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甲府城で紛失した石垣の石は
静岡県掛川城の修復に活きた。
今度掛川城に行ったら確認しよう。
<川柳>
○掛川の 城の再建 甲府の石
○信玄が 馬場美濃命じて 掛川城
○歴史無視 政治の判断 玉虫決着
○甲府城 武田信玄 関係無し
○甲府城 石垣紛失 今落書き
○丸投げで 赤字累積 山梨の箱もの
○中身無し 必要なし 山梨の箱もの
○甲府城 掛川城と 石材縁組
○甲府城 柳沢吉保 何処行った
○甲府城 落書きの数 日本一
○甲府城 落書き消えずに 文化財
○石鑿(のみ)の 痕も鮮やか 甲府城
○財源の 重み不感症 甲府城
○新しい 石垣目立つ 甲府城
○甲府城 税金積むや 石鑿の痕
○天主台 若者どもの ○○の跡
○甲府城 尿意催し 石の隙間に
○モラル無し 所轄組織も モラル無し
● 日本共産党山梨県議団(ホームページ)
2003(平成15)年6月定例議会で一般質問と委員会での発言(抜粋)
■http://park5.wakwak.com/~jcp.yamanashikd/action/03-07-04.html
甲府城石垣の旧石材流出の疑い
甲府城石垣改修工事は、1990年度から85億円余の巨費を投じて行なわれ、文化財である礎石や石材の紛失・流出が問題になり、2000年には「調査委員会」が設置されましたが解明がなされませんでした。
日本共産党県議団は、甲府城旧石材が「掛川城に流出した」との情報をもとに調査を行ない、石の風化状態が等しいこと、同様な苔の存在、甲府城石垣でもみられる新旧石材のコントラスト、甲府城石材と同様の矢穴痕と思われる石の存在などを確認し、甲府城石垣の旧石材が掛川城公園の石材として、流出していたという疑いを強く持つにいたり、一般質問で「全面的解明」を県に求めました。
<甲府城石垣石材搬入業者の採石業許可は問題>
中岡県議は委員会で、甲府城石垣改修工事で石材を搬入した業者に1986年採石業の許可を出したのは問題だとただしました。
甲府城と掛川城工事に石材を搬入した業者の登記簿には、「採石業、採石の販売」と記されていません。
採石法は申請書もしくは添付書類に「重要な事実の記載が欠けているときは、登録を拒否しなければならない」と明示されています。
商法上採石業ができないものに、採石業の登録、採石の許可を出したのは、法を遵守すべき行政として重大な問題です。県は「行政指導を含めてやった結果、許可したもの」との答弁でした。
どうしたことか 他の県議はこの時何をしていたのかわからないが、
ネットで検索して盛見ると、
宮川県議の記事がありました。
■ http://www.nns.ne.jp/pri/minagawa/newsp.html
内容も濃く参考になりました。
残念ながら、甲府城の石垣紛失問題の記事は見当たりませんでした。
これからも参考にさせていただきます。これからもがんばってください。
(平成15年の記事欠落)
甲府城について、辞書検索
■ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%BA%9C%E5%9F%8E
さて、政治というものは、不可思議なもので、
一応、山梨県の教育委員会も、
不承不承で認めた。ということは、
議会の中では、
甲府城の礎石は、工事中に、
静岡県掛川城の復旧工事に活きた。
そして、県内でも確認された。
ということである。
政治的で解決とは何なのだろうか。
山梨県の対応など茶番劇である。
共産党の諸氏が議会で質問している内容が
正しいから、あやふやな答弁に終始していた。
しかし、議会ではともかく、
県民への説明は、未だに無い。
県の教育委員会は
工事の管轄はもちろん、歴史についても
主になって運営管轄している箇所でもある。
こうした県民不在ともいえる対応が、
山梨県立博物館の建設・内容・運営にも、
色濃く反映している。
また歴史家の先生も目して語らない。
政治的より歴史的に大きな問題なのに、
歴史的な決着や社会的な責任は果たさずに終わった。
現在の甲府城の石垣で、
特に気になるのは、
落書きと石割の時の傷が、
そまま表面に出ていることである。
新しい石垣の新しい石
そして多くの落書き
こうした全国に見ない
落書きの数は、
そのまま山梨県の病める歴史体質を
如実に示している。
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