正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

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日清戦争中、日本軍が旅順で虐殺事件を起こしたというデマ報道があった。

真相は、どうだったのか?

史実を的確にまとめた文章を引用すると、以下のとおり。
――――――
また、旅順功略後、現地行政庁の行政官になった鄭永昌の報告によると、
「支那兵が旅順に駐屯するや、ほしいままに民家に乱入し、家具を破壊し、財産を略奪せしもの少なからず、故に日本軍の進撃せし時は旅順市街すでに空虚なり」と、ある。
(略)
 虐殺とは文字通り「残虐な殺害」または「理由なき大量殺戮」の意味だ。日本軍は旅順で捕虜となる資格のない中国軍お得意の便衣兵を処刑したにすぎず、旅順で戦死者は出たが、軍による組織的な虐殺など存在しなかったというのが「史実」だ。
――――――

つまり、「旅順事件」というのは、「南京虐殺」と同様、完全な虚構だった。



以下に詳細な資料を紹介しておく。

――――――――
 山路元治中将が率いる第一師団(東京)がただ一日で旅順を陥落させたのは、そのすぐ後の11月21日である。このとき外国新聞に、旅順市外に虐殺が数日間つづいたと電報記事が載った、それは清兵が制服をすてて民家から普段着を盗んで着たのみか、避難立退きで人のいない民家の住人に化けたのを、日本兵が戸々について検索し、これを斬ったのを誤まり伝えたもので、それも21日の一夜で、22日の朝からは新たな流血はなかった。旅順の住民は総攻撃以前に市街から退避していたので、少数の住民がいたのみ、婦女子はいなかった。だがこの虐殺説は程なく雲消霧散した。

長谷川伸『日本捕虜志(上)』(時事通信社、昭和37年4月、初版)169頁

――――――――
■3.虐殺事件の嘘を暴いたべルギー公使■

 そもそもべルギーと日本との本格的な交流は、1866年の日本国白耳義国修好通商及び航海条約の調印に始まるが、とりわけ明治26年から43年のあいだ日本公使を務めたアルべール・ダネタンが、敢然として明治日本の名誉を守った史実も特筆にあたいするものである。 

 例えば日清戦争での日本軍による旅順港占領の際に、無事の住民に対する虐殺が行われたとする記事が諸外国の新聞に報道されたことがある。ダネタンは事の真偽を確かめるべく調査に乗り出し、結局米国記者によって捏造された「虐殺事件」がまぼろしだったことを突き止め、べルギー本国政府に対して注意を促す次のような報告書を提出している。

「旅順港において日本軍によって行われたと伝えられる残虐行為は、新聞報道者、特に二ューヨーク・ワールド紙の記者によって多分に誇張されたものであった。私はそこに居合わせたフランス武官ラブリ子爵に会ったが、彼は私にこう断言した。殺された者は軍服を脱いだ兵士たちであり、婦女子が殺されたというのは真実ではないと。旅順港占領の数日前にほとんどの住民は避難しており、町には兵士と工廠の職工たちだけであった」(磯見辰典・黒沢文責・桜井良樹著「日本・べルギー関係史』)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog113.html

――――――――

外務大臣陸奥宗光の声明文
12月16日


清国兵は制服を脱ぎ捨て逃亡した。

旅順で殺害された平服を着た者は、大部分が姿を変えた兵士であった。

住民は交戦前に立ち去った。

少数の残留した者は発砲し交戦するよう命令され、そのように行動した。

日本軍は、日本兵捕虜の何名かが行きながら火焙りにされたり、また責め苛まれたりした上、恐ろしいほどに切り刻まれたりした死体を目にして大いに激昂した。

従来通り日本軍は軍規を遵守していた。

クリールマン以外の外国人特派員は彼の報道に驚愕している。すなわち、彼らは冬支度のために日本に戻ったものであり、再度前線に従軍する予定である。

旅順陥落時に捕えられた三百五十五名前後の清国人捕虜は好遇されており、二、三日うちに東京へ連行される。

――――――――
 明治27年11月21日に起きたと言われているがこの事件の「事実」はどのようなものだったのか。
 日本軍の残虐行為については、その後の”南京大虐殺”を頂点に多くの誇大歪曲報道が、ばら撒かれたが、これはその第一号として興味深い。
 
 誇大報道をしていたのがアメリカの「ワールド」紙で、「日本軍は旅順陥落の翌日から4日間、非戦闘員、婦女子、幼児など6万人を虐殺し、逃げられたのは36人しかない」と報道した。しかし内容は各紙まちまちで例えば英「タイムズ」は「日本軍は200人の中国人を無差別虐殺した」とあり、これに対して英紙「セントラル・ニュース」は「公正な戦闘以外では一人の中国人も殺されていない」と反論している。またフランスは「日本軍は味方の捕虜が支那兵に四股を斬り分けられるなどして虐殺されたのを見たために支那兵を皆殺しにしたのだ」と書き、残虐行為は日清双方にあったとした。オーストリアの各紙も残虐行為は日清共にありと報じた。ドイツの新聞は日本軍にやりすぎはあったが、正当な理由によるものだとした。
 これらを見ると「ワールド」紙の「6万人虐殺」はあきらかに異常という他ない。

 当時の旅順市の広さは約0.24平方キロ。こんな小さな街に6万人も居住しているわけがない。それだと1平方キロ当りの人口密度は25万人というとんでもない数になる。
 因みに10年程前の東京23区の人口密度が1平方キロ当り1万4千人だったことを考えれば25万人という数字の異常さが分かる。ずっと後で旅順に新市街が出来た後も新旧両市街を合わせても1万5千人程度しかいなかったらしい。だとすると日清戦争の時代に6万人以上も住んでいたなど悪い冗談でしかない。さて実際のところどうだったのか。

 日本陸軍が旅順市内に進入した際、戦闘員と非戦闘員を区別できず襲撃したのは、大山第二軍司令官も認めた事実だが、それには次のような理由があった。

(1)旅順は自然に発達した市邑でなく、軍事目的で建設された港町であり、住民といえども従軍の非戦闘員であって、交戦時には襲撃の対象になることも止むを得ない場合がある。

(2)敵の敗残兵は民家の中から銃撃してきたため、我軍が非戦闘員の居る家屋に向かって襲撃したのには十分な理由がある。

(3)敗残兵は民家に遁入して便衣(一般市民の服)に着替えた者も多く、従って兵士と非戦闘員を区別することが困難だった。

日本軍の法律顧問として従軍し、陥落時の旅順に自ら入った国際法学者の有賀長雄博士は旅順口事件に関して、清国は全く戦争法規を守らないのだから、厳密に言えば、日本も清に対して全く戦争法規を遵守する必要もなく、従って「旅順口事件に対し如何なる責を負ふべき必要もなし」と論じている。

・・・中略・・・・

また、旅順功略後、現地行政庁の行政官になった鄭永昌の報告によると、
「支那兵が旅順に駐屯するや、ほしいままに民家に乱入し、家具を破壊し、財産を略奪せしもの少なからず、故に日本軍の進撃せし時は旅順市街すでに空虚なり」と、ある。
一体どこから6万2万という数字がでてくるのか。

記述にある「被害者の死体を集めて焼き、骨を棺に入れて埋め、「清国将兵の墓」と書いた木の札をたて」たというのが事実ならそれは要するに日本軍と勇敢に戦って亡くなっていた清国将兵達の亡骸を「火葬」にして手厚く軍が葬ったという話にすぎない。(中国は土葬の国だから残虐行為と勘違いしてしまったのだろうか?)

市街に残って日本軍に抵抗した一部の非戦闘員に犠牲者が出たことは事実だ。しかしそれは戦闘の結果による死亡、つまり「戦死」であって「虐殺」というのは違う。
 虐殺とは文字通り「残虐な殺害」または「理由なき大量殺戮」の意味だ。日本軍は旅順で捕虜となる資格のない中国軍お得意の便衣兵を処刑したにすぎず、旅順で戦死者は出たが、軍による組織的な虐殺など存在しなかったというのが「史実」だ。』








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旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。 削除

2009/1/16(金) 午前 0:57 [ 平和主義者 ] 返信する

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[ 平和主義者 ]

大きい声を出して100回読め!

民衆を虐殺する支那軍・民衆を救出する日本軍
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12624238.html
支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html
支那軍による虐殺
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11717562.html

朝鮮の変遷・李氏朝鮮時代→日本統治時代→現在
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/21665810.html
李氏朝鮮時代→日本統治時代・日本が朝鮮半島に残した資産
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html

2009/2/23(月) 午前 0:35 coffee 返信する

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[ ランヘボ乗りの右回りドライブ ]さん
TBありがとうございました。
そちらに訪問しましたが、残念ながらコメントもTBも出来ません。

2009/6/6(土) 午前 11:14 coffee 返信する

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はじめまして。
細々とブログをやってますが、貴重な情報をありがとうございました。
初心者ゆえ、何がどうなってるかよく分かりません。
私もお国のために少しでもがんばりたいと思います。

2009/6/7(日) 午後 10:29 [ koa**ille* ] 返信する

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嘘!?笑わせるない。いつまでまだ自分を欺くつもり?英語で探してみ、googleで旅順虐殺事件の文献は世界中にもたくさんある。日本国内さえも文献がある。事実を認めろよ、お前らの意気地のない男

2013/4/28(日) 午前 2:29 [ steveny ] 返信する

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[ steveny ]
全然、反論になっていない。
旅順虐殺事件の文献は世界中にもたくさんあるのは当然だよ。
誤報が世界中に広まったのだから。
ブログ記事を良く読め。

2013/12/15(日) 午後 1:20 coffee 返信する

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旅順虐殺事件は実際に会ったことです。虐殺があったことは第二軍の司令部も認めている。
それだけではありません、第二軍に従軍した法律顧問の有賀長雄やこの戦闘に参加した兵士の証言・日記や被害者の旅順市民の証言もあります。その証言の中で、婦女子の殺害や不当な捕虜の殺害があったというのはいくつもあります。それでも旅順虐殺は虚構だというのは無理がありますね。

別にラブリ子爵だのダネタン男爵だのに聞かなくてもわかることです。それに旅順虐殺事件が起こって欧米から不平等条約の改正は延期するとまで言われた日本政府です。だから、なんとかして弁明する必要があった。まあ、この弁明書は結構見苦しいもので、これを引用してなかったというのもナンセンス。

2015/10/25(日) 午後 6:55 [ kor*na*acha**asine*i*l ] 返信する

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[ kor*na*acha**asine*i*l ]

>第二軍に従軍した法律顧問の有賀長雄

日本軍の法律顧問として従軍し、陥落時の旅順に自ら入った国際法学者の有賀長雄博士は旅順口事件に関して、清国は全く戦争法規を守らないのだから、厳密に言えば、日本も清に対して全く戦争法規を遵守する必要もなく、従って「旅順口事件に対し如何なる責を負ふべき必要もなし」と論じている。

2015/10/25(日) 午後 11:23 coffee 返信する

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返信拝見しました。
>従って「旅順口事件に対し如何なる責を負ふべき必要もなし」
しかし日本が国として国際法遵守を宣言した以上は「少なくともその決心に対しては責を負ふべきものなり」と有賀長雄は結論しています。
確かにこの事件は日本側だけではなく清国側にも要因があります。しかし、ならば虐殺はチャラになるか、といえばならないでしょう。

2015/11/21(土) 午後 9:34 [ kor*na*acha**asine*i*l ] 返信する

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恐縮ですが転載させていただきました。
貴重な記事です。

通常の戦闘であるか虐殺であるかが論点。

2018/5/15(火) 午前 8:56 [ いかづちまる ] 返信する

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