三木市の史跡と風景

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三木の金物(刃物)

三木市は金物の町です。


伝統工芸品  播 州 三 木 打 刃 物


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古 式 鍛 錬 場

日本で最初の金物の町と言われる三木市。

その起源は、1500年も昔、5世紀中頃のこと。


百済の王子恵が丹生山に亡命の時、連れてきた韓鍛冶が

三木の大和鍛冶と交流して素晴らしい鍛冶技術が生まれました。


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鍛錬の風景 「左から、ふいご、横座(親方)、さき(兄弟子)、さき(弟弟子)」


その後、鍛冶の発達と共に、優れた大工職人を数多く輩出し、

平城京、平安朝の時代から国宝級の建物を手がけてきたのは、

日原大工と呼ばれる、この地方の大工でした。


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横座(親方)の指図で、さき(槌打ち)が槌を打ち下します。


戦国時代に入ると刀剣造りが盛んになり、大いに繁栄したといわれます。

さらに江戸時代、農閑期になると大工職人は、京、大阪、丹波、但馬へ

出稼ぎに行き、この時に持って行った大工道具の素晴らしさが他国で

もてはやされ、次に行く時は品物を持って売りさばくようになり、

これが全国を股にかける三木金物卸商のきっかけとなりました。



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ふいごの風で勢いよく舞う炎。

この中で熱せられる鋼の材料



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1100度近くまで焼かれると、はし(ひばし)で掴んでだされます。

この日は、鋸の実演で、1.8mmの「SK5」材を8枚重ねて鍛造されました。

「SK5」材とは、(旧JIS表示で、現在では、「SK85」)高品質の工具用材料で、

炭素工具鋼第5種をいいます。


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藁束で水をかけて、表面を冷やし、くっ付かない様にします。

  (は〜 し る 湯 玉)


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2人の「さき」が、代わる代わるに親方の指示されるところを打ちます。

  (し ば し も 休 ま ず   つ ち 打 つ ひ び き)
 


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  (と び ち る 火 花)



昔は、小学校4年生で習う唱歌です。

「村 の か じ や」

   し ば し も や す ま ず 槌 打 つ ひ び き

   と び ち る 火 花  は し る 湯 玉

   ふ い ご の 風 さ え 息 を も つ か ず

   仕 事 に せ い だ す 村 の か じ や



この古式鍛錬実演は、三木城址、金物資料館敷地内で

毎月、第一日曜日に行われます。(ネットで要確認)




余談ですが、「あいづち(相槌)をうつ」と云う言葉がありますが、


師匠と弟子とが、息を合わせて交互に槌で打つことを「相槌」といい、

まさに、それが語源になっています

初夏の里山(三木市)

初夏の里山(三木市吉川町)



兵庫県三木市吉川町の里山では、鯉のぼりが元気に泳ぎまわる中、

酒米「山田錦」の植え付けが始まりました。

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端午の節句のお祝いもこの地方では旧暦の5月5日(新暦6月16日)で

この頃には、あちこちで泳ぎまわっています。

(拡大してご覧下さい。美しい里山の風景です。)



この辺りも、殆どが圃場整備が行われ、大町の棚田となっています。

そんな中、週末には三木市特産の高級酒米「山田錦」の植え付けが始まりました。


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この三木市、吉川町(よかわちょう)の、粘土質の土壌、朝夕の大きな

気温格差は、良質の酒米「山田錦」の栽培に適しており、日本一の産地と

なっています。


そもそも、この山田錦はこの地で誕生したもので、

その昔に、当地の田中新三郎氏が、お伊勢さん詣りの道中で、

背丈が高く、穂も大きい、稲を見つけ、それを持ち帰り栽培して

立派な酒米に育て上げたのが始まりだそうで、

名前の由来は、伊勢神宮の地名「伊勢山田」にちなんで「山田穂」と

名づけられました。

その後、兵庫県農場試験場において、改良が加えられて、

昭和11年(1936)に「山田錦」と命名されたそうです。


現在は、西宮市の、大関、白鹿、剣菱、松竹梅、をはじめ、

神戸灘五郷の白鶴、沢の鶴、菊正宗等の有名銘柄の酒蔵との

契約栽培だそうです。


ところが、・・・・・最近は清酒の販売が減少し

栽培農家も売り上げ増大えの協力が必要で、契約蔵元のお酒を

積極的に購入されているそうです。

そのせいか、皆さんの顔色が日焼けも相俟って、少し赤く見えてきましたよ。(笑)

三木市、旧玉置家で席上揮毫(きごう)



三木市の中心地に残る、旧玉置家は、江戸時代(1826)に切手会所として

建てられ、今も当時の佇まいを残しております。


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一文字額の墨書

「抱朴含真」勝海舟(かつかいしゅう)(1823〜1899)が書いたとされる書。

「朴を抱いて真を含む」意味は「素朴さの中に真(まこと)がある」だそうです。

   

ところで、この玉置家の歴史的遺産を保存するために、改修工事が進められてきましたが、

この度工事も終わり、そのリニューアルを記念して、昨日20日(土)に

アート書家、中西賀子氏による「席上揮毫(せきじょうきごう)」が

一番奥の、離れ座敷で行われました。




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どんな筆を振るわれるのか、興味深々でしたが、

先程の勝海舟による墨書「朴を抱いて真を含む」でした。


沢山の方々が見守る中、黒色に染めた画仙紙にくっきりと

力強く白墨が浮かびあがり、最後の落款を捺されるや、

満場の拍手が湧き上がりました。


アート書家「中西賀子(なかにしよしこ)」氏は、

神戸市北区淡河町神田 在住、まだお若くて今後が期待されています。

ご参考に→   http://blog.goo.ne.jp/yoshiyoshi0720

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