神社巡り、尼崎市

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尼崎市、伊居太神社(いこたじんじゃ)のご紹介です。


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御 鎮 座 地


当神社は、尼崎市、北部の藻川と庄下川に挟まれた

下坂部地区の「伊居太古墳」上に鎮座されています。


下坂部の地名は、新撰姓氏録 摂津神別に記載されている

「坂合部氏族」の居住地で、開拓後に地名を「坂合部」と

称しましたが、室町期に荘園名として、下坂部としたそうです。


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ご  祭  神


武 甕 槌 神 (たけみかつち の かみ)

天 児 屋 根 命 (あめのこやね の みこと)

經 津 主 神 (ふつぬし の かみ)

姫  大  神 (ひめ おおかみ)



ご  由  緒


神社誌には次の通り記されております。

創立年月不詳、明治六年八月、村社に列せられる。

その春日神を祭神とせるは、明治維新の神社取調べの際

誤認せしものという。

とありますが、

当社境内の、「沿革と由緒」の中には、

藤原氏の全盛期当地方を支配した際、その祖神たる

春日大社を勧請奉祀したものと信じる。

また、

古老の伝うる処によれば、昔大和の春日大社より、

神の使者として神鹿が当社に到来したという。


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大 鳥 居  

後ろ側の石灯籠は、天明二年(1782)の刻銘があります。

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拝 殿

社殿は、阪神淡路大震災により、損壊しましたが、

平成十一年四月に再建されました。

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拝殿内部

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手水舎

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狛犬、吽像 砂岩製の立派なものです。

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狛犬、阿像

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伊居太古墳の図 (拡大してご覧下さい)

図の中で、本殿、拝殿、鳥居とあるのは、現在の当社の建造物の位置関係です。


現在では、伊居太古墳の原形は著しく失われていますが、

全長約92mの南面する古墳時代中期の前方後円墳と考えられています。

市内では最大規模の古墳です。

ただ、これまでの調査では既に墳丘が削平されていたこともあって

古墳に関する出土遺物は見つかっていません。





ご参考    :尼崎市 下坂部 四丁目 13−26

        市バス 近松公園停留所 下車  すぐ東

尼崎市、伊佐具神社(いさぐじんじゃ)のご紹介です。



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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の北東部、藻川と庄下川に挟まれた、

上坂部三丁目に鎮座されております。

地名の「坂部」は、近世江戸期〜明治二十二年の村名で、

当時に、お酒にかかわる場所であったので、「酒部」と

言われたという説と、中世に雀部(ささべ)氏のお寺があり、

それが変化して「さかべ」と呼ばれたとか、云われておりますが、

どちらとも考え難いのでは〜〜。よく解かっておりません。


御  祭  神


主祭神 伊 狭 城 入 彦 尊(いさぎ いりひこ の みこと)

(別名字、五 十 城 入 彦 尊)

阪神地区では珍しいご祭神です。

景行天皇の第十皇子で、ヤマトタケルノミコトの異母弟にあたります。

同じ「五十城入彦尊(いさぎいりひこのみこと)」を祭神とする

式内社として、愛知県岡崎市に「和志取(わしとり)神社」が

あり、近くに五十城入彦尊の御陵墓があります。


しかし、何故、この尼崎の地に祀られているのかが分かりません。


ご  由  緒



当社の創始は不詳ですが、

延喜式(10世紀始めに編纂された法令集)の中の

神明帳にしるされた攝津の国川辺郡七座の第一の神社で、

市内で唯一の式内社です。



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境内

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拝殿、

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御祭神額

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拝殿内部です。

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社号標石です。

尼崎市指定文化財となっています。

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手水舎、震災で倒壊その後再建。

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用済みとなり、拝殿前右側に保存されている狛犬、吽像です。

砂岩製で表面が風化しておりますが、なかなか立派なものです。

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同じく狛犬阿像です。

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五輪塔。境内に赤松円心の墓と伝えられる五輪塔があ。元弘の変(1333)の時、後醍醐天皇のために奮戦した人物。

尼崎市、久々知(くくち)須佐男神社(すさのおじんじゃ)のご紹介です。





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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の武庫平野の東部、藻川と庄下川に挟まれた小田地区の

久々知(くくち)に、鎮座されております。


久々知の地名の由来は、

摂津の国、皇別(こうべつ)大彦命(おおびこのみこと)の末裔の

久々智(くくち)氏が杣山(そまやま)を管理するためにこの地に

居住していたため、地名となったと言われています。

杣山(そまやま)とは、木材用に植林された山のことで、猪名川や武庫川で

運び出された木材が、この地で集積、加工が行われていたそうです。

昔、京都の石清水八幡宮用の建材も猪名川上流の杣山から、

この地に集められたのではないかと考えられています。




御  祭  神


須 佐 男 命 (すさのお の みこと)



ご  由  緒



当社の創建は、鎌倉時代、天徳元年(957)源満仲が

勧請した、久々知宮と伝えられております。

元享三年(1323)赤松則村六波羅軍勢と当国の瀬川に

対陣するや、社傍に陣を構えて戦勝を祈りしも、戦後は境内が

荒廃してしまいました。

正徳四年(1714)社傍の廣済寺を再興され、

国常立尊(くにのとこたちのみこと)は北辰妙見宮の

垂迹として当社を「北辰堂」と称していました。

明治初年に称呼を現在社名に改められました。



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隣接して廣済寺があります。

廣済寺境内には、近松門左衛門のお墓があります。


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本殿、幣殿、拝殿は、元和二年(1616)に再建されましたが、

昭和六十年に大修復がされました。

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ご本殿です。

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本殿の覆屋

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手水舎

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社頭の狛犬、吽像

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狛犬、阿像


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源満仲が多田に向かって矢を射るのに

足をかけた「矢文石」といわれています。


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隣接する「廣済寺」

近松門左衛門のお墓があります。


宝暦年間の神馬図などの絵馬が数多く所蔵


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「神 馬 図」 法橋周圭充の画。宝暦年間(1751~1763)の奉納。

馬が神の乗り物として、神事や祈願・感謝の行事に当たって

神霊の降臨を願うため、馬を献上した風習を根源として、

絵馬画題の主流となったそうである。

その図柄も多種多様で白馬は日乞いに、黒馬は雨乞いに

奉納するとか、また裸馬・飾り馬・繋馬・牽馬・猿駒曳き

駒迎え・調馬図などがあるそうです。
(尼崎の絵馬、教育委員会)より。


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「鯉 図」 法眼月岡 雪鼎の画。明和年間(1764~1771)の奉納。

スサノオ命が賊に追い詰められたとき、鯉が川岸に集まり

橋となって無事にスサノオを逃したという説話があります。


ご参考     :尼崎市 久々知 1丁目 3−28

         市バス  近松公園停留所  すぐ西

尼崎市、塚口神社(つかぐちじんじゃ)のご紹介です。



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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の北部の中央、阪急塚口駅前の賑やかな街から北、数分のところ、

塚口本町1丁目に鎮座されております。


尼崎から伊丹の街道沿いに、土や石を盛り上げた古墳が

塚の形で背後に点在したため、「塚口」と呼ばれたそうです。


御  祭  神


主祭神  須 佐 男 命 (すさのお の みこと)



ご  由  緒



当社の創始は不詳ですが、
伝えによると、天平年間(729〜749)に行基菩薩が

この地を巡錫のおり、守護神として、須佐男命をお祀りした

のが、創始と伝えられています。

当社は以前、「塚口須佐男神社」と称していました。


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大鳥居です。

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境内です。

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標柱から拝殿です。

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拝殿、昭和四十八年に新築されました。

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御祭神扁額

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拝殿内部です。

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ご本殿です。

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境内社の大原稲荷社です。

この社殿は旧本殿で、稲荷社として祀られています。

この稲荷社は、一間社(いっけんしゃ)流造(ながれつくり)と呼ばれる形式で、

正面の軒は、唐破風(からはふ)になっています。

屋根は、銅板で葺かれています。

正面中央の蟇股(かえるまた)には「雉親子に花」など、各所に細かい

彫刻が施されています。

部材などから18世紀末頃の建築と考えられています。

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境内社の五社神社です。

菅原道真命、宇賀魂大神、豊幡姫命、豊受姫大神、火之伽具土大神

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手力男神社

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手水舎です。四方の柱は御影石の磨きが使われています。

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五社神社前の狛犬の吽像です。寛政二年(1790)の刻銘があります。

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狛犬の阿像です。

和泉砂岩製で浪速型でしょうか。尻尾が小さいのが特徴です。






ご参考     :尼崎市 塚口本町 二丁目 11−28

         阪急塚口駅 北に 8分

尼崎市、浜田、松原神社(まつばらじんじゃ)のご紹介です。



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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の中央部から少し西よりの浜田地区、

JR立花駅の南に鎮座されております。


浜田の地は、崇徳院の御影堂(みえどう)領が

比叡山粟田社領に護持されていた史実と合致し、

古くから浜側の田地が(浜田の地名の由来です)開かれて

いたことを物語っているそうです。



御  祭  神


主祭神は、素盞鳴命(すさのおのみこと)で、

崇徳天皇(すとくてんのう)を相殿神(そうでんしん)とし、

三輪明神(みわみょうじん)を配祀。


ご  由  緒


神社誌には、「創立年月不詳。明治六年八月村社に列せられる。」とありますが、

浜田に残る伝承によれば、「境内由緒(教育委員会))

崇徳天皇が讃岐に移られる途中、大風雨を避けてこの地に

ご休憩されたとき、村民が、鮗(このしろ)、蛤、牡蠣、蜷貝(まてがい)

湯葉、嫁菜、牛蒡、焼米、焼豆、塩おはぎ、等を差し上げてもてなしました。

その所縁から、没後も御霊を慰め、お祀りしたのに、始まると言われています。


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入口付近、東側には、禅宗の護国山典禅寺があります。

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大鳥居

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参道、境内

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拝殿です。

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拝殿内部、奥は本殿正面です。

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扁額、

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本殿

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手水舎

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狛犬、吽像です。

文化十一年(1814)の刻銘があります。

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狛犬、阿像です。


今も受け継がれている 「当 屋 制 度」



当社には、特定の家が神事に奉仕する「当屋」の制度が残されております。

12月31日の除夜には、当屋の中の宮当番が、新しい藁を垂らした注連縄を

松竹梅に寄せ合わせて根元を笹でくくった門松に張って、拝殿前に飾り付けます。

元旦の早朝当屋の人たちは、威儀を正した服装や裃を着て、一切無言で神事を

行うそうです。

この様な当屋は、宮講と呼ばれ、現在も神社を中心とする年中行事を踏襲して、

厳粛に行われているそうです。


ご参考     :尼崎市 浜田町 1丁目 6

         JR立花駅、南に 5分

         市バス、浜田小学校下車  東にすぐ

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