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いよいよ伊丹市の神社紹介も、この稲荷神社で最後となりました。 伊丹市の北部で、川西市に隣接している、鋳物師(いもじ)地区に鎮座されています。 この「鋳物師」については、12月8日(http://blogs.yahoo.co.jp/dekunobou36/49839761.html) でご紹介済みです。 当神社が何処に鎮座されているか解らず、何回も探し回りました。 当初この稲荷さんは、境内が隣接する、肘岡天満神社の末社と思い込んで その他を探していました。 何しろ最初の写真の通り、当社の石鳥居の隣には、大きな「肘岡天満宮」の看板があり、 てっきり天満宮と思い込んでしまいました。 宇 迦 御 魂 命 (うかの みたま) 一般には「お稲荷さん」と親しく呼ばれています。 素盞鳴尊(須佐之男命)(すさのおのみこと)の子で、京都の伏見稲荷大社をはじめとする 各地の稲荷神社の祭神とされています。 創建年月については不詳ですが、 石鳥居の刻銘は、元禄十五年(1702)十一月吉日とあり それ以前の創始となります。 社の中には、元禄九年(1696)銘の国司武運長久、当村安全祈祷札と 元文五年銘の金輪聖皇玉礼安穏、福智増長、氏子息災、子孫繁昌の 祈願成就札がかかっています。 ご参考 :伊丹市 鋳物師 1丁目49 市バス 坂ノ下停留所 西へすぐ これで、伊丹市の神社(宗教法人、神社本庁登録社のみ)25社の ご紹介が終わりました。 全神社をご紹介するのに、大変長引いてしまいましたが、皆さんには ご辛抱強く、ご覧戴き有難うございました。 この次からは、阪神地区最東部の「尼崎市」に入らせて頂きます。 尼崎市は大変多くの神社(66社)が祀られていますが、夫々に特徴もあり 出来るだけ楽しくご覧戴けるように努めてまいりますので、今回に懲りずに ご来訪頂きますよう宜しくお願い申し上げます。
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神社巡り、伊丹市
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神社所在地図 鳥居の刻銘は不詳 境内、大木は楠木 標柱と拝殿 社殿は鉄筋コンクリートにて昭和56年に新築 拝殿の内部 ご本殿 県指定文化財 クリックで拡大してご覧ください。 狛犬 吽像 狛犬 阿像 当神社は、伊丹市の東南の端で、尼崎市に隣接する口酒井地区に鎮座されています。 猪名川の東岸に位置する当地区は、古くは猪名川の西岸、猪名川と藻川の中洲に 出来た村で、酒井村と称していました。 しかし度重なる大洪水で、天正八年(1580)に、現在の猪名川の東岸に移転し 氏神、春日大明神を勧請されたと記録が残されています。 明治六年に、村の合併などにより、同じ川辺郡に、酒井村が2つになり、 天 児 屋 根 命 (あめの こやねの みこと) 奈良の春日大社の第三殿にお祀りされている祭神で、 神事と政治を守り導かれる神様といわれています。 創建は不詳ですが、前記の通り、天正八年(1580)に村が移転の際に 奈良の春日大社より春日大明神を勧請した(「口酒井の今昔」伊丹市、より)。 また、元の中洲にあって、村の移転と同時に当社も移転した(「伊丹の神社」総代会) とも云われています。 鉄筋コンクリートの社殿、覆屋に納められている御本殿は、 一間社(イッケンシャ)春日造り(カスガヅクリ)で、彩色ならびに 丹塗り(ニヌリ)が施され、屋根は杮葺(コケラブキ)となっている。 社蔵の棟札には、本殿は寛永十八年(1641)に、鴻池(コウノイケ)の 大工、橘 朝臣 松原三右衛門によって建立されたと記されております。 ご参考 :伊丹市 口酒井 一丁目1−8 市バス 口酒井停留所 西へ 200m
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神社所在地図 (クリックで拡大してご覧下さい) 当神社は、伊丹市の東部、猪名川下流域左岸、森本地区に鎮座されております。 森本は、鎌倉期〜室町期の荘園名、杜本(もりもと)荘からといわれています。 加 茂 別 雷 神 (かも わけ いかづち の かみ) 京都の加茂神社のご分霊の由、その年月は不詳。また、行基菩薩時代の 創立とも云われている。(神社誌記載) 又、伝えによると、当社の創建は、南北朝時代にさかのぼるとされ、 江戸時代寛文二年(1662)、森本村が服部伊賀守の知行所となってから 領主の尊崇篤く、貞享三年(1686)には社頭に灯籠が寄進されている。 ご本殿は、鉄筋コンクリートの覆屋に納められていますが、 拝殿から見た奥に、黒い素木の一部が見えますが、 一間社 春日造りで、その精緻な構造は17世紀の遺構として 貴重なもので、大切に原形が保たれております。 境内には、拝殿の右側に「愛宕神社」が祀られています。 その他、「皇大神社」「春日神社」「八幡神社」「荒神社」は、 昭和51年に社殿を改築の際に、覆屋の中のご本殿の両脇に 納められて祀られております。 手水舎 手水鉢は底辺が2mほどの自然石で、紀元2600年記念の奉納。 北側(裏)の鳥居、延享四年(1747)に奉納されたもの。 狛犬 吽像 狛犬 阿像 貞享三年(1686)の刻銘のある灯籠(北入口) 造営記念碑(クリックで拡大してご覧下さい) ご参考 :伊丹市 森本 2丁目197 市バス 神津小学校前停留所 東へ150m
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地図 クリックで拡大してご覧下さい 当神社は、伊丹市の東部、大阪空港の滑走路の南沿いの、岩屋地区に鎮座されています。 地名の由来は、この辺りに洞窟があったからという説があるそうですが、(岩屋村紅葉紀行解説) 疑わしいとも云われています。 左側が大阪空港の滑走路、 右端が当神社です。 本殿は昭和41年の遷座の際に新築された、流れ造りです。 境内 境内社の稲荷社。 水締大明神と称しております。 愛嬌のある狛犬さんですが、刻銘不詳です。 由緒書、クリックで拡大してご覧下さい。 誉 田 別 命 (ほむだ わけの みこと) 応神天皇(おうじんてんのう)大鞆和気命(おおともわけのみこと)とも称されます。 当社では、八幡大神とも称しております。 当社の創建は不詳ですが、往古、京都の岩清水八幡宮より勧請された と伝えられているそうです。 当時は現在地より東の、岩屋下岩井地区に鎮座されていましたが、 昭和四十一年(1966)大阪国際空港の拡張に伴い、岩屋地区が移転したため、 当神社も現在地に遷座されました。 また、天正六年(1578)羽柴秀吉が伊丹城主、荒木村重を攻める時 に当社の元の境内地に陣を布いたとも伝えられています。 明治六年八月に村社に列せられました。 ご参考 :伊丹市 岩屋 1丁目2−11 市バス 岩屋停留所 北へ200m
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参道入口大鳥居 大震災で倒壊し平成8年に新設された。 参道、両側には42基の石灯籠が奉納されている。 境内入口、門柱と狛犬 手水舎、自然石の手水鉢には上面に浅い盃状穴がある。 拝殿と標柱(しめばしら)、 刻銘には、「修 理 固 成」とある。 これは、「国を、 修 め(おさめ) 理 り(つくり) 固 め(かため) 成 せ(なせ)」 の意味だそうです。 拝殿内部 御本殿、「素木向破風付き春日造り」で、慶長六年(1601)の 建築と伝えられていますが、正徳、寛政年間に大改修を加え、 貞享年間には幣殿を新設するなど、度々の工事が施されているそうです。 境内社、愛宕神社 境内社、神明神社 境内社、大地主神社 境内社、稲荷神社 境内社、護国神社 境内社、佐田彦神社 境内社、厳島神社 境内社、天満神社 境内社、新宮神社 当神社は、伊丹市のほぼ中央に位置し、旧伊丹地区字桜崎で、現地名は宮ノ前に鎮座されています。 阪急伊丹駅から少し東に行くと、参道につながる宮前通りに出る、それを北上すること7・8分で 当神社にはいります。 猪 名 野 坐 大 神 (いなのに ます おおかみ) 当社は、古く野宮、天王宮、牛頭天王社、祇園社と称されたことがあるそうです。 縁起(伊丹野宮牛頭天王の縁起)によると、宇多天皇の時代(887〜896)に、 金剛院の別宮摂社として創始された後、醍醐天皇の時代(897〜929)に現在地に 勧請されたといわれています。 その後、荒廃したのを源為朝(みなもとの ためとも)が再興し、 天正年間(1573〜92)荒木村重(あらきむらしげ)の時、再び荒れてしまい 豊臣秀頼(とよとみ ひでより)の命により修復され、寛文元年(1661)に 近衛家の所領となってからは、同家の尊崇を受けて栄えたそうです。 伊丹郷町の氏神として古くから庶民の信仰も篤く、伊丹随一の「県社」という 社格からも、伊丹の神社信仰の中心的存在であったそうです。 明治初年、神仏分離と共に、野宮牛頭天王を猪名野神社と改められました。 当社には境内社が多く祀られています。 本殿の裏側の「相 殿 社」には、 貴布祢神社、塞 神社、祓戸神社、熊野神社、五柱皇子神社、立田神社、が祀られています。 その他、 愛宕神社、神明神社、大地主神社、稲荷神社、護国神社、佐田彦神社、 厳島神社、天満神社、新宮神社、 等がそれぞれに鳥居を配し立派にお祀りされています。 ご参考 : 伊丹市 宮ノ前 3丁目 6−1 阪急電鉄 伊丹駅 伊丹郷町通りを北へ 700m
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