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投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし31 南京進撃への陰謀


これは「責任なし30 上海戦5 中国和平を蹴る」の続きです。


 日本は最初南京に進撃する予定はありませんでした。

 戦争の目的は、あくまでも上海の邦人救出が目的だったのです。
 だから、軍の名称も上海派遣軍ですし、派遣した軍隊もたったの2個師団で、軍編成も臨時のものでした。

 ところが、ここに、南京進撃を画策する者が現れました。参謀本部の下村定少将です。
 彼は石原莞爾少将の後任として第一部長に就いた人です。

 石原少将は、上海戦に反対し、たったの2個師団しか出しませんでした。
 それが少なすぎて、後から追加の軍を出さざるを得なくなり、辞職に追い込まれたのです。

 後任の下村少将は、もっと積極策をとるべく「杭州湾上陸作戦」を建てました。
 「杭州湾上陸作戦」の部隊は第十軍と名づけられ、最高指揮官に柳川平助中将があてられます。

 ところが、第十軍が杭州湾に上陸する頃、上海の戦況が好転し、中国軍が西に背走し出したのです。その時に、第十軍が杭州湾に上陸したものですから、中国軍は雪崩をうって西へと背走し始めました。

 現在の、我々の感覚からすれば「シメタ戦わずして戦争は終わる。儲けもんだ」となるのですが、当時の軍人はそうは考えていません。 ここまで来て、何もしないで終わるのは面白くない。ならば南京へ進撃しようとなるのです。

 ところが、上海派遣軍の方は「冗談言うな、我々は3ヶ月間戦って、くたびれ上がっている。第一、南京に行く準備はしとらん」となります。

 参謀本部は、和平を模索していますから余計な事をされては困るので、「上海派遣軍はくたびれているから、休ませろ」とか「補給が出来ないから駄目だ」と言って制止するのですが、

第十軍は、「上海派遣軍が駄目なら、我々だけでもやる」、「補給が出来なければ現地調達でやる」と言って聞きません。
 ここに下村少将の陰謀が始まります。彼は、第十軍の南京進撃をしやすくします。

 第十軍が出来た後、上海派遣軍と第十軍をまとめる為に、中支那方面軍が編成されますが、最初のころ、第十軍は中支那方面軍の指図を受けない権限を持っていました。

 参謀本部は第十軍の考えを抑制する為、11月7日、臨命第六百号で「中支那方面軍ノ作戦地域ハ、概ネ蘇州、嘉興ヲ連ヌル線以東トス」という指示を出しました。

 多田次長は、この線でも出過ぎると渋っていたのです。
 中央部においては、制限線で作戦を打切るか、さらに一押しするかについて各種の意見があり、検討が進められました。

 多田次長や河辺作戦課長は制限線を頑強に守る考えでしたが、下村部長は南京追撃を考えて「・・・制令線を今一つ押し出してはどうか・・・」と作戦課に研究を命じていたのです。

 11月15日前後になると「制限線を撤廃すべき」という空気が濃厚になって来、河辺作戦課長は17日「実情を見てくる」と上海に発ちました。

 一方、第十軍は南京追撃を阻止された後でも、この企図を放棄せず、認められた範囲内で実質的追撃行動に移り、数回にわたり、方面軍及び中央に対して南京追撃の意見を具申しました。

 11月18日、第十軍司令官は独断で「南京に向かう追撃」を発令。
 これを知った多田次長は、「イカン・・・すぐ止めさせなきゃ」と下村部長に指示しました。

 ところが、下村部長は「第十軍がそんなことをしましても、方面軍は中央の意図に従ってるのですから、方面軍が処置するでしょう。中央が指示するのは良くありますまい」と抵抗するのです。

 それでも次長が「とにかく・・・止めさせてくれ」と繰り返すので「・・・は臨命第六百号指示の範囲を逸脱せるものと認めるにつき為念」という中途半端な電報を中支那方面軍に送りました。

 極めつけは、11月17日の御前会議です。下村部長は、草案通りの上奏をした後「・・・統帥部と致しましては、今後の状況如何により・・・南京その他を攻撃せしむる事を考慮しております」と付け加えたのです。

 参席者の多くは「ナニ!」と眉を上げましたが、動けません。 御前会議では、発言者以外は不動の姿勢を取らなければならないのです。後で多田次長は怒りますが、もうどうにもなりません。御前会議での上奏は最高方針の決定だからです。

 このことによって、南京進撃を禁ずることが、難しくなりました。
 下村部長に外堀を埋められた、多田次長は、抵抗していましたが、結局、下村部長の説得を受け入れざるを得なくなったのです。

 つづく








今回、rekisisiranaiさんは第十軍や下村部長(少将)を厳しく批判している。

今回だけ見た人の中には、「なーんだ、やはり日本軍の一部が暴走して南京を侵略したんだ」と思う人がいるかもしれない。

しかし、それは誤解だ。

支那軍は、盧溝橋で戦闘を始め、北支で何度も停戦協定を破って戦争を継続し、突然大軍を以って上海に戦線を拡大させたが、日本軍によって上海から追放された後も戦争の継続を決意していた。

日本軍が南京に進軍しなかった場合、支那軍は南京や武漢で態勢を整え、また上海や北支に反撃したはずだ。

第十軍や下村部長(少将)が南京への進軍を推進しなくても、戦争は終わらなかったとみるのが正しい歴史認識だ。

これは、rekisisiranaiさんも承知していたことなので今回の投稿だけを見て誤解しないで頂きたい。

分かり易く補足すると以下のようになる。



上海で日本軍は大苦戦を強いられた。

兵力に大差があった上、支那軍はトーチカとクリークを利用して立て籠もり、更には便衣隊が日本軍を銃撃した。

11月5日に上海の南70キロの杭州湾に日本から急派された第10軍が上陸して背後を衝き、ようやく11月12日に上海を陥落させた。


――――――
上海陥落の前日の11月11日、蒋介石は首都南京で、南京を放棄するか、死守するか、李宗仁、白崇禧、何応欽、唐生智、徐永昌、ドイツの軍事顧問団団長のアレキサンダー・フォン・ファルケンハウゼンといった将軍らと善後策を諮っていた。

偕行社版『南京戦史資料集機戮砲茲襪函⇒宗仁将軍は「私は南京防守に反対である。その理由は戦術上、南京は他と隔絶しており、敵は三方から包囲可能で、しかも北面は長江によって退路が阻まれている。今、挫折敗北を喫した部隊を孤城の防衛に配置しても、長く守ることは望みがたい」と述べた。

ドイツ人顧問もこれに賛成し、無用の犠牲は生まぬよう、南京放棄を「極力主張」した。このように南京放棄論が大勢を占めていたが、突如、唐生智将軍が南京死守を力説する。そこで、蒋介石は、「わが血肉をもって南京城と生死を共にする」と誓う唐生智将軍を南京防衛軍司令官に任命し、南京死守を決定した。

蒋介石は南京死守を決定したものの、国民党軍の敗北は誰の目にも明らかであった。事実、死守の決定をしながら、その5日後には南京放棄をひそかに決定し、11月16日から3日以内に全官庁の撤退準備を完了するよう命令している。

その一方で、唐生智将軍を南京防衛司令官として日本軍を迎え撃つ準備が、南京では着々と進んでいた。蒋介石はドイツ軍事顧問団の助言にもとづき、「空間を武器として」活かすという観点から、広大な国土を武器とし日本軍を大陸の奥深くに引き込みさえすれば、勝てなくても負けないという長期消耗戦の戦略に立っていた。そしてもう一つ。「宣伝は作戦に優先す」という宣伝戦重視の世界戦略に立っていた。

『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
――――――


つまり、蒋介石は、11月6日にトラウトマン駐支ドイツ大使から伝えられた日本の和平案に応じる気など端からなかった。

蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に公言した。

11月20日の「遷都宣言」でも、
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」
と言っていた。










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閉じる コメント(21)

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旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、何を言われてもしょうがない気がする。 削除

2007/11/17(土) 午前 0:30 [ 平和主義者 ] 返信する

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守るのか攻めるのかという問題は「吹っかけられた戦争」を終結させるためにどうするのか=戦争指導の話であって、侵略か侵略でないのかという話とは別な物、つまり方法論の違いに過ぎないですね。
決戦を急ぎたがる軍人は国家経済の疲弊をなんとか少なくしようと考えているのであり、片や持久戦を支持する軍人は兵員の消耗を嫌っているのでしょう。
ポキ

2007/11/17(土) 午前 7:27 [ - ] 返信する

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連続して読んでいかないと、確かに誤解してとらえる事も
ありそうですね。
ポキッ

2007/11/17(土) 午前 11:38 神無月 返信する

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南京事件があったなどと言う連中はこれを読んで学ぶべきだ。 削除

2007/11/17(土) 午後 7:12 [ 信長 ] 返信する

東中野修道の本をここに良く来る、荒らしや馬鹿は百回読め!
可笑しきは被害妄想に陥っているようだがw
教科書を鵜呑みにしすぎで。誰が裏から手を回して嘘を作ってるというんだ!?想像力ゆたかだね(@@)

2007/11/18(日) 午前 1:52 nag*1*ak*yuki 返信する

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こういう蒋介石の作戦は、安史の乱の時に玄宗が蜀に逃れたことを参考にしているのでしょう。でもそのあと、疲弊の度合いがひどく共産党に乗っ取られてしまいました。傑作に○!

2007/11/18(日) 午前 11:18 [ 太郎ともも ] 返信する

[ 平和主義者 ]君。

大きい声を出して100回読め!

民衆を虐殺する支那軍・民衆を救出する日本軍
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12624238.html
支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html

朝鮮の変遷・李氏朝鮮時代→日本統治時代→現在
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/21665810.html
李氏朝鮮時代→日本統治時代・日本が朝鮮半島に残した資産
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html

2007/11/18(日) 午前 11:40 coffee 返信する

[ kanazawa_sanetoki2004 ]さん。支那事変はこのときも尚とことんやるところまでやるというのが支那側のスタンスでした。
日本側としては、ここで踏み止まる方が良いのか追撃すべきかは仰るとおり方法論に過ぎなかったと思います。
ポキありがとうございます。

2007/11/18(日) 午後 1:14 coffee 返信する

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上海戦は88師精鋭とドイツ仕込みの防衛ラインがあった為、
シナ側も必勝のつもりで激戦になったのは理解できる
のですが、それを破られた時の南京死守命令は理解できないですね。
蒋介石は最初から見殺しにするつもりだったのか。

この経緯を追っていけば日本軍の追撃は、
侵略では無いことは理解できます。

傑作・ランクリ

2007/11/18(日) 午後 6:23 [ - ] 返信する

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coffeeさんの記事本当勉強になります☆傑作・クリック

2007/11/18(日) 午後 8:50 fan*as*99w*rl*77 返信する

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>つまり、蒋介石は、11月6日にトラウトマン駐支ドイツ大使から伝えられた日本の和平案に応じる気など端からなかった。

『昭和天皇独白録』にも、
***
それから南京陥落后、独乙大使仲介の和平工作が行なわれたが、幣原(喜重郎・元外相)から聞くところによると、この時の日本案なるものは宋美齢(蒋介石夫人)が握りつぶして蒋介石の手に届いてゐなかったらしい。
***
45頁
という文章がありますね。

宋美齢はただの「夫人」ではないでしょう。
れっきとした国民党軍幹部なのですから。

2007/11/18(日) 午後 9:04 [ mir*k*nino*i ] 返信する

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国民党軍やチュウキョウが、在大陸の同邦人や、中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、何を言われてもしょうがない気がする。

2007/11/18(日) 午後 9:08 [ mir*k*nino*i ] 返信する

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平和主義者 よ。同邦100万人の財産をただ取りした支那畜どもに言っとけ。

国民党軍やチュウキョウが、在大陸の同邦人や、中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、何を言われてもしょうがない気がする。

2007/11/18(日) 午後 9:09 [ mir*k*nino*i ] 返信する

[ 信長 ] さんありがとうございます。

こちらも、よろしくお願いします。

南京虐殺は嘘(0人)目次
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27009515.html
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27009833.html

2007/11/19(月) 午前 3:13 coffee 返信する

●本日のメモ「戦争の目的は、あくまでも上海の邦人救出が目的だったのです。」

今では、中国に進出している日本企業が、襲撃されても 日本は、な〜んも助けに行きません 行かれません。

2007/11/19(月) 午後 10:51 naomi_shararan 返信する

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傑作★

2007/11/19(月) 午後 10:51 naomi_shararan 返信する

[ ossanzetto ]さん。東中野教授は、『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』の中で、最初から南京事件を作り上げて宣伝するための南京防衛戦だった可能性を述べています。
直前に逃げた唐生智は、蒋介石によって処刑されたことになっていましたが、実は処刑されずに戦後まで生きていたのです。
蒋介石が早め逃げて唐生智が直前逃げて事件(大混乱)を起こすのが当初からの目的だったと。
傑作・ランクリ ありがとうございます。

2007/11/22(木) 午前 7:30 coffee 返信する

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経過より結果でしょ。

2007/12/4(火) 午前 6:55 [ ant*emp*e*im*eriali** ] 返信する

antiempierimperialismさん。そうですね。
日本は結局素晴らしい功績を残しました。

H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。・・・」

ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/28196269.html

2007/12/9(日) 午前 11:24 coffee 返信する

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通州事件、大山大尉虐殺、等等、何も解決せず蒋介石軍を放置する訳にはいかんでしょう。
引き続き転載させていただきました。勉強になります。

2018/4/26(木) 午前 8:21 [ いかづちまる ] 返信する

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