神社巡り、尼崎市

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尼崎市、戎神社(えびすじんじゃ)のご紹介です。



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所 在 地 図

御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の南部、阪神電鉄尼崎駅の西、神田中通に鎮座されています。

元は、別所村東山町(現在の西本町)に鎮座されていましたが、

種々の事情で徐々に境内敷地が、ちぢまってしまったので、

いつの頃からか、「ちぢみさん」と呼ばれるようになりました。


昭和20年、太平洋戦争の際に、家屋疎開の用地に指定されたため、

現在地に移転したそうです。


ご  祭  神


主 祭 神  八 重 事 代 主 大 神(やえことしろぬし の おおかみ)

配  神   大 国 主 命(おおくにぬし の みこと)

       応 神 天 皇(おうじんてんのう)

       猿 田 彦 大 神(さるたひこ おおかみ)


ご  由  緒


神社誌には、事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)として次の通り

記載されています。

創立年月不詳にして、明治六年八月に村社に列せられる。


また、境内には次のような、説明書きがあります。

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拡大してご覧下さい。


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大鳥居と公園


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この大鳥居は、阪神電車内からもよく見えますが、

高さは約16mで、昭和33年に着工、同34年6月に竣工しました。


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この拝殿と本殿覆屋は鉄筋コンクリート製です。


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社号標には、事代主神社と刻銘されています。

ご  本  殿


覆屋の中に納められている本殿は、一間社流造(いっけんしゃながれつくり)で、

正面の軒には、唐破風(からはふ)が付いています。

屋根は、桧皮葺(ひわだぶき)、江戸時代の末頃の建築かと言われています。

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拝殿の内部ですが、奥にはご本殿が納まっております。




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ご参考   :尼崎市 神田中通り 三丁目82


       阪神電鉄 尼崎駅  西に400mほど

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尼崎市、吉備彦神社(きびひこ じんじゃ)のご紹介です。


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地図

御  鎮  座  地



当神社は、尼崎市の東部、小田地区の金楽寺町に鎮座されています。

天平七年(735)、吉備真備(きびの まさび)が唐土を錦の袋に入れて持ち帰り、

長州の地の中央に、錦楽寺(きんらくじ)を建立したと言われています。

錦楽寺→金楽寺となり現在の町名となっています。

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ご  祭  神


吉 備 真 備 (きび の まさび)


奈良時代の学者、政治家(公卿)右大臣

吉備真備(きび の まさび)は、養老元年(717)に留学生として入唐し、

儒学・天文学・兵学・音楽等を学び、天平七年(735)帰朝する。

右大臣、橘諸兄に重用され、従四位上に昇進したが、藤原仲麻呂の専権下では

不遇され、九州大宰少弐に左遷された。

天平勝宝三年(751)遺唐副使として渡唐、のち昇進を重ね右大臣となり、

地方豪族出身では破格の出世をとげました。



御  由  緒



神社誌には、次の通り記載されています。

昔、吉備真備(きび の まさび)が当地方を領せられた時、

長州村字大門に錦楽寺を建立せられしかば、村長はその霊を祀りて、

一社を創立す、と伝えられている。

明治六年八月に村社に列せられる。

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拝殿に掲げられた「絵馬」


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吉備真備(きび の まさび)入唐間事図


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図柄は真備の入唐中の出来事を、大江匡房(おおえのまさふさ)の『江談抄』に

もとづいて描かれたもので、真備は諸道・諸芸に秀でていたので、唐人の嫉みをうけ

唐人は彼を殺そうとし、鬼の住む楼閣に幽閉されるが、阿倍仲麻呂の亡霊に

救われた場面や、『文撰』『野馬台の誌』の解説や囲碁の勝負などを課せられるが、

霊の援助や、蜘蛛のひく糸によって勝ったというものです。


吉備真備と、この絵巻について、



5月29日(木)午前9:00より、NHKで放映されます。

番組は、「名 作 絵 巻 ミ ス テ リ ー」

     「遣 唐 使 と 皇 帝 の 対 決 疑 惑 の 断 片」


また、この絵巻は、奈良国立博物館の平城遷都1300年祭「遣唐使特別展」で、

展示されています。(平成22年6月20日(日)まで)




頼光(らいこう)酒呑童子(しゅてんどうじ)退治図


寛延四年(1751)奉納
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源頼光(みなもとのよりみつ)が、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部李武の

四天王をつれ、大江山に住む酒呑童子という鬼を退治するという話を描いたもの。



境 内 図   嘉永五年(1852)奉納


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嘉永五年の当神社の境内を描いたもの。



三 十 六 歌 仙 額


嘉永五年(1852)四月に奉納された三十六歌仙額(2面欠)が

あるそうですが、拝殿内部にて、拝観が出来ませんでした。


境  内  社


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稲 荷 社




ご参考     :尼崎市 金楽寺町 2丁目17−1

         市バス  天満神社前下車  西に3分

尼崎市、大門(だいもん)厳島神社(いつくしまじんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地


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当神社は、尼崎市の南東部、長州地区、中通りの住宅密集地に

鎮座されています。


この長州地区の地名は、奈良期に猪名荘の南に、長い州浜が

形成されたことによります。

潮の干満によって、出入りする白砂の州が美しく、

歌の名所として知られていたそうです。


また、

菅原道真公が九州に下向の途中、潮待ちのため当地に1泊された際に、

道真一行は一番鶏で出立することになっていましたが、

鶏を夜明け前に鳴かせたために、早立ちした言い伝えから、

当地では、鶏を飼育しない風習があったそうです。(尼崎市史10)


御  祭  神



市 杵 島 姫 命  (いちき しま ひめ の みこと)

 水の神様で、広島県の「安芸の宮島」厳島神社の祭神です。

市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天と習合しており、

弁天さまとしても、親しまれております。


伊 弉 諾 命  (いざなぎ の みこと)


御  由  緒


創建については不詳です。

神社誌の記載も見当たりません。(再調査中)


「尼崎神社あんない」(兵庫県神道青年会尼崎市支部発行)には

次の通り記載されております。

以前、当社より北に多可宮と称される宮があり、それと対をなす格好で低宮と呼ばれていた。

『日本書紀』には、祭神の二柱の神は共に履仲天皇の祝に出現され、そのため天皇は車持君に

悪解除・善解除を負わせて長渚崎で禊祓い(みそぎはらい)を命じられたと記されている。

長洲浜の開発行基五泊の一つである大河尻の修造の際、当地に縁りの深い神々として奉斎された

ものかと思われる。

平成7年の震災後社殿を改築。境内に白龍大神を祀る。また毎年1月には伊勢講が催される。


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御  本  殿


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ご本殿は、外部から見ただけで、詳しくは解りませんが、

「一間社(いっけんしゃ)流造り(ながれつくり)」で、

屋根は、柿葺(こけらぶき)、前回ご紹介の「貴布禰神社」と

似ている様に見受けられます。



狛   犬


砂岩製で、かなり風化していますが、

足などを修理するなりして、大切にされています。

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狛 犬、 吽 像

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狛 犬、阿 像


境  内  社


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白龍大神社





ご参考   :尼崎市 長州中通り二丁目 5−10

       市バス 工業高校前停留所 南西に200m

尼崎市、長州(ながす)貴布禰神社(きぶねじんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の南東部、長州地区の住宅地の中に鎮座されております。

元々、本神社は、旧東長州村の氏神で、旧集落の北西端に位置していたそうですが、

現在では、都市化が進み、周辺の景観は大きく変わっております。


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御  祭  神


高  龗  神 (たかおかみ の かみ)


高龗神(たかおかみ の かみ)は、古来より雨を掌(つかさど)る、神とされています。

京都の貴船神社(きぶねじんじゃ)の祭神でもあります。


龗(おかみ)の字が解り難いですが、

「雨冠」の下に「口口口」とその下に「龍」と書きます。

すなわち、字の通りの意味となります。(龍は水を掌(つかさど)る、神様です)


御  由  緒


嘉暦元年(1326)の創立と伝えられております。

(「摂津志に貴布禰祠 嘉暦元年造」と記載されています)

大正四年(1915)十二月、無格社伊弉諾神社、市杵島姫神社を合祀。

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由緒札、クリックで拡大して下さい。


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社額は、鋳鉄製(いもの)のようです。

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拝殿、左側は境内社です。

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拝殿の内部です。

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本殿の覆屋です。


ご  本  殿


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本殿は、一間社(いっけんしゃ)流造(ながれつくり)で、

屋根は、柿葺(こけらぶき)(薄い板を重ねて葺いたもの)で、

建築年代は、宝暦二年(1752)頃とされています。

この年代は、先にご紹介の、長州天満神社の本殿と同じ年となります。



境  内  社


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境内社です。


三社相殿社で、妙見宮、大黒天神、宇賀大明神が祀られています。



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手水鉢


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元の狛犬さんで、境内社の前にあります。

砂岩のため風化が激しく、危険なために木柵で囲われていますが、

いい顔をした素晴らしい狛犬さんです。





ご参考    :尼崎市 長州中通 三丁目8−28

        市バス  天満神社前停留所 下車 東に400m

尼崎市、長州(ながす)天満神社(てんまんじんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の南東部、長州地区の中央部に鎮座されています。


この長州は、奈良時代に猪名荘の南に長い州浜が形成されたことからだそうです。

当時、潮の干満によって、出入りする砂州が見られたといわれています。

それは、歌名所に数えられ、多くの歌に詠まれております。


例えば・・(以下は、適当に「スルー」してください)

  「世の憂いきを思ひ ながす の浜ならば我さえもともに行くべきものを」(平中物語)


  「津の国の 難波のことも思はずて 長州 に遊ぶ鶴の世を知れ」(相模集)


御  祭  神


菅 原 道 真 (すがわら みちざね)


御  由  緒


延喜元年(901)、九州大宰府に左遷された菅原道真が下向の途中、

潮待ちのため、当地に1泊されたと伝えられ、道真にちなむ天満社が

戦国期以降奉祀されているそうです。


また、摂津名所絵図には、

天神の社 菅原道真 筑紫にさすらへの御時 是所に御船を寄せられ

自画の像を、宿の長に賜う。 之を祭り産土神とす。

と記されております。


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西側の入口、バスの停留所「天満神社前」

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正面(南面)


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大鳥居

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西側の鳥居


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拝殿の正面


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拝殿


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拝殿の内部

ご   本   殿


ご本殿は、慶長12年(1607)に建築された市内最古の神社建築です。

一間社 流れ造りで、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)です。

正面の向拝中央の蟇股(かえるまた)は表側は、「牛を連れた翁(おきな)と媼(おうな)」

裏側は、「梅にうぐいす」が彫刻されているそうです。


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道路側から本殿の覆屋


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本殿正面

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本殿の外観


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説明札(クリックで拡大してください)

足 洗 い の 池


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足洗いの池

菅原道真が砂浜を長州の里に向かい散策しているとき、

足元が砂で汚れたので、老婆が見かねて池の水で洗い清めた

のがこの池だといわれております。



ご参考   :尼崎市 長州本通 三丁目5−1

       市バス 天満神社前 下車すぐ

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