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当神社は、伊丹市東部、猪名川の左岸、大阪空港滑走路近くの西桑津地区に鎮座されています。 桑津の名の由来は、一説には、日本の古名、扶桑と入江の地形によるといわれていますが、 別の説によりますと、呉織と漢織が呉から渡来して、隣村の小坂田に居住し、 養蚕を奨励して、この地に桑を栽培したことと、入江の地形によると言われています。 火 明 命 (ほあかりのみこと) (元、西桑津火明神社) 火 闌 降 命 (ほすせりのみこと) (元、東桑津火闌神社) 素 盞 鳴 命 (すさのおのみこと) (元、中村素盞鳴神社) 拝殿右側に掲げてある由緒書きによると、 当社は、火明神社、火闌神社、素盞鳴神社、が合祀された神社で、 火明神社と火闌神社は共にもと西桑津・東桑津の北約200mの地の 古墳の面影をした境内に祀られていた。 昭和17年、阪神国際飛行場を建設の際、火明神社と火闌神社は合併、 現在地に移転し、社殿を新築し神社名を、桑津神社と改め、 さらに昭和39年大阪国際空港拡張に伴い、素盞鳴神社と合祀された。 とあります。 本殿の西側に、元、中村素盞鳴神社の末社が祀られている 中村社があります。 またさらに西側には、火明神社から移した、稲荷神社が 祀られています。 ご参考 :伊丹市 桑津 1丁目 2−30 市バス 阪急バス 共に 西桑津停留所下車 北へ200m |
神社巡り、伊丹市
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当神社は、伊丹市の北東端、池田市に接している、下河原地区に鎮座されています。 猪名川の左岸に位置し、この地は往古は河原であったのでしょう。 天 照 皇 大 神 (あまてらすおおみかみ) 神社誌の記載不詳にて、神社総代会編、「伊丹の神社」には、 天保十四年(1843)の下河原明細帳に、 「大神宮を鎮守として、お祀りしている」とある。 昭和九年(1934)に、軍行橋架橋工事のため移転することになり、 現在地に社殿を新築し、昭和12年5月14日遷座祭を行った。 一間社 流れ造り 屋根銅板葺で、神明造りではない。 瓦葺の覆屋に納められています。 社殿の右奥に、風化が進んだ古い狛犬が 置かれています。 砂岩のためでもありますが、そこそこ古いと 思われます。 そのほか、灯籠等も用済みのものが置かれています。 本殿の裏側に、十数基の石塔や道祖神が祀られています。 この伊丹市では、道祖神は珍しいとされています。 この境内の少し南には、大阪(伊丹)空港があります。 離着陸が非常に多い空港でもあり、次から次と飛び立って 行く姿が見えます。 ご参考 伊丹市 下河原 1丁目8−1 市バス、阪急バス 下河原停留所 北へ300m
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当神社は、伊丹市の北部で川西市との境界に近い、鋳物師地区の丘の上に鎮座されています。 伊丹市の中央を走る国道171号線沿いで、こんもりとした森が目にとまります。 大きな看板「臂岡天満宮」があり、その隣に鳥居がありますが、この鳥居は お隣の、稲荷神社の参道入口です。 この鋳物師(いもじ)の地名の由来は、 往古、「いもじ千軒」と称し、鋳物師が軒を連ね繁盛した 土地であるといわれています。(川辺郡誌) しかし、それを裏付ける史料は不明といわれています。 臥 牛 手水鉢 拝殿前の狛犬 吽像 拝殿前の狛犬 亜像 説明書き、クリックで拡大してください。 菅 原 道 真 (すがわらみちざね) 素 盞 鳴 命 (すさのおのみこと) 応 神 天 皇 (おうじんてんのう) 天 児 屋 根 命 (あまのこやねのみこと) 天 照 皇 大 神 (あまてらすおおみかみ) 武 雷 神 (たけいかづちかみ) 經 津 主 命 (ふつぬしのみこと) 境内の説明書きには、 延喜年間(901〜923)の創建と伝えられている。 通称「いもじの天神」という。 (以下、説明書きの写真を拡大してご覧下さい。)
臂 岡 え び す 社
御 祭 神 天 照 皇 大 神 (あまてらすおおみかみ) 蛭 子 大 神 (えびすおおみかみ) 大 国 主 大 神 (おおくにぬしのおおみかみ)
三 宝 社 (台所の守り神)
御 祭 神 火 産 日 神 (ほむすびのかみ) 奥 津 彦 神 (おくつひこのかみ) 奥 津 姫 神 (おくつひめのかみ) ご参考 :伊丹市 鋳物師 1丁目 103 市バス 坂の下停留所 すぐ西
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当神社は、伊丹市の西北部、中野地区の住宅地の中に鎮座されています。 この辺りの新田開発の時、本村とされ「新田 中野村」とされました。 前回のご紹介はこの中野の西で、西野といい、また、東を、東野と 命名されています。 素 盞 鳴 尊 (すさのお の みこと) 大 国 主 尊 (おおくにぬし の みこと) 神社誌には、「創立年月不詳、明治六年八月村社に列せらる。」と記されています。 また、社伝では、「寛永六年(1629)に浅野孫左衛門が 中野新田を開発開墾したときに、宮地として、4反4畝を 開墾して、当社を創建した。」といわれています。 境内社、 浅野霊神社 中野新田、百町歩(約1,000,000m2)の開拓者で、当神社の 創建者、浅野孫左衛門尉守定が祀られております。 境内社 左から「金比羅神社」「天神社」「愛宕神社」が祀られています。 境内社 三殿合祀社(八幡神社、豊受大神社、皇大神宮) 狛犬、吽像 狛犬、亜像 ご参考 :伊丹市 中野 北一丁目5−5 市バス 中野停留所下車 北へ400m
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境内の前には広い道路が出来た。そのために境内がけずられたようですが 結果はきれいに境内整備などがなされたようである。 大鳥居は阪神・淡路大震災で倒壊したので 再建されました。 社号標は大正十五年(1926)五月の建立です。 社殿正面で、門の様に立っている石柱は、標柱(しめばしら)注連柱とも書きます。 注連縄(しめなわ)を張って神域をあらわしています。 社殿は鉄筋コンクリートで平成4年の改築です。 本殿の覆屋(おおいや)で、この中に「流れ造りのご本殿」が納められています。 拝殿の内部で、奥にご本殿が見えています。 手水舎(てみずしゃ)自然石の手水鉢(刻銘不詳)です。 境内社(けいだいしゃ)稲荷神社です。 拝殿の右側が、末社、愛宕神社です。 拝殿の左側に、末社、金比羅社です。 石柱碑で改築の祭に出てきたそうです。 刻銘は、「正徳六年丙申正月吉日」とあります。 狛犬、吽像です。文政十一年(1828)十二月吉日の刻銘があります。 狛犬、亜像です。 当神社は、伊丹市の西部で宝塚市と入り組んだ所、西野(にしの)地区に鎮座されています。 この西野は、東に中野があり、さらに東には、前回ご紹介の、 東野・春日神社があります。 つまり、この地名は新田開発時に「新田中野村」が誕生して、その東側を 「東野」とし、西側を「西野」と命名されたそうです。 素 盞 鳴 尊 (すさのお の みこと) 創建の年月は不詳ですが、 社伝では、文政(1818〜1830)の頃にこの地区の東南の 位置にあったのが、現在地に移ったと伝えられています。 また、昭和39年に改築されましたが、その際に「正徳六年(1716)正月吉日」 の刻銘のある石柱碑が出てきました。 従って、それ以前の創建であるとされています。 ご本殿は、覆屋に納められていますが、小ぶりの 流れ造り、杮葺(こけらぶき)です。 いつ頃の建築かは不詳です。 ご参考 :伊丹市 西野 2丁目 337 市バス 西野停留所 西北約500m
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