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ブログ「おやじの独り言」の記事の地図には、永定河、壕、盧溝橋、苑平県城、一文字山、豊台などの位置が、示されており、とても分かりやすいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/moai33jp/26208316.html






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投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし19 盧溝橋事件1 日本軍銃撃さる


これは「責任なし18 盧溝橋事件直前の予兆」の続きです。


(以下、寺平忠輔著『盧溝橋事件』読売新聞社刊 昭和45年発行より抜粋要約引用)

‐‐‐‐

 1937年7月7日、日本軍は盧溝橋の原で、鉄帽もかぶらず空砲を使って演習していました。

 この時、永定河の堤防の上から中国29軍の兵士が見物していました。

 ところが、夕方になっても帰りません。「まさか、あいつら俺たちを監視してるのか」と言いながら演習を続けていました。

 夜10時半ごろ、清水中隊長は「今夜の演習終了」を伝令に伝達に行かせました。
 本当は一声怒鳴れば聞こえるのですが、夜間の隠密作戦の訓練なので、そうしてるのです。

 そうした所、仮設敵陣地の機関銃が突然、うなり出しました。伝令を敵襲と勘違いしたようです。

 ところがその時、突然、堤防の方から実弾が飛んできました。

 危険なので、中隊長は集合喇叭をふかせます。そうすると、竜王廟と鉄橋の中間で懐中電灯の合図があり、途端に、トーチカのすぐ南側、堤防上から十数発の実弾が飛んできました。

 「伏せっ!」、「小隊長は直ちに人員点検!」、殆どの小隊に異状はありませんでしたが、第一小隊だけは報告がありませんでした。伝令に行った新兵がまだ戻ってなかったのです。

 まさか、今の弾で殺されたのでは。
 清水中隊長は、岩谷曹長を騎馬で豊台へ連絡にやりました。
 その後で、行方不明の新兵が戻ってきました。

‐‐‐‐

 豊台で岩谷曹長の報告をうけた一木大隊長は、北京の旅団副官松山少佐に電話しますが、少佐は河辺旅団長に随行して出張で留守でした。
 そこで、こんどは牟田口連隊長に電話します。こちらは出張から帰ってきたばかりでした。

 一木大隊長は、顛末を説明し「部隊を率いて盧溝橋に行き中国側と談判したい」と申し出、牟田口連隊長が「よろしい」と答えたので一木大隊長は、岩谷曹長に「絶対に応戦するなと、中隊長に伝えて置け」と伝令に戻し、出動の準備を始めました。

 一方、特務機関のほうにも、旅団副官小野口大尉から連絡が入りました。特務は、林耕宇やその他必要な関係者に電話します。特務機関が慌ただしく動いているとき、小野口大尉からまた電話があり、行方不明の兵が戻ってきたと伝えられました。

 最初は、謝罪の要求とか、中国軍の撤退要求とかの話もありましたが、“そんなことより、まずは軍使を派遣して、中国側の代表と交渉し、現状を打開することが先”という事で、寺平補佐官が行く事になりました。

 他に、憲兵分隊長赤藤庄次少佐、桜井29軍顧問、中国側から林耕宇と宛平県長王冷斉が行く事になります。一行が出かけようとすると、連隊本部の方から「相談したい事があるので」立ち寄って欲しいと電話があり、寄る事になりました。

 森田中佐も部隊を率いて一緒にいくそうです。
 この時、桜井顧問は「城門開門の交渉をしてくるから」と先に現地に行きました。

 連隊本部では牟田口連隊長が、王冷斉に「軍に命令できるだけの権限を与えられているのか」と問いました。それが無いことには、交渉ができないからです。そこの所があやふやだったので市長に問い合わせをしましたが、相手につながらず、結局あいまいなままで行くことになりました。

 また一方、寺平補佐官に対しては、牟田口連隊長は森田中佐のことで「彼は、爆弾三勇士で有名な廟行鎮突入部隊の指揮官ですが、あの調子でジャンジャン攻撃命令を出されると、とんでもない事になる。君がシッカリ手綱を引いてくれ」とブレーキ役を頼みました。

 午前四時前、一行は出発しました。


 一方、現地では、午前3時25分、またも三発の銃声がしました。現地ではやっと仮設電話が開通したので、一木大隊長は、北京の牟田口連隊長に電話し、三度目の銃撃を報告し、「もう反撃してもよいのではと思いますが、お許しになられますか」と問いますと、連隊長はしばらく考え込んでから「よろしい。やり給え」と答えました。

 驚いたのは一木大隊長、言ってはみたものの、まさか、断を下すとは思ってなかったからです。本当にやると責任重大だから「本当にやってよろしいんでありますか」と念を押すと「やってよろしい。いま、午前4時20分。確実に僕は攻撃命令を下した」と答えました。 これで、いつでも反撃できる態勢がとれます。

 つづく










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閉じる コメント(23)

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おい 平壌主義者!
あんた日本語解ってないだろ!?
暇な奴だなぁ〜


キポッポキッ♪

2007/11/3(土) 午後 11:36 東京ベンズ 返信する

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面白いです、歴史事実の跡を追っていながらもこのこの躍動感は読み応えがあってしかもわかりやすい! 削除

2007/11/4(日) 午前 3:38 [ たか ] 返信する

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『仮設敵陣地の機関銃が突然、うなり出しました。』
と言うのは、仮設敵としてその演習に参加されていたおじいちゃんから聞いた話とは異なっていますね。
仮設敵であったおじいちゃんは、『機関銃などもたされておらん。持たされていない機関銃など何故撃てる。考えて見なさい、日本軍が機関銃なんか撃ったら、中国軍から撃たれるのは当然じゃ無いか。日本軍は一発も(空砲すら)撃っていない。撃ったら軍法会議物だ』と証言されてましたが。

2007/11/5(月) 午前 0:07 もあい。 返信する

[ 平和主義者 ]君。

大きい声を出して100回読め!

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2007/11/5(月) 午前 2:22 coffee 返信する

ナオミさん。傑作 くつくり 、感謝いたします。

2007/11/5(月) 午前 2:29 coffee 返信する

[ kanazawa_sanetoki2004 ]さん。読みとコメントとポキ、ありがとうございます。
いよいよ支那事変の始まりです。

2007/11/5(月) 午前 2:50 coffee 返信する

B78星雲さん。キポッポキッ♪ ありがとうございます。

2007/11/5(月) 午前 7:58 coffee 返信する

[ たか ] さん。ありがとうございます。
やる気が出ます。
これからが特に面白くなるのでよろしくお願いします。

2007/11/5(月) 午前 8:00 coffee 返信する

もあいさん。

>『仮設敵陣地の機関銃が突然、うなり出しました。』
>と言うのは、仮設敵としてその演習に参加されていたおじいちゃんから聞いた話とは異なっていますね。

不思議ですね。
寺平忠輔氏の供述と食い違いますね。
今後の研究課題にします。

2007/11/7(水) 午前 1:41 coffee 返信する

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COFFEEさん、寺平忠輔氏の供述と食い違っているのは不思議ですが、私は当事者であったおじいちゃんの話の方が正しいと感じます。

なぜなら、先に日本兵が発砲したのであれば、中国側の反撃という正当な理由を与えてしまうことになり、そのような事を行ったとなれば、発砲した仮設敵は軍法会議にかけられてしかるべきだという事。

当時の演習では、機関銃など持たされていないという証言も信憑性が高いと思います。

2007/11/7(水) 午後 11:57 もあい。 返信する

もあいさん。いずれにせよ空砲の演習ですから、軍法会議とはならないと思います。
また、支那側も、空砲演習であることは事前に通達されていました。
空砲の機関銃です。

2007/11/11(日) 午前 3:26 coffee 返信する

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この件、盧溝橋事件が起きた演習に参加されていたおじいちゃんの証言を紹介すると、この事件が起きた、通称『砂利取り場』といわれた演習場では、実弾はおろか、空砲の発砲も認められていない演習場であったようです。
実弾の使用が認められた演習場は、私のブログの方で紹介している、地図で言うと、苑平県城を超え、盧溝橋を渡った先にあったのだと。
また、夜間で相手が見えない状態での訓練ですから、たとえ空砲といえども発砲は認められていない訓練であったという事です。

2007/11/11(日) 午後 8:25 もあい。 返信する

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訓練の時、空砲しか携帯していないという説もありますが、それも間違いで、30発の実弾、30発の空砲を携帯しての訓練であったとか。
空砲を使っての訓練であったという通達の情報ってのも間違っているような気がします。
その場に居た人の証言では、『そもそも発砲をする訓練ではなかったし、日本軍は一発の空砲も撃っていない』というものです。
この辺の証言が食い違っているのが、ちょっと気になりますね。

2007/11/11(日) 午後 8:28 もあい。 返信する

もあいさん。だいぶ食い違ってますね。
慎重になってしまいます。

2007/11/14(水) 午前 0:42 coffee 返信する

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COFFEEさん、一文字山で中国から撃たれた銃弾の着弾地点を知り、その後の中国との戦闘に参加された方の証言なので、間違いは無いと思います。ただ、こうして少しずつ修正することで、より正しい歴史が明らかになるのでは無いでしょうか。

2007/11/14(水) 午後 10:37 もあい。 返信する

もあいさん。そうですね。
その証言が最も信憑性があると認識すべきでしょうね。

2007/11/17(土) 午後 8:34 coffee 返信する

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COFFEEさん、私も、この歴史の生き証人である『山崎直人』さんの証言をこれからも伝えて行くつもりです。
宜しければ、これからもご協力をお願いいたします。

2007/11/17(土) 午後 9:56 もあい。 返信する

もあいさん。了解です。

2007/11/19(月) 午前 7:26 coffee 返信する

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引き続きナイス、ランクリ、転載、新記事もランクリしてきます。

2018/4/23(月) 午前 8:24 [ いかづちまる ] 返信する

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> 平和主義者さん
アホ。

2018/4/23(月) 午前 8:24 [ いかづちまる ] 返信する

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