神社、愛宕神社、多賀神社、 また、現代の高齢化の世の中を反映させた、「延 寿 社」があります。 ご参考 :川西市 加茂一丁目 4−2 阪急川西能勢口駅 南西に20分
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当神社は、川西市の最南端、久代地区の小高い丘の上に鎮座されております。 この地は、氏族の久々智氏が開墾した土地、「久々智の代(料)」が 地名のおこりで、平安中期以降の荘園名称の一つでもあったそうです。 天 児 屋 根 命 (あめのこやねのみこと) 天 津 児 屋 根 命 (あめつこやねのみこと) 当社の創建は不詳ですが 口伝えに、現在の地より東北の方の低地にあったのを 江戸時代に当地に遷宮したといわれています。 明治六年八月に村社に列せられた(神社誌)とありますが、 境内社号標には、郷社と書かれております。 明治四十二年三月に、東久代の春日神社を合祀しています。 覆い屋に納められた本殿は、 杮葺き(こけらぶき)、 一間社春日造り で、 軒 唐破風(からはふ)となっています。 向拝の面取柱(めんとりはしら)や、蟇股(かえるまた) 手挟みなどに安土桃山時代の作風が見られるそうです。 伊丹市の鴻池神社の本殿(県指定重文・寛永六年(1629)造営) と細部が通じるものがあり、この本殿も同時代の建立とされるそうです。 社殿向かって右側(北側)に、立派な社殿があり えびす様が祀られております。 1月7日から11日まで、えびす祭りで賑わっています。 因みに、氏子・崇敬者は、久代全域で約3千戸です。 ご参考 :川西市久代三丁目27−5 川西能勢口駅前 阪急バス伊丹行き 久代南下車 西に5分 |




