正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現

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満州事変、支那事変、大東亜戦争

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1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)


平成30年(2018年)11月13日は、支那軍による「長沙市焼き払い」(長沙大火、Changsha fire)からちょうど80年になる。

80年前の1938年11月13日、支那の長沙市で、蒋介石の命令によって支那軍が長沙市に放火した!

支那軍が放った火は、2日間に亘って燃え続け、全市を焼き尽くし、夥しい数の支那人を焼き殺した!

なぜ、支那軍が支那の都市を焼き尽くして多数の支那人を焼き殺したのか?!

その理由(目的)は、放火を日本軍の仕業に転嫁して宣伝するためだった!




1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日
■支那軍による長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)
【目的は、日本軍の仕業にして宣伝するためだった】

「お前たちはいったい何をしているんだ?」私は腹を決めて大声でたずねた。
「放火です、命令です」その連中は異口同音に答えた。
「敵は城内に入ったのか?」
「とっくに汨羅に迫って来ています」
火の手はますますふえる。
(略)
しかし火の手がどっと一斉にあがり、たちまちにして全市は大火に包まれた。駅に通ずる道路は両側から火に挟まれトンネルになった。
(略)
車に乗ったまま絶えず良心の呵責を感じていた。
沿道の情景はまったく目をおおうものだった。公路は避難人びとで埋まっている。子供たちを連れているもの、家財道具をかついでいるもの、泣くもの、叫ぶもの、罵るもの、ふとんをかぶったもの、老人を背負っているもの、傷ついたもの、身ごもっているもの、兵士、難民、みな入りまじってごったがえしている。警笛はひっきりなしに鳴り、車はたえまなくぶつかる。狼狽の情景はまさに形容のすべもなかった。
(略)
大火はまさに燃えさかっていた。長沙全域は火煙に包まれ、火煙の勢いは空を呑みつくさんばかりだった。
「どうやら、敵は長沙には入っていないらしいな」周恩来が感慨深げにいった、「もし敵が長沙に入っていたら、きっとぎりぎりまで追って来るだろう、まったく何の動きも見せないはずがない。・・・」

(中略)

長沙に火をつけたのは、国民党が蒋介石の指図でやった大仕事だった。彼らは一度派手な手柄をたてようと、クトゥーゾフがモスクワを焼き払ったのをまねて長沙焼き払いをしでかしたのだ。しかし、残念ながら日本軍はこれを道化役にしてしまい、ナポレオンを演じに登場してはくれなかった。全市に焼け棒杭の山を残し、百余万戸の家を焼き、そればかりいまだに総数もわからぬ傷病兵や年寄り、子供、病人などの市民を焼死させた責任は、いったい誰が負うのだろうか?
行政上の処分は――18日に警備指令艷悌、警備第二連隊長シュークン、公安局長文重孚の3人が銃殺された。
長沙の人びとは真相がわからなかったので、省主席の張文白(張治中)を怨んだ。
(略)
しかし、あだはかたきに、借金は貸し主にというもので、張文白を怨むのは見当ちがいである。張文白その他の連中は蒋介石の命令を執行しただけなのだから。私たちがのちに手に入れた確実な情報によれば、張文白は12日午前9時、長沙全域を焼き払えという、蒋介石の密電を受けとったのだ。したがって、長沙の大火に関する責任は蒋介石が負うべきもので、「3個の人頭」ですら本当のところは冤罪だった。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝

抗日戦回想録―郭沫若自伝


周恩来が気づいたように、この時には幸いにも日本軍がまだ長沙には入っていなかったから、支那軍の嘘がばれ、日本軍は濡れ衣を着せられずに済んだ。

しかし、長沙市民にしてみれば、まったく無意味に家や街を焼き払われたことになる。

1938年11月13日に行われた長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)による 死者の数は、2万人以上という。



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▼清野作戦に関する記録▼

●清野作戦(焦土作戦)
支那軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。

上海〜南京、また、南京城壁の周囲1〜2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。

南京戦の前後も、支那軍や盗賊による強奪に伴い殺害も発生した。



1937年に行われた支那軍による主な「清野作戦」(焦土戦術)▼
――――
ラーベ
1937年11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。


――――
孫元良
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。

――――
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し、方か、破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。


――――
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める

――――

第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。


――――
ミニー・ヴォートリン
1937年12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。
1937年12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。

――――




1938年に行われた支那軍による「清野作戦」(焦土戦術)▼

英国の通信社「ルーター」(ロイター)も、蒋介石が焦土戦術を命令していたことを報じていた。
昭和13年7月12日 東京朝日
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
 蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、 日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、 何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した。
 九江に権益を有する外国商社のうち亜細亜石油公司及び怡和・太古の両汽船会社(いずれも英国人経営) は、その所有財産が右破壊令の対象となることを恐れ、 蒋介石に対し右破壊令の施行範囲を最小限に留むるか、または、特殊の物件に限り適用するよう、今や躍起となって申し入れを行っている。
 しかし、支那側は、もしこれら各社の施設が日本軍の手に渡れば、必ず日本軍の軍事行動を助けることは必定であるから、支那側は、退却に先立ちその欲するところにより、これらの施設を破壊する完全なる権利を有するとの見解をとっていることは明らかである。
 商社側は依然申し入れを行っている。なお近く南昌、信陽、岳州等の諸都市に対しても、おそらく同様の命令が発せられるものと見られている。



1938年10月19日
支那軍は広東東方約50キロの増江の橋を爆破し増城城内を焼いて退却した。




1938年10月21日
日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。
國史図書刊行会篇の『支那事変』の254頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。
また、255頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。

写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」写真集『支那事変』国書刊行会P255
写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」
写真集『支那事変』国書刊行会P255




1938年10月25日
支那軍は武漢撤退の際、街を爆破する目的で全ての建物に爆弾をしかけたが、英国海兵隊員らが必死で爆弾を撤去し、支那軍がスィッチを入れた時、爆破されたのは日本人所有の家屋だけだった。




1938年11月13日
支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。
仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。

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1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)

●関連記事
南京虐殺は嘘65・支那軍による虐殺5・清野作戦(焦土作戦)
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南京虐殺は嘘70・支那軍による虐殺10・長沙市の焼き払い・目的は日本軍を悪者にするため
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激論「南京事件」秦郁彦と山田朗はマジキチ無知!民間人に混じった便衣兵を確実に選び出すことは可能
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パックン「平和憲法を五輪の時に放棄するのか?海外や隣国の皆さんが注目している」・小松靖が反論
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20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
平成30年8月15日放送NHKスペシャル「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造!
NHK「ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出し、敗北!」



https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180815
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
NHKスペシャル
ノモンハン 責任なき戦い
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
総合 2018年8月15日(水)
午後7時30分〜8時43分

20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」

20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。

今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。


>79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。


これはNHKによる非常に酷い捏造(歴史偽造)だ!

NHKは「ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した」、「敗北」などと述べ、日本がノモンハン事件で大惨敗したことにしている!

実際の放送でも、日本が多数の死傷者を出して大惨敗したと繰り返し放送した。
NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

しかし、NHKは、ソ連軍が出した死傷者の数を殆ど放送していない!

実際には、ノモンハン事件では、日本の死傷者は17,405名で、ソ連の死傷者は25,655名

実はソ連軍は、日本軍を遥かに上回る死傷者や兵器の損害を出して負けていたのだ!

ノモンハン事件の原因となった国境紛争についても、日本は負けてなどいない。

ノモンハン事件当時、ソ連は「ソ連軍の損害9284名、日本軍に損害は5万2千〜5万5千名」などと発表したため、日本軍を含めた日本側はソ連軍の損害が非常に少ないと思い込み、「勝たずに負けたのかもしれない」と評価していた。

しかし、当時のソ連側の発表は戦時プロパガンダに過ぎず、実際にはソ連軍は日本軍の死傷者を遥かに上回る死傷者と兵器の損害を出していた!

ノモンハン事件におけるソ連側の大損害については、ソ連崩壊に伴う公文書公開で1998年に判明している。

NHKの歴史偽造は、許し難い!

NHKは、当該NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」の中で、何度も「新たに発掘した資料や音声データ」などと強調しているが、それらは全てソ連崩壊に伴うソ連の公文書が公開されてソ連の大惨敗が明らかになる以前の日本軍将兵のインタビューなどだった。
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」

NHKは、ソ連軍が日本軍を遥かに上回る大損害を出していた極秘事実を示す、ソ連崩壊に伴い1998年以降に続々と公開されたソ連の公文書については完全無視している!

以下、『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)より。

第二次ノモンハン事件の開戦地点は、ソ連側の唱える国境線からでも20キロ入った満州国の将軍廟であり、ソ連軍の侵入であったのを注意せねばならない。日本軍はソ連軍を追い払い、そのまま終らせる積もり増強もせずにいた所、大損害を受けたソ連軍は、(外蒙確保のため、停戦に持ち込むために)いかなる犠牲も払えとのスターリンの命令で8月20日に日本軍に大攻勢をかけたのである。

日本側の増援軍が終結した頃に停戦になった。ソ連はソ連の唱える国境線を確保できず、東南部ではむしろ日本軍が進出していたが、その回復をせず、ソ蒙相互援助条約を遂行せずに停戦に応じて、9月15日、日ソ協定を結ぶと、2日後にはポーランド侵略を開始した。

ノモンハン事件でソ連側は、ソ連軍の損害9284名、日本軍に損害は5万2千〜5万5千名と発表したため、日本軍の大敗と信じられたが(当時の日本軍の参戦者は延3万以下で5万もの損害が出るはずがない)、これはスターリンの粛清を恐れたソ連の将軍達が誇大の勝利と過小の損害を必要とし、常に実数の2〜3倍の損害を与え、ソ連の損害は僅少と報告したからである。

しかし、実情は全く違う。
ソビエト体制の崩壊による公文書公開でソ連側の大損害が判明した。


損害状況  戦死    負傷    合計
日本軍 8,741名 8,664名 17,405名
ソ連側 9,703名 15,952名 25,655名

(ソ連側損害は最新の数字、『ロシアの記憶』モスクワ軍事出版社、1998年による)

『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)





>情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。


いや!

情報を「軽視」どころか【完全無視】しているのは、NHKだ!

ソ連崩壊に伴い1998年以降に続々と公開されたソ連の公文書について完全無視しているくせに、ふざけたことを言うな!






>作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。


司馬遼太郎は朝鮮のことを「堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国」と主張し、日本を徹底的に悪者扱いした大馬鹿マジキチ作家だった。(詳細記事
司馬遼太郎は朝鮮のことを「堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国」と主張し、日本を徹底的に悪者扱いした大馬鹿マジキチ作家だった

そんな大馬鹿マジキチ作家の司馬遼太郎がノモンハン事件について日本をぼろ糞に貶して「日本人であることが嫌になった」と述べたのは当たり前のことだろう。






>今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。


ソ連軍の白黒記録映像をNHKがカラーに修正しただけで大喜びするNHKはアホ丸出しだ!

NHKがアピールしている「150時間を超える陸軍幹部の肉声テープ」については前述したとおり、ソ連崩壊に伴い1998年以降に続々とソ連の公文書か公開される以前の日本軍将兵のインタビューに過ぎない。

ノモンハン事件当時のソ連は「ソ連軍の損害9284名、日本軍に損害は5万2千〜5万5千名」と嘘を発表したため、日本軍を含めた日本側はソ連軍の損害が非常に少ないと思い込み、「勝たずに負けたのかもしれない」と評価していた。

ところが、当時のソ連側の発表は、日本の「大本営発表」より酷い戦時プロパガンダに過ぎず、実際にはソ連軍は日本軍の死傷者を遥かに上回る死傷者と兵器の大損害を出して大惨敗していたのだ!






>敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。


敗北したのは、日本ではなく、ソ連だった!

ソ連は、死傷者の数でも大惨敗し、兵器の損失でも大惨敗し、ノモンハン事件の原因となった国境紛争についても勝てなかった。

ソ連こそが敗北を隠していたのだ!

NHKは、ソ連が敗北(大惨敗)を隠していたことについて調査して放送しろ!

歴史を偽造して日本国民を騙すNHKの捏造番組は、本当に許し難い!






>ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。


もう一度、上記の部分について反論する。

上述したとおり、実際の死傷者の数は、日本が17,405名で、ソ連が25,655名

以下では、NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」の中で何度も強調された「ソ連軍が大量投入した近代兵器」というのも真っ赤な嘘だったことについての説明を掲載する。

NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」
NHKの番組宣伝画像

飛行場に着陸する飛行第64戦隊所属の九七式戦闘機 甲。ノモンハンは見渡す限りの草原地帯のため、前線では特に飛行場というものは造成せず、せいぜい背の高い草を刈り込んだ程度の「簡易飛行場」を転々と移動しつつ
飛行場に着陸する飛行第64戦隊所属の九七式戦闘機「甲」

以下、『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)より。
優秀な日本機

 日本軍の戦闘機は優秀で緒戦の(1939年)5月20〜23日までにソ連機5機を撃墜し、その後の6日間(5月26〜31日)でもソ連機175機を撃墜してソ連空軍を撃滅した。これに恐慌を来たしたソ連側は飛行士に戦闘禁止を命令した。日本の飛行機を見たら逃げるように指導し、専ら、日本機のいない時に地上攻撃に来たが、日本機に遭遇すると、その後も数十機単位で撃墜されている。

 「ソ連機が1段50機の3段構え、合計150機で来ても日本機が数機ではダメだが、20機も行けば逃げた」(中尉、河添〔阿部〕武彦氏)。

 事実、5月28日は60機対18機で戦い42機を撃墜している。その他80機対9機で戦い篠原機だけで6機を撃墜とか、6月27日は篠原機だけで11機を落としている。

 当初、日本側は5月13日、飛行第24戦隊19機しか配備せず、9機ずつ4交替で飛び、場合により別の9機が応援に賭け付けたもので、ソ連側は一度に日本機を30機とか、45機を撃墜したなど空戦記で発表しているが嘘である(ジューコフは6月22日から26日までに日本は64機を失ったと書いたが、日本側の記録では日本機の損失は7機である)。

 ソ連戦闘機のイ15は羽布張りの複葉機で速度が遅く、イ16号は金属製といわれるが羽布張りもあった。運動性能は鈍重で、いずれも日本戦闘機の軽快な運動と熟練した技術に抵抗できなかったので、欧州からスペイン内戦に参加した飛行士と、イ15を改造した1153(チャイカー鴎)を大量投じた。これは、8ミリ銅板をイ15の座席の背当板とタンク囲いに使い、引込脚にし、大エンジンをつけたもので外観は同じ羽布張りの複葉機だった。

 ジューコフのいうイ16の改良型も座席とタンクを8ミリ鋼板で囲ったものだった。新鋭高速のイ16などと書く者もいるが、実態は違う。旋回性能は悪く、速度も上らなかった。

 日本の戦闘機は全金属製の97式戦闘機で高速ながら旋回性能に優れ、旋回半径は約78〜86米、これは英国やドイツ機の110〜140米より優秀であり、「1旋廻半でソ連機の真後ろに追尾することができた」(少年航空兵第4期生、児玉敏光、当時19歳)。

――――――――――

航空隊の戦果

 戦果、ソ連機1464機を撃墜・爆砕。

 (参考)ソ連の戦闘機は1930年、イギリス機のコピー、イ5、480馬力、最高時速295キロに始るもので、これを改良して1933年(昭和8)、イ15型とした。

 次表からソ連がいかに、高速、軽量化に努力し、失敗したかが分かる。ソ連エンジンは高空での性能が悪かった。戦場で6種類の戦闘機が使用され、目まぐるしく改造したが成功せず、結局、設計技師ポリカルポフは解任された。

戦闘機 馬力 最高速度 5千米上昇 重量kg
イ15 400-700  360km/h  8分  1880 複葉機 上翼はガル型
イ15−bis 750  371km/h      1735  同  上翼は直線型
イ153  1000   430km/h      1440  同  上翼はガル型、引込脚
イ16   480   360km/h       1485 単葉機 木金混合製 
量産型   775   450km/h 6.5分 1535 単葉機 木金混合製
イ16−24型 1600 470km/h  5分  2059 単葉機 木金混合製
97戦(日本)750-870 460km/h 5分  1110 単葉機 全超々ジェラルミン製

 ソ連機は空気抵抗を無視したずんぐりした機体で、旋回性能が悪かった。低速度のイ15を下方に囮に使い、上方には2段にイ16やイ153を置き、3機1組の編隊を組んだが、これはチームプレーを必要とし、高度の熟練を要したためソ連飛行士には難しかった。日本の戦闘機の方が早いので一撃離脱するには速力不足だったし、技術不足で、空中戦になると敗勢で、すぐ逃走した(捕獲したイ16を調査すると、最高速度は370kmだった。公称より低いのがソ連の武器である)。

 しかし、少数機の日本飛行士は毎日数回の飛行を行うため後半に疲労困憊し、休養を必要とし、また、飛行機も稼働率が落ちた。「黄塵のための弁の磨耗多し、人は居るが機がない」とある。

 一番のネックは、ソ連側は満州国領土内を頻繁に飛行し、爆撃したが、日本機にはソ連領内への積極的飛行が制限されていたことで(6月28日、大陸指第491号)、偵察や爆撃も大々的にできなかった。これは7月20日の「事件処理要綱」でさらに強く制限され、現地の兵は損害を被り迷惑したのである。

――――――――――

戦車

 日本軍はソ連戦車・装甲車を7月の左岸作戦で430台以上を破壊炎上した(ソ連側は配備した数字を446台としているので、96%以上を撃滅した事になる)。ソ連側は損害を60台と発表しているが、嘘である。しかし、ソ連側も大損害を受けたことを認めている(後に戦車旅団長ヤコヴレフ少将は戦死)。

 その後も日本軍はソ連戦車を破壊し続けた。「1千米以内に入れば日本軍の速射砲は百発百中だった」(軍曹前田義夫氏「ノモンハン戦」御田重宝著)。高射砲では1千5百米でもソ連戦車を破壊した。また、火炎瓶を恐れてソ連戦車は600米以内に入って来なくなった。

 ソ連の装甲車に至ってはフォード製で機関銃でブスブス貫通した。今日でも小口径銃の貫通弾痕のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、この報道にソ連軍との注がなく、また、ソ連軍の放置戦車をアサヒグラフ(平成11年5月14日号)は日本軍戦車とデタラメな注記をしている。後期でも手榴弾や火炎瓶、擲弾筒で戦車が破壊炎上したのが報告されており、後期には無効だと強調するのは疑問である。日本軍の無能を述べんとする意図的なものを感じる。後期の苦戦は弾丸がなくなり、大砲が破壊されたからである。

 ソ連軍には当時、近代装備がなかった。防弾鋼板も自国製がなく、英国の造船所が軍縮で捨てた鋼鉄板を買って戦車に貼ったものである。空軍やトラック積載部隊など台数が多いだけで質的には近代的とは言えなかった。

 戦果
 ソ連戦車 800台以上を破壊
 日本戦車  29台の損害


 日本戦車の欠点のみ記述され、五味川氏は「日本戦車の戦闘性能はソ連戦車に較べて劣っているから対等に渡り合って勝ち目なく技能を尽くしても苦戦は避けられなかった」とあるが、間違いで、ソ連戦車の欠点を知らず、また技能ははるかに日本戦車兵に及ばなかったのを知らず、ソ連戦車は戦車決戦に敗れているのを知らないのである。日本の戦車はソ連軍の脅威として有効的で、論より証拠、

 ソ連の戦車と対決して、66台を撃破、日本側損害なし。

飛行機は26機を落とし、その他、大砲、人員に多くの損害を与え、良くソ連軍を牽制し、日本戦車のいる所には近寄らなかった。

 ソ連戦車は大砲を使い、機関銃はほとんど使用せず、また、互いに衝突するほど運転する視界も悪かったため、容易に接近できて火炎瓶で炎上させた。日本兵士は戦車に上り、戦車砲や機関銃を打撃し、これで照準を狂わせ使用不能にしたが、日本兵士が苦労したのは間違いない。

 ソ連戦車には走行しながら射撃をする技術がなく、射撃するために停止したので、そこを日本軍に砲撃されて破壊された(日本戦車は行進射撃の訓練をしており、7月4日の戦車戦では12台の敵戦車を破壊し、敵は退却した。日本の損害0)。大砲の観測手は必ず赤い馬で現れたり、羊群が来たので見ると羊皮を被った観測手が紛れているという時代離れした思考だった。大砲は毎日同じ位置を砲撃し、日本兵に笑われている。そして、日本兵の苦労のみを伝え、ソ連側が大損害を受けて恐怖した事実を見逃している。

 富永信氏(「ノモンハン孤立兵の遺書」農文協−氏は東京帝国大学卒の一等兵)

 「敵砲弾はかなり正確に飛んでくるが、不発弾があり、私たちの周囲では敵砲弾による被害は非常に少なく、私たちは日ごろからソ連の戦力を過小評価していたので、敵の兵器は数量だけで質は粗製濫造による粗悪なもので威力がないのだと解していた」
(ソ連機が70個の爆弾を落としたが半数近くが不発の記録もある。草葉大尉「ノロ高地」に眼前50センチに同時に落下した砲弾が2発がともに不発だった記述がある。筆者も垂直に落下している現存の不発弾を見ている)。

 「その夜私はやはり部隊に遅れないようにただ歩いて停止し、走って停止して、前進を続けただけだった。陣地に引揚げると敵はトラックで来た。こちらが進めば後方から砲撃で日本の前進を阻み、こちらが引揚げると又侵入して来る」「進めば敵は退くと思った。参謀がそう思ったのも無理ない」と、かなり見くびって油断していた。参戦者は一様に「負けたとは思わない」と語っている。

 外人は日本兵士の銃剣による刺殺と日本刀に非常な恐怖を抱いており、砲弾で日本兵の進出を防いだ。「我銃剣突撃には絶大なる恐怖心を持ちあるものの如く、我にして巧みに敵の不意に乗じ突撃するか、側背に進出せば悲鳴をあげて潰走するを常とす」(歩72戦闘詳報)。白兵戦は日本の一戦力だった。後にソ連も銃剣術を採用した。

 日本の公刊戦史は例外で、外国の公刊戦史は常に勝利の栄光のみを記し、損害や敗戦の実情などは書かないものであるから、ソ連の公刊戦史をそのまま信用するのは危険である。

ノモンハン事件6・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・露、大戦の歴史見直しを拒否
『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)
『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)


●詳細記事
ノモンハン事件1・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年−ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1580.html
ノモンハン事件2・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年−ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1579.html
ノモンハン事件3・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だ・『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・第2次大戦見直しに反発=ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1578.html
ノモンハン事件4・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年−ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1576.html
ノモンハン事件5・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・第2次大戦見直しに反発=ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1575.html
ノモンハン事件6・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・露、大戦の歴史見直しを拒否
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1574.html
ノモンハン事件7・少数の日本軍・バルト三国とソ連の不可侵条約締結・三国軍事同盟とノモンハン事件・『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1573.html











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テレビ朝日「杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官」はウソ
テロ朝「杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官」

フェイクニュース(虚偽報道)!


日本は、東条英機や松岡洋右が中心となって国家ぐるみでユダヤ人を救出した!

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20180114-00000030-ann-pol
“命のビザ”杉原千畝の記念館を安倍総理が視察
1/14(日) 23:16配信 テレ朝 news

 ヨーロッパを歴訪中の安倍総理大臣は、戦時中に多くのユダヤ人を救った「命のビザ」で知られる外交官・杉原千畝の記念館を視察しました。

 安倍総理大臣:「世界中で杉原さんの勇気ある人道的行動は高く評価されています。同じ日本人として本当に誇りに思います」

 安倍総理は昭恵夫人とともに記念館を訪れ、地元の子どもたちから歓迎を受けました。杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官で、約6000人の命を救ったとされています。安倍総理はこの後、4番目の訪問国であるブルガリアで首脳会談などに臨みます。


>杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官で、約6000人の命を救ったとされています。


杉原千畝もユダヤ人救出に貢献した一人であることは事実だが、テロ朝の「ユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した」という記事は事実に反するフェイクニュースだ!

なぜならば、当時の日本政府・外務省は、ユダヤ人避難民への通過ヴィザ(ビザ)発給を禁じてはいなかったからだ。

事実を述べると、当時の日本は東条英機松岡洋右をはじめとして国家ぐるみで、一貫してユダヤ人難民を救出した!

ナチスに迫害されたユダヤ人を救出した最大の功労者【救世主】東条英機松岡洋右だったが、左記の2人は戦後にいわゆる「A級戦犯」とされたために歴史が偽造されたものと考えられる。

東条英機 東京裁判
東条英機

松岡洋右
松岡洋右

所謂「A級戦犯」とされた東条英機松岡洋右を始めとして日本が国家ぐるみでユダヤ人の人道的救済をしたという事実は、戦勝国にとっては不都合な事実なので封印されてしまっているのだ。

ちなみに、今回、安倍首相が杉原千畝記念館を訪問しただけで、韓国はイチャモンを付けている。

http://japanese.joins.com/article/527/237527.html?servcode=A00§code=A10
安倍首相、「日本人シンドラー」杉原千畝記念館を訪ねて「誇りに思う」…日本の過去史は?
2018年01月15日15時06分 中央日報日本語版
安倍首相、「日本人シンドラー」杉原千畝記念館を訪ねて「誇りに思う」…日本の過去史は?

安倍首相が在リトアニア日本総領事記念館を訪ねて故杉原千畝元在リトアニア日本総領事を「日本人として誇り」と話したことを受け、韓国メディアが批判の声を出している。

韓国日刊紙「アジア経済」は15日、リトアニアを訪問している安倍首相が14日(現地時間)、「日本人シンドラーリスト」と呼ばれる故杉原千畝元在リトアニア日本総領事記念館を訪ねたとし、「戦犯国家の過去史にも直視できない安倍首相がドイツ政権のユダヤ人虐殺に対抗した日本人を賛えるのは二重的という指摘も出ている」と報じた。

(以下略)


話を史実の説明に戻す。

日本政府・外務省(有田八郎外相及び松岡洋右外相)は、杉原千畝が勤務する在リトアニア(カウナス)領事館を含む全欧州の在外公館に対し、通過ヴィザ発給に際して守るべき大原則を厳格に指示はしていたが、避難民へのヴィザ大量発給を訓令違反と見做したことも断じてない。

そもそも、外務省のノンキャリア組の職員で、小国のリトアニア領事館でも、副領事(領事代理)に過ぎなかった杉原千畝に、外務省の訓令に違反してユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給するほどの権限はなかった。

有りえないことが、仮に外務省のノンキャリア職員だった副領事(領事代理)の杉原千畝が、日本政府・外務省の訓令に違反し、独断でユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続け、難民をシベリア鉄道経由で日本の港湾に殺到させたとしたら、外務省は間違いなく杉原千畝を即刻懲戒免職にしたはずだ。

しかし、実際には、杉原千畝は、戦後まで外務省職員として懲罰無しで勤務を続けた。

http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/Sugihara_b.jpg
――――――――――
【杉原千畝氏の略歴】
明治33(1900) 
  岐阜県加茂郡八百津町に生まれる
大正 8(1919)年
  早稲田大学高等師範部英語科予科終了 英語科本科入学
  外務省留学生試験合格 外務省入省
  外務省ロシア語留学生として満洲ハルビンへ
(中略)
昭和12(1937)年
  二等通訳官として在フィンランド公使館勤務
昭和14(1939)年
  副領事(領事代理)として在リトアニア領事館勤務
昭和15(1940)年
  日本経由で第三国に渡航目的のユダヤ人難民に通過査証発給

  在プラハ(プラーグ)総領事館勤務(総領事代理)
昭和16(1941)年
  在ケーニヒスベルク総領事館勤務(総領事代理)
  一等通訳官として在ルーマニア公使館勤務
昭和18(1943)年
  三等書記官として在ルーマニア公使館勤務
昭和22(1947)年
  帰国 外務省退職
――――――――――



杉原千畝は、37歳で二等通訳官、39歳で副領事(領事代理)、41歳で一等通訳官、46歳で3等書記官となった。

ノンキャリア職員で40歳の副領事が、政府の訓令に背いて勝手にユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続けることなど不可能だし、やったら即刻懲戒処分にされていた。

杉原千畝が戦後になって日本に帰国後、外務省を退職したのは、ユダヤ人避難民に通過ヴィザを発給したからではなく、大東亜戦争の敗戦によって日本が占領下で外交権を失い、外交官の仕事はなくなり、外務省職員が大量にリストラされたからだ。

では、当時の日本政府・外務省のユダヤ人避難民に係る訓令(通達)などは、どのようになっていたのか?

松岡洋右外務大臣が来栖三郎駐独大使に宛てた、昭和15(1940)年7月23日付「猶太(ユダヤ)避難民二対スル通過査証取扱方注意ノ件」と題した訓令は、次のとおり。

最近欧州方面ヨリ本邦経由米国大陸諸国渡航ノ猶太避難民多数アリ 現ニ日本郵船伯林支店ニテ之等避難民ノ本邦米国間ノ輸送ヲ引受ケタル者ノミニテモ六百名ニ上リ(中略)之等ノ者ニ対シテハ行先国ノ入国許可手続ヲ完了セシ者ニ非サレハ通過査証ヲ輿ヘサル様取扱方御注意アリタシ
最近、ヨーロッパから日本経由でアメリカ大陸へ渡航するユダヤ人が多数おり、日本郵船ベルリン支店が引き受けたユダヤ人避難民だけでも600名にも上ったが、これら避難民に対する日本通過ヴィザは、行先となるアメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了していない者については発給しないように取扱いに注意しろ

つまり、当時の日本政府・外務省(松岡洋右外相)は、アメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了しているユダヤ人避難民については、日本通過ヴィザの発給を許可していたのだ。

「行先(最終目的地)の入国許可手続を完了していない者には通過ヴィザを発給するな」という訓令は、当たり前過ぎるほど当たり前の訓令だ。

平成27年(2015年)に上映された映画「杉原千畝 スギハラチウネ」などで「真実」とする【日本政府・外務省は、同盟国ナチス・ドイツへの配慮からユダヤ人避難民へのヴィザ発給を禁止していた】というのは、悪意に満ちた反日プロパガンダ(虚偽の物語)だ。

日本政府は、行先(最終目的地)の入国許可手続を完了したユダヤ人避難民には日本通過ヴィザを発給していたのであり、杉原千畝が通過ヴィザを発給したことは政府・外務省の指示に従った領事館の副領事の業務に過ぎなかった。

実際に、松岡洋右外務大臣からのユダヤ人難民に係る訓令(通達)に対して、在リトアニア領事館の副領事だった杉原千畝は「日本政府が条件とした手続き未了の避難民についてはウラジオストクで乗船を拒否してください」と意見を具申していた!

当国避難民中ニハ近クニ中南米代表ナキト当館ノ引揚切迫ヲ見越シ先ツ現在唯一ノ通過国タル我査証方願出ル者アリ而モ我査証ハ蘇側ニ於テモ米国方面出国手続上ノ絶対条件トナシ居ル等事情斟酌ニ値スルモノアルニ鑑ミ 確実ナル紹介アル者ニ限リ浦塩乗船迄ニ行先国上陸許可取付方本邦以遠ノ乗船券予約方並ニ携帯金ニ付テハ極端ナル為替管理ノ為在外資金ヲ本邦へ転送方手配スル場合敦賀ニ予報方手配方夫々必要ノ次第ヲ承知スル旨申告セシメタル上右実行ヲ条件トシテ査証シ居ルニ付右手続未了ノモノニ関シテハ至急浦塩ニ於テ乗船拒絶方御取計アリタシ
リトアニアの避難民の中には、近辺に中南米諸国の大使館や領事館がないとし、日本の領事館もリトアニアからの引き揚げが切迫していることを見越して唯一通過する日本のヴィザを願い出る者があり、しかもソ連としても米国方面への出国手続きを絶対条件としているなどの事情斟酌を考慮し、確実な身元紹介がある者に限って、ウラジオストクでの乗船までに行先国の上陸許可を取り付け、しかも日本以遠の乗船券を予約し、所持金については極端な為替管理のため、海外資金を日本へ送金手配する場合、敦賀にも予め手配する必要があることを承知すると申告して実行することを条件として通過ヴィザを発給しており、この手続を完了していない者についてはウラジオストクにて日本行きの乗船を拒絶するように取り計らって頂きたい。


以上のとおり、当時の日本政府・外務省(松岡洋右外相)は、アメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了しているユダヤ人避難民については、日本通過ヴィザの発給を許可していた。

リトアニア領事館の副領事(領事代理)だった杉原千畝は、日本政府・外務省(松岡洋右外相)の訓令に従ってユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続けた。

日本政府が杉原千畝に対して「ユダヤ人避難民に通過ヴィザを発給するな」と命じていたとする映画「杉原千畝 スギハラチウネ」は、日本政府を悪者に仕立てあげるための「虚偽の物語」(反日プロパガンダ)だ!


http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/hqdefault_201512070522484a3.jpg
■動画
杉原美談を捏造するユダヤ、歴史をフィクションに書き換える在日・NHK
https://www.youtube.com/watch?v=5pDaEKFVa_I



【参考】
映画「杉原千畝スギハラチウネ」は、反日プロパガンダの改訂版だ!
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/57248877.html
杉原千畝を題材にしたウソ映画
http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20151204/1449210595
杉原千畝神話の虚実  
http://oira.sumera-ikusa.com/index.php?%BF%F9%B8%B6%C0%E9%C0%A6%BF%C0%CF%C3%A4%CE%B5%F5%BC%C2



また、日本としては、杉原千畝「命のビザ」を発給する2年前の1938年に、関東軍の東條英機参謀長樋口季一郎少将たちがドイツの抗議に逆らって大量のユダヤ人難民を救出していた!
http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/img_0_m_20151207060558bf7.jpg
東條英機 ……満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。

http://blog-imgs-83.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/150px-Higuchi_Kiichiro.jpg
樋口季一郎

日本は国家ぐるみで、一貫してユダヤ人難民を救出したというのが歴史の真実だ!

杉原千畝が日本政府に背いてユダヤ人避難民を救出したのではない。

ユダヤ人のマーヴィン・トケイヤーも、「我々ユダヤ人がもっとも感謝すべき人物は東條英機」と明言している!

ラビ・マーヴィン・トケイヤー
マーヴィン・トケイヤー
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7f7148f64ad2b9f3545a8fbe7705f58f
「ユダヤ製国家日本」 ラビ・マーヴィン・トケイヤー (著)
我々ユダヤ人がもっとも感謝すべき人物は東條英機


◆西洋諸国ではなく日本がユダヤ難民に扉を開いてくれた

関東軍司令部は昭和13年(1938年)1月に、「現下二於ケル対猶太民族施策要領」を定めていた。これは、東條参謀長が決裁したものであった。要領は日本がユダヤ人を差別しないことについて、「独逸其ノ他ノ列国二対シテハ我民族協和、八紘一宇ノ精神並二防共ノ大義二遵由スルヲ諒解セシメ誤解ナカラム」(第4項)と、述べていた。当時、日本とドイツは、防共協定を結んでいた。

東條と、樋口と、安江が2万人以上のユダヤ人難民を窮状から救ったのは、『日本のシンドラー』として有名になった、杉原千畝リトアニア駐在領事代理が首都のカウナスで昭和15年(1940年)7月から9月にかけて、『生命のビザ』を発行して、6000人以上のユダヤ人難民を救った、その2年以上も前のことである。

3人の日本軍将校と、杉原が、ユダヤ人を救った時には、アメリカや、イギリスをはじめとする諸国が、ユダヤ人難民に対して扉を閉じていた。もし、このころにこれらの西洋諸国がユダヤ人難民を受け入れていたとしたら、その後、数百万人のユダヤ人が、ナチスによって虐殺される運命から逃れることができたことだろう。ところが、日本は扉を開いたのだった。


◆ドイツの抗議を一蹴した東條

オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の『J』を示すゴム印が、押されていた。ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の『ダビデの星』の縫い取りをつけることを、義務づけていた。

難民たちはドイツから出国した時に、この屈辱的な縫い取りをいっせいにはぎ取って、捨てていた。すると、ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ、すぐに伝えられた。すると、東條参謀長は難民を受け入れたのは、「当然なる人道上いつしゆうの配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。

この時、東條参謀長が樋口に許可を与えなかったとすれば、ユダヤ人難民が救われることはなかった。

樋口は有能な軍人であり、その後、東京の参謀本部で部長などを歴任し、中将に昇進した。太平洋戦争の末期には、千島列島と北海道の防衡を担当する北部軍司令官となっていた。樋口がこのように軍人として順調に出世したのは、規則を忠実に守ったからだった。樋口がオトポールに殺到したユダヤ人難民を入境させるのに当たって、参謀長の許可を仰がないはずがなかった。

◆明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別の対象

日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。

日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。

サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で2万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か100人にみたなかった。

東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。

◆日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けてくれた!

日本は人種平等の原則に基づいて、ユダヤ民族を一貫して応援してきた。この記録は、日本の国の勲章である。

先の"バルフォア宣言"が発せられると、ベルサイユ講和会議で日本代表団の一員として加わっていた、珍田捨巳駐英大使が、「日本政府はユダヤ人が自分の国家をパレスチナに建設しようとするシオニストの願望を支持し、その要求が実現されることを望む」という書簡を発表している。

「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)


「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)

●関連記事
映画「杉原千畝」は嘘物語・「政府に背き」は嘘・日本政府はユダヤ人難民へのビザ発給を許可していた
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6048.html








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私は、12月5日の夜に代金を支払い、弊ブログのテンプレートを変更しました。

12月5日まではFC2の無料テンプレートを使用していたのですが、アップロード画像に制限があったり(既に約34%使用していた)、google等で検索した際に上位に表示され難かったり、サイトが削除され易かったりしたことなどから、有料テンプレート(月300円)に変更しました。

今回の変更により、私にとってはアップロードする画像が無制限となり、読者の皆様にとっても画像アップロードのギガ数増加によってブログの画像などが以前より早く表示されるようになったり、今後時間をかけて徐々にgoogle等で検索した際に弊ブログ記事が上位に表示されるようになっていくはずです。

また、有料テンプレートにすると、無料テンプレートに比べてサイト削除の可能性も低下するそうです。


ただ、12月5日の夜から12月7日の昼まで「人気ブログランキング」の登録情報を修正し忘れていました。

12月5日夜〜12月7日昼に新URLhttp://deliciousicecoffee.jp/)から「人気ブログランキング」をクリックして頂いたポイントは加算されず、12月7日昼以降は逆に旧URLからクリックして頂いたポイントは加算されなくなっています。

12月5日夜から人気ブログランキングのポイントが急に増えなくなったので不思議だったのですが、私が「人気ブログランキング」の登録情報を修正し忘れていたことが大きな原因でした。

皆様にも大変お手数おかけしますが、「お気に入り」「ブックマーク」などの弊ブログの登録URL(アドレス)を新URL(http://deliciousicecoffee.jp/)に変更するようにお願い申し上げます。

m(._.)m

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さて、本日12月7日(日本時間12月8日未明)は、真珠湾攻撃の日だ。

改めて、支那事変、真珠湾攻撃、大東亜戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えよう!



【支那事変→真珠湾攻撃→大東亜戦争】

1933年の「塘沽協定」によって完全決着した満州事変から4年後の1937年に始まった支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。

盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。

更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。

その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。


にもかかわらず、満州や支那での利権を狙っていたアメリカは、支那に対して金や武器を援助し、日本に対しては経済制裁を行った。
我々は十年一日の如く…日本に嫌がらせをした。

『アメリカ外交50年』ジョージ・ケナン著(1951年)


(1941年に米国が対日石油輸出を全面禁止する以前の)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。

P355
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)



「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは自然の理と云わねばならぬ」

「(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。

『昭和天皇独白録』文藝春秋


―――――
1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。

●1941年
4月15日、ルーズベルト大統領は米軍人にフライング・タイガースに自主的に志願するよう行政命令
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃

―――――
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1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ

当時の日本は、石油の殆どをアメリカからの輸入に頼っていた。

そのアメリカが日本への石油の輸出を禁止した。

アメリカ以外では、わずかにイギリスやオランダ(オランダ領インドネシア)などの輸入先があったが、アメリカががイギリスやオランダにも日本に石油を売らせないようにした。

当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。

だから、戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくと、日本はエネルギーや食糧などを輸入に頼ってはいけないのだ。

可能な限り自給率を高めることが重要だ。

エネルギーについては、原発をできるだけ早く再稼働させ、将来は海水や海藻からウランを採取し、電力の完全自給化を目指すべきだ。

また、食料自給率を大きく落とすTPPには絶対に参加してはならない。



そして、戦争というのは、軍事的バランスが崩れた時に起こる可能性が高い。

外国からの侵略に警戒し、情報管理をしっかりと行い、必要な防衛力を備えておけば、戦争は起こり難い。

戦前の日本にも、意外と平和主義者が多く、アメリカと比べて工業生産力や軍事力が大きく劣っていたために、アメリカやコミンテルンによって無理やり戦争に引きずり込まれた

――――――――――
小室直樹の『新戦争論』

1.平和主義者が戦争を引き起こす
(一部抜粋)
1−1.日本には今も昔も軍国主義者はいなかった
 戦前は軍国主義者が蔓延(はびこ)っていたために日本は無謀な戦争へ突入したと国民には信じられていますが、軍国主義者は戦前も戦後の現在においても登場していないと小室直樹は述べています。軍事的な話題がのぼるとすぐに軍国主義や憲法九条違反という論調となりますが、真の軍国主義はそのようなものではないのです。自国と敵国の優劣を判断し、戦争に勝つことを目的とした思考を指すとすれば、戦前も戦後にも国内には軍国主義者はいないのです。日本の軍国主義は偏った精神論に過ぎません。

 一方でアメリカの大学には軍事学部があり、軍事研究は大学生までもが行っています。日本は今でも軍事研究はタブーとされ、知らないことが戦争を起こさないことだという信仰にまでなっているのであると指摘しています。


――――――――――


また、アメリカが原爆の開発(保有)に成功したのに対して、日本は原爆の開発(保有)に成功しなかったために、日本はアメリカによって原爆を投下されてしまった。

当時日本が原爆を持っていれば、米国は日本に原爆を投下せず、日本に良い条件で早期に戦争は終わっていた。

――――――――――
「なぜ北の核に沈黙するのか」78ページ「諸君!」2003年1月号より

評論家の加瀬英明さんはかつて「トルーマン政権による原爆投下の決定に参画した」ジョン・マックロイさんにこう尋ねたそうです。

加瀬氏
「日本がもし原子爆弾を一発でも持っていて、アメリカのどこかに落とすことができたら、日本に核攻撃を加えたか」。


マックロイ氏
「もし、日本があの時に原爆を持っていたとしたら、使用することはありえなかった」

――――――――――




現在、日本が戦争相手として最も危惧する相手は、支那だ。

支那は、日本の領土について一方的に領有権を主張し、物凄い勢いで軍事力を増強し続けている。


以前は自衛隊が有利だったが、日本は防衛費を削減ばかりしてきた。

その結果、今では、支那軍が兵隊や兵器の物量では、日本を圧倒している。

支那の軍事予算は、既に日本の防衛関係予算の2倍以上だ!

しかも、支那の国防予算(軍事費)に、核ミサイルに係る費用は含まれていない!


日本の大都市に照準を定めている支那の核ミサイルの製造・運用コストは、支那の国防予算(軍事費)には含まれていないのだ。

信じ難いが、本当の話だ。

他にも支那は兵器購入金額や兵員コスト項目の多くを軍事予算から排除している。

例えば支那は、ロシアやイスラエルなどから毎年大量の兵器を購入しているが、これらのコストも軍事予算から排除されている。


したがって、支那の軍事費も、現在は20兆円以上と推測される。

この支那の国防予算(軍事費)は、5兆円未満の日本の防衛予算の4倍以上だ。

日本はあまり役に立たない兵器をアメリカの言い値で買わされているので、本当の日本の軍事費は支那の軍事費の10分の1ぐらいかもしれない。

日本の場合、GDPの0.9%以下しか防衛予算がなく、これほど自国民の生命・財産の保護に無責任な国家はない。

日本が支那との間に有る圧倒的軍事予算格差を埋めるためには、核武装が必要不可欠だ。




改めて言う。

支那事変から大東亜戦争までの歴史を学ぶと、今後の日本のあり方として、次の結論に至る。


1.食料やエネルギーやその他様々な資源をできる限り他国に依存せず、自給率を高めることが重要だ。(TPPには絶対に参加してはならない)

2.戦争というのは、日本がどれほど避けようとしても、避けられない場合があり、その場合に備えて、できるだけ防衛力を増強しておくことが重要だ。
特に、核攻撃をされないようにするため、日本も核武装することが重要だ。

3.支那人、米国人、ロシア人、そして朝鮮人などを絶対に信用してはいけない。









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【NHKスペシャル】「本土空襲」は日本の重慶爆撃のせいだ、と洗脳する内容に非難殺到。

――――――――――
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■動画
NHKスペシャル 170812 2017年8月12日 本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜
https://www.youtube.com/watch?v=esVrn4qiaok&t=17m25s

(17:25〜)

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■動画
本土空襲・全記録(by 2017.8.12 NHKスペシャル) 50:11 2017.8.12作成
https://www.youtube.com/watch?v=A6i72C4_rxk&t=17m25s

(17:25〜)

NHKのナレーション
ルメイ少将は、空襲(東京大空襲)の翌日、こう宣言しました。
「私は約束する。もしジャップがこの戦争を続ける気なら、奴らにはすべての都市が完全に破壊される未来しか待っていない。」


ルメイによる無差別爆撃が実行に移された背景には、何があったのか?
日本軍がそれまでに中国で行った爆撃。
1938年から日本は当時国民政府の臨時首都だった重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。
焼夷弾を使った攻撃で10,000人以上が犠牲になりました。

都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。
日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。

――――――――――


>NHK
>ルメイによる無差別爆撃が実行に移された背景には、何があったのか?
>日本軍がそれまでに中国で行った爆撃。
>1938年から日本は当時国民政府の臨時首都だった重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。
>焼夷弾を使った攻撃で10,000人以上が犠牲になりました。
>都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。
>日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。



8月12日放送のNHKスペシャル「本土空襲 全記録」は、アメリカが日本の民間人を大虐殺したというアメリカの戦争犯罪を特集するものだと思っていたので油断して生放送を見なかった。

ところが、NHKは、アメリカによる戦争犯罪である日本本土の都市への無差別空襲についてのNスぺの中に、日本軍による重慶爆撃についての悪質な大嘘説明を挿入して日本批判していた !

油断も隙もあったもんじゃない!

NHKは「重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。焼夷弾を使った攻撃で10,000人以上が犠牲になりました。」と放送したが、10,000人以上の犠牲者は日本軍が意図せざる誤爆や火災や防空壕の中での窒息死などによるものだ!

NHKは「都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。」と放送したが、完全な虚偽報道だ!

重慶爆撃は住民の殺害を目的とした無差別爆撃ではないし、支那軍が重慶市街に相当数の対空砲台などの軍事施設を置いた割には犠牲者数は驚くほど少なかったし、この重慶爆撃が「日本本土の都市への無差別爆撃は当然だと見る空気があったアメリカにはあった」というNHKの主張についても全く根拠が示されていない!

上記は、アメリカによる日本への無差別爆撃(民間人大虐殺=戦争犯罪)を正当化するために後から考えられた出鱈目な言い訳に過ぎない。

これを如何にも真実であるかのようにナレーションで述べるNHKの洗脳工作は、極めて悪質だ


アメリカ軍による日本本土への空襲は、多くの場合、都市での一般住民の大量殺害を目的とされ、意図して民間人大虐殺が行われた!

例えば、東京大空襲は、B29の先発部隊が40平方キロメートルの周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して猛火の壁を作ってその中に東京の住民を閉じ込めて逃げられないようにした後、その円の外側から内側を塗りつぶすように約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され、逃げ惑う市民には超低空のB−29から機銃掃射を浴びせられた!

その結果、一晩にして約10万人の犠牲者が出た。


一方、日本軍による重慶爆撃は、飽くまで支那軍や支那軍の軍事施設を目的に行われた。

重慶爆撃が飽くまで支那軍や支那軍の軍事施設を目的に行われたため、犠牲者は1939年から1943年の約5年間で僅かに1万1889人だった!

重慶で1万1889人が巻き添えになって犠牲になってしまった最大の要因は、支那軍が市街地に防空砲などの軍事施設をおいていたことだった!

約5年間で1万1889人という犠牲者数は、支那軍が市街地の市民居住区に多数の軍事施設をおいていた割りには、非常に少ない!


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カール・クロウ(Carl Crow、1884年 - 1945年)
カール・クロウ(1884〜1945)という反日で支那と親密な米国人ジャーナリストがいた。

当時、いわゆる「21か条要求」(21か条要求に係る詳細記事を最初にスクープしたとほざいていた奴だ。

このカール・クロウは、大東亜戦争中に、いわゆる「ビルマロード」を通って、重慶に何度も取材に出掛けている。

その反日米国人のカール・クロウは、その重慶取材のことを『China takes her place』(1944年)という本に書いており、それには【The city has suffered many air raids but with remarkably small loss of life】(重慶は多くの空爆を受けたが、人命が失われることは驚くほど少なかった)と記述している!
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反日親支の米国人ジャーナリストが「日本軍は重慶を多く爆撃したが、人命が失われることは驚くほど少なかった」と明記(証言)しているのだから、日本軍による重慶爆撃が米軍による日本本土空襲や原爆投下とは目的も結果も全く異なることを証明している!

このカール・クロウについては、田中秀雄氏が『正論』2011年10月号〜11月号に連載している。



1939年から1943年の約5年間で僅かに1万1889人だった重慶爆撃の犠牲者についても、全て日本軍の意図せざる誤爆、火災、防空壕の中での圧死や窒息死などによるものだ!

5年間に発生した1万1889人の犠牲者のうち、まず、1939年5月の2日間で3991人の犠牲者が出たが、この直接的な原因は日本軍の意図せざる火災であり、爆撃は間接的な原因だった。

次に、1941年6月5日には、「重慶防空洞惨案」、「6・5大隧道惨案」、「六五大トンネル事件」などと呼ばれる特殊な事件(国民党兵士が防空壕に鍵をかけて「毒ガス投下」デマが流れたので防空壕の中で多数の民間人が圧死や窒息死した)が発生して約2500人〜4000人が犠牲となった。

http://blog-imgs-110.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/chongqing_anti_cavity_102.jpg
重慶市の『6・5隧道惨案旧跡』

http://blog-imgs-110.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/chongqing_anti_cavity_103.jpg
1938〜1943年 重慶に日本軍の空爆があり『行了五年野蛮空襲』
1941年6月5日の晩、5時間にわたる“疲労”爆撃 防空洞に避難した住民のうち、約2500人が窒息死します
『6・5大隧道惨案』と呼ばれる事件です。

http://hinode.8718.jp/chongqing_anti_cavity.html
重慶防空洞惨案 1941年6月5日

重慶市の防空壕は、主に日中戦争期に作られた。蒋介石が率いる国民党政府が首都の南京を脱出し、最終的に首都機能を重慶に移したため、日本軍は1938年から43年にかけて、重慶市爆撃を実施した。

日本軍は政府・軍施設を攻撃目標にしていたが、当時は「ピンポイント爆撃」などがおよそ不可能で、市民や民間施設に大きな被害を出した。国民党兵士が防空壕に鍵をかけて避難した人を10時間以上閉じ込めたため、約1万人が窒息死するなどの「間接的な大量死事件」もしばしば発生した(1941年6月5日)

中国国民党兵士が防空壕に鍵をかけた為に、一般市民の、1151人の子供を含む9992人が亡くなった。

http://blog-imgs-110.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/chongqing_anti_cavity_101.jpg
重慶の町の中心部 銀行の前に地下鉄の入口の様に、入口が有ります。

https://mokuou.blogspot.jp/2011/07/1619416110.html?m=0
昭和16年(1941)6月1日〜10日 重慶爆撃 重慶隧道大惨案

6月5日
・重慶隧道大惨案。

夜、日本軍機による3波の夜襲。防空洞内大量窒息死事件、数千人(2,500)死亡。

国民党政府「大隧道窒息事件審査報告書」。
「当日、この随道に避難してきた人は、普段と比べ極めて多かった。なかでも婦人と子供の数が普段より多く、また避難者の荷物が多かったのも特徴である」
較場口隠道の最大定員は6555人であるが、少なく見積もっても倍以上の避難民を収容と推定。
押し合いへし合いの状況の下、出入り口の泥濘が靴や草鞋に付いて持ち込まれたため、滑り易く足元を踏ん張るのが覚束なくなる。
更に、換気用通風機が故障。毒ガス投下に、出入り口付近の人々は奥へ奥へと詰める。

犠牲者数はいまなお不明。
当局の調査委員会は、死者992人と発表するが、当時でもこの数字は信用されず。

カール・マイダンスの写真(十八悌口脇の石段に折り重なって倒れた男女、子供の姿)によって空襲下の悲惨事を世界に伝えた「ライフ」は、「重慶市民四千人、空襲下の防空洞で窒息死」の見出で報じる。





【重慶爆撃の真実】

日本軍による重慶爆撃は、支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による日本への爆撃(東京大空襲などの都市空爆、原爆投下など)とは全く異なる。
―――――――
支那軍は、重慶市街地に防空砲などの軍事施設をおいていた。
昭和14年(1939年)5月25日の戦闘記録には次のとおり記述されている。
「この戦闘において挑戦してきた敵の4機のうち1機を撃墜したるも、市街の周辺特に江岸外人住宅付近より猛烈なる高角砲及び大型機銃の猛射を受け、わが1機もついに敵弾を受け、勇敢にも敵陣に突入して自爆した
―――――――
1938年から始まった重慶爆撃は当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたのですが、重慶市街にも相当数の支那軍側の対空砲台があり、そのため日本軍の被害も増大する状況となったので、1940年6月頃になって作戦指導部は市街地域の徹底した爆撃を決意しました(海軍航空隊・巌谷二三男氏、陸軍航空隊独立第一八中隊・河内山譲氏の証言)。
―――――――


上記の証言以外の日本兵の証言の中には「絨毯爆撃」という言葉が用いられたりしているが、我々が東京大空襲などでイメージする絨毯爆撃とは実態は違っている。

重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)によると、犠牲者は、1939年から1943年の約5年間で1万1889人だ。

そのうち、1939年5月の2日間で3991人の犠牲者が出たが、この直接的な原因は火災であり、爆撃は間接的な原因だった。

また、1941年6月5日には、国民党兵士が防空壕に多数の住民を閉じ込めて鍵をかけ、「毒ガス投下」デマが流れたので防空壕の中で圧死や窒息死した「重慶防空洞惨案」、「6・5大隧道惨案」、「六五大トンネル事件」などと呼ばれる特殊な事件が発生して約2500人〜4000人が犠牲となった。

東京大空襲は一晩で10万人を殺害したのだから、同じ時代に5年間で約1万人という犠牲者数は、重慶爆撃が無差別爆撃ではなかった証拠となる。

重慶を何度も取材した反日親支の米国人ジャーナリストのカール・クロウも「日本軍は重慶を多く爆撃したが、人命が失われることは驚くほど少なかった」と明言している。

1940年後半から、日本軍が、支那軍の対空砲火陣地だけではなく、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃をしたことは事実だろうが、それ以上の爆弾投下は爆弾等の物資の無駄遣いとなる。

だから、支那軍が上海で行った故意にホテルやデパートを狙った爆撃や、米軍が行った東京などの住宅地への焼夷弾による絨毯爆撃や、広島・長崎への原爆投下などと同列にするのが間違いで、それは5年間で1万人強という重慶爆撃の犠牲者の少なさが証明している。

南京戦の前にも後にも提出した日本政府の和平案を蹴って重慶に逃げ込み、その重慶の市街地から対空砲火で日本軍機を攻撃したのだから仕方がないのだ。

最初から民間人密集地を狙った支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による原爆投下や東京大空襲とはまったく異なる。

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日本人大量無差別虐殺を指揮した鬼畜Rumei と MacArthur

なお、昭和19年(1944年)7月、ルメイ少将は第20爆撃集団指令となり、重慶を根拠地としたB29爆撃機による支那内の日本軍基地及び攻撃可能圏内にある北九州の軍需工場爆撃を指揮した。

ルメイが考えたのは、限られた軍事目標ではなく、都市の主要区域全体を対象にして焼夷弾を絨毯爆撃でばらまき、文字通り無差別に徹底的に焼き払うという作戦だった。

1944年12月18日、支那軍は、米軍のB24を主体とするシェンノートの第14航空軍と合同で、支那の漢口に対して3時間に亘る十数回の波状攻撃で、500トンの焼夷弾を租界など市街地に投下した。

漢口は灰燼に帰し、殺害された住民は数万に上った。




【重慶爆撃のまとめ】

1.支那軍が対空砲台を市街地に設置していた。

2.1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。

3.1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)

4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は非常に少なかった。

5.重慶を何度も取材した反日親支の米国人ジャーナリストのカール・クロウが「日本軍は重慶を多く爆撃したが、人命が失われることは驚くほど少なかった」と明言している。

6.1939年から1943年の約5年間で僅かに1万1889人だった重慶爆撃の犠牲者も、全て日本軍の意図せざる誤爆、火災、防空壕の中での圧死や窒息死「6・5大隧道惨案」などによるものだ。

7.NHKは平成29年8月12日に「日本の重慶爆撃は都市に継続的な無差別爆撃した史上初の例!だから米国は日本中を空襲した」と放送したが、視聴者を洗脳するための悪質な大嘘であり、根拠も全く示さない。


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https://twitter.com/CatNewsAgency/status/896568852472938496
CatNA‏
@CatNewsAgency
NHKスペシャル「本土空襲」
アメリカが大量虐殺を決断したのは日本の重慶爆撃のせいだ、と洗脳する内容。
日本が悪いことをしたのが諸悪の根源、とする単純な歴史観を拡大再生産し続けるNHK。
憲法さえ守っていれば平和を維持できるという9条教徒が誕生する原因がここにある。

(動画)
12:07 - 2017年8月13日









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