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何を 恐れているのか
どうして 恐れているのか
信仰薄き者よ
信じることの拙き者よ
心を司ること難しきものよ
生きることの未熟なものよ
それを
暴かれることが 恐ろしいか
見透かされることが 怖いのか
なにも恐れることはない
静かに
両手を
胸の前であわせ
どうか
愚かな私を許した給えと
祈ろう
私は
あなたに出会えたことを
あなたを信ずることができることを
誇りに思います
悟られた方、主は、かたられた
謙虚に、人の言葉に学ぶことは、良いことだ
自らの足らざるところを、
深く反省するのは、立派なことだ
自戒の言葉で、
自分を律する人には、
後光が射しているようにさえ感じられる
しかし
持つべきものは、師である
無師独悟は、
少数の天才を除いて、
大成する道ではない。
あなたは、師なき精進の結果、
邪見、
邪道、
魔道に迷うであろう
修行者は、
ひたすらに正しい道を求め続ける限り、
必ず、良き師に出会うであろう。
仏法真理を悟った、
正師にであうであろう
だが、焦ったり、
自我我欲を出してはならない。
師は、弟子に準備が整った時、
初めて本当の姿を見せるからだ。
弟子は、その時、
長い間、鏡に映った自分を、
見ていたにすぎなかったことを悟るのだ
そのように、いわれた
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私の理解とは相当な開きを感じます。
精神は姿無きもの、魂もしかり、また愛も光も手にとって見せれるもので無し、無色透明の水のごとし、さてその水を差別する事が出来るでしょうか。
精神の世界に師弟関係は存在しないと思いますが、弟子が師に至る道があります。子が親に至る道があります。
師になり親になり神になり仏になって差別心が消えたところに説教の道が開かれると思いますが、師も弟子も一人の人間でありその精神は仏であり神である事が分かれば精神に向かって言葉を発する事の矛盾を感じます。
>謙虚に、人の言葉に学ぶことは、良いことだ<
精神論者のブログで独善的な書き込みをすると感情を害してしまい、
あなたは何が目的でここに書き込むのか、そんな事は自分のブログで勝手に書いていろとお叱りを受ける事があります。
謙虚に聞いてくれない。
気に入らなければ削除すれば済むのですがね。 余計な事を書いてごめんなさい。m(__)m
2009/4/11(土) 午前 0:11 [ - ]
ノロカメ二世さん大変
ご返事がおくれました
お詫び申し上げます
お答えするには・・・・・
自分で自らについてもう少し考える時間をもってほしいと思ったからです
自分自身の心をを自分で理解してほしいからです
厳しく指摘することを躊躇するからです
それを、この状況を
無記
というのでしょう
過てるなり今の仏教界何を恐れているのであろうか
自己保身に生きているのか
他人の批判を恐れるのか
勇気をもって仏陀再誕を認めよ!
ということなのです
大変残念です
2009/7/24(金) 午後 9:34
議論する必要ないですよ、
師は詩なんじゃないかと思います。死は市。音ですよ、字じゃなくて。と重います。
2010/9/14(火) 午後 10:56 [ ゼロ ]