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電気屋版「人間の絆」
新しく、イタリアの紀行を元に短編小説に挑戦中

書庫根拠の無い自論

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先日、仕事で、神戸市内の私立6年間一貫校の座談会のPAをしてきた。
内容はその実績と苦労談、また目指す方向性に及んだ。
私は、ミキサーのトグル、フェーダー等を微調整しながら聞き耳をたてた。

私は中高一貫校の卒業生だ。
いまや、堂々たる進学校の25年前の落ちこぼれ亡霊だ。
そして、子供は公立の中学生。

何かと感じ入ってしまう。
私たちが中学生の頃を思い出すと、日本と言う国は官僚制度主導で国力を伸ばし絶頂であったころだ。
国民総生産(GDP)は赤丸急上昇中。それいけどんどん!であった。
今に比べ、閉塞感はなく不景気と好景気が巡ってきたけれども、世の中こんなギスギス感は無かったように思う。
学校教育においても、方向性は今に比べてずっとシンプルだった様に思う。
中学、高校のうちに「幅広い知識を習得しておけば、将来ツブシが効く」みたいな感覚だったと思う。

ところが、今、失業者が溢れている時代。
企業や社会は、コンプライアンスとかいう名の元、資格習得、特殊技能を優先する時代だ。
私たちが受けた教育は」、「ゼネラリスト:広範囲知識拾得者」を養成する事に軸足を置いていたが、社会に出て求められることは「スペシャリスト:特化技能拾得者」であった事を痛感している。
現在、高学歴であっても失業、リストラを経験しうる時代になった。
それは「ゼネラリスト養成教育」と「スペシャリストの社会要求」のギャップから来ているのではないかと思う。

今から振り返ると中高時代に資格的なものをとると言えば、英検か柔道の昇段試験しか知らなかった。
でも世の中がこれだけ資格、資格と言うのなら「危険物」や「電気工事士」、「宅建」など中学生や高校生でも取れる資格がある。こういった資格を取るようなカリキュラムがあったら良かったと思うのだが。

先日の同窓会で、母校の高校の修学旅行は英国と聞いた。
また仕事で行った中高一貫校では小刻みに世界一周をするという事だ。
両校とも(あるいは保護者からの意識かもしれないが)意識の軸足は欧米のようだ。

私は好きで15年ほど前(この時は結婚前で経済的余裕があった。今は経済状態は最悪)、計5回、あまりメジャーではない国へ旅行に出かけた。
インド(2回)、パキスタン、トルコ、エジプトだ。
トルコ以外は元英国連邦だから英語が通じた。
トルコ語は日本語と同じ文法の言葉だから、単語さえ仕入れておけば、結構、通じる。

でもこれらの国でやはり一番ショックを受けたのはインドであったし、また一番魅力を感じる国でもある。

初めてインドに行ったとき。飛行機は夜、首都のデリー国際空港に着く。
飛行機がドンドン高度を下げていく。町の灯が見える。日本のような町の灯ではない。
すべてオレンジ色で点々と見えるだけだ。
えらい所へ来てしまった。と飛行機の中で思った。

空港に付いた瞬間に鼻をつく香辛料の香り、エアコンの効かない空港の外にでたとたん纏わり付く熱気と人の体臭。一夜明け早朝ホテルから町へ出てみると、埃っぽい町の中をルピー(インド通貨)を稼ぐために皆一生懸命働いている(乞食も一生懸命だ。片腕の無い少年、小さい乳飲み子を抱いたライ病の少女、足が悪く歩けず地面を這って来る男性、皆、腕を私に伸ばし無心をねだる。)
サラリーマンで一日稼ぐのは15ルピーぐらいだろうか?
私はホテルを出る前に1万円をルピーに両替した。
出てきた札束に仰天した。ルピーで財布が膨れ上がった。
でも、物乞いの人に1ルピーですらあげる事ができなかった。

2回目のインドへ行ったときにはあげたい時にはあげた。あげたくない時にはあげなかった。
何故なら日本で知らず知らずの間に植えつけられていた道徳観から開放されていたからだと思う。

パキスタンではマスジッド(日本で言うモスク:イスラム教の寺院)でボーとしながらコーランの響きを聴いたり、モスクで子供たちがコーラン?の読み方を勉強しているところを見たりした。
日本では殆ど目にしないイスラム教。イスラム教には基本、神父のような神と人間をとりもつ仲介者はいない。神と個人の1対多の関係だ。だから、マスジッドで最前列にいようと末端の席でも優劣の差はない。
こういう国を経験すると、「外国では自分の基本宗教を人に明言できる癖をつけておかないと大変なことになる」ということを実感できる。
宗教に国境は無いのだから、考え方によっては遥かに重要である。

話が大きく外れてしまったようだ。

私の思うことは「欧米軸足で地球を見るようなことだけはして欲しくない」と思うだけだ。
折角、英国のロンドンに行くのならデリーでトランジットしたらいい。
3時間でもデリー駅で「地獄の通勤電車」、「槍を持った従者をつれた地方の豪族」、もちろん「乞食達」をみてたらいい。難しい事は考えなくていい。
おのずと、「人間とは」、「自分とは」、「日本とは」頭でわからなくても、ナマで感じるものがある筈だ。

この方がただ、ロゼッタストーン、ミイラを見るより価値がある。
大英博物館は英国の当時の国力の偉大さを見せつているものだが、その英国を下支えしてきた市場がインドであり、このインドが中心となって、また他の英国植民地を支配してきたのだから。

私の絵

イメージ 1

イメージ 2

絵をゴソゴソと探しやっと出てきた。
2枚とりあえず、ブログで出せそうなものがあった。
・骸骨がいるのが、インドに旅行した時感じたものを描いたものだ。
・ローマの彫刻を描いているほうはトルコを旅行したときのものだ。

ブログで掲載しますと書いた手前、UPさせて頂きました。
まぁ、こんなもんです。

写真は携帯電話のカメラで、撮影しました。

光と絵

イメージ 1

私は光が、小学校のときから大好きだ。
虫眼鏡で太陽光を絞り黒い紙を燃やす。
ビーカーに一筋の光をあて屈折光を見る。
分解した双眼鏡から取り出したプリズムに太陽光を当て色分解を楽しむ。
光ファイバーの全反射の様子を想像する。
上記はすべて科学的なものだ。

私は物心ついたときから、絵を描くのが好きだったらしい。幼稚園の頃から絵を習い始めた。
2次元の絵が好きで3次元の粘土や彫刻はそれ程ではなかった。

中学受験で絵を書くことは自然消滅してしまったが絵を見るのは好きだった。

高校のとき姫路でポール・デルボーの作品と出会った。衝撃的だった。

それまではレンブラントやフェルメールなど、漆黒の中から浮かび上がる人物の顔など
が印象的で好きだった。「単に物理学的な光をうまく捉えるか」を追求した作品と私は理解している。

ところが、デルボーはシュールリアリズム(超現実主義)というもので絵の中に作者の考えを強烈に見る者へアピールしてくる。

もっと、具体的に言うと、デルボーが、世の中をどう感じているのか?この世の中への不安、不満、欺瞞
への警鐘、批判などの様々なメッセージがキャンバスの各所から吹き出しているように思えた。
デルボーの絵は光を表現していてもそれは過去の光なのか、あるいは将来の光なのか、あるいは両方か?

「光=時間を生み出すもの」の自論に立てばデルボーの絵は全く時間軸を無視したものだ。

絵の一つ一つのパーツは奇異な物は一つも見当たらない。当時の海上交通手段である帆船、陸上交通手段である蒸気機関車そして馬車、身近なものとして鏡、虫眼鏡、街灯、窓、アパートメント。
ちょっとびっくりするのは、骸骨ぐらいか。後は人物(裸婦、少女、壮年男性等)である。

これらをうまく配置し、光を使って時間軸を巧妙に操作してやれば、キャンバスから数々のメッセージが聞こえてくるように感じた。
物理学を越えた光は芸術作品に埋め込まれており、それを理解でき、受け入れることが出来るのは脳が、うまくストーリーを組み立ててくれるからかもしれない。

ちなみに一度訪問したトルコが非常に気に入ったので、自分なりにアクリル画で書いてみた。出来上がってみるとそこにはメッセージは無く、単なる観光旅行ガイドの切り抜きの様になってしまった。
今度、掲載してみます。

刑事物テレビドラマでよく使われるセリフ「知りたいのは真実なんだぁー」主人公がよく言うセリフだ。
私は友達や後輩と酒を飲みに行ったとき、よくこの質問をしてみる。
いろんな答えが返ってきて面白い。
勿論、「くだらない質問をしてしまう困ったオヤジだな」とその後反省しかりだが。

映画「インディー・ジョーンズ 失われたアーク」では大学で授業する主人公が学生にこう言う。
「考古学が追求するのは "Fact(事実)"である。"Truth(真実)"を追求したいものは哲学科へ行け」

この問題に対する自分なりの解答を先に述べてみよう。
「その違いは光を考えるか、考えないかである」

なんのこっちゃ?の答えだ。

まぁ、我慢して聞いてください。
光は1秒間に地球を7週半します。これよりも速く動けるなら当然昔の光を見ることができる事になる。
うん、つまり過去へ行ける事になります。
よくわからない人は、「スーパーマン」の劇場版第1作目をご覧あれ。スーパーマンは地球の周りを光よりも速いスピードで飛ぶと地球が反転し始め、時間を戻すのです。
つまり光は時間を造る元なのです。

さて、Fact(事実)はこの時間を忠実に追いながら出来事を当て嵌めていくものです。
私は、朝7時に起きた。7時5分に顔を洗った。7時10分に用便をした。すべて「事実」です。
刑事物ドラマに戻りましょう。
アリバイという物を必ず考えます。もしアリバイを確認するのなら知りたいのは、ある時間に起こっている事すなわち「事実」のハズです。

次に「真実」です。これは時間に囚われずに都合に合わせて「事実」を並べ替え、導き出されるものです。当然、並べ替える順番で幾つもの「真実」が生まれます。
どうやって並べ替えるのか?
勿論、私たちすべてが頭にのっけている脳というスーパーコンピューターです。
裁判はきっと検事、弁護人が提示する「事実」を吟味する。
陪審員、裁判官は脳で「事実」を並び替え最も情緒的、精神的に納得できる「真実」を見つけるのでしょう。

「事実」、「真実」の違いと言われると何か哲学的な匂いがプンプンしますが、私のように考えると
科学的な事のように思えませんか?

勿論、日々生活するのにどうでも良い事です。
ただこんな場合には自分を慰めるのには非常に役立ちます。

昔、付き合っていた彼女の結婚式にやむを得ず、出席する事になったとしましょう。
司会者は「真実の愛を見つけて、ここに二人が結ばれました!」とコメントをしたとする。
普通ならこの言葉で落ち込むところです。
しかし、このブログを読んだあなたは、昔の彼女にこう言えるでしょう!
「事実は私とあなたが良く知っている!事実は変えられない」

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