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「アサヒる」、現代用語の基礎知識に

1989年の「アサヒる」  K・Yってだれだ?

あさ-ひる 【 アサヒる 】

捏造すること。
事実でないことを事実のようにこしらえていうこと。
ないことをあるようにいつわってつくりあげること。
「記事をアサヒる」
「歴史をアサヒる」
「えーっ!これってアサヒなの?」






「アサヒる」「初音ミク」「ローゼン麻生」、現代用語の基礎知識に
11月14日17時22分配信 ITmediaニュース

 はてなは11月14日、ユーザーがコンテンツを追加・編集するオンライン辞書「はてなダイアリーキーワード」に掲載されている97のキーワードが、新語辞典「現代用語の基礎知識2008」(自由国民社)に収録されると発表した。

 「ビジネスと社会」のジャンルには「それは仕様です」「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」などが、「政治と社会」には「ローゼン麻生」などが、「行動とパーソナリティ」には「フルボッコ」「HDDのフォーマットと同人誌の焼却」などが、「ことばと社会」には「アサヒる」「アタシ、もうアベしちゃおうかな」などが、「ウェブのことば」には「ググレカス」「能登かわいいよ能登」などが、「趣味と萌え」には「初音ミク」「みっくみく」「痛車」などが収録されている。

 はてなダイアリーキーワードは2005年から、現代用語の基礎知識に収録されている。
――――――









朝日が作った歴史




【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(8)
2007.11.14産経新聞

 ■「日本人、恥ずかしい…」

 旧日本軍の“残虐行為”をアピールする中国の南京大虐殺記念館の一隅に、多数の千羽鶴が飾られているコーナーがある。日本から修学旅行で訪れた高校生らが贈ったものだ。

 見学した高校生はどう感じたのだろうか。鹿児島の県立高校生は、同館を訪れた感想文をこうつづった。

 「日本人が中国人にどれだけひどいことをしたのかがよく分かりました。どのパネルも悲惨なものばかりで目を覆いたくなりました。特に山積の死体の写真や日本兵が首を切ろうとする直前の写真が印象に残りました。同じ日本人として、絶対に許されるものではなく、とても恥ずかしく思いました」

 別の生徒はこう書いた。

 「あまりにも無惨(むざん)な写真を1枚1枚見ていくごとに、涙があふれでていた。私と同じ日本人が、中国人に対して人間のすることじゃないことをしていたなんて。私は彼らと同じ日本人であることが恥ずかしかった。それに、あんなひどいことをした私たち日本人に対して、優しく接してくれる中国人の偉大さに驚いた」

 このように見学した生徒の大半は、日本人であることを「恥ずかしく思う」と記した。

 円高で海外旅行が身近になった1990年代以降、修学旅行先に中国や韓国を選ぶ学校が急増した。文部科学省によると昨年度に中韓を訪れた中学は28校(2149人)、高校は324校(4万309人)に上る。中には南京大虐殺記念館や盧溝橋抗日戦争記念館などの反日プロパガンダ施設をコースに含む学校も。文科省が以前、高校8校を抽出してコースを調べたところ、うち2校が反日施設を見学していた。

 1999年には、卒業式の国旗国歌問題で校長が自殺した広島県立世羅高校でも、生徒が韓国の独立運動記念公園で謝罪文を朗読したことが分かった。

 鹿児島県でも、毎年10校近くの県立高校が南京大虐殺記念館を訪れていたが、2002年、県議会は修学旅行先から同館を除くよう求める次のような陳情を全国で初めて採択した。

 「政治的宣伝の場に生徒を誘導し、反国家的教育をすることがあってはならない」

 「反戦平和や償いなどの大義名分で、生徒の精神を自国への懐疑と侮蔑(ぶべつ)、強烈な自己不信へと追いやってはならない」

 「反日的企図で生徒の洗脳に好都合な施設を選定することは、特定の傾斜を持った歴史観を強要することであり、道義上も許されない」

 ところが採択後も、一部の県立高校は「生徒自身が選択した」として同館を訪れた。その理由について、生徒を以前引率した経験があるという別の高校関係者は、こう打ち明ける。

 「一部の教員が『南京で平和教育ができるから』と強く主張し、コースに入れられた。教員全員が賛同していたわけではない。だが、平和教育のためといわれれば、反対しにくい」

 祖国への自信や誇りを持たせないようにする教育がいまだにまかり通っている現実がある。
●関連記事
支那に修学旅行で食中毒に・高校生91人が感染し3人が入院・群馬県立沼田高校(斎藤実校長)


■育まれない国旗国歌への敬意

 文部科学省は2003年度から、公立小中高校の卒業・入学式での国歌斉唱率と国旗掲揚率の調査を中止した。「国旗も国歌もほぼ100%。学校での国旗国歌の指導は定着した」(文科省幹部)と判断したからという。

 大分県の国歌斉唱率も1999年度から毎年100%と報告されている。

 だが、大分県の教育関係者らの集まりである民間教育臨調が県内の小中学校の約2割、95校を対象に昨年実施した保護者アンケート調査によると、児童生徒が国歌をきちんと歌った学校は26%にすぎない。半数近くの学校は会場に国歌のテープが流れるだけで、児童生徒は誰も斉唱しなかったというのだ。

 教員はさらにひどい。「大部分が斉唱」したのは8%だけだ。逆に「校長ら管理職以外は誰も斉唱しない」ケースが66%だ。校長すら斉唱しない学校も複数あった。

 なぜ、こんな事態になっているのだろうか。日教組などが進める「平和教育」の影響が大きい。

 大分県教組大分支部の平和教育小委員会は2002年、小1から中3まで各学年で国旗国歌をどう教えるかを示した「日の丸・君が代学習系統表」を作成、現場の教員に配布した。そこには次のような指導目的が掲げられていた。

 小1▽「ああうつくしい」と歌われている「ひのまる」を悲しい思いで見ている人たちがいることを知る

 小2▽「君が代」が「国歌」として使われるようになったが、この歌で悲しい思いをする人もいることを知る

 小5▽戦時中、戦争を推し進める手段の一つとして、小学校でも「日の丸」教育が行われ、日本中で戦意を高揚させていたことを知る

 小6▽99年8月、(国旗及び国歌に関する法律が)「数の力」によって成立し、法制化された経緯を知り、問題点を考える

 中1▽「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る

 中3▽国民主権と天皇制の矛盾、現在の国旗・国歌のあり方について考える…

 この系統表について大分県教組大分支部は「作成したのは事実だが、現在は配布しておらず、現場でも使われていないと思う。詳しいことは分からない」と言葉を濁す。

 学習指導要領は「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮する(小学6年)」と規定している。

 昨年12月、改正された教育基本法も「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」とうたっている。

 文科省は、大分県教組の系統表に対し、「学習指導要領に反する内容だ」(教育課程課)としながらも、実態調査などに乗り出すつもりはないという。

 自国や他国の国旗・国歌に敬意を示すことができない児童生徒がこうして誕生していくのである。(川瀬弘至)





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閉じる コメント(120)

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コーヒーさん。国旗国歌に敬意を表する人間でなければ日本(日本人)にとっては迷惑な人物になる可能性大です。>そう考えると日本のほとんどの人が日本にとって迷惑な人ってことになりはしませんかね。国旗国歌をないがしろにもしていないが敬意を払うって程でもないっていう人がほとんどだと思いますが、私の認識がおかしいんですかね。スポーツの祭典などではよく国旗掲揚し国歌斉唱してますが本当に敬意を表しやってる人がどれだけいるかっていうのも甚だ疑わしく思います。形にだけこだわり中身がないように見えるのは私だけでしょうか??

2007/12/1(土) 午後 2:58 ham**aka30*0 返信する

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>coffeeさん

>「子供の持っている人格或いは思想的背景」って何ですか?

子供には、持って生まれた性格・家庭環境・生い立ち・経験などから、未熟ながらもひとつの人格が形成されています。そして、自らの経験・学習や読書・家庭や学校を媒介とした社会および他人との関わりを通して自分の中にひとつの価値観・行動基準が形成されています(これらは勿論宗教・思想・信条を含みます)。これらは彼らの今までの人生から獲得されてきた個性ですから、教師が軽々しく頭ごなしに非難し、変えることはできません(彼らだって一人の人間なのですから当然のことです)。これは教育心理学等を少しでも学んだ人なら常識です

2007/12/1(土) 午後 3:59 [ moresleep ] 返信する

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>国旗国歌に敬意を表さない人格や思想など尊重する必要はありません。
国旗国歌に敬意を表する人間でなければ日本(日本人)にとっては迷惑な人物になる可能性大です。

前にも言ったとおり価値観は人それぞれです。その価値観における最上位となること(例えば宗教・郷土・国家・天皇等)は当然人によって異なりますし、一個の事象・物質に対してどのような感情を持つかもまた異なってきます。つまり、coffeeさんのように国旗国歌に対して関心を持たなければ、そして敬意を表せなければ国を愛することにはならないと思う人もいれば、上のはまかかさんのように、別に国旗国歌を愛することと国を愛することが同義だとも思わない人もいます(はまかかさん勝手にごめんなさい)。勿論宗教や今までの経験などから国旗国歌に無関心でいたいと言う人もいるでしょう(無論その人が本当に国を愛していないかどうかはその行為だけでは判断できません)。

2007/12/1(土) 午後 4:01 [ moresleep ] 返信する

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国を愛するのは国民として望ましい行為ですがその愛しかたに決まりはありません。仮に愛国心を持っていたとしても、その愛しかたの表現はその人ごとの価値観で決まります。つまり何が大事なのか、何を最優先するべきかということは人によってまったく異なるのです(その意味では、はまかかさんの出したスポーツの例は非常に良い例と言えます)。それに対して過度に干渉することは、まったく独善的な意見を相手に押しつけているだけのようにもとられかねません。ましてや、「国旗国歌に敬意を表さない人格や思想など尊重する必要はありません」などと宣うことは論外です。

私はそのような個人個人の思想的背景によって形作られた価値観を無視して、国旗国歌に無関心或いは拒否反応を示す人全てを、まるで反日分子のごとくレッテルを貼り、一方的に非難する保守派の人々の独善的見解にはまったく賛成することができません。

2007/12/1(土) 午後 4:02 [ moresleep ] 返信する

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眠男さん、ここで集まってる人達はさびしい人生なんですよ。
普段の現実世界では、自分と意見が合う、共感出来る友人がいないんです。だからネットで必死になるんですよ。凪や中坊なんていい例
そういう不安定で無知な連中をうまく丸め込んで、傑作で釣ってるのがコーヒーって人です。うまく洗脳してるな〜と関心しますよホント
そうやってお互いマンセーし合って、異常者が寄り集まってるのがここなんです。 削除

2007/12/1(土) 午後 5:24 [ 麦茶 ] 返信する

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麦茶ねえ…coffeeさんが書いてたのはこのことか…。

…で、違う意味でマンセーし合っている麦茶さんは、このエントリーについての意見は無いのですか?

あ!レスしたくないんでしたらいいですよ?そういう人も以前いらっしゃいましたし。 削除

2007/12/1(土) 午後 11:52 [ たか ] 返信する

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>私はそのような個人個人の思想的背景によって形作られた価値観を無視して、国旗国歌に無関心或いは拒否反応を示す人全てを、まるで反日分子のごとくレッテルを貼り

moresleep殿

思想を強制しているのは都教委でもなく、学習指導要領
でもない。反日教師だけですよ。世界中探しても
そんなことをやっているのは。

国旗国歌に敬意を払うことが、その人の思想、信条に、
いったいどんな不都合があるのか。むしろ聞いてみたいですね。

2007/12/2(日) 午前 0:22 [ - ] 返信する

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国歌国旗に無関心まではいいとして、拒否反応まで示すような人を国家は保護する必要があるのでしょうかね?

子供に憎まれてても唯々諾々とその子供の言う事を聞き続け、最後は父親が撲殺されてしまった事件が有りましたが…
上の例えは極端で理解不能かもしれませんが、憎むべき相手や国に保護されて、それでよしとしている考え方が理解できません。
思想信条は自由であるべきだと思いますが、自分の生きる社会が気に入らないならそこから出れば良い。誰もそれを引き止めている訳では無いのですが、周りの人間にまでそういう考えを強要しようとする人がいるから問題なんですがねぇ。 削除

2007/12/2(日) 午前 0:24 [ たか ] 返信する

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>ossanzetto&たかさん

日教組などの態度にも疑問を抱かざるを得ないということは前のコメントの中で触れたつもりです。誤解を招かぬよう念のため。

「拒否反応」は確かに言い過ぎでしたね。すみません。ここでは国旗国歌に無関心な人に焦点を絞って述べるべきでした。

ただ、世の中(日本)には意識的に国旗国歌に敬意を払わないというよりも、寧ろ国旗国歌に敬意を表することが必ずしも、日本という「国」を愛することと同義ではないと考えている人がいることもまた事実として受け入れ、また、そのような彼らの考えも認めるべきだと思います(勿論児童・生徒に対しても同様です)。彼らは別に日本という国が嫌いなわけではなく、彼らなりに日本に対する愛着・愛情を表現している場合も多々あるのですから…。(スポーツ選手なんてその典型でしょう。選手が入場の際に国歌を積極的に歌わなかったとしても、嫌いな国の代表になりたいと思う選手なんていませんからね。)

2007/12/2(日) 午前 1:23 [ moresleep ] 返信する

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それらの人にまで、いくら自分の理想とする国民像(国旗国歌に敬意を表する=愛国者=国民としてあるべき姿)に合わないからといって「尊重する必要はありません」とまで言い切る独善的な姿勢はまさに暴論で(その意味ではcoffeeさんも日教組と同じ穴の狢ではと突っこみたくもなりますが)、ここに私は疑問を感じただけです。


国旗国歌については自分のブログでも記事にしたいですね。

2007/12/2(日) 午前 1:25 [ moresleep ] 返信する

はまかかさん。貴方の認識がおかしいです。
国旗国歌に敬意を表している日本人が大部分です。

2007/12/6(木) 午前 1:41 coffee 返信する

眠男さん。宗教・思想・信条の自由が保障されていることと、愛国心を涵養して持つことは矛盾しませんよ。
愛国心を持ち、国旗国歌に敬意を表せない宗教・思想・信条というのはカルト宗教やテロリストの屁理屈などの類でしょう。
価値観は人それぞれでも、国旗国歌に敬意を表するのは極めて常識的なマナーです。
お墓参りに行ってお墓の前で手も合わせずにいるのは常識的はありません。
仏教徒でなくても、お墓の前で手を合わせるのが常識です。
卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱は、そのような常識と同じことです。

2007/12/6(木) 午前 7:37 coffee 返信する

可笑しな[ 麦茶 ] 君。
芸風が可笑しきに似てるが、キミは可笑しきのファンなんだね。

2007/12/7(金) 午前 1:39 coffee 返信する

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常識ですか〜。「敬意」といい、「常識」といい、どのようなことを具体的に指すのか判断が難しいですね〜。

例えば、国旗国歌への敬意の形が、形式的でいいのか、心の中まで入り込んで、半ば盲目的に表さなければならないのか(また、教師はそう指導しなければならないか)で、大きく意味が違ってきます(別に形式的でいいのなら、ここまでの僕のコメントの幾ばくかが誤解を伴ったものとなるのですが…)。

あと、自分で国旗国歌に敬意を払っていると思っていても、他の人から見ればそうは見えないケースが想定されることも考えないといけませんね〜。

2007/12/7(金) 午前 2:39 [ moresleep ] 返信する

[ たか ]さん。芸風がソックリなので可笑しきファンなんでしょうね。
きっと・・・

2007/12/7(金) 午前 7:47 coffee 返信する

[ ossanzetto ]さん。
[ たか ] さん。
いつも正論を以って反論大感謝です。
大変助かります。

2007/12/7(金) 午前 7:58 coffee 返信する

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coffeeさん

面映いです…脱線しないように注意します。

眠男さん

個人的な意見ですが、国旗国歌への敬意ですが、形式的にやるだけで私は十分だと思うのです。
また変な例えかも知れないですが、子供に物を教えるときは「とにかくこれはこういう事」「これはこうしなければいけない」のようなやり方を普通はしますよね?
細かい事を説明してもわからないという事も有りますが、大事な事は盲目的にでも守らせないと、間違いが起こってしまってからは遅いという面もあります。信号は赤は止まれ青は進め、道路に急に飛び出さない。人の物を盗ってはいけないとかがそうです。
常識というのはそうやって身に付けていくしかない訳で、それを教育する側が怠っていたからこその、こじつけと言われるかもしれませんが最近の学級崩壊問題が有るんじゃないかと想像します。
要するに、教えるべき事をきちんと教えられていれば、心の中では違う事をしたいとしても、少なくとも表面上はしない、常識的にふるまうようになる。
という考えは甘いでしょうかね? 削除

2007/12/7(金) 午後 3:32 [ たか ] 返信する

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なるほど。たかさんの考えはよく分かりました。それでは、ここまでの話を考慮して私なりに総括してみます。
学校の儀式の際の国旗掲揚・国歌斉唱は、教師は公務員としての立場上勿論しなければならないし、生徒は現社会で成立している一つの常識として形式的にでも、掲揚の際の起立・国歌の斉唱は行うべきであるということですね。それならば、日教組のような国旗国歌の過去に対する偏った教育は別として、少なくとも国旗国歌は、現代の日本に於いて、日本国民の総意に基づいて成立しているのであり、将来子供達が社会人として独立した際には、その総意、すなわち価値観が変わればかような常識或いは国旗国歌自体も変えることができ、それらが決して絶対的な存在ではないことも、教えることも大切だと思いますけれど…(上のコメントではcoffeeさんもこのことは否定していませんね)。
国旗国歌を絶対のものとして、生徒に押しつけるというものでないのならば、私はそれで結構だと思います。近々わたしのブログでも、ここでの議論をふまえてより詳しく書きたいと思うで、よろしかったら訪問してみてください。

2007/12/10(月) 午後 10:20 [ moresleep ] 返信する

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眠男さん

まとめありがとうございます。私もあなたの意見に反論はありません。国旗国歌が国民の総意に基づいて成立しており、その総意が変わる時は国旗国歌も変えるべきというのは良いと思います。

ただ、まず今の国旗国歌を尊重するべきという考えを教え、それを(例え形式的にでも)満足に出来る状態にした上でないと、今の国旗国歌は絶対的な物で無い、という事は教えるべきでないと思います。つまり同時進行で相反することを教育しては意味が無いという事は認識して下さい。そうでないと、新たに変わった国旗国歌に対しても、節度ある態度を示すことが出来るとは思えません。

思想信条の自由は保障されるべきですが、権利に対して義務があるように、自由には制限が課されるべきです。制限内の自由と言いますか…上手く言えないですが、国家という枠の中での自由は認めるべきですが、そこを守れないのならば、国家の庇護に浴する権利を放棄するべきであると思います。

ではまた、ブログでの記事、楽しみにしております。 削除

2007/12/11(火) 午前 2:08 [ たか ] 返信する

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アサヒる…随分時間がかかったように思いますが、まあなるべくしたなりましたね。
国旗。国歌の件、今回こちらでも議論になっていますが、最近は国際試合でも口ずさみさえしない代表選手を散見するなど、同国人として意識を疑うケースが増えているのは事実です。内心の自由と言えば表現はそれぞれという理屈もあるのかもしれませんが、それがどこでも通るとは限らないのでは、とだけ今日は申し上げておきます。
傑作○

2008/4/3(木) 午前 1:29 [ y_n**atani6*6 ] 返信する

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