神社巡り、尼崎市

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尼崎市、富松神社(とまつ じんじゃ)のご紹介です。



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地図、

御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の北部、武庫之荘地区の東に隣接する

富松(とまつ)地区に鎮座されております。

(当社の境内地は、富松城の一郭ともいわれています。)


平安時代から戦国時代に、富松荘(荘園)があり、

富松氏(摂津国川辺郡富松に勢力を持った中世・戦国時代の土豪の総称)が

拠点にしたそうです。

室町幕府管領、細川家の分裂を発端とする戦乱で「富松城」が登場しました。

この平地に築かれた土塁は珍しく、市民による研究・保存活動が

活発に行われているそうです。



ご  祭  神


 須 佐 男 命(すさのおのみこと)

 応 神 天 皇(おうじんてんのう)



ご  由  緒


当社の創始は、天平五年(733)に聖武天皇の勅願によって

行基菩薩が、猪名野笹原を開墾した際、二十三ヶ坊の堂塔を造営

しましたが、そのうちの一坊が当神社となっています。


須佐男命と、薬師仏をお祀りしており、神仏混淆(しんぶつこんこう)の

形をもっております。


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参道の入口

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社号標と鳥居

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境内


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現在の社殿は、昭和四十一年に鉄筋コンクリートで再建されました。


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拝殿の奥に見えるご本殿は、県指定重要文化財で、

一間社春日造り、屋根は、柿葺(こけらぶき)です。

建物全体に華麗な彩色が施されているそうですが、見えません。

記録によると、寛永十三年(1636)に建築されたそうです。


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舞殿

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境内末社で、皇大神宮社、白山比売神社、熊野三山神社、愛宕神社、

金比羅宮、厳島神社、天神社、稲荷社、があります。


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手水鉢


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狛犬、吽像です。文化七年(1810)奉納の刻銘があります。


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狛犬、阿像です。砂岩製です。



ご参考     :尼崎市 富松町 二丁目23−1


         阪急塚口駅より、北西に15分

         市バス 富松北口 下車、南にすぐ



 

尼崎市、西富松(にしとまつ)須佐男神社(すさのおのじんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地



当神社は、尼崎市の北西、武庫地区、旧大字西富松(にしとまつ)の

旧家が点在する、住宅地の中に鎮座されています。


この富松(とまつ)地区は、平安時代から戦国時代に富松荘(荘園)

があったそうで、戦国時代の初めに東西に分かれ、西側を西富松と呼ばれたそうです。

近くには「西富松城跡」があり、平地に築かれた土塁は県下では珍しいとされ、

地域史の研究者によって、研究と保存活動を活発に行われているそうです。


現在では、昭和54年の新住居表示で、武庫之荘東1丁目となり

由緒ある「西富松(にしとまつ)」の地名が消滅してしまいました。

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当社近隣の旧家の一部です。



御   祭   神


須 佐 男 命 (すさのお の みこと)


ご   由   緒


当社の創建は不詳ですが、

元禄年間(16688〜1704)の『摂 陽 群 談』にも記された

古祭「だんご祭り」が伝えられております。

毎年の9月1日の「八朔祭」がそれで、大江山の鬼で名高い「茨木童子」

の出生地とされる富松の里で行われていた餌祭が、今も当社の祭礼として

その形態をとどめているのだそうです。


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神社正面、馬場先にあたる所


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鳥居、刻銘不詳

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境内


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拝殿の内部で、奥に見えるのが、ご本殿です。

瓦葺の覆屋に納められています。


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狛犬 吽像です。

文政六年(1823)二月の刻銘があります。


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狛犬 阿像です。



この写真は、8月31日に訪問したときに撮影したものです。

この日は、八朔祭の前日で、神社の関係の方が準備でお越しになり、

「だんご祭」などお聞きできるかと思いましたが、残念ながら

お会い出来ませでした。

また、次の機会に解りましたら、追記させていただきます。



ご参考    :尼崎市 武庫之荘東1丁目 18−28


        阪急武庫之荘駅  北東に10分

尼崎市、磐長姫神社(いわながひめ じんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の西北部、武庫之荘地区の住宅地の中に鎮座されています。

阪急電鉄の武庫之荘駅から西に500mの古くからの住宅地で、

道が込み入った、少し解り難いところです。


ご  祭  神



磐  長  姫  命 (いわながひめ の みこと)


大山祗神(おおやまづみのかみ)の娘で、妹は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。



『古事記』の中に、「磐 長 姫 命」の有名な話があります。

それは、美人の妹の木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が

天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に結婚を申し込まれた際、

父の大山祗神(おおやまづみのかみ)は、醜い姉の磐長姫命を

一緒に差し上げました。

しかし瓊瓊杵尊は、醜い姉を一目見て直ぐに磐長姫命だけを送り返してきたのです。

それを嘆いた大山祗神は、二人を差し上げた真意を言いました。

磐長姫命を差し上げたのは、瓊瓊杵尊の命が岩のように永久不変であることを願ってのことです。

妹の木花咲耶姫命を差し上げたのは、木の花が咲くように栄えることを願ってのことです。

それなのに姉だけを返してきた瓊瓊杵尊の命は、木の花が散るようにはかなくなるでしょうと。

それが天皇の寿命が短くなった原因だといわれています。


ご  由  緒


当社の創始は不詳ですが、石鳥居に元禄五年(1692)八月、奉納

の刻銘がありますから、この頃には既に奉祀されていたと考えられています。


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石鳥居には、元禄五年八月の刻銘があります。


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拝殿や本殿覆屋などは、昭和四十六年に改築されています。


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拝殿の内部、奥にご本殿が見える。


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本殿の覆屋

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境内社、稲荷社

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手水舎

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手水鉢には、数個の盃状穴が穿かれております。

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拝殿東側に、用済みとされる、立派な狛犬が

置かれています。

安政三年(1856)冬吉辰の刻銘があります。


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砂岩であるため、少しは風化が進んでおりますが、

立派な狛犬です。




ご参考    : 尼崎市 武庫之荘西 二丁目46−23


         阪急 武庫之荘駅  西に500m

         

尼崎市、上守部(かみもりべ)素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)のご紹介です。



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ご  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の西端、武庫川の東側で、武庫地区の旧大字守部、

現在の南武庫之荘の静寂な住宅地の中に鎮座されています。


この「守 部」は、平安末期の頃守部荘の荘域であったとされているそうです。(『尼崎市史』第4巻)

昭和47〜50年の住居表示によって南武庫之荘の一部となり、

「守 部」と云う地名は消滅してしまいました。

現在では、当神社の社名に「上 守 部」を残すのみとなってしまいました。



ご  祭  神



素 盞 鳴 命 (すさのおのみこと)


応 神 天 皇 (おうじんてんのう)

猿 田 彦 命 (さるたひこのみこと)



御  由  緒



正親町天皇の元亀二年(1571)に、無病息災、天下泰平、五穀豊穣を

祈念して奉斎されたといわれています。

後、宝永二年(1625)に再建。

明治四十年には、同地の八幡神社、猿田彦神社を合祀しています。

阪神淡路大震災にて、ご本殿以外は全て倒壊、

平成十一年三月に、拝殿、小宮、手水舎、鳥居、など修復されました。



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入口付近


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鳥居、震災後再建されました。


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標柱(しめばしら)と石灯籠も震災後の再建です。


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拝殿、震災後再建されました。


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拝殿内部、奥がご本殿。


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ご本殿


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手水舎

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手水鉢には大きな盃状穴が穿かれています。


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盃状穴の大きさは直径10cm以上。


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観音堂。

先日、8月18日に観音祭りで、観音踊りが盛大に行われましたが、

残念ながら、見に行けませんでした。

8月18日は観音さんの命日で、年に一度のご開帳です。


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境内南東の隅に守部十三重塔があります。

高さ四・五メートルの花崗岩製の石塔で、

鎌倉時代に建立されたものと見られ、

金剛界四仏の種子の薬研彫りなどが施されています。

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役行者さんです。


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何処から来たのか、カラスの赤ちゃん(クロちゃん)です。





ご参考    : 尼崎市 南武庫之荘 八丁目15−13

         市バス  上守部 下車  東にすぐ

尼崎市、生島神社(いくしまじんじゃ)のご紹介です。


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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の西部、立花地区、栗山町の住宅地に鎮座されています。

周辺には、学校が多く、北には立花北小、南側は、立花小、西側は、立花中、

東側は園田学園女子大、等が建ち並んでおります。


この立花地区の上ノ島・栗山・大西・三反田の各町は、昔は「生島」と呼ばれていました。

天長七年(830)に朝廷の財力によって開発され、平安時代の終り頃、康治元年(1142)に

開発領主源実国の子孫が、時の関白藤原忠道に寄進した「生島庄」に当ります。(尼崎市教育委員会)


ご  祭  神


生 国 魂 大 神 (いくくにたまの おおかみ)



ご  由  緒


創祀は、仁徳天皇の御代(313〜399)と伝えられ、

『三代実録』『摂津志』にその由来が記されています。


明治維新以前は、生島明神、生島弁財天と呼ばれましたが、

明治六年に生島神社と改められました。

大正3・4年に、上ノ島の須佐男神社、大西の熊野神社、

三反田の八幡神社を合祀した。


大阪の生国魂社の元宮の伝承があるそうです。


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参道入口、一の鳥居です。

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二の鳥居です。


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標柱、


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社殿は昭和50年に新築されました。


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拝殿内部


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本殿


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境内末社、生島弁財天社


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弁財天の狛犬、以前はこれが参道狛犬でしたが、

新しく奉納されたためにこちらに移されました。

立派な狛犬です。


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同じく、阿像です。


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大師堂


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交通神社


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生島稲荷社



ご参考    :尼崎市 栗山町 2丁目24−33

        市バス立花支所前  東にすぐ

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