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当神社は、伊丹市の南部、御願塚地区の山陽新幹線沿い北側に鎮座されています。 先にご紹介した御願塚古墳の南之神社より300mほど北になります。 素 盞 鳴 尊 (すさのお の みこと) 当神社は、奈良朝の時代に、行基菩薩が猪名野の開拓の 完遂を御願塚古墳のところで祈願したのが創始とされて います。 かっては、北ノ神社(北神社)、中ノ神社(須佐男神社)、 南ノ神社(南之神社)、とありました。 昭和45年山陽新幹線開通にともない、北神社の隣地に 社殿を遷移したそうです。 本殿の画像はありませんが、説明札に書かれた通り、 伊丹市指定文化財となっています。 本殿は正面の軒に唐破風をつけた、一間社春日造りで、 屋根は杮葺きだそうですが、鉄筋コンクリートの覆屋に 納められているため、外部からは見ることが出来ません。 細部の形式、手法などからみて、17世紀末から18世紀はじめ の頃の建築とされています。 正面の大きな朱色の両部鳥居の脇にある常夜燈の 基壇には、大きな盃状穴が穿かれていますが、 セメントで埋められております。 また、古い手水鉢の上面にも多数の盃状穴が穿かれて いますが、セメントで埋められております。 ご参考 :伊丹市 御願塚 3丁目10−5 市バス 御願塚停留所 北へ300m
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神社巡り、伊丹市
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当神社は、伊丹台地の南東部、阪急伊丹線稲野駅の西側にある 御願塚古墳(ごがつかこふん)の上に鎮座されています。 古墳の名称は、この古墳を主墳として、 付近には、満塚、掛塚、温塚、破塚、があり 合せて「5か塚」であったことから、御願塚と 呼ばれたとの伝承があります。 孝 徳 天 皇 (こうとくてんのう) 別名、天万豊日天皇(あめよろずとよひのすめらみこと) 御願塚の鎮守として、延宝九年(1681)に 孝徳天皇を祀る南神社として墳丘の頂部に 建立されたとされています。 前方後円墳で、墳丘の周囲には水をたたえた周濠(しゅうごう)が巡っています。 墳丘は前方部が短く低く造られた、いわゆる帆立貝式の古墳です。 昭和41年3月に兵庫県の指定文化財(記念物)に指定されました。 全長は52メートルで,前方部は前幅19メートル,長さ13メートル,高さ2メートルです。 後円部は直径39メートル,高さ7メートルで,その周囲の濠(ほり)の幅は8〜11メートルです。 墳頂部は平らに削られて当神社がまつられています。 被葬者を埋葬した主体部は発掘されていませんが この地域の有力な豪族の墓と考えられています。 ご参考 :伊丹市御願塚4丁目10番11号 阪急伊丹線稲野駅より北西へ約200メートル JR宝塚線猪名寺駅より西北西へ約900メートル 阪急伊丹駅前5番乗り場より36系統JR猪名寺経由山田行きにて御願塚下車
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当神社は、伊丹市の南部、尼崎市との境界近く、南野(みなみの)地区に鎮座しております。 南野の地名は、猪名野の南の平野からと云う説と 昆陽(こや)の南部であるからと言われています。 須 佐 之 男 命 (すさのおのみこと) 少 名 彦 神 (すくなひこのかみ) 創建は不詳ですが、摂陽群談によると、 「牛頭天王社、祭神は三座で、牛頭天王と相殿に 子守勝手の神(二柱)を祭る。 行基菩薩が、この地に、楠野山 了福寺を草創の時 之を祀った」と記載されています。 昭和二十年十二月に、字東浦の、少名彦神社を 合併合祀し、南野神社と改め、元の少名彦神社の跡には 参集殿を建てて、名残をとどめ、神事等に使用している。 参道の左側の古い手水鉢があるが 上面には盃状穴が穿がかれています。 風化がひどく刻銘などは分かりません。 ご参考 :伊丹市 南野4丁目2−18 市バス 南野停留所 西に250m
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当神社は、伊丹市の南部の野間地区、尼崎市との境界近くの住宅地の中に鎮座されています。 野間(のま)は、猪名川と武庫川の中間地で、荒蕪地(こうぶち)を 開いた所で、野間と言われているそうです。 須 佐 之 男 命 (すさのお の みこと) 神社誌、由緒板、には次のように書かれています。 慶雲年間(704〜708)、東の森と西の森に、 東健速神社と西健速神社の2社があって、 各々、東野間村、西野間村の氏神でありましたが、 和銅年間(708〜714)東野間村を西野間村に 合併し、村名を野間村としました。 そして、神亀元年(724)九月に、両社も合併して 現在の地に遷座しました。 ご参考 : 伊丹市 野間5丁目3−17 市バス 野間停留所 西に300m
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当神社は、伊丹市の南西部、尼崎市との境界に隣接した 山田地区に鎮座されています。 山田という地名の由来は不詳ですが、 周辺の土地よりも若干高く、水につかりにくかった ことから、山になったところの田で、山田といわれたとも。 高 皇 産 霊 尊 (たかみむすび の みこと) 当社の創始は不詳ですが、神社誌には、 明治維新前は大梵天王(だいぼんてんのう)と称せしも 今はその称を廃す。 明治六年八月に村社に列せられる。 三十七年八月十三日、社名「高皇産霊神社」を 「高皇産霊尊神社」と改称す。 と記載されています。 社名は、現在「高皇産霊神社」でいつ頃かに 元にもどっているようですが?。 拝殿右側に、赤い社の「弁財天社」と さらにその右に、祇園社、梵天社、愛宕神社の 三社が祀られています。 離れて、右側に、稲荷社が祀られています。 その他、震災によって崩壊した石鳥居が 記念碑と共に保存されています。 ご参考 :伊丹市 山田 4丁目4−3 市バス 山田停留所 西300m
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