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「グワシャーーン!!」
当時の昼下がりのドブ板通りには、人通りが少ない。
だから、このシャッターが揚げた悲鳴は、思ったより空に高く立ち上った。
空は鼠色をしており、肌寒く、薄ら寒い日であった。
”H”の瞳は思わぬ出来事で焦点が合わず、空を彷徨っている。
彼女の襟元には私の二つの拳が巻きつけられ、強く彼女の首筋を圧迫していた。
私の拳のせいで、体勢を崩し、肩から腰がシャッターに当たっていた。
この日、私と”H”はぶつかった。
祖父の法事をするというので、実は卒業式前に一度神戸に戻ったのである。
私は両親に”H”との交際を是が非でも、、縦に首を振らせるつもりで両親の前に立った。
しかし、両親は明らかにこの話題を避け、親戚対応に、さも忙しそうに立ち回ったのである。
結局、私は両親のこの巧妙な遣り方に、尻尾を掴まえる事が出来ずタイムアウト。
マグマのように煮えくり返る腹を抱えながら、「グッ!」と我慢しながら”H”の前に立つことになったのである。
成果の無かったこの帰省に”H”に何と言おうか・・・・
そう考えると、思うように言葉が出てこなかった。
”H”からは帰省する時に、新幹線に飛び乗る直前に一葉の手紙を渡された。内容は私と両親が話し合い、「如何なる結果が出ようともそれを受け止める」という内容だった。
そんな”H”にキチンと返事をしなければならないのだが・・・・
どうしても・・・・
「いやぁ、実はぁ、まぁ・・・」と生半可な言葉しか、口を突いてこないのだ。
”H”はとうとう、痺れを切らして、私が神戸にいる間に彼女の胸に飛来したであろう様々な憶測や不安、はたまた私への非難が・・・・
彼女の口から矢継ぎ早に放たれたのである。
私は、その言葉が彼女の本心では無く、明らかに猜疑心や将来の不安が言わせて居ることを十分に知って居るはずであった。
しかし、私は余りにも若く未熟であった。
彼女の言葉に、とても耐え切れなくなり、気が付いた時には私の強く握り締められた拳が彼女の襟元に並べて強く置かれていた。
「放して、お願いだから。」
私は”H”の怯えた口調に、初めて正気を取り戻した。
事は終わっていた。
”H”は私からスルリと身を交わすと、二度と振り返ることも無く寒々としたドブ板通りを汐入駅のほうへと小走りに去っていった。
私は立ち尽くした。
そして自分の浅墓な行動に始めは自らを疑い、それが事実だった事を知り、己を恥じた。
「自分にとって最も大切な人に何ていう事を!!」
こんな行動を取った自分自身が信じられなかった。
「Oh!,My God!!」思わずそんな言葉が私の内臓を突き破り、鮮血をシャッターに浴びせかけ、狂ったように飛び跳ねながらドブ板通りをコダマした。
見上げた鼠色の空にはEMクラブの尖塔が冷たく私を見下ろしていた。
そして、その尖塔を持った建物は当時、チョークやラッカーで落書きされた鉄の扉で閉ざされ、鉄条網が塀の上にトグロを巻いていた。
その姿は、まるで私に対する”H”の心・・・「そのもの」のようにも映った。
私は1週間ほど前に起こった出来事を苦々しく思い出しながら下宿へ、そして実家へと戻った。
この日、1年生の夏以来の「こだま」に乗った。
私が心からの安息や本音を晒せる相手は、今や居ない事を知った。
私は最上級生となる4年生を前にして、最愛の人を失ったのだった。
おわり 今日は絵だけです。
文面はドップリ思案中です。
ナカナカ上手くいきません(笑)スイマセン!!
絵は今日の神戸港。ちょい離れ気味にある兵庫突堤。
タグボートに新人さんが入ったのでしょうか?
突堤を大型船に見立てての着船訓練が何度も行われていました。
近くで見るとタグボートのでかい事!!
後ろのクレーン群は川崎重工です。
此処には時たま、潜水艦が入ります。
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自分伝 大学校 後編
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詳細
ヒロイン"H"と巡り合った電気屋学生。様々な障壁を乗り越えることが出来るのか?
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大滝町にある「三笠焼き」。
生地と餡の焼ける甘く香ばしい匂いが、行き交う人々の鼻面を撫でながら漂っている。
コツコツと短靴をアーケードに響かせながら私はドブ板通りと交わる角にやってきた。
私はスッカリしょげて居る。
そんな私の気持ちなど、勿論、あずかり知らぬ人々は楽しそうに闊歩している。
「三笠焼き」⇒http://blogs.yahoo.co.jp/at9123normal/61734887.html(スカ爺さまからのブログから)
1時間ほど前。
私達は、慣れぬ陸海空曹長の制服に着替えた32期生を本館前で帽子を振りながら追い出すと自分たちの学生舎に戻った。
小隊付が来年度、担当する2つの小隊と中隊の人事が書かれた紙を持ってきた。
小隊付は皆を集めて喋り始めた。
「いいかぁ!来期の人事を発表するぞぉ!」
「中隊学生長!○○!、221小隊学生長○□!、224小隊学生長、タケさん!」
(小隊は最後の数字が重要。1は4年生の小隊を表し、4は1年生の小隊を表す・・・1988年当時)
次に224小隊の部屋長を発表する。
部屋長は8名程が選ばれる。
実は部屋長。。。それも前期の1年生の部屋長は大変人気のある役職である。
学生隊学生長や大隊学生長などを経験した学生であったとしても・・・・前期の部屋長ほど刺激的な役職は無いと思って居る。
「出来る事なら、前期の部屋長してみたかった・・・」は酒席でよく交わされる常套句でもある。
その部屋長人事は勿論、希望する者から選ばれる。
指導官が3年生の希望を集めて、判断するわけだ。
前期の部屋長次第では来期、入ってくる1年生にとっては天国にも地獄にもなりうる。
勿論、部屋長全員が鬼の様な人間を集めても問題あるし、仏ばかりだと・・・これまた別の意味で問題が山積する。
要はバランスである。
3年生の小隊指導官はある意味、来年の1年生の命運を握った人事を決定しなければならないのである。
「いいか!読み上げるぞ!耳の穴かっぽじって聞けよぉ!」
小隊付は同期を呼び捨てで次々名前を読み上げていった。
「としき!」と私の名前も読み上げられた。
私は学生時代、一度も学生長と云う名の役職には就けなかったが・・・・・
前期の部屋長に希望を出し、選ばれた事は大変嬉しい事であった。
私は、3年前に殆ど坊主頭だった自分が、オドオドしながら部屋に入り・・・
初めて防衛大学校の4年生と向かい合った。
それが、前期部屋長である。
卵から孵った雛が、始めてみるモノを親と思う・・・そんな刷り込み現象を1年生は経験する。
部屋長は、私の坊主頭と比べると長髪で、遥かに大人で、ガッチリとした逞しい肢体をしていた。
そしてその身体からは溢れるエネルギーが放たれ、圧倒されたものだ。
袖に光る3つの桜と赤色のシールが貼られた名札は、畏敬の象徴でもあった。
そんな新入生の時の記憶が、走馬灯のように、そして、ありありと脳裏に蘇った。
発表が終わり、解散になり、いつしか大隊指導官、中隊指導官、小隊指導官の訓話が川の流れのように過ぎ去っていく。
それらの通過儀礼が終わると、私は何時ものようにトランクを引っ提げて正門を出た。
ノンビリと浦賀駅まで坂を下りて、京浜急行に乗ったが、金沢八景までの切符を買っていたにも拘わらず横須賀中央で下りてしまった。
特段、急ぐ必要も無い・・・・・・・・・。
「三笠焼き」の匂いを振り払い、大滝町の交差点で左折してドブ板通に入る。
数分、歩いたところにある進行方向左手の・・・とある店の前にあるシャッターの前で立ち竦み、私は胃袋さえも吐き出せるような大きな大きな溜息をして呟いた。
「本当にごめんなさい・・・・・」
つづく
絵は呉の潜水艦が日本で一番近くに見ることが出来ると言われている桟橋。
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「ジッーーーーーーーーーーーーーーーー」と・・・・・
突き刺さる視線・・・・・
27名の居並ぶ儀仗隊員の前に立ち、儀礼刀を右脇に押し付けた私に、その目に見えない矢が突き刺さってくる。
その視線を発する相手は、1分前にサイレンと共に現れ、陸上自衛隊中央音楽隊が演奏する「威風堂々」の行進曲に乗って演壇の前に起立しているのだ。
内閣総理大臣「竹下登」の二つの目が私に注がれている。
その目は遠慮なく私に問いかける。
「まだか?何時まで待たせるのだ?」
場内アナウンスを担当するMCのコメント・・・・「栄誉礼!」の一言がまだ、発せられないのである。
「竹下登」との睨めっこは、全く居心地が悪い。
やがて場内は・・・・
この氷のように固まった雰囲気を不審に思ったのか・・・少し、ざわついてきた。
私は意を決した。
MC側に何か不具合があったのかもしれない。
自衛隊の最高司令官である内閣総理大臣を何時までも「木偶の棒」のように。
或は田圃の案山子のようにボーッと立たせておくわけにはいかない。
私は息をひとつ大きく吸い込み、総合体育館の隅々にまで届くように声を張り上げた。
「捧げぇーーーーー!」
其の時だった。
滑り込みで、MCのアナウンスも同時に響き渡った。
「栄誉礼!」
そして私の号令の「銃(ツツ)ゥー!!」が締めくくった。
3挙動の銃動作で儀仗隊員の頭は内閣総理大臣に向けられ、私の儀礼刀は空をヒュッと切り裂く。
儀礼刀の飾り房が刀身に当たり「カチン!」という乾いた音が、この儀式に華を添える。
それに追いかぶさる様にして中央音楽隊の栄誉礼が低音の管楽器から始まる。
それが、4回ほど繰り返されていく。
繰り返されるたびに、次から次へと高い音が出る管楽器にバトンタッチしていく。
何度やっても、この流れるような一連のアクションに、言葉では表現できない美しさを感じ、心が高揚する。
音楽が終わると、それに応えて右手を自分の左胸に当てていた「竹下登」がゆっくりと元の姿勢に戻っていった。
これが合図である。
「立てェー銃(つつ)!」
私は号令を発し、自分の儀礼刀を再び右脇に戻す。
何時もながら、戻す時には、ちょっと勢いが付きすぎて、肩がヒリヒリする。
背後では儀仗隊員達が、M1ガーランドを床にソット置きながらも、シッカリとした音が発せられる。
「ガッ!」
内閣総理大臣が演壇から退くと、私は回れ右をして観客の方向に向き直る。
儀仗隊の直ぐ後ろには、白手をして居並ぶ32期の卒業生、そして2F席にはご父兄の方々が椅子を埋めている。
この厳粛な式典の中で、私、ただ一人が大声で号令を発する権限を持っていることに少し得意になりながら、退出の号令を放った。
「左向け左!」
「担えぇー銃(つつ)」
「前へ進めぇ!」
私は儀仗隊を引き連れて、会場の外へと、唇を引き締めながらシッカリとした足取りで退出した。
外は春の臭いが、直ぐ其処までやってきていた。
防衛大学校にある桜の蕾は大きく綻んでいる。
卒業式の式典では、我々はもう一度、出番がある。
その出番が終わり、学生舎に向かう準備をしていると・・・・
総合体育館が割れるような「ワァッ!」と音がしたかと思うと卒業証書を手にした、帽子を持っていない学生達が蜘蛛の子を散らすように外に走り出て行く。
この瞬間、2つの桜を付けた私達3年生(33期生)が、実質上、最高学年になったのである。
私は儀仗隊員の銃を武器庫に格納させたあと、大隊週番室に降りてきた。
大隊週番室の周りは卒業生が自宅や幹部候補生学校へ送る宅配便が所狭しと置かれている。
そこへ、カメラを持った同期がたまたまやって来た。
彼は私の姿を見るなり、シャッターを押した。
つづく
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「イッチ、ニィイ、サァンン」
「ニィイ、ニィイ、サァンン」
「はい、皆様とってもお上手ですよ!一度休憩しましょう!!」
快活な同期”S”の声が学生会館4Fで、土曜日の外出時間に響き渡った。
3年生の我々、アカシア会の10名ほどのメンバーがワルツやブルースのステップを教えている相手は・・・・卒業ダンスパーティーが目の前に迫り・・・・
パートナーを少しでも愉しませようと考えた、とても前向きな4年生達である。
4年生の顔を見渡すと・・・武道系の校友会で名前を馳せた強面も居並んでいる。
彼らのステップを見ていると、ただならぬ脚運びで、突然、蹴りが飛んできそうでもある。
思い返せば・・・・着校間もない頃・・・・・
この上級生たちは、「上対番」という名の兄貴分として、右も左も判らない我々を援助・庇護してくれた。
そして我々は、上対番に、すがる様に助けを求めた。
しかし、上対番以外の2年生からは、掃除の時間を核にして、こっ酷く指導され、腕がパンパンになるまで腕立て伏せとなった。
そんな一つ上の学年を、我々は上から目線で教えている。
何だか変な気分でもあるし・・・
4年生から「すみません、今のステップ・・もう一度教えてくれるかな?」と平身低頭で懇願されると背中に「ザワァ、ザワァ」と寒気が走る。
此れに対して我々も、更なる敬語を連発して応えるものだから、余計に疲れる。
「コラ!判らん!ソコもう一度教えてくれ!」の方が余程、スッキリしている。
あちら此方で気持ち悪い敬語の応酬が続けられている。
これまでも、今まで昼休みなどを利用して、ダンスレッスンを行なってきたが・・・
1回当たり、集まってくるのは数名であった。
時には”0”名という日もあった。
しかし、今回、集まったのは150名程の多くの4年生だった。
どうやら、試験と同じく、今回も付け焼刃で乗り切ろうという魂胆らしい。
やがてグループレッスンとなった。
私は15名ほどの4年生の前に立ち、先ずは彼等に男性ステップを教える。
私の口から走り出るリズムに合わせて、彼らの身体が揺れるようになると・・・・
4年生に私の手を握らせ、腰を抱かせて女性のステップを踏んだ。
「スロー、スロー、クィック、クィック」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時間はあっという間に飛んでいく。
練習時間の3時間はあっという間に消え去った。
学生会館を後にする4年生達は・・・
「難しいぃー!」
「判らんよぉ!」
「ヤベェー!」等、誰もが悲壮な声を出しながら・・・ワイワイ、ガヤガヤと消えていった。
私は練習が終わると、早速”H”と待合わせ場所へ向かった。
ベースの前である。
今日は横浜に行く時間も無い。
それで、ベースの中にある、「オフィサーズクラブで、食事でもしようか?」となったのである。
ベースの建物の中で簡単な書面に記入して、海兵隊員の脇をすり抜けると英語の表記で一杯になる。
ブラブラと坂道を”H”と共に登っていく。
春が近い・・・。
海の匂いと桜の木の匂いが・・此処最近に無いぐらい濃厚に漂っててきていた。
”H”が提案してきた。
「今日は堅苦しいオフィサーズクラブはやめて、キャフェテリアでピザでも食べて、下士官クラブで飲まない?」
私もこの意見に大賛成だった。
150名もの4年生に、奇妙な敬語を使い続けていたものだから気分を変えたかった。
キャフェテリアでは天井から吊るされたテレビに映し出されたボストン・レッドソックスVSニューヨーク・ヤンキースの試合を見ながらピザを口に運び、チーズとピクルスを満喫する。
そして建物のドアを押し開けると、海に近い下士官クラブへと足を進めた。
カウンター越しに現金を渡し、銘柄やカクテルを云うと、バーテンは毒々しい色の液体が入ったグラスを、私と”H”の手元に返してきた。
”H”と談笑している時だった。
随分、呂律の回らない日本語が私に向かって放たれた。
「これは!先生!こんな所でお会いできるなんて!」
相手は私と同じ制服を着た、桜を3つ付けた・・・・私がグループレッスンを付けた4年生だった。
先輩の横にも女性が居た。
どうやら、彼女がダンスでもパートナーらしい。
4年生は、それからの私と”H”の分のオカワリを必ず支払おうとするので、スッカリ恐縮し、早々に退散する事にした。
外に出てオレンジ色のネオンが照らす桜を見上げると、スッカリ芽が膨らんで居ることに気がついた。
思わず私は、自分の袖に目を落とし、二つの真鍮色の桜をも感慨深く眺めた。
つづく
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迷彩海亀の両手にぶら下がった二つの物体。
それは、ライセンス生産されたプラット&ホイットニー社製のターボファンエンジンである。
その精密機械が甲高い咆哮を始めた。
海亀は思ったより機敏な動きでスイスイと移動していく。
旅客機なら一旦停止してから、離陸スタートとなるわけだが、海亀君はお構い無しである。
徐行からカーブでターンすると、そのままグイグイと加速し始めた。
海亀君は試作機が31機も作られ1970年にデビューした短距離離陸(STOL)機体である。
この頃にはスッカリ安定感もある。
しかし、どうしても、あの隙間が気になって仕方ない・・・。
機体はドンドン加速していく。
海亀君はカタログ値では460メートルで離陸できる。
その僅かな距離で、グイグイ空に舞い上がる姿を滑走路の脇から眺めるのは良いが・・・・
海亀の腹の中に納められた我々、口が利ける貨物としては甚だ迷惑な話である。
ターボファンエンジンは、万有引力を打ち消すように・・・重力を無視して、我々貨物をグイグイと、後ろに押しやり、更には突っぱねるように圧迫してくる。
ベルトを編んだような簡易シートに座らされた我々は自分の体重を支える術も無く後ろへ後ろへと引きずられていく。
大体、椅子の配置が旅客機とは違う。
旅客機では乗客は進行方向に向かって座って居るが、海亀の中では普通電車の座席の様に横向きなのである。
海亀の機首が上がり、地面を蹴る。
そして益々顔を持ち上げていく。
機体はSTOL。恐ろしい角度で舞い上がっていく。
機体の中では、口の利ける貨物が後ろの方へ一塊に集まっていく。
「痛ぇええええ!」
「ぎゃぁああああ!」
「こっちに来るなぁ!マジ痛いんだからぁ!」
「仕方ねぇだろうが!文句はパイロットに言え!」
(この我々の必死の遣り取りを、パイロットは笑いながら聞いていたはずである)
貨物室の我々は、強制的に押し競饅頭状態に陥るのである。
そしてこの押し競饅頭は、自分達の体重に加え、万有引力とターボファンエンジンの推力も参加するという・・・当に殺人的な押し競饅頭である。
やっと、離陸の狂乱が終わると水平飛行に戻る。
この貨物室から外を見れる窓は無い。
コクピットから声がかかる。
「ちょっとだけならシートベルト外しても良いぞ。それと、スチュワーデスは居ないからな!」
その言葉を聞くや、一番後ろに座っていた学生が左腕を擦りながら(押し競饅頭による結果である)、後ろに転がって行った数個の空き缶をぶら下げて戻ってきた。
そして煙草に火をつける。
煙が、何となく後ろの方へ・・・あの隙間に吸い込まれていくような気がする。
それにしても高度が上がるにつれて、耳が「キーン」としてくる。
しかしこの「キーン」は通常では無い。
今まで経験がした事が無いような強烈さである。
耳の奥に残っていた1気圧が鼓膜を外に押しやり中でパンパンに膨れて居るみたいだ。
空気が薄いのかアクビばかりが出る。
つまり、最低限の与圧しかなされていない訳だ。
こんな不快な環境を改善する方法は一つだけである。
それは「寝る」!!という1年生から鍛えてきた得意技である。
ということで、同期達は次々に眠りに落ちていく。
Zzzzzzzzzzzzzz!Zzzzzzzzzzzzzzzz!
海亀は2時間弱飛んでいるうちに、徐々に下降。
足の下で、「ゴゴォオオオ」と脚が出てくる音で目が覚める。
旅客機のように、到着の案内などは無い。
着陸前の忙しさで、機体のあちら此方からフラップを操作する等の機械音が響く。
この時には、殆どの学生達は目を覚ましている。
私も眠りから現実に戻り、隣の学生に「もうすぐ、着陸か?」と聞いてみた。
驚いた事に、同期の口はパクパクと動くだけで、全く声が聞こえない。
慌てて、息抜き、アクビをして気圧調整すると、鼓膜が元の状態を取り戻し、やっと音も戻ってきた。
「ホッ!」とするのも束の間。
殺人的押し競饅頭、第2弾が始まった。
今度は機首側である。
またも繰り返される絶叫!
「痛ぁあああああああ!ぎゃぁあああああ!」
C1の割れた尻からやっと外へ出る。
硫黄島で・・・・3,4大隊の学生達がどうしてあんなに不機嫌だったのか・・・やっとその理由が判った。
STOL機など乗り物では無い。
押し競饅頭製造機なだけだ。
入間基地は冷凍庫のように凍り付いていた。
我々を小原台に輸送してくれる車両は・・・・・殆どがカーゴだった。
そのカーゴの横に1台だけマイクロバスがあった。
このマイクロバスは、学術研究の名目で、硫黄島研修に参加していた防衛大学校の教授陣が乗るバスだった。
誰もがヒーターの利く車両を羨ましく眺めた。
諦めて、カーゴに乗ろうとしていた時だった。
指導官から・・・我々11班に対して質問がきた。
「11班は総員何名だ?」
班長は22名と答えた。
すると、信じられないような返事が戻ってきた。
「11班はマイクロバスに乗車しろ!」
我々はお互いに、信じられないような顔をしたが・・・・
指導官の気が変わらないうちに、マイクロバスの席を占拠する事にし、全員が着席するや否や、「ピシャ!」とドアを閉めた。
誰もが、「降りろ!」と言われない事を祈りながら出発を待った。
待ちに待ったエンジンがかかり、車両は入間基地から出て行く。
マイクロバスの窓には、我々の吐息で白い露がビッシリとこびり付く。
掌で窓を拭き、外を眺めると数多くのネオン、街灯、様々な街の明かりや光が渦巻いていた。
此処には経済的繁栄が確かにあった。
しかし、この繁栄を我々が享受できたのは・・・・「今回訪れた硫黄島を始め、様々な戦場に赴いたご先祖様のお陰なんだ・・・・」
今回ばかりは、その事を素直に、実感として自然体で、そう受け止める事ができた。
我々は平和を当たり前と感じていた1988年の日本と云うワンダーランドに戻ってきた。
つづく 硫黄島研修の話は今回で終わりです。
皆様、お付き合いをして頂き誠にありがとうございました!!
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