正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

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■支那人を相手に交渉するには強大な武力(軍事力)を背景にするしかない


 自分自身を中国の真の友であると信じていたエルギン卿も「武力を用いることを余儀なくされるような事態になることは自分としては不愉快だし気乗りもしないが、しかし中国人は武力に対しては常に屈するが理屈には決して従わない国民だ」と告白した。
(中略)
 そして中国人と交渉するときには武力が必要だということを認識したのはヨーロッパ人だけではなかった。1854年、在中米高等弁務官ハンフリー・マーシャル氏は、「中国政府は武力及びそれを行使しようという意志の存在する場合に限ってのみ正義を認める」と発言した。
 そして彼の後任ロバート・M・マクリーン氏も、「中国との外交交渉はカノン砲を突きつけたときのみ行うことが出来る」と述べた。
 1932年、中国に15年住んだ米人作家ロドニー・ギルバート氏は次のように述べた。「中国人は自分がトップに立って誰か他の者を押さえつけているか、または自分より強い者の前で屈辱を受け恐れおののいているか、のどちらかでなければ満足できない。対等の基盤に立って誰かと公平に公正に付き合うことに中国人は決して満足できないのだ」と。

『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著(1938年)





■支那人には武力と恐怖と脅ししか効果がない


悪い方に解釈すれば、元々、宗教観のない者に宗教を教えることはできない相談だということになる。ここがお隣のチベットや日本、インドと違う点だ。
 歴史を思い出そう。無知で仲間を思いやる気持ちがないから残酷な刑ができた。「地獄へ堕ちるぞ」と脅してきた。もちろん、両方をうまく使って脅してきたのは言うまでもない。人間の情に訴え、人心を掌握するということはなかった。恐らく情に訴えても「糠に釘」だからであろう。そこでまた、お人よしの宣教師は考える。「キリストの教えを説いたら、行いを正すだろう」と。一理あるかもしれないが、大の大人の考えではない。落とし穴に気づいていないのである。歴史を思い出そう。いくら宗教的なものを植えつけようとしても、全く受け付けない国民であったという歴史を。
(P144)


 「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」とイエスは説いた。しかし中国人が相手では全く通じない。左の頬を出されて、「あ、可哀想なことをした」と反省するどころか「えっ、左まで出すの?それじゃ」と思いっきりぶん殴るのが中国人である。「どうして宣教師は気づかないのか」と領事館員は嘆いている。こういう卑屈な姿勢がかえって中国人を甘やかすことになる。おかげで、文明国家では当然の権利である外国人の権利を平気で踏みにじる。「宣教師が甘やかすおかげで我々民間まで仕事をめちゃめちゃにされ、面目丸つぶれだ」と、民間には怒りの声が絶えない。
(P164)




軍艦を盾に賠償金を取った田村総領事

 危うく「閘北の戦い」が福州でも起きそうになった。1932年の4月まで私は上海勤務だったので、事件当時私は福州にはいなかったが、現地に出向いた時、事件を誰もが鮮やかに覚えており、詳細を知ることができた。ことの顛末はこうである。中国全土と同じで、福州でも収奪目的の学生秘密結社がいくつも存在していて日本人も被害に遭っていた。ある日本人教師夫妻が標的にされた。「殺す」と脅されていた。脅された教師には何の咎もなかった。ただ、家が中国人の家の近くにあり、警備が十分でないのでカモにされたのである。日本人子女の先生だから、中国人と接触し挑発することはない。日本総領事は、ばかばかしいことではあるが、主権国家に対する礼儀を重んじ、福州当局やら警察やらに状況を説明し、警備を要請した。日本側でできるのではあるが、そうすると主権国家間の慣行に反すると判断したのである。

 要請を受けた中国側は教師宅の前に中国兵を配置した。この中国兵は、数日間は交代で24時間警備に当たった。ところがある夜、何の前触れもなく、消えた。説明も何もなく突然いなくなったのである。策を講じるまもなく、夫妻は襲われ、殺されてしまった。信頼させておいて寝首を掻く中国の軍隊、警察のいつものやり口である。当局が秘密結社と組み、殺害させたのではないとしても、ぐるになって襲撃の時に警備を引き揚げさせたとしか思えない。

 日本人の怒りは頂点に達した。田村総領事は中国当局役人を呼び、こう述べた。「非難するつもりは(改頁)ないが、双方の同意に基づいた警備に落ち度があったから今回の事件が起きたのである。この重大な過失に対し、ご遺族に5万ドル賠償願いたい」。

 対する中国側は言を左右してまともな返事をしない。業を煮やした田村総領事が、「よろしい。これ以上申し上げることはない。後はそちらのご判断しだいである。一言申し添えるが、当方はすでにことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。おわかりかな。熟慮のほど、重ねてお願い申し上げる」と席を立とうとすると、中国側は「艦砲射撃を喰らっては職も失う」と思ったのか、「局に持ち帰って相談してみます」と持ちかけた。「5万ドル耳をそろえて持ってくるまでは面会無用」と席を立った。徹夜で相談した中国側は、明け方になってようやく5万ドルを現金で持ってきた。直後、日本の軍艦が到着した。艦長たちは事が収まったと聞いてがっかりしたに違いない。これは第一次上海事変の1ヶ月前のことであった。



日本領台湾に憧れる中国人の行列

 中国人には田村式が一番である。私は実際、田村氏が中国人と対応している場面をこの目で見ているが、実に丁寧である。公平であり信念の人である。中国人に対してもこれは変わらない。愉快なことに、あの件があってから福州では日本人に対する態度が一変した。日本人殺害はもちろん、あらゆる反日行動がぴたっと止んだ。日本人は最高の扱いを受け、最も尊敬される外国人となった。アメリカ領事は軟弱政策ゆえに、反米運動の対処に忙殺されている。イギリスも似たりよったりだ。日本領事はどうだ。「いつでも軍艦を呼ぶぞ」という毅然とした田村総領事のおかげで、自国民を保護し、全世界の在中国領事が束にかかっても叶わない、いやその十倍の成果を上げている。毎日、私は昼食のため、日本領事館の前を取ったが「門前市をなす」である。台湾行きのビザ取得のためである。台(改頁)湾は日本領である。中国では働いても働いても、同じ中国人の役人に搾り取られるが、台湾に行けばそんなこともなくなるからである。

 福州事件は中国全土で起きている。現実的政策に裏打ちされた断固たる態度でしか事件は解決できない。中国人にはそれ以外考えられないし、そういう人を尊敬する。ちゃんと証拠がある。しばらくして田村氏はシンガポール総領事に転任となり、送別会が設けられた。中国人役人にも尊敬され、好感を持たれているのである。稀に見る賛辞が寄せられた。市民は心から田村氏を讃えた。数ある領事の中で一番の人気者であった。

 田村氏が教師夫妻殺害事件を毅然とした態度で解決して以来、福州在住日本人3千人は何ら危害を加えられることなく、略奪されることなく、平穏に暮らすことができた。中国人だってその気になれば、日本人であろうと誰であろうと、危害を加えることを止めることができるということである。

(P273〜275)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

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閉じる コメント(15)

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幣原外交ですが、昨今では「テロリストとの裏取引外交」との認識が広まってきたそうでして、米英が日本に不信感を抱き始めたのは、蒋介石の「革命外交(清朝の締結した条約を武力で否定)」に対して「日本が裏取引」したかの印象を幣原外交があたえたことによるのだそうですね。

2006/12/14(木) 午後 2:06 [ tero19632001 ] 返信する

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幣原外交に関する非常に興味深いお話ですが、何かに述べられておりますか? もし、書いてあるものをご存知でしたら、教えて頂けませんでしょうか?

2006/12/15(金) 午前 0:25 coffee 返信する

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はい、こちらの著書・http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/6/60/50/4166605046.shtml に出ていました。フォロー遅れまして申し訳ございません。

2006/12/15(金) 午後 4:07 [ tero19632001 ] 返信する

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『歴史の嘘を見破る』中嶋嶺雄 編著 ですね。 ありがとうございました。感謝いたします。

2006/12/15(金) 午後 11:09 coffee 返信する

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昭和当時の幣原外交批判を見つけましたのでTB致します。『テロへの対処は各国と協調すべきだという点である。軍縮交渉で妥協したところで、なんら「協調」にはならない。むしろ敵意を増すだけなのである。「協調」とは共同出兵がもっとも実があがる手段である。』正に禿同!

2006/12/27(水) 午後 8:55 [ tero19632001 ] 返信する

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TBでなくこの記事でした・http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/morishima.html

2006/12/27(水) 午後 8:56 [ tero19632001 ] 返信する

森島守人の幣原外交批判は的を射ています。また、当時の日支外交が現在にも当てはまることが多々有ることを改めて実感しました。この事に関しては森島守人も別宮暖朗も的確な見解を述べていますね。ご紹介ありがとうございました。ただ、森島守人も別宮暖朗も支那事変や第2次世界大戦の頃の事なると間違いや嘘が多いのでご注意下さい。

2006/12/27(水) 午後 9:39 coffee 返信する

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へえ、そうなんですか。

2006/12/28(木) 午後 2:56 [ tero19632001 ] 返信する

そうです(キッパリ)!別宮暖朗には以前、直接メールで訂正個所などを指摘したのですが、こっちが根拠資料などを添付しながら何度やり取りしても、頑迷で頓珍漢な事を言って話になりませんでした。彼は「第一次世界大戦」の事は詳しいですが、支那事変の事や第二次世界大戦の頃の事は全く駄目です。

2006/12/28(木) 午後 5:05 coffee 返信する

http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/sinojapanese%20war.html の「南京城外の死者」というページを例に挙げます。南京周辺だけで約20万以上の遺体があったなんて今どき反日左翼でさえ誰も言いません。紅卍会の埋葬記録が水増しして改竄されたことも明白です。また、崇善堂が埋葬活動を行なっていなかったのも常識で仮に行なったとしても東京裁判で提出された「40名程度で、1ヶ月間に10万体埋葬」なんていうのは物理的に不可能です。 南京の死体は約5万体でした。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page014.html

2006/12/28(木) 午後 8:59 coffee 返信する

日本軍の戦闘詳報等には捕虜ではない敗残兵や投降兵まで「捕虜」と称した事が多いのですが、別宮は全く理解してません。佐々木到一日記の「その後俘虜続々投降し来たり」のように捕虜が投降する訳がありません。こんな戦闘詳報を根拠に「捕虜を虐殺した」と言うのはアホです。投降兵の殺害は一定条件下で合法です。日本軍による支那兵の不法殺害は0人〜8百人で、収容した支那人捕虜の虐殺はゼロです。日本軍は南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護しましたが、支那軍が支那事変8年間で捕虜として保護した日本兵は0人でした。

2006/12/28(木) 午後 9:20 coffee 返信する

「もちろんだからといって引っ立てた便衣兵を殺害してはならない。」という主張もアホ丸出しです。別宮の国際法は酷過ぎます。便衣兵は捕虜になる特権を持たない悪質な交戦中の敵兵ですから如何なる状況においても便衣兵殺害は合法です。寧ろ便衣兵は殺すべきなのです。支那人が便衣兵になって捕まっても殺されずに済むと分かれば、その後軍服を着る支那兵など誰も居なくなり、将来、一般支那人や日本軍の犠牲者数は増加の一途を辿ることになるからです。

2006/12/28(木) 午後 9:21 coffee 返信する

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どうもありがとうございます。これはゲリラ戦に共通する課題ですね。

2006/12/29(金) 午後 3:40 [ tero19632001 ] 返信する

便衣兵のことや、投降兵と捕虜の区別など、誤解している人が多いです。確かに難しい問題ではありますが・・・

2006/12/29(金) 午後 6:05 coffee 返信する

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旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。 削除

2008/11/2(日) 午後 6:09 [ 平和主義者 ] 返信する

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