神社巡り、尼崎市

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

尼崎市、椎堂(しどう)、十九神社(とおくじんじゃ)のご紹介です。



イメージ 1


御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の東北部、猪名川の右岸、湾曲部に位置する、

椎堂(しどう)地区の、猪名川公園に隣接して鎮座されています。


椎堂の地名は、第二十八代宣化天皇の皇子、火焰皇子がこの地に居住し、

爾来、椎田公と呼ばれたところから、椎田がいつしか椎堂の地名となったと

伝えられているそうです。


イメージ 2

御  祭  神


豊 受 毘 売 命 (とようけひめ の みこと)

伊勢の外宮のご祭神と同一神です。



ご  由  緒


当社の創建は不詳ですが、当社の境内に建立された

由来記には、

「当社が代々この椎堂村の氏神であり、豊受神鎮祭のことより推して

創立を凡そ千四百年往古と推定したい。

即ち、伊勢豊受大神の丹波比治の里より遷座なりしはこの五十年以前にして、

大神の神威四方に赫々の時代なればなり。」

と記されています。


イメージ 3
正面鳥居です。


イメージ 4
標柱と拝殿

イメージ 5
拝殿です。


イメージ 6
拝殿内部です。

奥に見えるのがご本殿です。


イメージ 7


イメージ 8
手水舎です。

手水鉢は文化五年(1808)二月の刻銘があります。


イメージ 9
狛犬、吽像、砂岩製です。

文政九年(1826)九月の刻銘があります。

また、「石工 大野久」と、この地方で石工の銘が

あるのは非常に珍しいことです。


イメージ 10
狛犬、阿像です。




ご参考     :尼崎市 椎堂1丁目28−1

         市バス、園田競馬場下車 南東に10分

尼崎市、東園田(ひがしそのだ)白井神社(しらいじんじゃ)のご紹介です。



イメージ 1

御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の北東、東園田地区、旧穴太(あのう)村、

村田邸などの旧家の点在する中にに鎮座されています。


御  祭  神


天 之 手 力 男 命 (あま の てぢから の みこと)


ご  由  緒


神社誌には、創立年月不詳、明治六年八月村社に列せられる。

と記されています。


神社あんないには、

創始年代は不詳だが、古くより、歯神社の俗称で親しまれ、

歯患平癒に霊験があると伝えられる。

享保年間発行の「摂津誌」には、「白井天王祠穴太村に在り

隣村亦各々祠を建てて之を祀る」と記されている。

天正六年(1578)に本殿改築、

宝永五年(1708)と昭和二年に拝殿の改築がなされている。

と記されています。

イメージ 2
一の鳥居です。天保十一年(1840)九月の刻銘があります。


イメージ 3
境内です。

イメージ 4
二の鳥居です。


イメージ 5
拝殿の正面です。


イメージ 6
拝殿の内部です。奥のご本殿は、

一間社流造(いっけんしゃながれつくり)と呼ばれる形式で、

正面の軒には唐破風(からはふう)を付け屋根は桧皮葺(ひわだぶき)です。

各所に彫刻が施されております。

建築年代は、部材の様式と本殿の正面に掲げられている額背面の

墨書の年号から、安政四年(1857)と考えられるそうです。


イメージ 7
本殿の覆屋です。


イメージ 8
拝殿の内部に掲げかれている鯰(なまず)の絵馬です。

鯰は、当社の祭神、手力男命(歯の神さん)の使者といわれ、

歯痛の時、「鯰を食べません」と祈願すると、歯痛が治ると云われ

穴太(あのう)では、ナマズを食べないと云う伝承があります。


イメージ 9
境内社の平岡稲荷社です。


イメージ 10
狛犬、吽像です。和泉砂岩製です。


イメージ 11
狛犬、阿像です。




ご参考      :尼崎市 東園田町 四丁目48

          阪急園田駅  北西へ 10分

尼崎市、冨田(とうだ)船詰神社(ふなづめ じんじゃ)のご紹介です。



イメージ 1


御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の東部、猪名川の右岸に位置する、

東園田(ひがしそのだ)地区で、旧冨田(とうだ)村に鎮座されています。

イメージ 2

御  祭  神


鳥 之 磐 楠 船 命 (とりのいわくすぶねのみこと)



ご  由  緒


当社の創始は不詳ですが、神社あんないには

次のとおり記されております。

旧冨田村の氏神として古くより当地に祀られていたお宮で、

明治四十四年に天神社と荒神社を、昭和五十一年には、

愛宕社を合祀するようになりました。


末社に、稲荷社・天神社・荒神社・愛宕社があります。

当社の御祭神「トリノイワクスブネ」は、古事記にもあるように元来、

海路交通の神であるところから、このお宮で交通安全の祈祷をうける人が多い。

イメージ 3
大鳥居です。


イメージ 4
拝殿です。
現在の御社殿、社務所等は昭和五十一年の土地区画整理に際

して、新しく建てたものだそうです。


イメージ 5
拝殿の内部です。

奥に見えるのがご本殿です。

イメージ 6
ご本殿です。



イメージ 7
境内末社です。

愛宕社、荒神社、天神社、が祀られています。


イメージ 8
境内社の清玉稲荷社です。

イメージ 9
境内社、地主神社です。

イメージ 10
手水舎です。

イメージ 11

境内社前の狛犬、吽像です。

イメージ 12

狛犬、阿像です。

イメージ 13
狛犬の台座に刻まれた年代。

奉納は、「萬延元庚申歳 九月 吉祥日」と

刻銘されています。

萬延の年代は1860年3月18日から1861年2月18日で

その間僅か11ヶ月のです。

この元号に奉納された狛犬などは、今まで見たことは

無く、初めて目にしました。



ご参考     :尼崎市 東園田町 1丁目 359


         阪急園田駅下車  北東に20分

尼崎市、東園田東(ひがしそのだひがし)白井神社(しらいじんじゃ)のご紹介です。



イメージ 1

御 鎮 座 地


当社は、尼崎市の東北、藻川の左岸、園田地区の東園田町5丁目に

鎮座されています。

園田東中学校のすぐ西側で、阪急園田駅の北になります。


園田の地名は、中世の荘園「橘御園」から村名がつけられました。

明治二十二年、周辺の18の村(猪名寺、田能、御園など)が合併して

園田村になり、昭和22年尼崎市に合併しました。


イメージ 2
鳥居、園田東中学校のすぐ西側に建つ。


ご  祭  神


天 之 手 力 男 命 (あまの たぢからお の みこと)


ご  由  緒


創建は不詳です。

旧法界寺村の氏神さんです。旧集落の北東少しはなれた場所に

位置しています。



イメージ 3
拝 殿、


イメージ 4
拝殿内部、奥のご本殿は、

一間社流造(いっけんしゃ ながれつくり)で、屋根は、柿葺(こけらぶき)です。

正面の向拝中央の蟇股(かえるまた)は凡字、身舎の蟇股は左側が「牡丹」、

右側が、「桃」がそれぞれ彫刻されています。

部材の多くは新材に取り替えられておりますが、残る当初部材から

建築年代は、17世紀末から18世紀初め頃と考えられます。

(尼崎市教育委員会、「尼崎文化財散歩」より)

イメージ 5
本殿の覆屋です。

イメージ 6
拝殿内部の正面左側の絵馬です。(明治二十五年奉納)

「九尾(きゅうび)狐の退治図」

九尾の妖狐の伝説は、天竺・中国・日本にその舞台をひろげる、

広大な物語で、謡曲「殺生石」にしくまれ有名となりました。


日本に飛来した金毛九尾の狐は、天下無双の美人となり近衛天皇の

寵をえて玉藻の前となりました。

天皇は、その妖美に魅せられ政務をおろそかにするため、大臣らは陰陽師の

安倍康成に祈祷させ、その正体を見破ります。

そして、東国武士の上総介広常と三浦介義明の両名によって

那須野で退治させました。


殺された妖狐の霊は石と化して、近寄る人や鳥獣を殺す

殺生石(せっしょうせき)となりました。

世にこれを「那須の殺生石」といわれ、のちに玄翁(げんのう)和尚の

法力で妖狐の精魂は散滅させられました。


石を砕くときに用いる大金槌を「玄翁(げんのう)」と云うのは、

この故事からだそうです。


イメージ 7
右側の絵馬です。「武者図」で明治二十五年の奉納です。

イメージ 8
境内社です。右から「八幡社」「稲荷社」「住吉社」が祀られています。

イメージ 9
境内の灯籠です。文政十二年(1829)三月の刻銘があります。


イメージ 10
狛犬は新しいですが、台石は嘉永七年(1854)三月の刻銘があります。




ご参考      :尼崎市 東園田町5丁目73

          阪急園田駅  北に3分

尼崎市、善法寺(ぜんぽうじ)、白井神社(しらいじんじゃ)のご紹介です。



イメージ 1


御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の東部、藻川の右岸、湾曲部に位置する、

善法寺(ぜんぽうじ)地区の、住宅地の中に鎮座されています。

また、当社の周辺には旧家が点在しております。


善法寺の地名は、室町期に見える地名で、

夢窓国師が創建し、定智禅師が止住した禅寺の「善法寺」

が地名の由来だそうです。


イメージ 2



御  祭  神


天 之 手 力 男 命 (あめのたぢからおのみこと)


ご  由  緒


当社の創建は不詳ですが、摂津誌(享保年間)に


「白井天王祠穴太村にあり隣村亦各々祠を建て之を祀る」


と記されており、また、正徳年間(1711〜1716)の付込帖に

白井天祠と記されており、従って、それ以前の創建だそうです。


明治六年八月村社に列せられました。

村の所有する池が売却され、昭和五十八年に農会の助力により

新社殿が建築されて、現在に至っております。

イメージ 3
正面鳥居です。


イメージ 4
拝殿

イメージ 5
拝殿の内部です。

奥に見えるのがご本殿です。


イメージ 6
(クリックで拡大してご覧下さい)

正面の鴨居の上に掲げられている絵馬は、

「日清戦争平壌攻撃図」で、明治27〜28年(1894〜95)

日本と清国とで行われた戦争の絵図です。


イメージ 7

本殿の覆屋です。


イメージ 8

手水舎です。


イメージ 9

拝殿前の灯籠です。

宝暦十年(1760)九月二十八日の刻銘があります。


イメージ 10

狛犬、吽像、花崗岩製ですが年代は不詳です。

イメージ 11

狛犬、阿像です。





ご参考     :尼崎市 膳法寺町 14−15


         市バス、中島下車  東に5分

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
NORI
NORI
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事