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20小説 「天 網」
二
呉敏娜、周桂芳、このまま逃げ切らせはしないぞ。芯まで腐った周易明、阿片漬けの李湘南、俺は危うく失明するところだったんだ。中国公安も同罪だ。刑事犯罪を、事故処理としてもみ消そうとして。お前たちに弾丸や暴力では勝てないが、紙吹雪では負けないぞ。
森下は、呉敏娜と周桂芳の弾劾ビラを、中国公安、日本領事館、無錫および衡陽の地方政府、彼らの卒業学校、関連する共産党、就職可能企業先へ送った。送り先は一五〇カ所。回数は計八回。以下はその概要だ。
「私は、二年半前、上海の日本語学校で、教師と学生という関係で呉敏娜と周桂芳を知りました。翌年は、七ヶ月間、週二〇時間、他の二人と共に、無償で日本語を教えました。そして、今年、呉と周は、日本語一級試験に合格し、私が会社を設立すると言うと、進んで私の会社に来たのです。私は、彼女たちを信用していましたところ、私の信用を利用して、二人は共謀して今次の銀行預金窃盗という犯行に及びました。私は、言葉を失いました」
「ところで、呉敏娜とはどういう人物でしょうか。彼女は、南京の電気学校を卒業しましたが、電気が怖くて適当な仕事がなく、兄の援助で日本語を始めたのです。彼女は、兄と繊維関係の共同事業を計画し、日本語が役に立つととても喜んでいました。ですが、彼女は、とても日本語が下手で、私がどれだけ彼女の発音指導をしたか分かりません。呉敏娜は、「先生、先生」と私に寄り添ってきました。他人の援助もあり、今次、めでたく日本語一級に合格したのです。
私は、呉敏娜と周桂芳に会社を潰され、二人は絶対に許せません。現在、呉敏娜は、上海の徐家汇からその北方付近に潜伏していると思われます。公安が協力してくれれば、三日もあれば逮捕できるでしょう。ですが、何もしてくれません。これでは、日本人の物は盗り得です。
今、私は、上海の日本領事館を通じて、事件解決を懇請しています。ですが、中国公安はのらりくらりで、解決は進展しません。良識のある皆さん、日本と中国の経済発展のためには、このような国家のダニを叩き潰さなければなりません。関係者の皆さん、私を助けてください」
「証拠があれば、どんな犯人でも、盗んだ物は返す。常識です。呉敏娜の家族もそれに従おうとしました。しかし、外国人が被害者の時は、犯罪捜査が甘い。そうなると、日本人が帰国するまで逃げ回れれば、盗んだ物が自分の物になる。呉敏娜の家族は、今は貝のように黙り込んでいます。悪銭で事業を大きくする。そんな事がうまく行く訳がありません」
「皆さん、通訳とはどういう仕事でしょうか。主人と相手の間に立って働くもので、紛れもなく公人です。ですが、その一方で、主人を騙せば、莫大な金を盗むことができます。ですが、これを許したら経済の根幹が成立ちません。今や、中国経済は、日本と切っても切れません。日本と友好関係を維持し、投資を促進してこそ発展するのです。呉敏娜は、その投資資金を盗んだのです。だから、呉敏娜の犯罪は、通訳としては最悪の犯罪です。厳しい社会的制裁が必要です。また、盗んだ金を待ち詫び、呉敏娜の逃走を助ける兄は、事後共犯です。さらに、これを糾弾できない中国政府は、国家として失格です。犯人よりさらに重大です。
無錫の皆さん、私たち日本人は、信頼できる中国人を求めています。私は、その中国人として、長年の誼だと呉敏娜を選びました。だが、呉敏娜は、裏切りました。これは単に日本人を裏切るだけでなく、無錫の皆さんも裏切っています。このような裏切り者には、断罪あるのみです」
「さて、周桂芳とは、どんな人物でしょうか。彼女の家系は共産党幹部の家系で、彼女は当然のように共産党青年団にはいり、最後は団長になりました。この間の生活は誉められるものではなく、結婚もしないのに副市長の息子と同棲し、堕胎を繰返していくのです。後に結婚しましたが、夫が麻薬患者になり、その時は、上海に逃げてきて日本語を学習し、その後また、元の夫と復縁するのです。この間の生活は、労働収入がないのに、衣服や化粧品は高級品ばかり。黒い金の仕送りで、身の丈に合わない浪費ぐせが着くのです。一ヶ月五千元の消費は間違いありません。だからでしょうか、通訳の社会的使命を忘れて、盗みに走るのです」
「周桂芳は、たぶんこう思っています。どんなに証拠があって犯罪が明らかでも、上海の公安は衡陽までは追いかけられない。仮に逮捕されそうになっても、公安と共産党を飼い慣らせば、本拠地である衡陽では絶対に捕まりっこない。よく知っているのです。被害者がそのことを知れば、諦めるだろう、です。
衡陽の皆さん。一五万元は、大金でしょう。湖南省は、平均賃金が五百元にも満たない貧しい地方です。おそらく二〇年分三〇年分、いや、生涯賃金にもなる人が多いはずです。飲まず食わずで、ですよ。そんな大金を盗んだのですよ。それでも、捕まらない。それなら、働くより一時滞在の外国人(観光客)から金を盗る方が良い事になるでしょう。そんなことが許される訳がありません。
話は、少し変わります。私は、あの有名な安徽省の黄山に行った時、似た経験をしました。表向きは観光地でも、裏は犯罪の巣窟です。私は二度と黄山には行きません。黄山出身者にそう言ったところ、悲しい顔をしました。そして、故郷がそんな風に思われているので、自分たちは、出稼ぎに来なければならない、と嘆くのです。故郷がいい町であって欲しい。皆んな、そう願っています。そのためには、勇気ある党員が悪と全力で戦って欲しいです。そして、衡陽を明るく、豊かな町にしてください。そのために、皆さんが奮闘することを期待しています」
「私が、第一回目の弾劾文書を公的機関に送りつけると、三女の桜芳から上海の私の所へ怒鳴り込みの電話がありました。かなりのショックがあったからでしょう。桂芳は賢いからそんな悪いことはしない。お前はアホだから、窃盗をでっち上げる、と言いました。そうではないでしょう。姉は賢いから、働かないで他人の金を盗む。私は愚直だから、その金を取り返そうとする、でしょう。
なぜ、周桂芳がこの手紙に過敏になるのでしょうか。銀行預金窃盗の周とまだ阿片の抜けきっていない夫は、緑の三角帽子を被せられ、親戚一族、人民政府、共産党内を引回されて恥ずかしいのです。それもその筈です。わずか一年前は、周桂芳は日本人三人を故郷の衡陽に連れてきて観光させ、コネ(縁故)ができたと鼻が高かったのです。今は、穴があったら入りたいでしょう」
「周桂芳は、預金窃盗後、まっすぐ故郷へ戻りました。その後、私が周易明に盗んだ金の返還に迫ると、暴力団と身内を集めて、私に襲いかかるのです。私は、目を殴られ、危ないところでした。一瞬、気を失いました。幸い目の怪我は二週間、視力回復には一ヶ月でした。
通訳が投資者を騙せば、簡単に会社資金が盗み出せる、こんな事を政府が許したらどうなるでしょうか。外国人は、怖くて投資どころではありません。ですが、衡陽では、これが許されるのです。黒い金が環流するからです。周一族は、その代表でしょう。四人の娘たちを見れば明らかです。身につける物は、ブランド(一流)品ばかりです。李一族も、同様でしょう。校長が賄賂の山、は常識です。
町の発展は、阿片の密売や外国人からの金品強奪によってではありません。あくまで、産業投資によってです。今、日本からの投資は、中国全体ではどんどん進んでいるというのに、衡陽へは遅々(ちち)として進みません。地方政府の政策は、まるで投資者を追い出すも同然だからです。今や、衡陽の幹部の腐敗は全国で有名になっています。そのことを、何清漣は嘆いています。湖南省が生んだ学者ですよ。この事を、肝に銘じておいてください」
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