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脳がすべてである
知識が優劣を決める
心とは脳の反応だ
DNAが人である
魂、霊、心は 存在しない
神、仏、聖霊、守護霊、オカルトだ
怨霊、邪霊、憑依霊、精霊、迷信だ
天国、地獄 悪魔、転生輪廻 作り話だ
一笑し、さげすみ、軽蔑し、愚か者でも見るように
変わった人だと言われる
証明できないものを信ずるということは、おかしなことだ
「神」「仏」というのは、合理的ではない
信仰とは現実逃避だ
宗教とは洗脳だ、集客だ、金を集める手段だ
宗教と聞いては一歩引き下がる
信仰の大切さを語れない
そんな時代
そんな時代を
「末法の世」という
悟りを開かれた方、主は語られた
宗教というものは基本的に不信との戦いです。
信仰心でもって戦わなくてはならないのです。
信仰心の側に立っている人間は、あまり合理的な人間であっては、もちません。そういう場合が多いのです。
なぜなら、実際に霊的な世界について説けば説くほど、この世の論理どおりににいかないものが、多くなるからです
霊界には、あまりにも奇妙奇天烈、摩訶不思議なものがたくさんあります。霊界そのもの、あるいは霊の活動そのものを見る限りでは、それは、やはり、不思議な、不思議な世界なのです。
そのため、学校で習う数学の証明問題や、「答えはひとつ」というマークシート方式など、この世的なものでならされていると、宗教を信じることには、やはり困難な面があるでしょう
学校教育をうけ、特に理数系で優れた実績や才能を発揮している人ほど「信じがたい」気持ちになりやすいのです。
そういう人に、「あの世がある、霊界がある」ということを信じさせるためには、どうしても、合理的な部分をぐらつかせる必要があります。この世で合理的なことに人々が執着しているので、それに対し、天から降ってきたように
ガツンと一撃をくわえるもの、あるいは天の一角からふいてくる風のごとき思想が必要なのです。
したがって「信仰の中には、やはりミステリアスなものがなければいけない」と私はおもっています。そういうものがない信仰には、ある意味本物ではないところがあるのです。
霊界世界、あるいはあの世の世界について説くと実際には、非合理な内容がたくさん出てきますし転生輪廻の教えなどはこの世的に見れば非合理だろうと思います。
この世は、とても便利で、よい時代になっています。ただこの便利な時代において、「人々は、一番肝心な真理を理解できていない」という現実があるわけです。
「人間は死んだらどうなるのか。人間はどこから、どこへ行くのか」
という、この一番肝心な問いに答えられないようでは困るのです。
宗教には不合理な部分もあろうかとは思いますが、人々が仏や神を信じる世の中にしていかねばなりません、
そのためには強い力を持った宗教が必要であることを、あなた方に理解してい
ただきたいのです。
そのように 語られた
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