独り言

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Baby in Car

Baby in Car

車の後ろとか目立つところに「Baby in Car」ってステッカーと言うかポップみたいなやつって結構走ってて見る、わたしゃ小さい子供が同乗しているから運転がたどたどしくなったり、急ブレーキを踏んだりするかもしれないから気を付けてねって言うことだと思っていたんだけど、とあるブログで見ていたら。

事故とかが起こったときに、幼児の同乗が見過ごされないためとか、アメリカでラッシュ緩和のため自家用車で乗り入れるときには2名以上で無いと駄目っていう地域で、小さい子は見えないから1人しか乗っていないと見えないように付けていたのが日本に伝わったとか書いてあった。

表示の意味は定かでは無いが、有る人にはこの「Baby in Car」が勲章のように見えるらしい、何でも子供をちゃんと生むことができたこと、その前段階としてパートナーと恋愛をしてカップルが成立していることなど、望まれて幸福な子であること等を称した勲章と言うか、勲章は人から貰うものだから自作で付けているチャンピオンベルトの様に見えるらしい。

ご当人は恋愛も出来ず、将来に渡っても家族を作れる希望など無い人間と称しておられたが、平たく言えば自分に出来そうにも無いことを達成した証が「Baby in Car」に見て取れるらしい、そして猛烈な嫌悪や憎悪を抱くと記されていた。

「Baby in Car」をつけている人からしたらそれは言い過ぎだろう、そこまでは考えすぎだろうって思ったんだが、しばし間をおいて考えてみると。

掲示板で見た事なのだが、意に反して堕胎をした女性がその産科で見る幸せそうな妊婦さんや、新生児に対して猛烈な怒りを覚え、我が身の惨めさに拍車をかけたみたいな意見があった、また望んでも懐妊せず不妊治療も奏効しない人が同じ様な思いを抱いてしまうことがあるそうな。

いずれにしても、「Baby in Car」のポップが憎しみを発しているわけではないし、幸せな妊婦さんや、新生児が不幸な人へ残酷なメッセージを送ってるわけではない、受け取る方が勝手に思ってるだけだなって考えると、遠い昔のことだけど自分にも有ったな。

自分に自信が無くって、特に運動には全く自信が無く結果も出せないものだから、運動会で自分より早く走るやつはみんな俺のことを馬鹿にしている気がした、親が高校野球を見ていたそのプレイを褒め称えるのを聞いても、自分の運動能力の低さをなじられてる様な気がしたし。
自分が劣ってると感じていることを目の前だ行われることや、他人のそのことに賞賛が与えられることなどが全て私を嘲り、貶め、軽蔑することに思えてたな。

私の親は何かに付けて私と他の子を比較して私に何か言うタイプだったからかも知れないな、自分は自分他人は他人じゃなくて他人と比べてこその自分みたいな感覚かな。

小学校高学年でも自転車に乗れなかった俺にとっては、近所の子が買って貰って乗ってた、高級感有る(ピカピカやたら光るやつ)自転車がその自転車に颯爽と乗ってる近所の子が無言で俺を責め立てたな。

「Baby in Car」や高級自転車がチャンピオンベルトだね。

イメージ 1
でも「Baby in Car」や高級自転車から何かが発信される訳じゃなく、結局は自分の自己否定の攻撃と言うか、自分で自分に射掛ける矢が、自分で討ってブーメランの様に自分に戻って自分に突き刺さる矢を自分で打ち続けてるんだよね。

恋愛できない自分は駄目だ!、子供持てない自分は駄目だ!運動できない自分は駄目だ!収入の少ない自分は駄目だ!……いろんな雄叫びを載せて矢を撃ってるんだろう。

その渦中にあった私もそのことに気付いていない、自分で自分を攻撃していることに気付かない、人のちょっとしたことにネガティブな思いを重ねて他人に責任を転嫁する事しかしなかったな。

自分が駄目だと、悪いとするんだけど責任は人に押し付ける、なにか矛盾してるけど、そういう思考に陥ってたし、今でも陥りやすいな。

自分に向いている矢の存在に幼い時は気付いていたというか確信して自分で撃っていたような覚えが有る、いつの間にやら自分の心に定例化してしまって、刷り込んでしまって分かり難くなってしまった、気付くのに長年を要したのも止むを得なかったのかな。

ネットでもリアルでも反応の過激な人は常に自分に矢を撃ち続けている人なのではないだろうかと思ったりする。

自分で自分に矢を撃ち続けている限り自分にも誰にもやさしくなんて出来ないんだろうと思う、酷い人になるともっと自分に矢を撃ってくれそうな人を求めたりもするのだろうな。

閉じる コメント(17)

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「Baby in Car」は、「スピードが出せないので注意」という意味かと思っていました。
確かにおっしゃる通りですね。
「自分で自分に矢を撃ち続けている」ことに気付かないと進歩はありませんね。

2007/8/28(火) 午後 6:02 凡人

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あのステッカーに不快感を通り越して敵意を感じる人は、そこそこいるようですね。掲示板で「見かけたら、追突してやろうか、と思う」なんて過激な意見までも見た事があります。
(うちは、夫がそういうのは好きではないと言う理由で、つけていません)
「自分とは違う幸せな人」を見て、腹ただしい思いをする事は、私自身にもありますが(私の場合、親と良い関係で孫も可愛がってもらっている人)、それはあくまでも、「こちらの心(事情)の問題」であり、「幸せそうにみえる人」にはなんの責任もない事なんですが・・・ここらをきっちりけじめつけれない人が、「ねたみからの苛め」をするのだと思います。
他人を苛めても、自分の幸せにはなんの関係もないんですけど・・・
姑・小姑コンビに、「再婚して楽しやがって」と苛められているので、こういうのは被害者としても他人事ではないですね。

2007/8/28(火) 午後 8:32 こみち

凡人さん始めまして、宜しくお願いします。
メッセージは受けての要素で大きく変ってしまうのですね、うちの嫁は運転をしないので、運転操作と赤ちゃんの関係の意味が考えることも無かったので、何故赤ちゃんが乗ってることを明示するのか、全く意味が分からなかった様です。
駐停車している車にこのメッセージがあったら、赤ちゃんほりっ放しで運転者が何処か行ってる合図だとか、とんでもない考えになる人もいたかも(そんなのはおらんかな?)
自分に撃つ矢、気が付くまでも大変かなと思ったりしますね。

2007/8/29(水) 午前 8:54 でんでんむし

こみちさん☆少なからずいるんですね、匿名性が有るから、心のうちを出しやすいネットのコミュニケーションならではかもしれませんが、哀しいですね。
>他人を苛めても、自分の幸せにはなんの関係もないんですけど・・・
それがそう考えられない人が多いのでしょうね、子供のときから競争ばかりのためか、自分が不遇なら他人も不遇や不幸で無ければ心のバランスが取れないみたい、まぁ自分もそういう傾向有りますからあまり偉そうに言えないですけどね。
人と較べる中で自分を見出すと言うことが駄目なんだろうと思います、自分は自分なのですからね。
こみちさんの様に理不尽な責めを受けるのも少なからず有るのでしょうね、大変ですね。
他人の不幸は蜜の味とか言いますね、だったら他人の幸せは苦渋でしかないのでしょうね、こうはなりたくないものです。

2007/8/29(水) 午前 9:02 でんでんむし

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「自分は自分」と思える人って、どんだけいるんだろう。
とても落ち着いた強い精神だと思います。
人間ゆえの悪しき感情はどうあがいてもふと顔を出しますよね。
大事なのは自覚の有無のような気がします。
「この感情は嫉妬だ」と自覚があれば、人間は醜い自分を曝すまいと感情を自制し
人の幸福を喜べる自分になりたい考える。
自覚のない人は、まるで正当な権限であるかのように嫉妬の害毒を振りまきます。

2007/8/30(木) 午前 8:06 [ soa*_*ild*ird ]

鴻さん ☆ 人の幸せを羨む、僻む、嫉妬する捨てようとしても私には中々捨てられない感情ですね。

長年他人の幸福を心から喜ぶ人間なんていないと思ってました、でもそうでないって気付いたと言うか目の前でそれと思えたときから、自分も無条件で人に祝福を与えられる様になれた気がします。

2007/8/31(金) 午後 0:42 でんでんむし

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不幸な状況にいると人の幸せを喜べないのかも知れません。
私もそうだったな。苦しくてしかたがなかった頃。
この人と私、何が違うの?私がどんな悪いことした?
何でこの人が持っていて当たり前のものを私は持ってないの?と悪しき感情にどっぷり浸かったりしました。
私の首をもっと〆るだけなんですけどね。
無い物を無い物として認められない。現実を認めたくない。受け入れたくない。
嫉妬の第一次感情はこれだったと思います。
無い物はないんだ、と認めたときから嫉妬の感情もなりを潜めました。

でんでんさんが、他者の幸福を喜んであげられるのは
心が安定して満ち足りているからかも知れません。

2007/8/31(金) 午後 1:45 [ soa*_*ild*ird ]

>無い物を無い物として認められない。現実を認めたくない。受け入れたくない。

私の好きな加藤諦三氏の著作の中に、自分が劣っていること、劣っているところを(自分がめけていることだったかな?)を認める様になってこそ、自分が見えるというか自分を受け入れられるみたない事が有りましたのを思い出しました(記憶があやふやで御免なさい)。


自分をありのままに見る、認めることが、無駄で苦しい虚飾や、背伸びを排し自分らしく生きるためのスタートなのでしょうね。

何が変っただけじゃない、少し気の持ち様を返れことが出来ただけで(長い時間がかかりましたけど)ずいぶんと楽になりました、自分に生じたよき事を心から喜んでくれる他人の存在にも気付ける様になりましたね。

満ち足りてるとは思いませんが、例えばこうしてコメントを入れているときも、幸せを感じることが出来ます、これは鴻さんのおかげですね。

2007/9/1(土) 午後 0:17 でんでんむし

幸せを感じる。

自分だけの自分にしか持てない幸せ(ここでこうして鴻さんにレスすることの幸せは、他人に理解してもらうことも不可能だろうし、その感情を他人の感情と比較することも出来ません)そう言った些細な幸福感の積み重ねが人生の幸せと考えられる様になったのが大きく影響していると思います。

まぁ相変らずちょっとしたことで悪感情は出てきますけど、かなりましにはなりましたね。

2007/9/1(土) 午後 0:18 でんでんむし

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劣っていることは充分認めているつもりなんだけどな〜。
もう嫌と言うほど自覚があるんだけどな。
劣っている自分を自覚しすぎて辛いのかな〜。よくわかりません。

ただこんな私も、解かれた呪縛があります。
楽しく当たり前のこと、幸せを感じて当たり前のことを
楽しい、幸せ、と思えるようになりましたね。
前は友人と出かけて楽しむのも「悪いことをしている」って気がして。
まるで自分が堕落した不道徳人間のような気がして落ち込んでました。
あの感情は何だったんだろうと分析しますと、やっぱり親の刷り込みでした。
お前は私を差し置いて楽しむな。遊びは堕落した人間がすること。
お前は親に感謝して、学校以外の時間を全て親に捧げ尽くせという
ありとあらゆるメッセージ。

でんでんさんと、色んなお話ができて嬉しいです。

2007/9/4(火) 午後 2:49 [ soa*_*ild*ird ]

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お前は私を差し置いて楽しむな>ああー。「子どもの幸せを願わない親」がここにも。
戦争・戦後経験者には、「私らの頃は・・・」と子どもの「楽さ」を恨めしく思う人も多いように感じますが、「自分が不幸なのに、娘が幸せになるのに腹が立つ」・・・「女として負ける」とでも思うのでしょうか?
母も、「あんただけ楽になって!」が口癖でしたね。前の結婚の時は生活苦だったのでまだマシでしたが(それでも父と暮さなくて良いのは幸せらしい。だったら離婚しろ。怒)、再婚して生活苦から逃れたら、もうダメダメですね。自分に援助するか別れるか・・・をぃをぃ(汗)
数ヶ月前に話す機会があったのですが、少し「相手の親族に困らされている」と言ったら「あら。あんたも不幸なんだね〜≧∇≦」と喜んでいました(苦笑)
子どもの頃から、「母を不幸にした私は、幸せになってはいけない」と思ってきましたが、子どもができると「母の不幸は子の迷惑」ですから、なんとか良くなりたいと思うようになりました。
それ以前に、この世に生まれた全ての子(私も含)に、幸せになる権利があるんです。
その事に気づくまでの時間・・・返してほしいかも。

2007/9/4(火) 午後 6:40 こみち

鴻さん ☆

>劣っている自分を自覚しすぎて辛いのかな〜

自分が負けている、劣っているそれを認めても自分は良いんだよ、オッケーなんだよってことですね。

自分は楽しんではいけない、自分が楽しむのは悪いこと、そういう考えに捉われている人結構多く有るみたいです、自分で認知できている人も少ないかもしれませんね。

多分私もどこかそういう思考が有ります、何をするにしても誰かの許可が無ければしては行けないって思い込んでたり、自分が楽しんでいることは絶対身近な人間は喜んでいないとか思い込んでましたね。

>色んなお話ができて嬉しいです。

ありがとうございます、私も嬉しいです。

2007/9/5(水) 午前 10:17 でんでんむし

こみちさん☆

>子どもの「楽さ」を恨めしく思う人

この辺は奥深くて難しい問題なんだろうと思います、と言うのはうんと昔ですが、家の嫁が(別に虐待とかは無縁の筈なのですが長女であったためか幼少の頃の不満は多少有ったのかな)家の娘の何かに対して、何かは忘れましたが。
自分が子どものときはこんなに良いことはして貰えなかったのに、自分の娘がこんなに大事にされるのが恨めしいとか腹立たしいとか、寂しそうに真顔で言ってることが有りました、娘本人にじゃ無いですよ、私にぼやきと言うか泣き言と言うか…。

家の嫁も何か問題が有るのかも知れませんが、当然娘の幸せを願っておりますし、愛情を持って娘と接してます、それでもそう言った思いが出てくるのだと、人間の業と言うか、引きずってる何かを見た気がしました。

戦争は日本人を全てPTSDにしたかもしれませんね、あまり大きすぎてどうにもならないのでしょうけど、戦争の傷は世代を超えて残っているのかも?

2007/9/5(水) 午前 10:32 でんでんむし

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こみちさん>虐待連鎖を考えるとき「戦争体験」は欠かせない要素ではないかと思うのです。
ある掲示板で書いたら叩かれまくってしまいましたけど(苦笑)
(戦中世代をひと括りにするつもりなど毛頭無い。)
実際私の母が、恵まれた新世代を妬ましく思っていたしな〜。
某掲示板に「娘に嫉妬する母親」の書き込みが実際にあるんですよね。

2007/9/5(水) 午後 3:44 [ soa*_*ild*ird ]

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>オッケーなんだよってことですね。

なるほど、ダメダメちゃんな私、だけどOK☆ までは至ってないな。(苦笑)

>許可が無ければしては行けないって思い込んでたり、
>自分が楽しんでいることは絶対身近な人間は喜んでいないとか

それそれ!それです!
親から離れてもしばらくこの呪縛から解かれなかった。
やっと、楽しいことを楽しいと思えるようになったから
少しは成長したかな (゚∀゚ノ)ノ ←お調子者

色んなことに気づかせてくださってありがとう。

2007/9/5(水) 午後 3:50 [ soa*_*ild*ird ]

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母<子供を愛して当たり前。<こんな思い込みあるかも知れませんね。
女<母性が備わってるのが当たり前よね、みたいな母性神話。
(母性は備わっているものではない、育つもの説を支持しています)

母もまた人間で、我が子に嫉妬するってことですね。

2007/9/5(水) 午後 3:57 [ soa*_*ild*ird ]

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「個人」に対してではなく、「世代」に対しての羨望はあるでしょうね。
簡単にいろんなものが手に入るようになった・家事や仕事が楽になった・・・
「いいわね〜最近若い子は〜私らのころは布オムツで洗濯も大変だったのに〜」と言う親世代は祖父母世代から「私らの頃は手洗いだったのに、洗濯機が洗ってくれるんだもんね」と言われた・・・程度は問題ないのでしょう。
でんでんさんの奥さんは、↑に加え、自分が「長子として特別に受けた厳しいしつけ・我慢」を子どもにさせたくないと努力した結果、のびのび育った我が子を見て、自分の幼少期を思うと切ないんでしょうね。
これは、かなり人が抱えていると思いますよ。
夫も、私に抱っこ抱っこ〜の息子を見て、自分は姑に抱っこされた事がないらしいので(2歳・4歳下に妹弟がいるので)切なくなり?「男らしくない!」と厳しく叱ったり、私に「マザコンになったらどうする!」と文句言ったりしますし。

2007/9/5(水) 午後 4:25 こみち


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