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当神社は、伊丹市の北西の端、荒牧(あらまき)地区の鎮座されております。 摂津国の絵図(慶長10年)には、荒蒔とも書かれています。 地名の由来は、聖徳太子がこの地に来て、川岸の柳で十一面観世音を刻み 仙柳山容住寺を建立し、付近を開墾して寺田とした時、 初めて種を蒔いた土地を、「アラマキ村」と称したことからとされています。
天 忍 穂 耳 命 (あめのおしほみみ の みこと)
火 魄 命 (ほむすび の みこと)神社誌には、 創立年月不詳 明治六年八月村社に列せられる。 同四十一年九月十一日 無格社 愛宕神社を合祀する。 太 神 社 (大 国 主 神) 玉 稲 荷 神 社 (豊 受 神) 五社 稲 荷 神 社 (豊 受 神) 平成7年1月の阪神淡路大震災で、大鳥居と本殿前の鳥居が倒壊しました。 大鳥居は、平成4年の建立でわずか3年のご縁でした。(モニュメントの白い物) 本殿前の鳥居は、宝永元年(1704)の創建で300年にわたり 産土神と共に地域を見守ったきたものだそうです。(モニュメントの少し黒ずんだ物) 丸い穴は、飾り穴だそうです。 ご参考 :伊丹市 荒牧3丁目16−54 市バス 荒牧停留所 北西600m |
神社巡り、伊丹市
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当神社は、伊丹市の西部、武庫川左岸、同支流の天王寺川の下流域、 池尻地区に鎮座されております。 池尻(いけじり)の地名の由来は、天平年間(729〜749)に行基菩薩が 築造した昆陽池の閘門尻(こうもんじり)(池の尻)に当るからだといわれています。 (川辺郡誌) 武 甕 槌 命 (たけみかづち の みこと) 斎 主 命 (いわいぬし の みこと) 天 児 屋 根 命 (あめのこやね の みこと) 比 賣 神 (ひめ の かみ) 神社誌には、創立年月不詳、明治六年八月村社に列せられる。 と記載されていますが、「神社の由緒記碑」には、 当神社のご鎮座、天平三年(731)僧行基が、聖武天皇の勅願によって 猪名野笹原を開墾した折、昆陽(こや)の上池、下池を作り、水利農耕を 指導して田畑を造成し、衆民を救済されました。 この時、奈良春日大社の御分霊を祀り、並びに下池の鎮護の宮として 弁財天を祀って神祇仏法両方式によって、氏神社としたのが始まり と伝えられています。 昭和二十五年、三つあった春日社を合祀合併する話が持ち上がり 昭和五十三年に新社殿を造替して池鎮護の宮としてお祀りしている。 (「神社由緒記碑」より) ご参考 :伊丹市 池尻 6丁目176 市バス 池尻停留所 西南へ5分
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当神社は伊丹市の中央部、大鹿(おおじか)地区の「法華宗妙宣寺」境内の 北西の角に鎮座されております。 この大鹿(おおじか)(地元では「おじか」とも呼ぶ)の地名の由来は、 大同二年(807)に、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が この地の森林の中で大鹿を射止めたことによると言われています。(川辺郡誌) 大 日 孁 命 (おおひるめのみこと) 誉 田 別 命 (ほんだわけのみこと) 天 津 児 屋 根 命 (あまつこやねのみこと) 当神社は、観応二年(1351)に隣接の妙宣寺が法華宗に改宗したとき、 開基大覚大僧正が、艮(うしとら)に当る今の地に、三十番神を創建し、 主神に、天照大神を奉斎したのに始まるとされています。 また、明治三年の神仏分離令により、妙宣寺より分れ、西皇大神社と定められました。 元禄十四年(1701)九月二日、洛陽より姉小路、万里小路、 両大納言など、公卿、殿上人、三十六名が相集い歌会が行われ、 三十六歌仙の奉納があったとされています。 ご参考 : 伊丹市 大鹿 4丁目18 市バス 大鹿東口停留所 西にすぐ
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当神社は、伊丹市の中央部、千僧(せんぞう)地区の、旧西国街道沿いに鎮座されています。 千僧の地名の由来は、天平勝宝年間(750〜756)に集落が出来たとき、 千僧供養塔があったからだと云われていますが、 行基菩薩が、和銅六年(713)勅願により、この地で千僧供養を 修して猪名野権現を祀ったといわれています。 大 己 貴 命 (おおなむち の みこと) 熊 野 皇 大 神 (くまのすめおおみかみ) 天 照 皇 大 神 (あまてらすすめおおみかみ) 応 神 天 皇 (おうじんてんのう) 豊 受 姫 大 神 (とようけひめおおかみ) 初めは、大己貴命(おおなむち の みこと)のみを祀っていましたが 後に、猪名神社、及び境内の天来神社を合祀したために 御祭神が増えております。 神社誌には創立年月不詳とされていますが、 「摂陽群談」と当社の由緒書きには、 和銅六年(713)行基法師、熊野に詣で 一夕神に見ゆ、明旦麗容を彫刻して この地に帰って猪名権現として祀り、 池、田、畑の開拓達成を祈願された。 とあります。 当神社には、「一の鳥居」と「二の鳥居」がありますが 「一の鳥居」は、平成7年の大震災にて倒懐しましたが 同年に再建されました。 新鳥居の近くに、旧鳥居の柱の一部が建てられておりますが それには、「元禄十七年(1704)三月吉日」の刻銘があります。 「二の鳥居」は、明治四十三年(1910)に合祀をした 猪名神社(通称:東の宮さん)の鳥居をここに移設されたもので、 宝永三年(1706)正月吉日の刻銘があります。 猪名神社(東の宮さん)の元の位置はは、北東にある「安楽院」の北に 鎮座されていました。 大きな墓場でもありましたが、現在は自衛隊の伊丹駐屯地に なっています。 境内の手水舎のとなりに、記念碑が建てられています。 この千僧の地は、1200年ほど前に、行基が 池を造り、田畑を開拓したところで、その池の一つが 今池と云い、伊丹市に買収されて、現在埋め立てられて、 市役所、図書館、博物館、中央公民館、そして周辺には 県庁舎、裁判所、警察署等が建設されて、一大官庁街と なりました。 この記念碑は、その変遷と譲渡金・寄付金の内容を記したものです。 当神社の近くに、大小沢山の盃状穴が穿かれた石材が 置かれていました。 その後の調査で、石棺の側板とも考えられると いわれています。 この内容は、別に掲載させていただく予定です。 ご参考 :伊丹市 千僧 2丁目 151 市バス 裁判所前 下車 東に300m
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当神社は、伊丹市の中心地、昆陽(こや)地区、伊丹市役所の西200m、 国道171号線沿い南側に鎮座されております。 この珍しい地名の「昆陽(こや)」については、 慶長十年(1605)の摂津の国絵図で「小屋村」、 正保二年(1645)には、「崑陽宿村」と記されており、 この地に行基菩薩が寺を建てた時、「コヤの寺」すなわち小屋寺と 呼ばれのちに桂字を選んで昆陽寺としたため、地名も昆陽と 改められたのが始まりと云われています。 伊 弉 諾 尊 (いざなぎのみこと) 伊 弉 冊 尊 (いざなみのみこと) 神社誌には、「創立年月不詳、明治六年八月村社に列せられる」 と記載されています。 伝承によると、 天平年間(729〜749)に行基法師が昆陽池を開拓したとき その事業達成を祈願して創建されたそうです。 現在の社殿は、昭和四十五年(1970)に鉄筋コンクリート 銅板葺きで改築されたもので、千木高くそびえる覆屋の中には 昭和六年(1931)三月二十七日竣工の、木造の流れ造り、 杮葺き(こけらぶき)のご本殿が納められています。 ご本殿の両脇には、木彫りの狛犬が配されておりますが、 その写真はありません。 境内摂社は、拝殿の左側に 春 日 神 社 愛 宕 神 社 皇 大 神 社 八 幡 神 社 拝殿右側には 金 刀 比 羅 神 社 諏 訪 神 社 戎 神 社 少 名 彦 神 社 境内の奥には、稲荷神社が祀られています。 ご参考 :伊丹市昆陽4丁目1 阪急伊丹線、伊丹駅下車。西へ約1.5km。 市バス、伊丹病院住友前下車 南へ約150m
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