神社巡り、尼崎市

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尼崎市、東本町、松島神社(まつしまじんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の南部、東本町の住宅地の片隅に鎮座されています。

元は、南の東堀運河を渡った松島町に鎮座されていましたが、

東部浄化センター建設のために、現在地に移転いたしました。



ご  祭  神


倉 稲 魂 命(うがの みたまの みこと)


別称として、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とも表記されます。

前回の初島稲荷神社と同じですが、

お名前の最初の「うか」は穀物、食物の意味で、穀物の神さまとされています。

京都の伏見稲荷大社の主祭神で、お稲荷さんとして広く信仰されています。

また、穀物の神としてだけでなく、農耕の神、商工業の神としても信仰されています。



御  由  緒


当社の社伝によりますと、元和元年(1615)に稲荷社として

創始されたとあります。


安政六年(1859)に社殿などが再建されました。


当初は、これより南側の運河に架かる「お茶屋橋」を渡った所、

松島地区に鎮座されていましたが、明治六年汚水処理場建設のため

現在地に移ったそうです。



境 内 の 稲 荷 山


境内地は狭いのですが、社殿の裏側に稲荷山と言われる

土盛りがあります。

中央には、小さな祠が祀られています。

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震 災 で 倒 壊 し た 鳥 居


この辺りは震災の被害は大きく、当社も社殿は全壊し

鳥居も倒壊しました。

記念として破壊した石柱が立てて保存されています。

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境 内 社 の 住 吉 社


境内の南側には、境内社の住吉社が鎮座しております。

当社は、安政六年(1859)に船作業・航海安全を

願って住吉の神を勧請したそうです。

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狛  犬


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ご参考   :尼崎市 東本町 四丁目61

       市バス 東本町停留所  西南に200m

尼崎市、初島(はつしま)稲荷神社(いなりじんじゃ)のご紹介です。



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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の南部、猪名川の河口近くの初島地区に鎮座されています。

国道43号線の南部に広大な下水処理場があり、その南側に隣接して

当社がありますが、周辺は大工場地帯となっています。



御  祭  神


倉 稲 魂 大 神(うがの みたまの おおかみ)


別称として、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)とも表記されます。

お名前の最初の「うか」は穀物、食物の意味で、穀物の神さまとされています。

京都の伏見稲荷大社の主祭神で、お稲荷さんとして広く信仰されています。

また、穀物の神としてだけでなく、農耕の神、商工業の神としても信仰されています。


ご  由  緒



享保元年(1716)にこの初島地区を新田開発されるに際し、

京都の伏見稲荷大社より、分霊を勧請したのが、創始と伝えられています。


開発された新田には、綿とか甘藷の栽培がなされたそうです。

当社は、「出 世 稲 荷 宮」ともいわれています。



阪神・淡路大震災による社殿の倒壊


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明治43年に再建された立派な社殿は、大震災によって

完全に倒壊しました。

その後、平成10年に復興されました。



お 清 め の 砂


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拝殿の前には酒樽に「お清めの砂」が置かれていていますが、

よく解りません。

お稚児さんによる「砂持ち」の砂かと思いましたが、そうではないようです。



ご参考  :尼崎市 北初島町 2

      市バス 初島町停留所 下車   南に200m

尼崎市、辰巳(たつみ)八幡神社(はちまんじんじゃ)のご紹介です。



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国道43号線の辰巳大橋付近です。大阪市との境界です。
この右側の少し入った所に当社があります。


ご  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の南端、東本町の南、左門殿川沿いに鎮座されています。


元は、少し北側の、「ユニチカ記念館」の敷地内にありましたが、

明治22年に、尼崎紡績(大日本紡績の前身)の工場建設に伴い、

現在地に移転した」とも云われています。

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「ユニチカ記念館」です。 当社はこの敷地内にあったとの説もあります。


この「ユニチカ記念館」は明治33年(1900)に、尼崎では最初の大工場である

尼崎紡績会社(現在のユニチカ)の本社事務所として建設された建物で、

市内に現存する最も古い洋風建築です。

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建設された尼崎紡績工場です。


御  祭  神


応 神 天 皇(おうじんてんのう)


別名は、誉田別尊(ほむたわけのみこと)

大鞆和気命(おおともわけのみこと)

誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)

胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)等とも称されています。


御  由  緒


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前の通りです。北東向きに鎮座されています。

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大鳥居です。

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境内、拝殿です。

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なかなか立派な本殿です。「一間社流れ造り」です。

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末社、金子稲荷社です。


辰巳の渡し、仇討跡の碑


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境内の東隅に、「辰巳の渡し仇討址」の碑があります。

石碑の側面には、

「慶長八年(1603)、辰巳の渡し場で、藤堂高虎の家臣、高畑寿教の妻、

槇が、家来、端四郎の助太刀により、亡夫の仇、佐和新九郎を討ち取り自刃した。」

の意味が読み取れます。



ご参考   :尼崎市 東本町 1丁目 42

        東本町バス停留所  300m東

尼崎市、大物主神社(おおものぬし じんじゃ)のご紹介です。



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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の大物町、阪神大物駅より南に50mの所、

国道2号線と43号線の中ほどに鎮座されております。


前回ご紹介の桜井神社は尼崎城址の西端に鎮座されていましたが、

本社は、逆方向つまり、東北の方向に鎮座されていました。

すなわち、その位置は尼崎城の「鬼門」にあたります。

現在地は、それより南になりますが、藩主青山氏の時代に移転したと

云われております。


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摂津名所図会(せっつめいしょずえ)寛政8〜10年(1796-1798)

手前が大物川と大物橋、 右上が大物主神社の全景が描かれています。

この地は、巨木の集積地として知られていましたが、

謡曲の「船弁慶」や、歌舞伎で有名な「義経千本桜」の中で出てくる、

「大物浦の段」が有名です。


ご  祭  神


大 物 主 大 神(おおものぬしの おおかみ)

別名 :三 輪 明 神 です。

市 杵 島 姫 命(いちきねしまひめの みこと)

安芸の宮島、 「厳 島 神 社」より勧請。

田 心 姫 命(たごりひめの みこと)

湍 津 姫 命(たぎつひめの みこと)


御  由  緒


往古、この尼崎の海岸は、現在より北に入り込んでいました。

そして、「神崎川」と「武庫川」に挟まれた三角州で、度々の水害に

悩まされる土地であり、そして、海運の要衝でもありました。


平家物語にも語られる、源義経、弁慶が「大物浦」から船出して、

大風に流されたとあります。


当社はこの様な土地の守護神として、古くから祀られてきたと云われています。


市杵島姫命は、平清盛の願により、安芸の厳島から

勧請し合祀をされました。

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境 内、 社 殿 で す。



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国道2号線と国道43号線をつなぐ、県道大物線の中程です。

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社号標石です。

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中央の石柱は、万度石です。

一般には、百度石で、お百度をふむと言われる物ですが、
ここは、万度石ですから、一万回拝殿と万度石を往復して
お願いしなければいけないのでしょうか。
それだけお参りするのですから、きっと、お願い事が叶うでしょうね。

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拝殿です。

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本殿の裏側です。


当 社 の 戦 前、 戦 時 中 の 写 真 で す。


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戦前の社殿です(昭和12年)
しかし、昭和20年6月15日の大空襲で焼失していまいました。

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国民学校(小学校)の生徒の参拝です。「欲しがりません、勝つまでは!」。そして、

神風が起ることを信じて。

兵隊さん、ご苦労様です。と感謝を込めて。

私たちはこれを「日参(にっさん)」と言っていました。


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遷宮などのお祝い神事に、お稚児さんによる「砂持ち」です。

持ち込まれた砂は、境内に撒かれました。




注)、
ここに掲載の昔の画像は、尼崎市在住の、稲垣恵一氏の神社の変遷に
掲載された冊子から許可を戴き、拝借、引用させて頂いたものです。











  

尼崎市、櫻井神社(さくらいじんじゃ)のご紹介です。



尼 崎 市 に つ い て



これより「尼崎市」の神社めぐりのご紹介です。

尼崎市は兵庫県の南東端に位置しており、

南は大阪湾に面し、西は西宮市、北は伊丹市、東は大阪市(西淀川区)

に接し、大阪平野に含まれています。

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尼崎市には66社の神社がありますが、人口密度が高く約7000人/神社で

人口割合ではさほどではありません。


ここに掲載の写真は、昨年4月に撮影したものです。

その当時、阪神尼崎駅からこの櫻井神社までの景観は大変チグハグで

良い印象を持たなかったのですが、今回訪れて驚きました。


駅構内からを含めて、当神社までの道のりが、足元が明るく感じ

今まで持っていた悪いイメージが一拭されました。

具体的表現は差し控えますが、当市は世界一のプラズマデイスプレイ工場の

本格的稼動も始まり、その活力の表れと共に、市民揚げての都市美化に取り組む

姿がひしひしと感じられました。

この先、楽しい神社巡りが出来そうです。


まずは、尼崎市発祥の地、尼崎城址に鎮座の「櫻井神社」からです。


櫻 井 神 社 の ご 鎮 座 地


当神社は、尼崎市の南部、旧尼崎城址内の南城内に鎮座されています。

当初、旧尼崎城内の西大手橋東詰にあった家老屋敷跡に建立されましたが、

その後国道43号線敷設のため現在地に遷宮されました。


ご  祭  神


尼崎初代藩主、櫻井信定公 より十六代、忠興公までの歴代城主を

お祀りされております。


ご  由  緒


当神社は、明治十五年(1882)尼崎城内に建立されました。

櫻井家の祖、初代信定公は、その勢力安定に尽力されました。

戦国の世のならいで、七代目忠頼公が二十八歳で亡くなりましたが、

八代目忠重公の努力と徳川家康公の計らいでお家再興がかないました。

十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移ってこられました。

すなわち、尼崎初代の殿様だそうです。



社  殿


本殿、拝殿は明治15年(1882年)建立された当時のものである。

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手前は庄下川、開明橋から城址公園に建つ「中央図書館」です。


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開明橋から、中央が桜井神社。

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北側入口の石鳥居

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お城の天守閣棟瓦が保存されています。

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ご参考   :尼崎市 南城内 116−11

       阪神尼崎駅 南東へ300m

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