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公明党は、なぜ、選挙供託金を下げるのが嫌なのか
日本の超超高額の「選挙供託金制度」は、世界にも類例のない「立候補」の制限制度で、「民主政治」の癌(ガン)だ。なのに、公明党は、この制度を維持した方がいいという。何故だ。裏を返せば、「公明党」は、民主政治の中では生延びられないからだ。
「選挙供託金」とは何か。その趣旨は、本気で「立候補」する意思もないのに立候補し、世論を攪乱し、選挙を混乱させ、それから何某かの利益を得ようとする者を排除し、民主政治実行のために、真に価値にある立候補者を厳選するためである。
具体的に言うと、40年ほど前の話だが、「東京」では、「背番号候補」というのが流行った。「山田1」「佐藤2」「横山3」‥‥という具合に、名字の後に「1、2、3」という「背番号」を付けた一連の候補者が現れた。本人も、自分が立候補している事を知らなかった場合があったという。選挙結果は、勿論、限りなく「ゼロ票」に近かった。こんな候補者が、毎回毎回ウン十人も現れた。
民主政治の建前から言うと、「政治志士には、自由な立候補権を」。だが、前述のようにこの制度が悪用されると、民主政治自身の根底が崩される。だから、一定の制限は、やむを得ない。だが、「高額」にすると、真面目な「無産者(大衆)」の立候補権を奪うことになる。だから、「制限」は必要だとしても、必要以上の制限は、憲法15条1項の「参政権」を侵害する。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、 国民固有の権利である」。この条文からは、「立候補権」の保障はないように見えるが、「参政権」の中には、当然「立候補権」も含まれる。
その後、「供託金制度」は、どうなったか。日本の経済成長に伴い、政治に無産者(大衆)の「福祉を」「医療を」「生活を」との叫び声が大きくなった。その先頭に立っていたのは、「共産党」。この勢いに圧されて、与党・自民党の勢いが先細りになってきた。と、その頃から「供託金」がうなぎ上り。
今では、市町村議員「30万円」、県会議員「60万円」、知事「300万円」、国会議員は何と「300万円/600万円」。立候補に多少の意思確認「料金」が必要だとしても、何でこんな高額なんだ。特に、国会議員の高額には目を剥く。「世直しのために立候補」しようとしている者の、「意思」を削ぐものとしか言いようがない。ちなみに、欧州はどうか。大体、10分の1から100分の1だ。つまり、学校の「受験願書」並だ。日本の制度の異常が分かろう。
供託金が高ければ、「有名人」「芸能人」「地域名門」「政治二世・三世」その他特殊な人にしか実質立候補権がない。特に、「テレビ芸人」が立候補するようになると、どんなに高尚な志士でも、立候補を諦めざるを得ない。最近の国会議員を見てみよ。3割は、最初から「当選が約束された人」だ。
いや、広義で言えば、半分以上が「テレビ」の恩恵を受けて力行する者だ。「桝添要一」を見てみよ。都知事に立候補して落選した後は、夜の詰まらない番組に出て、必死にその「知名度」を上げようとしたじゃないか。あの醜い姿は忘れがたい。そして、閣僚では、「政治門閥」議員が6、7割まで占めるようになった。総理では、「田中角栄」以外は、全て超門閥議員だ。
さらに、最近では、小選挙区制と絡んで、「選挙区指定」「落下傘候補」「コスタリカ方式」など、訳の分からぬ馬鹿げた「当選保障制度」が出来つつある。さらにまた、「落選防止」保障制度つまり「比例区・選挙区、並立立候補制度」までできてきた。「供託金」を上積みすれば、「小選挙区」で落選しても「比例区」で救済されるのだ。
選挙制度は、「門閥既得権」を維持するために、「超超高額・選挙供託金」と「小選挙区」制度で、ここまで、政治制度が形骸化した。この状態は、正に「衆愚政治」だ。「国家百年の計」を考えず、「愚民」に僅かばかりの「餌」をやり、その裏で「既得権」により、「貴族」に、莫大な利益確保制度を作っているのだ。今、この「衆愚政治」を改めねば日本は沈没する。いや、もう「死に体」になって「国際社会」から消滅しようとしている。北朝鮮にさえ、バカにされている。
何とか、日本が救えないか。私は、選挙制度について色々考えた。十年を要した。到達点が、先に主張した「くじ加味選挙」だ。選挙の最終当選を「神の手」に委ねれば、「衆愚政治」から脱せられると。「私案」の制度では、どんな有名人でも当選確率は67%より上がらないし、一定の民意のある人には33%の当選確率が保障される。つまり、現行制度なら、万に一つ、億に一つ、の当選見込みしかなく、また、供託金没収が目に見える「正論者」でも、33%の当選が保証されるのだ。「神の手」つまり「くじ」には、そのような「国家救済」の「魔力」を秘めている。私は、「紙上試行(シュミレーション)」してみた。結果、この制度は、正確に「政党別の比例代表制」を具現し、しかも「政党のドン」の排除にも役立っていた。正に、夢の「理想選挙制度」だ。
さて、「公明党」の高額選挙供託金制度に戻ろう。公明党はこの極悪「供託金」制度を維持して、どんな「利益」があるのか。公明党の支持基盤は「無産大衆」で、「大衆」は「衆愚政治」の被害者じゃないのか。なのに、何故、公明党が「供託金を下げること」に反対するのか。
そう、公明党には「創価学会」という宗教団体がついており、公明党幹部は、この組織に守られていつまでも国会議員「業」が続けられる。つまり、運動員である「学会員」とその周辺に群がる「知合い家族」によって支えられているのだ。
もし、「供託金」の額が下げられると、「無名の志士」の立候補者数が増え、これらの人が「学会票」を食っていくことが明らかなのだ。少し詳しく言うと、「無産大衆」は、「自民党は、経営者の党」、「民主党は、若手経営者の党」、「社民党・共産党は、大衆党だが、組合などの組織政党」、これらの党では、自分たちの利益は達成できないと考えている。いや、これは理念型で、この理念型は私が考えるもので、これに大きな批判があることは承知しているが、この理念型を敢えて使う。
なら、「無産大衆」は、どうしたらいいか。仕方がない、それ以外の党、「公明党にでも投票しようか」ということになる。これが、「公明党」が今日まで生きながらえた理由だ。
なお、私は、「最下位」の無産者で、「無産者保護」には賛成であるが、「共産党の経済政策」には賛成できない。「将来の発展を考えない、食いつぶし型」福祉政策だからだ。その極論理念型は「ポルポト型・共産主義」だ。「ポルポト型」とは、カンボジアで40年前に行われた政治形態で、国家発展の芽を潰し、知識人・商人を抹殺し(200万人虐殺)、原始共産型社会を目指す政治理念型を言う。共産党からの反論があると思うが、また、機会があったら続きを話そう。
公明党にとって前途は多難だ。「無産大衆」の利益政党は共産党。しかも、「共産党組織」は、末端で常に「学会組織」と対立関係にある。公明党としては、共産党に自由度を与えると、自分たちの基盤が崩れる恐れがある。だから、どんな非民主制度であろうと、自分たちの牙城を守るためには、敢えて、「高額選挙供託金」制度を守らねばならないのだ。
さらに言うと、「創価学会組織」は、宗教団体で、「布教」のためということで「税金は無税」なのだ。憲法20条1項の趣旨による。「信教の自由は、これを保障する」。公明党は、この制度を最大限に利用して、「創価学会」の建物を只で利用し、「組織動員」の選挙をしている。憲法89条は、国家は、公金支出に関し、宗教団体(等)にいかなる「便宜」も図ってはならないと規定している。公明党(=公党)の所業は、明らかにこの制度趣旨に反する。こんな「悪乗り」は、許せない。批判の急先鋒に立っているのが共産党。国会で何回も議論になったが、公明党は、自民党に「忠誠」を誓うことで、その批判をかわしてきた。穿った見方をすると、公明党は、共産党と同じ基盤を持ち、本来「野党」であるはずだが、政府から「脱法・政治運動」を認めてもらうために自民党の子分になったとしか言いようがない。この指摘が間違いだというのなら、「池田大作」よ、自ら「国会証言」に応じろ。今まで、何回自民党に助けられて「逃げおうし」たのは誰のお陰だ。公明党は、直ちに「創価学会組織」の利用をやめるべきだ。いや、止めるのは、「只で学会建物」を利用することと、「只の運動員」を使うことだ。「企業献金」「企業動員」を止めるのと同じ趣旨だ。
以上、長々と「衆愚政治」とそれを利用する「公明党の体質」を述べた。ご読了ありがとうございました。
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