正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!日本国民党を応援します。

全体表示

[ リスト ]

■冨田メモの徹底検証
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08k.htm#_補説1_靖国問題と元「A級戦犯」合祀の経緯



補説1 靖国問題と元「A級戦犯」合祀の経緯

(2)元「A級戦犯」の合祀の経緯

(略)

 戦後、靖国神社に合祀される人の基準は、国会で制定された法律に根拠がある。昭和27年4月28日に独立を回復すると、わが国の国会は早速、戦没者遺族援護法及び恩給法とその関連法を制定した。これらが、靖国合祀の関係法である。

 昭和28年8月から国会で、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(遺族援護法)および「恩給法」の改正が重ねられた。当時の国会は、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにした。「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正した。
決定は全会一致だった。31年にかけて改正・整備が行われた。

これらの関係法を根拠に、国は、元戦犯にも恩給を支払い、元戦犯の遺族にも年金を支払うなどを行ってきた。



 当時の国会が東京裁判で刑死した者を「法務死者」と見なしたことは、法的に正しい。敗戦後、独立を回復するまで、わが国は連合国と戦争状態にあった。戦闘は停止したが、国際法上にいう戦争は継続していた。

 東京裁判は戦争状態において行なわれた軍事裁判である。それゆえ、この裁判で処刑された者は、戦争状態において、連合国によって生命を奪われた者である。彼らの死を、戦争による公務死としたことは、主権独立国家として正当な決定である。「A級戦犯」も「B・C級」もこの点では変わらない。

さらにこれに加えて、サンフランシスコ講和条約第11条第2項には、東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになっていた。わが国はこの規定に基づき、国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。「A級戦犯」は昭和31年(1956)3月末までに、「B・C級戦犯」は昭和33年(1958)5月末までに、全員赦免・釈放を勝ち取った。この釈放により、刑死した者の遺族にも恩給が支給されることになった。

その結果、わが国には、「戦争犯罪人」はいなくなった。既に「A級戦犯」は存在しない。私が、元「A級戦犯」と書くのは、このためである。



 こうした経緯を経て、元「戦犯」は靖国神社に合祀されたのである。昭和34年(1959)に最初の合祀が行われた。まずB・C級からだった。元「A級戦犯」であった14人については、昭和53年に合祀された。


 靖国神社の祭神は、国から送られてくる名簿に基づいて合祀される。行政府は、立法府がつくった法律に基づいて、行政事務を行なう。管轄官庁は、厚生省(現厚生労働省)だった。
 厚生省は、日本遺族会からの「戦没者靖国合祀」の要望によって、戦没者の靖国神社への合祀に協力する事業を行なった。この事業は、合祀事務協力事業と呼ばれる。担当部局は、引揚援護局(当時)だった。
 厚生省引揚援護局は、戦傷病者戦没者遺族等援護法と恩給法の適用を受ける戦没者の名簿を作成し、その名簿を靖国神社に提出した。昭和31年から46年まで、名簿提出が続けられた。
 この名簿は、引揚援護局の課長名による通知として送られた。その通知が「祭神名票」と呼ばれる。

 靖国神社は「祭神名票」をもとに、その年に合祀する人々の名簿を作成する。それが「霊璽簿(れいじぼ)」である。この作成の際、もう一つ「上奏簿」を作成する。一定の書式に則って奉書に墨で清書し、絹の表紙でとじたものだという。上奏簿とは、天皇に上奏するための名簿である。

 靖国神社は戦前も戦後も、毎年合祀の前には必ず上奏簿を作成して、上奏簿を宮内庁にお届けし、天皇に上奏してきたという。戦前は、祭神の合祀は天皇の裁可を受けた。戦後も、上奏が慣例として行われた。
 「祭神名票」は、国会が制定した法律を基準として行政当局が合祀されるべき人を選定し、書面として作成したものである。靖国神社は「祭神名票」を受け、それをもとに合祀者の名簿を作る。靖国神社は、「祭神名票」に載っていない人を、独自に合祀するのではない。



 昭和41年、厚生省から靖国神社に祭神名票が提出された。その中に、14柱の元「A級戦犯」の名前が含まれていた。そもそも祭神名票の提出は、事務次官らの承諾を得ずに行われ、元軍人が多かった援護局の独断だったという説がある。
しかし、援護局の課長名で出だされた通知は公式文書であり、民間団体は国からの通知として受理する。
  こういう事務に何か問題があれば、厚生省で業務の改善がされるなり、国会で法律が改正されるなりしたはずである。実際には、31年からずっと同じように通知が出されていた。41年の通知も同様にされた。

 祭神名票を受けた靖国神社は、元「A級戦犯」の合祀をすぐ行なわなかった。筑波慶麿宮司は、靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会に何度か諮った。そして、協議の結果、数年後に総代会で合祀が決定された。機関決定である。
 決定の時期は、昭和45年6月30日である。46年2月という説、46年6月30日という説があり、徳川元侍従長も45年と言ったり46年と言ったりしている。
 「合祀の時期は宮司に任せる」と総代会で決定された。宮司預かりとしたのである。



 総代会で早期に合祀の実現を求める推進派の中心は、元「A級戦犯」で東条内閣の大東亜相だった青木一男氏や、同じく蔵相だった賀屋興宣氏らだったという。一方、崇敬者のなかには、元「A級戦犯」の合祀は、国家護持が実現してからという意見もあった。宮司の諮問機関である祭祀制度調査会は、その意見で固まっていた。その中心は、戦後の神社界の理論的支柱だった葦津珍彦氏だった。



その後、筑波宮司は、合祀を保留にしていた。当時、国会では昭和44年から靖国神社国家護持法案が繰り返し提出されて審議されており、合祀の保留は、こうした国会の動向を見ていたものという説がある。同法案は49年に廃案となった。
 筑波宮司の在任中には、合祀は実行されなかった。筑波は、「合祀は自分が生きている間は恐らく無理だろう」とか「宮内庁の関係もある」などと言っていたと伝えられる。「B・C級よりA級は後だ」「自分の在任中は合祀しない」という考えを子息に語っていたとも伝えられる。



 合祀の時期は宮司の裁量に任されたとはいえ、国家機関の提出した名簿を踏まえて、総代会が機関決定したことを、一個人である宮司が、いつまでも実行しないのは、組織として問題があるだろう。

 しかし、厚生省の名簿提出から約12年、総代会の合祀決定から約8年、筑波宮司は合祀を実行しないまま死去した。筑波宮司の在任中は、国家護持運動の高揚、国会での法案審議と廃案、首相の参拝の公私問題の生起という時期だった。

この記事に

閉じる コメント(7)

顔アイコン

「ご訪問・コメント」有難う。あなたの「お説」よく分かります。あなたが言われる「首脳会談に際しては、議題に上げること」は大切なことです。70年代後半は「領土問題」が盛り上がっていたが、近年、下火となり、拉致問題も含めて「問題提起」をさせて頂いております。是非、ご了承の程、お願い致します。有難う。今後とも、よろしく。heihoujyuku

2006/12/21(木) 午後 10:02 [ 兵法塾 ] 返信する

言いたい事を言わせて貰っただけです。heihoujyukuさんがテーマにする事は私も関心がある傾向にあるので、また私の関心が有りそうな新しい記事があったら教えて下さい。

2006/12/21(木) 午後 10:17 coffee 返信する

顔アイコン

こんばんは。「上記」拝見しました。OKです。有難う。よろしく。heihoujyuku

2006/12/22(金) 午前 0:51 [ 兵法塾 ] 返信する

顔アイコン

そうだよね。
戦争犯罪人を祀る靖国神社が
存在しているのはおかしいことだよね。 削除

2008/2/9(土) 午前 8:45 [ 平和主義者 ] 返信する

[ 平和主義者 ]君。

日本には戦争犯罪人は居ないのだよ。

学べ!

靖国神社の年表・元戦犯の合祀の背景や経緯など
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9934017.html
(一部抜粋)
●1951年、サンフランシスコ平和条約調印。大橋武夫法務総裁「戦犯は国内法においてはあくまで犯罪者ではない」
●1952年、木村篤太郎法務総裁が戦犯の国内法上の解釈についての変更を通達。戦犯拘禁中の死者は全て「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」に。(平和条約で戦争犯罪の撤回を認め、戦犯は国内法上の犯罪者とみなさず)
●1953年、「戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案」(遺族援護法)が衆議院にて全会一致で可決。「遺族援護法」の改正により、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさず、その死を「戦争による公務死」と認定

2008/2/14(木) 午前 1:48 coffee 返信する

顔アイコン

旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。 削除

2008/5/25(日) 午後 4:25 [ 平和主義者 ] 返信する

[ 平和主義者 ]

大きい声を出して100回読め!

民衆を虐殺する支那軍・民衆を救出する日本軍
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12624238.html
支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html
支那軍による虐殺
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11717562.html

朝鮮の変遷・李氏朝鮮時代→日本統治時代→現在
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/21665810.html
李氏朝鮮時代→日本統治時代・日本が朝鮮半島に残した資産
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html

2008/5/27(火) 午前 0:42 coffee 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事