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脳出血から復活を目指している男の日記−第二章−

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ここでブログを開設したのは、もう今から10年以上も前の
西暦2008年11月14日(金)でした。

途中で脳の病気をしましたが、金曜日に開設したという事は記憶に残っています。
翌日が親友の誕生日だったし、坂本龍馬の誕生日でもあり命日でもある日の前日の金曜日。

たしか開設時間は午後1時台だったかな・・・

それから十有余年・・・
いろいろな事があった。
親しい後輩の突然の死。
そして自身が脳出血を起こしたり、母の逝去。
そして祖母の逝去と従弟の逝去。
なんだか良くない事ばかりですが、
人の生き死には重大事項なので、よく覚えています。

最初にコメントをくれたのは、以前派遣で働いていた男の人です。
その人が辞める時に、ヤフーでブログをやっているんで・・・
と紹介されて、この世界に足を踏み入れました。
上記で述べているように、亡くなってしまった親しい後輩もヤフーブログを開設していました。


最初は日記帳的な感じではじまったこのブログですが、
段々と趣味の競馬だったり、高校時代の友人と良く会社帰りに行っていた映画の話だったり・・・
今は、一人で毎週末に映画を観る位の趣味にまで発展しました。

そしてここのブログの常連さんからの情報がきっかけで、
100名城にもハマッたりと、趣味の幅は完全に広がりましたね。


実働仕事は、開設当初の方が忙しかったですが、
最近は管理面での仕事がどうしていいのかわからずに、
ブログを書いたりするのはだいたい自宅。
そして予約投稿!
そういう記事は大抵、その日と同時間に予約設定をしていました。
中にはあえて違う時間にしたのもありましたが、気がつきましたかね?


現在はヤフーブログ終了を後一日と残すところとなり、
この記事が最終回となります。
過去のコメント数をみると、「にこにこくん」や「つおし」サン等の名前がまだあり、
現在も必死に頑張っっているのが見てとれます。

ここらも昔はもっとたくさんの出ては消えした仲間達の痕跡がありました。
実は本日は休日出勤でして、さほど急ぎの業務も無い?ので、
今は職場でこの最終回の記事を書いております。

あまり長くなっても誰も読まないかもしれませんし、
この辺で終幕に入りたいと思います。

平成の終わりとともにブログを卒業しようと考えていた私ですが、
そんな矢先にヤフーブログが自ら幕引き・・みたいな感じになり、
急遽続行を決めました。
そしてブログ更新不可になる8月は、31日連続で34の記事を投稿しました。
9月1日でコメントの書き込み等もでくなくなるので、
本記事へのコメントはお早めにお願い致します。

ちなみに私は明日、新潟の上越方面に城攻めに行く計画を立てております(苦笑)
だけど必ず、コメントのレスポンスはするつもりです!

ここまで何人の方が読んでくれているか、わかりはしませんが実に有意義でした!
そして有意義な時間をくれた様々な方々へ、感謝の念でいっぱいです!
この記事をアップするとともに11年かけた一つの仕事がようやく一息つく感じでもあります。


とりあえずこのブログは、日記帳的な感じではじめましたので、
どこかに残したいと思っています。
なので12月15日までの期間でどこかに移行しようとは考えています。
どこに移行するかは、まだ全然考えていません。
多分2択か3択だとは思うのですが・・・

そしてそこでブログはとりあえず開設する予定でもあります。
ただコメントを打ってくれる皆様があってのモチベーションですので、
あまり流行らないようだと、そのままフェードアウトする可能性も高いと思います。

いろいろと皆様のご指導ご鞭撻により、現在の私が存在すると考えております。
本当にありがとうございました。
そしてお世話になりました。

また電脳の世界でお会いできたら、本当にうれしく思います。




令和元年8月31日(土)
長〜い夏休みの果てに・・・

午前の8時30分に平成最後の10年のベストレースを選択しました!

ちなみに・・
平成元年〜10年までの10年間のベストレース第1位が、
平成5年のG2アメリカジョッキークラブカップ」優勝馬ホワイトストーン

そして平成2期目の10年間が、
平成11年のG1「有馬記念」の覇者グラスワンダー

最後に平成最期を締めくくる平成3期目の10年が、
平成25年のG1「有馬記念」優勝馬オルフェーヴルでした。

G1はがりでなく、G2やG3なんかも選出できたのが良かったと思います。
G3からは、ヒシアマゾンが勝ったクリスタルカップや、
アグネスタキオンが勝ったラジオたんぱ杯3歳ステークスなんかも選出されたりしてました。

G2からは、上記に載っているホワイトストーンのAJCCや、
サイレンススズカの勝った毎日王冠なども選出されています。

それらの過去10年ずつを代表するベストレースが上記の3レースなんです!

その中から私的な平成の最高のレースはこれだ!
と思うものを決定しました!

まず第3位は、
平成25年のG1「有馬記念」勝ち馬オルフェーヴルです。

イメージ 1


やっぱり古いレースの方が、思い入れがあるんでしょうかね?
一番新しめのレースから3位に選出されましたもんね(苦笑)




そして第2位は、
平成5年のG2「アメリカジョッキークラブカップ」
の勝ち馬ホワイトストーンです!

個人的には一番好きだと言って憚らなかった馬です。
ただ昨今の若い競馬ファン達が、この馬を知っているのかな?
などと若干の忖度もあったかもしれません・・(苦笑)

イメージ 2






そして栄えある平成のベストオブベストレースに認定されたのは
第1位の平成11年のG1「有馬記念」優勝馬グラスワンダーです!

イメージ 3


この頃は、毎年有馬記念は現地で見ていましたが、
本当にレース後のフィルムを見ても、
スペシャルウィークがほとんどの場面で先着しているのに、
ゴール前のその瞬間だけ、グラスワンダーの鼻先がグィッ!と伸びているんです!
とんでもない勝負根性ですよね、これを勝負根性と言わずして、何が勝負根性なのかわからんぐらいですよ。


最期なので、簡単に1位選出レースから選出してしまいましたが、
この年は、2位や3位も飛んでもないレースが満載で、
しょうがなく決まった1位の年よりも密度は濃いというような年もあります。

前2回の選出時には、私よりも競馬ファン歴の長い関西の先輩がいて、
関東者の私が生で見ている関東のレースが多くなるのはしかたがない・・・
などとコメントをくださったのは凄く嬉しいですね!
昔は関東対関西という構図でしたからね。
それが今は、いつ凱旋門賞馬が現れるか?といった感じですものね。
そろそろヤフーブログ終焉の日が刻一刻近づいてきました。
なので平成3期目の10年で最も心に残ったレースはどれか!?

ちなみに下記が平成21年以降の第1位に輝いたレースと勝ち馬です。
平成21年「皐月賞 G1」アンライバルド
平成22年「天皇賞・秋 G1」ブエナビスタ
平成23年「ドバイワールドカップ G1」ヴィクトワールピサ
平成24年「ジャパンカップ G1」ジェンティルドンナ
平成25年「有馬記念 G1」オルフェーヴル
平成26年「ドバイシーマクラシック G1」ジェンティルドンナ
平成27年「日本ダービー G1」ドゥラメンテ
平成28年「香港カップ G1」モーリス
平成29年「天皇賞・秋 G1」キタサンブラック
平成30年「ジャパンカップ G1」アーモンドアイ
平成31年「桜花賞 G1」グランアレグリア

こうして見てみると、国際レースの1位化が以前よりも明らかに増えてきましたね。
良い事だと思います。
令和の世の中になって凱旋門賞を獲る事ができるんでしょうかね?
その時、私は何をしているんだろうなぁ?


平成21年〜31年4月までの私的ベストレースの
第3位は・・・
平成23年の国際レース「ドバイワールドカップ」
優勝馬はヴィクトワールピサです!
ちなみに2着も日本馬トランセンド!
この時、東日本大震災ムードで暗く沈んだムードの日本に、
明るい話題を提供してくれたのが、日本馬2頭のワンツーフィニッシュです!
なでしこジャパンのワールドカップ制覇なんてーのもありました。

イメージ 1




そして第2位は、翌平成24年の
「ジャパンカップ」優勝馬はジェンティルドンナです!
3冠馬の先輩牡馬オルフェーヴルとの激闘を後輩牝馬である
3冠牝馬のジェンティルドンナが制したのを見て心が奮えました!

イメージ 2




そして栄えある第1位は、
翌平成25年の「有馬記念」優勝馬オルフェーヴル!
凱旋門賞2年連続2着など近年稀に見る強さを誇る馬だったと思います。
私が史上最強と長く考えているシンボリルドルフに匹敵する馬だとすら考えております。
その馬の引退レースで、この年の国内G1唯一の勝ち鞍!

イメージ 3


正直な所、1位と2位の序列は凄く迷いました。
がしかし、オルフェの方がジェンティよりも好きだし、
ジャパンカップでオルフェが負けた事に若干納得のいっていない自分がいるのも確かなので、
この序列にしました(笑)
「さよならリング」

まだ私が小学生だった40年前。
当時私が「リングにかけろ」で一番好きだったのが、
ドイツ軍団の参謀ヘルガである!

イメージ 1

画像の左側のメガネ君がヘルガである。
右側はドイツ軍団総統のスコルピオンである。
2人の友情はとてつもなく堅くて熱いです。


必殺技全盛期のジャンプの中で、
必殺技王と名乗ってもおかしくない車田正美の主要キャラの中で、
珍しく必殺技を持たないキャラがヘルガである!


そういえばサンデーで連載されていた「炎の転校生」の主要キャラである
高野さんも必殺技が無いのに一番好きだったなぁ・・・




そして「リンかけ」終了後17年も経って、
続編の「リンかけ2」の連載が開始される。
主人公は高嶺竜児のライバル剣崎順の息子である剣崎麟童!

この頃もヘルガは好きだったが、剣崎や石松のカッコ良さにも痺れていた。

ドイツ編でチーム戦を戦っていたんだけど、
剣崎麟童、志那虎伊織、河井響、影道嵐と男連中は
結局4人しか登場しなかった。
後1人は、女性の三条一菜。

ドイツ戦で河井響が死んだ時に、
元ジャンプだから、リンかけだから・・・
という事で、河井響は実は生きていて再登場するものだとばかり思っていた。
ところが本当に死んじゃったんだね、響君・・・

リンかけ2の登場人物で一番1世代に近い生き方をしていた
河井響が一番好きかな?

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これにて「リングにかけろ」記事も終了となります。
今までご声援ありがとうございました!
「リンかけ」の全25巻の記事を書き終えた時に、
次の記事は「花の慶次 −雲のかなたに−」を書くと宣言した!

ところが次のネタは「リンかけ2」となった。
ここで最後に「花の慶次 −雲のかなたに−」ネタを
一挙公開する!

私はコミックスではなくて、文庫本形式の本を持っているので、
その巻数での報告としたい。
そして◎◎編というのは個人的につけたので、
その点もよろしくお願いされたい。

☆第1巻〜第2巻
「傾奇者慶次・加賀出奔編」

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戦国時代。傾奇者と呼ばれた男がいた。
その男の名は「前田慶次郎利益」
滝川一益の従弟の滝川益氏の子で前田家に養子にやられた慶次。
滝川一益は織田軍団の一角で関東制圧を狙い、
北条勢と戦っていた。
まずは連載開始前の読み切りで掲載された滝川勢としての話。

そして信長亡き後の天下人として秀吉がちゃくちゃくと歩を進めている。
そんな時代だった。
その時前田利家の甥である前田慶次は加賀にいた。
これは加賀での前田慶次の章である。
そして佐々成政が前田勢の末森城を攻めてきた。
慶次は末森城救出の為、動く。
友の奥村助右衛門を救うために。

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佐々成政を追い払った後。
武田家のくのいちであった蛍との因縁、
そして蛍の師である甲斐の蝙蝠という忍びとの対決!
忍びの飛び加藤も現れる。
そして慶次の義父である前田利久の死。



☆第2巻〜第3巻
「秀吉お目見得編」

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千利休の息子・千道安とのもめごと。
秀吉暗殺計画の首謀者を挙げようと、
五奉行の一人である前田玄以が担当する。
徳川家康をも巻き込んでの大げんかに発展する。

そして慶次は秀吉とのお目見得をする事となる。
慶次は秀吉殺害を思いつくも、秀吉の機転でそれを回避する。



☆第3巻〜第5巻
「上杉友誼・風魔編」

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慶次は終生の友となる直江兼続と出会う!
七霧の男である岩兵衛は帝を守る男達の一人である。
北条家の忍びである風魔が、戦の火種として「おふう」を狙った。
それが慶次は気に食わない。
石田三成をも巻き込んでの大げんかとなる。
喧嘩相手は風魔の頭領・風魔小太郎!

その後助右衛門の妹と恋仲になった慶次は、
おまつ様の想いも知られ、
助右衛門に斬られる事になる。
加賀藩士とその家族のためともである慶次を斬ろとしたうのだが、
うまくいかなかった。
慶次はそれを知って死のうと思ったのだが、
助右衛門も死ぬつもりだったはずだ・・・



☆第5巻
「佐渡攻めの章」

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越後の大名・上杉景勝は佐渡を完全に平定するため乗り込んだ!
前田慶次もその戦に参戦!
上杉勢は慶次が囚人を兵にして戦う。



☆第6巻〜第7巻
「熱風!小田原陣の章」

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真田幸村を味方につけた前田慶次が、
猿飛佐助と邂逅したり。
北条勢の御由緒家の一人・大道寺政繁と決戦。
真田・前田・上杉連合軍が駆けつける。
慶次は伊達政宗と邂逅し、秀吉の元へ駆けつけるようにする。
そしてこの章最後の「百万石の酒」は圧巻であった!

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第7巻〜第8巻
「南海にかかる虹! 琉球の章」

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利休と南蛮人とのハーフ与四郎が現れる。
琉球の手を使う。
伴天連のカルロス!
彼らは布教を蓑に侵略しようとしているのだ。
与四郎はカルロスとの対決に敗北し死んだ。
与四郎の息子である与次郎と共に、琉球を目指す慶次達。
そして琉球になんとか流れ着いた慶次。
そこで与四郎の娘であり、与次郎の姉でもある利沙と出会う。



☆第8巻〜第10巻
「太陽の国首里那覇の章」

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利沙が那覇に連れ去られたので、取り返しに向かう慶次と火嘉宝山。
琉球王・尚寧が惚れた利沙、側近の猛虎親方はそれを成就させようと
慶次を亡き者にしようとした・・・
竜嶽親方は猛虎親方を撃ち、カルロスの生首を慶次に見せた!
真の敵は竜嶽親方であった!
結局部下の不始末は主である尚寧王が裁断した。



☆第10巻
「最終章 関ヶ原」

利沙を連れて帰国した慶次の前に現れたのは結城秀康。
徳川家康の次男であり、豊臣家に養子に出されもした。

そして秀吉は病気で死んだ・・
徳川家康は、上杉景勝に因縁をふっかけて、
大軍を率いて上杉討伐に向かった。
そこで大阪の石田三成が挙兵。
家康は福島正則と図って、全軍を石田討伐軍に転じさせ、
西へ向かった。
上杉の抑えとしては結城秀康を残して。

徳川と喧嘩できなくなったと知って、
上杉軍は隣接する最上軍と戦う事になる。
そして長谷堂城の戦いの最中に、石田方の敗北が伝わってきた。
そして前田慶次の戦歴で見事に光っている長谷堂城の戦いの殿軍が行われた!
長谷堂の戦いでも生き延びた慶次は、徳川と上杉の和平の使者をつとめる。
そして直江の請いを受けて、米沢で静かに暮らした。

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