正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

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7月29日は、「通州事件」の日だ。

私は、悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇「通州事件」を日本の教科書に記述して、支那人の残虐性を日本の子供たちに教えておくべきだと考えている。


1937年7月29日、支那の保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した。

犯人は、支那の国民党軍でも共産党軍でもなく、事件前までは親日的だった「冀東防共自治政府」の保安隊だった。

しかし、支那保安隊が日本人居留民を大虐殺した最大の原因が国民党の南京政府の御用放送局によるデマ放送であり、保安隊が国民党軍に寝返るための日本人大虐殺だったので、支那軍による大虐殺といって良い。


7月27日頃、北京特務機関がキャッチした南京放送ニュース
――――――
日本軍は盧溝橋の戦場に於いて、我が優勢な29軍と交戦の結果、支離滅裂の敗戦に陥り、豊台と郎坊とは完全に我が手に奪還してしまった。
(略)
なお、最近北京における軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにして、満州失地恢復の第一声を挙げる事を決議した。
――――――



日本軍を撃破した支那の宋哲元軍(29軍)が、冀東防共自治政府(通州)に攻め込んで来れば、今まで親日だった支那保安隊は漢奸として処刑される。

そこでの保安隊の連中は、日本人を大虐殺し、冀東防共自治政府の殷長官を捕らえ、これを手土産にして北京の宋哲元へ馳せ参ずることを決意した。

通州大虐殺事件の原因については、事件の2日前にあった日本軍による保安隊への誤爆や、事前に国民党と保安隊に密約があった計画的犯行など、今でもいろんな説があるが、最大で直接の原因が蒋介石政府の南京放送によるデマ報道だったことは間違いない。

支那保安隊の連中は、日本人大虐殺を手土産にして意気揚々と宋哲元が居ると思い込んでいた北京へと向かった。

ところが、そこにいたのは宋哲元軍(29軍)ではなく、実際には日本軍だった。

日本軍による誤爆が原因なら、支那保安隊が日本人を大虐殺した後に日本軍の居る北京に向かうわけがないのだ。

北京に居るのが宋哲元軍(29軍)ではなく日本軍だと知った支那保安隊の連中は慌てて逃げたが、日本軍に捕まった。

中島29軍顧問は「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息まいた。

しかし、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ。」と止められ、結局、支那保安隊の連中は収容もされず城外に放置されただけとなった。

理由は「収容すると飯を食わさにゃならん。本当は鉛の弾を食わしたいくらいなのに、飯などもったいない。」という事だったが、支那保安隊の連中は後に移動して支那軍に加わった。

これが当時の日本軍であり、お人好しぶりは今の日本人と変わらない。

支那保安隊の連中が通州で大虐殺した日本人を手土産に北京に行ったことは、事件の直接の原因が【南京放送のデマ報道】だった裏付けとなる。




通州事件については犠牲者名簿があり、当時、日本の外務省も公式声明を発した。

つまり、日本人居留民約260人が大虐殺された通州事件ほどの事件が起これば当たり前のことだが、当時、内外において事件が認知されていた。

一方、所謂「南京大虐殺」の場合、当時、支那政府も日本政府もその他誰も事件の認識がなく、よって当然犠牲者名簿などもなかった。

南京事件というのは当時は加害者側も被害者側も誰も全く認識していなかった不思議な不思議な事件なのだ。

このように通州事件と南京事件の差異を冷静に分析するだけでも、「南京事件」が嘘っぱちのでっち上げであることが明白となる。




●通州事件

1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu00.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu20.htm
2.命令書 ×なし
3.政府の認識 ○あり(当時の外務省の公式声明など○)




●南京事件

1.犠牲者の名簿 ×なし(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.政府の認識 ×なし(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)







通州事件では当時日本の外務省が公式声明を発しており、東京裁判で弁護団は通州事件に関する外務省公式声明を証拠として提出しようとしたが、ウェッブ裁判長が却下。

ただ、通州事件の目撃者3人の宣誓口供書は受理された。

その宣誓口供書の一部は次の通り。


――――――
「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部にほうきを押しこんであるある者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに耐えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合せて、それに八番線を通し、一家6人数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこの塵箱の中やら塀の蔭から出て来た」

支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴いた桜井文雄証人

消された「通州事件」
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/tushujiken.htm

――――――

 当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)そ次の如く証言した。

 「旭軒(飲食店)では40から17〜8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」

 まさになぶり殺しではないか。

 中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。

 「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。
帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。
階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。
1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子 2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。
南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」

中村粲著『大東亜戦争への道』惨!通州事件
――――――






●参考資料

『大東亜戦争への道』中村粲著
「惨!通州事件」
http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html

通州事件
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tusyu_jiken_1.html








●関連記事

南京虐殺は嘘61
支那軍による虐殺1
通州事件
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/10890186.html

惨!通州事件
1937年7月29日
南京放送のデマ報道で身の危険を感じた支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23308190.html

責任なし24 通州虐殺事件(通州事件)
Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27252431.html








「悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇『通州事件』を日本人は忘れるな!」
「嘘っぱちのでっち上げである『南京事件』を教科書から削除し、『通州事件』を教科書に記述しろ!」


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例えば一月二十二日の日記では『竹の担架にしばりつけられた中国への死体については、これまでも幾度か書いてきた。一二月十三日からこのかた、わが家の近くに転がったままだ。死体を葬るか、さもなければ埋葬許可をくれと、日本大使館に抗議もし、請願もしてきたが、糠(ぬか)に釘だった。依然として同じ場所にある。しばっていた縄が切れて、竹の担架が二メートルほど先に転がっただけだ。』と言う具合だ。
では何故、紅卍字会が1937年12月22日から死体を埋葬してるのに、ラーべは 「埋葬が禁じられていた」と食い違うのだろうか。それは、ラーべの1937年12月26日に日記を見れば分かる。

2009/8/12(水) 午後 11:07 masao 返信する

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日記には【そこいらじゅうに転がっている死体、どうかこれを片付けてくれ!担架にしばりつけられ、銃殺された兵士の死体を10日前に家のごく近くで見た。だが、いまだにそのままだ。だれも死体に近寄ろうとしない。紅卍字会さえ手を出さない。中国兵の死体だからだ。】とある。即ち、【紅卍字会が埋葬した死体は中国兵士ではない、即ち≪民間人の死体≫であり、ラーべの度重なる要請にもかかわらず死体を埋葬するのを許可しなかったのは、中国兵士だからだ、と言うことだ】その許可しなかった中国兵士の埋葬を2月1日に許可したのは、この2月1日には大体中国兵士への攻撃一掃がほぼ終わった、と言うことではないだろうか。即ち、南京大虐殺は大体一九三八年二月一日近辺で大体終わった、と言うことではないだろうか。

2009/8/12(水) 午後 11:08 masao 返信する

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しかし、ラーべの二月十一日の日記には、『郊外ではまだかなりの人が殺されているという話だ。たった今、またもやこんな知らせが舞い込んできた。一人の兵士がある家に押し入った。天谷少将によれば、その素晴らしい軍紀によってつとに名高い日本軍の兵士が、だ。その家には母親と二人の娘が住んでいた。娘を強姦しようとしたが抵抗され、そいつは3人を家に閉じ込めて火をつけた。娘の一人は焼き殺され、母親は顔にひどいやけどを負った。この件を調査しなければ。シンバーグから聞いた話はもっとすさまじい。だが今度は中国人の話だ。同郷の一人が隠し金を持っていると睨んだ四人の中国人が、その男を縛り上げて火あぶりにして、金のありかをはかせたという。とにかくここはアジアなのだ!そう言い聞かせてはみても、こういう胸の悪くなるような残虐な話をつぎからつぎへと聞かされると、祖国が恋しくなる。』と、書いている。ラーべの虐殺の箇所はこれが最後で、3月16日、祖国ドイツへ船で向かった。

2009/8/12(水) 午後 11:12 masao 返信する

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ここで注目すべきは日本軍人が起こした虐殺と中国人が起こした虐殺を並べて、「シンバーグから聞いた話はもっとすさまじい。だが今度は中国人の話だ。」と中国人が起こした虐殺のほうが、日本兵士が起こした虐殺より「もっとすさまじい」と言っていることだ。

2009/8/12(水) 午後 11:17 masao 返信する

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これらをまとめると、【日本軍の南京虐殺は大体、一九三八年二月一日〜十五日ごろまで続いたと思われる】としたい。
ルイス・S・C・スマイス博士の「南京地区における戦争被害調査」をみると
『博士は国際委員会の書記長と会計係を兼務し、安全区の治安と日本軍との接衝に尽力してきたが、南京国際救済委員会からの依頼で、博士は、3月から4月にかけて、ベイツ教授らの助力を得て、多数の学生を動員して、2人1組で無差別抽出法により、戸別に尋問し、南京市民のうけた戦争の被害状況を調査したのである。』となっている。


これらをまとめると、【日本軍の南京虐殺は大体、一九三八年二月一日〜十五日ごろまで続いたと思われるが、スマイス博士が調査を開始した3月には虐殺は事実上終わっていた、と判断していいだろう。何故なら、状況が落ち着いていなければ南京国際救済委員会から南京市の被害状況の調査の依頼は出来ないからである。

従って、虐殺が大体終わった時期は、大体、【一九三七年一二月十三日〜一九三八年二月十五日】としたい。

2009/8/12(水) 午後 11:23 masao 返信する

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masao。

言ってる事が二転三転。
ダラダラと沢山書いてるのは話のポイントを集中させない為。

【自分が苦労して集めた資料を】【ろくに読みもせず即座に「却下」などと言う冷酷なことは言えない】
8/4(火) 午後 8:36

これには驚いた。
要するにmasaoは、自分が頑張った事を基準にして話を進めていたわけだ。
とんでもないお子ちゃまだ。
まったく、小学生の課題かよ?、なあ?

【じゃぁ仕方ねぇ、これから虐殺犠牲者人数約20万人を証明するけど】
8/6(木) 午後 10:51

おいおい。
今までのは何だったんだよ?
論破された事は棚上げか?、ホントくだらん。 削除

2009/8/13(木) 午前 0:03 [ なんだかなー ] 返信する

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masao
【【当時の中国は戸籍制度は全く完備されたおらず、それを正確に統計できるいかなる文字資料も残っていない】
だから俺は「想像しろ!」とか「軍人の犠牲数にそれ以上足して考えろ!」などと言っていたのだ】
8/6(木) 午後 11:45

全く同じ事だ。
証拠が無いことを自分で認めてるじゃねえかよ?

【虐殺犠牲者人数約20万人を証明する】
8/6(木) 午後 10:51

ここからして矛盾してるだろうが?

ホント、頭、大丈夫か?
幾らなんでも、舐めすぎ。 削除

2009/8/14(金) 午後 2:24 [ なんだかなー ] 返信する

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朝鮮人然り、支那人は徹底的に叩いてやらないとわからない。叩かれたら百倍、千倍にして返してやる事。絶対に甘い顔を見せたり、隙を見せてはだめ。支那、朝鮮人と渡り合う上での鉄則である。 削除

2009/8/26(水) 午後 4:28 [ taro ] 返信する

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「南京大虐殺」なんていう出鱈目がいまだに教科書に載っているのですか。しかもこの実際にあった通州事件は教科書に載っていないとは・・・傑作・転載。

2009/9/16(水) 午後 8:52 [ パピヨン ] 返信する

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masao

>coffeeよ、「通州は冀東政府長官池宗墨氏」と「日本大使館森島参事官」との間で公文交換が行われて「1937年12月24日、正式解決」している。・・・(略)・・・なぜなら、通州は南京で日本人の思いを晴らしたからだ。

本文で説明しているが、通州事件は証拠資料が万全の事実だが、一方の南京事件は証拠ゼロのフィクションだ。
都合の良い妄想は、もう沢山だ。

2009/11/26(木) 午前 3:54 益荒男 返信する

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Masao
オマエ、かなり必死だが、オマエが主張する南京大虐殺の最大の証拠は、

>【通州首謀者を殺さなかった事実が南京大虐殺があった何よりの証拠となるんだ!】

ということで良いか?

南京大虐殺にはマトモな証拠は皆無だから、こんな妄想を証拠だと言い張らない限り、事実無根の虚構になるよな。

しかしね、日本軍は通州大虐殺の首謀者なんて、通州事件の直後に殺そうと思えば出来たことなんだ。
ただ、当時、日本は支那での戦闘について不拡大方針を貫いていたから、通州事件の首謀者も殺さずに見過ごした。
日本人は今も昔もお人よしなんだよ。
いずれにしても、オマエが妄想する南京大虐殺最大の証拠は、全く証拠にならない。
どう考えても、南京大虐殺なんてなかったんだよ。

2009/11/26(木) 午前 3:54 益荒男 返信する

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Masao

>君が言ってる20万人は「難民特区」の人口だろう!虐殺の多くは特区外で起きているんだ!特区外の人口は60万人。特区を合わせて80万人いたんだ!だから20万人の虐殺は十分可能だ。もっとよく勉強しろ!

100万人居た南京市民のうち、80万人は南京戦が始まった1937年12月12日までに日本軍が占領する上海などに避難していた。
だから、当時の南京の人口は20万人であり、「安全区」以外は無人と化し、誰も居なかった。
もっとよく勉強しろ!

2009/11/26(木) 午前 3:55 益荒男 返信する

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Masao

>(37年11月23日)
>「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。」(中国抗日戦争史学会編『南京大虐殺』)

オマエ、1937年12月の南京戦当時の人口が20万人であることを認めているじゃん。
11月23日の後にも毎日何万人もの南京市民が、日本軍が占領していた上海などに逃げて行ったのだよ。
結局、南京戦が始まった1937年12月12日の南京の人口は安全区の20万人だけだった。
安全区以外は無人だった。

2009/11/26(木) 午前 3:55 益荒男 返信する

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Masao

>俺は今株式投資で成功するために全力を注いでおり、ブログの更新もろくに出来ない。

俺は以前10年以上証券会社で働いていたが、Masaoが株式投資に向いているようには思えない。
「株式投資」といっても、「デイトレ」と「中長期投資」では、全く別物だ。
Masaoは、「デイトレ」?それとも「中長期投資」?

2009/11/26(木) 午前 3:56 益荒男 返信する

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Masao

>(37年11月23日)
>「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。」(中国抗日戦争史学会編『南京大虐殺』)】+【日本軍は1937年「八・一三」事変を起こし、上海を侵略、占領。それ以降、まちまちであるが毎日、千数百人ほどの各地の難民が次々と南京にやって来た】数万人=約55万人。と言うことで『‘本軍が南京進入当時の人口』は約55万人とする。
>,鰐鵤毅桔人

だ・か・ら!
1937年11月23日の人口は50万人だが、その後も毎日毎日何万人という南京市民が日本軍が占領していた上海などに逃げて行った。
ということで、日本軍が南京を陥落した1937年12月13日頃の南京の人口は20万人だ。

人口からの考察1
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5420836.html
人口からの考察2(全員避難)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5514089.html

2009/11/26(木) 午前 3:57 益荒男 返信する

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[ 民ムー ]さん
大変お疲れ様でした。
それにしても[ 民ムー ]さんは、大変良く勉強されており、敬服いたします。

2009/11/26(木) 午前 3:57 益荒男 返信する

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[ 民ムー ]さん
大変いろいろ学ばせて頂いていますが、スマイス調査をインチキとする根拠は『曾虚白自伝』にするよりも、次のような論法を根拠とする方が安全だと思います。

34 スマイス調査はインチキ調査1 集計の悪質な摩り替え・改竄
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8387079.html
35 スマイス調査はインチキ調査2 スマイス報告は排日宣伝文書
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8446086.html
36 スマイス調査はインチキ調査3 農村調査も明らかなインチキ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8542776.html

それにしても、本当にお詳しいですね。
Masaoも内心では、[ 民ムー ]さんから真実を学んだと思っているはずです。
ありがとうございました。

2009/11/26(木) 午前 3:59 益荒男 返信する

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[ なんだかなー ]さん
最後のまとめ、ありがとうございます。

その他の皆様も、大変お世話様でした。

2009/11/26(木) 午前 3:59 益荒男 返信する

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皆様
いつもコメントありがとうございます。
全てのコメントを拝読させて頂きました。
ご賛同、応援、助言、情報提供、指摘、非難など、今後の参考にさせて頂きます。
また、「傑作」クリックや、「ブログランキング」クリックをして下さった皆様、本当に本当に大大感謝です!!
今後とも、よろしくお願い致します。

2009/11/26(木) 午前 7:39 益荒男 返信する

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1636年、満州の後金が清に国号を改める。同年に清は李氏朝鮮に対し朝貢を求め、拒まれると丙子胡乱で侵攻し服従させた。
1644年に明が滅びると北京に入り中国の支配を始める。
1683年には明の復興を目指し台湾で抵抗する鄭氏政権を滅ぼした。1757年からは鎖国を行い、広州に限定した貿易を行う。
1804年にはベトナムの阮朝を越南国王に封じた。

この間に西欧諸国は大航海時代や産業革命を経て国力を強め、南アジアなどの植民地化を進めていた。

19世紀初め、清ではイギリスから密輸されるアヘンが問題となっており、取り締る清とそれに反発するイギリスの間で、1840年に阿片戦争が起こる。戦いは清の敗北に終わり、1842年の南京条約で不平等条約を結ばされ、続く1857年からのアロー戦争でも敗れた。

この結果、沿海の都市のいくつかを租界として取り上げられ、香港を割譲せざるを得なくなった。
また、北はロシアが沿海州の割譲を要求し、それにも従った。租界や割譲地は欧米列強のアジア活動の基地にされた。

2012/9/30(日) 午後 9:45 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ] 返信する

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