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日本語の崩壊を防ごう、送り仮名の法則を調べてみた
このところ、テレビを見ていると、1時間ほど見ていると、20語も30語も新カタカナ語に出くわす(単独カタカナ語、複合カタカナ語)。分からないわけではないが、中には全く分からないものがある。だから、私は、テレビを見るにはいつも電子辞書を用意している。もし、1日テレビを見ていたら、50語は新しいカタカナ語が出てくるだろう。
いや、もう、恐ろしい。こんな調子で、カタカナ語が増えてきたらどういう事になるのか。なら、ちょっと計算してみよう。
1日に50語新語が出てくるのなら、1年では、50×365で18千語、10年なら180千語(18万語)だ。新語ができるということは、今の日本語がそれだけ死んでいくこと。10年後、これだけの単語がカタカナ語に置換わったら、その時、日本語は生き残っているだろうか。深層をなす文法までは死なないと思うが、単語は、大半が入れ替わっているかも知れない。
話は、これくらいにして本論に移ろう。
我々は、日本語を、捨ててはならない。もし捨てれば、近い例では、フィリピンのようになる。いいじゃないか、とは言えない。自民族語がなくなってしまうのだ。いや、安心。フィリピンで全て英語で生活している人は、10%程度だ。なに、あれで10%なら、フィリピン国内の状況はどうなっているのか。他国の事ながら心配してやりたくなる。ちなみに、アフリカ諸国は、何百年も外国に支配されたので、自民族語がなくなってしまった。
今、私は、中国学生用の日本語の本を書いている。最近書いたところをここに紹介してみよう。漢字の送り仮名の送り方だ。
1 送り仮名の通則
日本語とは、主部の「漢字」に、語尾の「平仮名」を付けたような言葉で、平仮名部分の表記をどうするかは、「意味把握」と「読みやすさ」に大きな影響を与える。歴史的には、必要最小限度の「送り仮名」を送ってきたが、特にそれに関する規則はなかった。大戦後は、国民のための国語ということで、「漢字は、易しく」「送りもできるだけ多く」という平易化原則を掲げて改革を行った。
当時の政策は、日本語から「漢字」を亡くすという占領政策に基づき、暫定的な措置として行われたものだった。その後、日本の占領政策が中止されると、暫定政策の不都合が噴出し、国語政策は変更された。その後、国家は、「漢字」と「送り」に関する政策を小出しにし、「送り仮名」については、1981年の決定が最終版となっている。
この最終版に従っても、「送り仮名」は、統一が取れていない。ただ、最終版では、この矛盾をいくらかでも緩和するため、公文書等は「最終答申版」に従うが、それ以外は「合理的」な方法に従ってよいとした。将来の「改訂」準備だと思われる。
2 最終版(81年版)の「送り仮名」準則の拘束性
3つの規制原則を決めたが、大きな原則は、「公用文書」に「常用漢字 2500字」を用いる場合に適用するとしたことだ。詳細は、
ⅰ 拘束:「公用文書(法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など)」に「常用漢字」を使う場合に適用。
ⅱ 非拘束:学術文書(科学・技術・芸術その他専門分野)、個人文書には適用しない。
ⅲ 特殊使用の不適用:漢字の記号的使用、表記入、固有名詞には適用しない。
この決定で大事なところは、我々一般国民や外国人は、合理的だと思われる送り仮名を採用していい事だ。現行の送り仮名準則は、「形式」に重きを置き、「意味」に対する配慮が少なく、転成語の送りが極めて複雑なことだ。だから、準則に従うには、極論すれば「暗記」するしかない。だが、それは無意味。
私は、後に示すが、決定の「許容」が許す範囲で「送り」を統一した方がいいと考える。決定には、「送り法則」について、「本則」「例外」「許容=慣用」という3つの枠を設けたので、この「慣用」の解釈により「合理性」を追求してみる。
3 準則の大枠事項と私案 ‥‥「慣用」を広く使おう
準則は、読みが「変化するか/しないか」という原則を設け、それぞれに例外を設けた。例外の適用範囲が「通則」と同じくらい広く、更に、例外の中にまた「例外の通則」を置かねばならない状況にある。それが、「許容」となっている。
・変化するもの(活用 → 動詞、形容詞、形容動詞)は、変化するところから送る。
但し、転成語は元の送りに従う。(→これが、大問題だ)
・変化しないもの(非活用 → 名詞、その他)は、送り仮名を送らない。
但し、読みにくいもの(副詞、接続詞、抽象名詞)は、最後の読みを送る。
(→転成語の場合、長期間へたものは、転成語かどうか判断に困る)
「送り」の考え方(私案):私は、「例外」と「許容」にまたがる範囲に、3つの原則「典型動作」「連続漢字の一語性」「多使用の優先」を追加したい。
「典型動作」:動詞の態様は、語尾形式によって決まる。例えば、「〜れる」とくれば「受け身」、「〜せる」と来れば「使役」という具合。他にも「動かす」→「かす動作」、「深める」→「める動作」、「隔てる」→「てる動作」など。このような語尾は、一定の役割を持っているので「典型動作」と言える。
私は、この「典型性」を重視すべきだと考える。「通則」に従っても、大体「典型性」を崩さないようになっているが、完全ではない。「許容」でやっと統一が取れ、それでも外れるものがある。だから、特殊な事情がなければ、「かす/める/てる」などの「動作」の特性を優先すべきだと考える。
基本動詞は、「□う」の形をしており、これでは不十分だと「継続性/獲得性」表示の動作として、「いる/える」型の「上/下 一段活用」の動詞ができた。この「一段活用」自身が「典型動作」なのだから、「いる/える」を優先して送るべきだ。
更に厄介なのは、「表(わ)す」のような動作だ。「あす」は、「使役系」の動作だが、長年月がたち「使役性」がなくなった。「洗わす」とは明らかに違う。となると、「表す」とすべきか「表わす」とすべきかが問題だ。国家は、「表す」を原則として、「表わす」も許容した。これでいいが、このような例は広く認めるべきだ。
「連続漢字の一語性」:漢字は、読まなくても見ただけで意味が採れる。これが、「表意言語」の最大の特徴だ。「禁煙」を見てみよ。自明だ。これを「禁じる煙を」では、却って読みにくい。送りを多くして読みにくくなるのは、「複合動詞」の場合だ。「通則」に従えば、「受−取」る動作は、「受け取る」と送る。だが、「受−取 る」は1つの動作だ。通則は、慣用として、「受取る」方式の送りを認めているが、「連続漢字の一語性」広く認めて当然の送りとしよう。
だが、「思−返 す」のように一般化していない動作に「一語性」を認めると、一瞬「しへん す」と読みたくなり混乱する。ここまで、「一語性」を広げる必要はない。
だから、結論として、私は、「読み返す」のように前半の読みが2文字の「□i」の形の「複合動詞」には「一語性」を認め、例えば「読返す」の表記を認め、3文字以上には、「慣用」を重視し他方がいい。大半は、「一語性」を否定した方が読みやすくなる。
「多使用の優先」:漢字「当」からは、「自動詞/他動詞」の必要性から「当たる/当てる」ができた。とは言え、使用率は「当たる」が多く、「当てる」は少ない。問題は、少ない「当てる」があるために、「当−る」の送りは、常に「当たる」とすべきかだ。他にも「終わる/終える」、「隔たる/隔てる」などがある。
慣例では、「当る/当てる」と書いてきた。それで、誤読の恐れがないからだ。送りを入れれば誤読は少なくなるが、瞬時の判断が難しくなる。だから、この慣用性は大事だ。そうすると、「当−る」の送りは、「当る/当たる」「当てる」とするのがよいが、国家はこれを認めている。更に、この慣用性は広く認めるべきだ。とは言え、両使用が多いものまで、「□−る」型を使ってはならない。例えば、「受かる/受ける」「掛かる/掛ける」「伝える/伝わる」など。
全般的に言うと、歴史的送りを広く認めて、出来るだけ送りを少なくし、漢字の表意言語性を重視することが大事だ。
今日は、ここまでにする。
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日本語改革、漢字、表記
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今、日本語について考えていくと、日本はどういう事になってしまうのかと心配になります。
2011/7/7(木) 午後 9:37 [ 出野行男 ]
図を付けてみましたが、うまくできませんでした。
2011/7/7(木) 午後 9:39 [ 出野行男 ]
おはようございます。
転載させてくださいね。ポチ☆です。
2011/7/8(金) 午前 6:30 [ rasen ]
月光山さん、
宜しくお願いします。
ついでです。
「東アジアの動力学 風詠社」が完成しました。
読んで下さい。定価2000円ですが、普通の本の2冊文以上の分量があります。30万字以上です。
このブログにも、その内容の大半は書きましたがそれを纏めた物です。
次は、このブログに書いたような内容を本にします。ご期待下さい。
2011/7/8(金) 午前 8:34 [ 出野行男 ]
ナイス表示ありがとうございます。
今、わたしは、日本の再生と言うことで小冊子を書きつつあります。
2014/11/11(火) 午後 1:55 [ 出野行男 ]