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電気屋版「人間の絆」
新しく、イタリアの紀行を元に短編小説に挑戦中

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防衛大学校の着工日は4月1日。
神戸からだと前泊で横須賀に泊まらないと着校時間に間に合わない。
つまり、移動時間を考えると3月30日が神戸で過ごす時間のタイムリミットだ。

父は金を払ってやるから運転免許証を取って来い。と言ってくれた。
早速、坊主頭の私は自動車教習場に通うことにした。
確かに無為に酒を飲み煙草を飲み、卒業後1ヶ月を過ごすより前向きなことである。

いざ教習を受けてみると、決して運動神経は悪いほうでは無いとは思っていたが。
左足でクラッチ。右足でブレーキとアクセル。左手でシフトギア操作。右手でハンドル。と全ての手足を使うのははじめての経験だ。
なかなか上手くいかなかった。
当時はオートマ専用のクラスは無かった。ミッションが当たり前だ。

終了検定で2回やり直しとなった。
一旦車を停止させ、1速にギアを入れていたつもりが何故か3速に入っていた。再発進の時にエンストというパターンだ。
しかし、卒業検定ではこのミスをクリアし、無事1回でOKとなった。

後は試験場に行ってペーパーテストを合格すれば無事、運転免許を獲得できる。
テストも無事クリアし何とか着校日までに免許証を手にすることが出来た。

しかし思い返せば卒業検定は危ういところであった。
というのも、マヨと二人で前日の夜、盛り上がりオールド・パーを二人で1本開け、更にビールをしこたま飲んでいた。
朝起きると吐き気が酷く、頭ガンガン。吐く息は恐ろしく酒臭い。
父に相談するとレモンをかじれ!と言われた。レモンを生で3個ほど平らげた。
卒業検定は昼の2時からであった。
何とかレモンのお陰で、お昼頃に酒の影響が少なくなり何とか卒業検定を受けれたのである。

今、思い出してもあの吐き気の酷さは人生に中で1位か2位を争うキツサであった。

あれ以来、私はスコッチ派であるが決してオールド・パーには手を出さない。
オールド・パーのラベルの爺さんを見てると今でも吐き気がしてくる。

第38話 高校卒業式

とうとうこの日がやってきた。
一緒に入学した19回生は昨年卒業した。
私は1年送れていよいよ、この学園から卒業する日を迎えた。
7年目にやっと手にする卒業証書。

この学園では卒業生一人一人に卒業証書が手渡される。
その間のBGMは毎年、ビバルディの四季である。
この曲をきくと、今でも高校の卒業式を思い出す。

昨年の卒業式から一人、これからも永久にこの卒業式に出れない人が居る。
園長である。
昨年の夏、急逝した。

卒業式で証書を手渡すとき園長は何か一言コメントを卒業生一人一人に送っていたように思う。
証書を手渡すとき園長の口元が動いているのを在校生時代ずっと見てきた。
そして園長から卒業証書を手渡される日をずっと夢見てきた。
園長が亡くなった今、到底かなえられぬ事実である。

卒様証書は学年主任の先生が手渡してくれた。

卒業式が終わり、最後のホームルーム。
そして謝恩会ということで、卒業の直前完成したとんがり屋根の学生会館に皆集まった。
飲み物はジュースだった。
我々は毎日ビールと酒をやっていた。
物足りなさ至極であった。

謝恩会が終わると、誰が指示をすることもなく我がクラスの級友たちは出された茶菓子を集めだした。
謝恩会2次会と言うことで我が家で飲む酒のつまみを確保するためであった。

そして我が家では毎日の定例風景が広がった。
皆、屈託無く堂々と酒を飲んでも、いよいよ「退学」の2文字から開放されたことを実感した。
しかし「退学」よりも「自己責任」のほうがよっぽどきつい事をこの時点で、誰もまだ知る事は無かった。

友達は皆、それぞれの志望に基づいて大学受験をしていく。
そんな日々。
いつの間にか我が家が皆の溜まり場と化していた。

試験の前日にふらっとやって来て適当に酒を飲み、肩の力を抜いて次の日試験に出かけていく。
ある者は試験が終わり、「あかん」とか「多分受かった」とか言いながら結果報告しにくる。
当然酒を飲む。
皆、坊主頭だ。
その坊主達が酒を飲んでいく。

我が家の酒は次々に無くなり、両親はせっせと酒の買い増しに行った。
私はそれにずーと付き合うので酒が抜ける日が無い。
いつもベロベロ。
息を吐くと酒臭い。

飲みすぎてトイレの便器を抱えるように吐いたことも数知れず。
私はすでに、防衛大学校に受かっていた。
だから何の気兼ねも無く飲めた。

しかし友人達が帰り一人になると「防衛大学校ってどんなとこだろう?」「やっていくことが出来るのだろうか?」不安ばかりが頭を過ぎった。
そうすると眠れなくなってくる。

致し方なく酒に手を伸ばした。
先程までたらふく飲んでいたのに。
次の日も、そして次の日も友人達が入れ替わり、立ち代りやってきた。

私は1ヶ月ほど飲んで、飲んで、また飲んで。という生活を送っていた。
来るべき防衛大学校での不安を誤魔化すために。

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自衛隊員を含め自衛隊関連の各種リクルートを行うのが地方連絡部だ。
略してチレンという。
チレン主催で、防衛大学校の合格者に対して、防衛大学校の説明会を行う旨、案内の葉書が届いた。
私は第一希望なので当然参加することにした。
出席者は30名程度。

まずは防衛大学校の紹介ビデオが上映された。
主人公は高校生。
お兄さんが防衛大学校に在籍しており、その兄の元を尋ね防衛大学校の理念から日々の生活までを尋ね、この主人公が防衛大学校に入る意思を固めるという、とってつけたような内容である。
我々には防衛大学校の情報は殆ど皆無に近い。

「そうなんだぁ」と思う反面、「くさぁ!」と思う内容も数知れず。
このブログでは私の目から見た、当時の生臭い日々を伝えたいな。とは思う。

さてチレンの説明会の話だ。

ビデオ上映が約40分。その後質疑応答となった。

この度合格者の中に、灘高校から防衛大学校に行きたいという変わり者がいた。
彼は本当に変わり者だった。
質疑応答ではひたすら射撃の話に拘った。

防衛大学校では「ダムダム弾は打てるのですか?」などなど。
私は「そんなに射撃をしたいのなら、米国でも行って金を払えばいくらでも撃たせてくれるで!、変な奴も居るんだな。」と思っていた。

彼は入学しやはり変だった。
学生舎の中でやたらナイフを研いでいた。と言う噂も聞く。
ただ、彼と同じ部屋になった事はないが、同じ2大隊だったのでこれ以上のコメントは差し控えようと思う。

第35話 登竜門

この学校では大学受験発表ごろになると5×20CMぐらいの半紙で「登竜門」という墨で書かれた札が全校生徒が嫌でも目に付いてしまう玄関前の窓のところにペラリと貼られる。
大学を受験し、合格した者がその大学名と名前を書かれるのである。

私は防衛大学校受験だったので当然皆より一番乗りで合格を決めていたはずである。
当然「登竜門」のお札の隣には、「防衛大学校 電気屋としき」と書かれ張り出される筈である。
ところが、ところがである!!!!

なんと先客が居たのである。
こんな大学聞いたことが無い!という大学だ。
合格者の名前を見た!

あいつ!と怒りがこみ上げてきた!
私は「登竜門」と書かれた札のすぐ横に私の名前が並ぶのを夢見ていたのである。
私は本命の大学だ!

そのポジシヨンを!
訳のわからん!どうせ行きもしない、すべり止めの大学の名が並ぶとは!
何たる屈辱!

この恨み決して忘れはしない!

と言いながら、同窓会で彼女と会ったら、きっと軽く「おう!」と言ってしまうであろう自分が情けない。

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