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3、好くない事
ここで取り上げる文は、前段は、芝生の上でサッカーをすると好くない、後段は、水の無駄使いは好くないという文だ。こういう事が書いてあると思って読み進めて欲しい。必ず分かる。
图上 画 的 是 几个 小朋友 在 草坪上 踢 足球,
図上に 描かれた① 物は それは 何人かの② 小さな子供達で
図面上のものは、何人かの子供達で、芝生でサッカーをしていて、
一位 大 姐姐 劝 告 他们 要 爱护 草坪。
一人の 大きな お姉さんが 勧めて 告げた③ 彼らは 今から 愛護すべきだ④ 芝生を と
ある大きなお姉さんが、彼らに芝生を保護すべきだ、と勧告(/注意)した。
我 会 对 他们 说 如果 在 草坪上 踢 足球,
私は
私は、彼らに、ひょっとして言うかも知れない。もし、芝生でサッカーをするならば、
会 伤 害 小草, 使 它们 慢慢 干枯,
ひょっとして⑦ 傷を付け 害する⑧ 小さな草を そして 使う それらを そして ゆっくりゆっくり 枯らすかも知れない
ひょっとすると、小さな草に害を与え、徐々に枯らしてしまうかも知れず、
人们 就 看 不到 绿色的 草地,
人々は それで 見ようとしても⑨ 至らない 緑の 芝生に そして
人々は、そうだと、緑の芝生が見れなくなり、
公园 就 不 美丽 了。
公園は それで
公園が⑪、美しくなくなってしまいます。
①「画」:「描いた」か「描かれた」か。「人」を描く必要がある場合は、この区別は大事だ。そうでなければ、どちらでも構わない。日本語でも同じだ。前者ならば、「誰かが描いた」とすればいいが、余り意味はない。我々は、英語の影響を受けたので、受け身か能動の区別が大事だと思うだけだ。
②「几个」:「疑問」は、「一体」「果たして」など強調する言葉を使うと繋がりやすいが、「いくつ」は違う。だが、後に「か」という疑問助詞を付ける。これで(強調の)平衡がとれている。
③「劝 告」:日本語にも「勧告」という言葉があるから、それにしたがってもいいが、1文字ずつ言葉の論理を確認することはもっと大事だ。「勧める、そして、告げる」→「勧めて、告げる」→「勧め(e)、告げる」→「勧告」。
④「要 爱护」:「今から愛護‥‥」。その後をどうするか。「勧告」の内容だから、「すべきだ」となる。なお、「要」の締括りの言葉は、英語の5助動詞だ。
⑤「我会‥说」:主語が「私」なので、「私は、会して‥‥(できる?)」。その後どうするか。「できる」でよさそうだが、少し違和感がある。「勇気を振るって」と付加せねばならない。そこで、「かも知れない」となる。
⑥「如果」:「もし‥‥ならば」と呼応するが、どこまでかかるか。「動詞」ごとに確認する。ここでは、次の行に「会」が出てくると、「条件節」でなくなるのが分かる。
⑦「会」:後の「傷害」の言葉を見ると、「傷を付けることができる」では可笑しいことが分かる。「傷害するかも知れない」となるのが分かる。
⑧「伤害‥干枯」:「会」の内容はどこまでかかるか。第1動詞は「伤害」、第2動詞は「干枯」。次の文を見ると、「就」がきて、「A就 B(A → B)」の構造が見えるから、「会」は、「干枯」で終わりだと分かる。
⑨「看 不到」:「動詞」の後に「不」が来た時は、「ても」の強調形(逆接)にすると、下へ繋がる。「見ても、終わりまで到達できない」→「見られない」となる。
⑩「就‥了」:これは、「就く‥‥それが完了する」の意味。この文の内容は、「悪い結果が生ずる」のだから、「汚くなってしまう(完了という真理)」とする。
⑪「公園が」:「が」ならば「明示(客観)」。「は」ならば「頭脳(主観)」。前文の結論を言っているのだから、「が」の明示形をとった方が理に適う。
解釈が終わったら、言葉の論理が分かっているかどうか、さあ練習してみよう。
图上画的是 几个小朋友 図上に描かれた何人かの子供たちが、
在草坪上 踢 足球, 芝生でサッカーをしています。
一位大姐姐 劝告 他们 要 爱护 草坪。 ある大きなお姉さんが、
彼らに芝生を保護すべきだ、と注意した。
我会 对他们 说 私は、彼らにひょっとして言うかも知れない。
如果在草坪上 踢足球, もし、草原でサッカーをするならば、
会 伤害 小草,使 它们 慢慢 干枯, ひょっとすると、小さな草に害を与え、
徐々に枯らしてしまうかも知れない。
人们 就 看 不到 绿色的 草地, 人々は、そうすると、緑の芝生が見れなくなり、
公园 就 不美丽了。 公園は、こうして美しくなくなってしまいます。
(続き)
图上 画 的 是 一个 小朋友 见 妈妈 洗 菜 时,
図面上に 描いた ものは①
図は、ある子供が母が野菜を洗っているのを見た時(のものであり)、
水 都 流 了 出来, 他 劝 妈妈 要 节约 用水。
水を④ 全て 流して しまって
水を流しっぱなしにしていて、そこで、彼は、母に水は節約すべきだと進言した。
我 会 对 妈妈 说 我们的 生活 离 不开 水,
私は 会した
私は、母に会って言った。私たちの生活は、水から離れられず(/とは切っても切れず⑩)、
老师 告诉 我们 地球上的 淡水 越来 越 少,
先生が 教えた⑪ 我々に 地球上の 淡水は
先生は、我々に教えてくれた。地球上の淡水は、ますます少なくなってきて、(/た、と。そして、)
所以 我们 一定 要 爱惜 水。
だから⑬ 我々は 必ず⑭ 今から哀惜せねばならない 水を、と
だから、我々は、必ず水を大事にしなければならない、と。
①「画 的」:「的」は、「もの/物/事/所」などの総体で、「名詞化語」だ。ここでは「物」。だから、「描いた物」となる。前段では、「描かれた」としたが、ここでは、「描いた」としてみた。
②「见」:「見る」は、「誰が、見る、誰が、どうしているのを」となる。または、「誰が見た、それは、‥‥しているところ、だ」となる。「それは型」の方が下へ続けやすい。
③「时」:「〜の時」で、前半が長い時は、「‥‥をした、その時/そのような時」とするとよい。感じは、日本語も中国語も同じだ。
④「水 流了」:「水を 流した」か「水が 流れた」か。「絵画的」言語では、「水が流れて」いればよく、文法などはどうでもよい。つまり、「を(人が、それを支配して)」でも「が(それが、自力で)」でもいいのだ。日本語でも同じ感じだが、「を/が」に分けるから、後をどうするかが問題となる。3章1節参照。
⑤「出来」:「できる」とは、「字」から分かるように、「結果が外に現れる」との意味だ。日本語では、「いい結果」が出ないと「できる」とは言わないが(←スポーツ選手がよく使う)、中国語では、「広く結果が出れ」ばいい。だから、「出来」を論理解釈すると、「それが、外へ出て、ここへ来る」だ。
⑥「だから」:1文終わり、次の文に移る時には、何か繋ぎの言葉を入れる。絵文字(漢字)である中国語は、絵だけで分かる時には、説明語は入れない。ここでは、軽い繋がりで、「だから」を入れておく。
⑦「劝」:「勧める」は、「誰 → 誰に、ある事をするように」となる。
⑧「要 节约」:「要」は「今から」だが、結びの言葉は、「勧める」の内容だから、「‥‥すべきだ」となる。
⑨「离 不开」:中間に「不」があるので、「離しても、開かず(離せない)」「離れても、開かず(離れられない)」となる。「絵文字型」言語では、「自動詞」か「他動詞」かなどと言う必要はない。どちらでもいいのだ。ただ、どちらかに決めれば、日本語では、次の言い方が異なる。
⑩「とは切っても切れず」:⑨において、この場合は、「離す」より「切る」がいい。そうすると、前は、「〜とは、‥‥」となる。
⑪「告诉」:これは、「告げて、訴える」。意味は、「教える」。日本語の「告訴」は、裁判に訴えるというような厳しい意味があるが、中国語では、相手がいる場合に「言う」という程度の意味になる。
⑫「越来 越」:これは、「越えて、ここへ来ると、これから益々越えて‥‥になる」→「ますます‥‥になる」となる。長くなるので、「越えて来ると、ますます」→「ますます」とすればいい。
⑬「所以」:解釈は、「そ(前文物)こから来た所 の物は、以 下の物(結果物)になる」→「だから」となる。
⑭「一定」:「一定」とは、「一つに、定まる」→「必ず」の意味になる。よく、この後「一定要」と繋がる。「必ず、‥‥をすべきだ」となる。日本語で「一定」は、「ある程度」の意味だが、これとはかなり感じが違う。
さあ、練習してみよう。
图上画的是 一个小朋友 见 妈妈 洗 菜 时, 図は、ある子供が母が野菜を洗っているのを
見た時(のものであり)、
水都 流了出来,他 劝 妈妈 要 节约 用水。 水を流しっぱなしにしていて、そこで、
彼は、母に水は節約すべきだと進言した。
我会 对妈妈 说 我们的 生活 离不开 水, 私は、母に会って言った。
私たちの生活は、水とは切っても切れず、
老师 告诉 我们 地球上的 淡水 越来越 少, 先生は、我々に教えてくれた。
地球上の淡水は、ますます少なくなって、
所以 我们 一定 要 爱惜 水。 だから、我々は、
必ず水を大事にしなければならなりません。
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常識と呼応で解釈する中国語
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