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中国・ホンダ工場で乱闘騒ぎ、結果は
中国広東省・仏山のホンダ自動車工場で、5月26日、賃上げストがあり、スト解除を巡って弱者側(従業員)と強者側(組合員)が乱闘騒ぎになり、弱者側が殴られるという事件が起きた。被害者は、7、8人と報告され、現場に居合わせた警察官は、見て見ぬ振りをしていたとのことだ。
私は、この様子が手に取るように分かる。これと似た経験を、上海の日本語学校で経験したからだ。
1、中国労働者にスト権はない
一般に、中国では、労働者にスト権はない。デモをする事もできない。ただ、工場内は、外からは見えないから、常識の範囲では黙認されている。私がいた日本語学校でもそうだった。
あれは、2003年の新型肺炎が起きた時のことだ。理事長が、それにかこつけて、何の非もない学生200人を退学処分にし、それだけじゃない、学校日数を1ヶ月も短縮してしまったのだ。怒った学生は、理事長を吊し上げにかかった。我々日本人講師は、理事長に無茶くちゃだと言ったが、何の何の。日本人の中にも、理事長はと反理事長派に別れた。とにかく、我々は、うっかり手を出そうものなら、逮捕されるかも知れないと、ただ見ているだけ。我々は、新聞社、テレビ局、教育局(監督官庁)に嘆願を出した。
このような労働争議をしたところで、自分たちの権利が護られる可能性はなく、争議に発展したのならば、相当ひどい労働条件だったと思われる。一般に、広東地方の労働者は、四川辺りから出稼ぎに来た者が多い。四川の人は、広東に出た方が近いからだ。四川の賃金は、無茶くちゃに安い。なら、広東では、そういう労働者を見越して、上海と比べて、賃金は非常に安いようだ。私が直接労働者に聞いたところでは、半分くらいのようだ。
2、懐柔が始まった
ホンダ工場では、懐柔が始まった。よくあることだ。
我々の学校でも始まった。弁の立つ学生を落としにかかる。巧く行かないと、暴力団を連れてくる。我々の所には、ある時、20人ほどよからぬ者が入ってきた。本当の暴力団は、その半分くらいだった。後は、別の仕事場から集めてきた、いわばにわか仕込みの者だった。
ウウも、スウもない。首謀者と見られる学生の部屋に乗り込み、「逮捕」「証拠品集め」。学生は、車に監禁して、泥を吐かせる、とまあこういう事をやった。その次の日から、ヤクザ6人が常駐するようになった。学生は、その者には相手にせず。というより、玄関先に立ってる彼らの前は、小走りで通過。とにかく怖かった。勿論、我々も、小さくなって通過した。
3、交渉決裂
労働者の(違法)ストは、当局の監視の下に行われているので、いつ何時、労働者は逮捕されるかも知れない。常に、そんな気持ちだ。
我々の学校は、こうだった。まず、日本人を学生側から剥がさねばならない。関係当局の公安係がやって来た。開口一番、「中華人民共和国に来た者は、全て本邦の法律に基づいて行動しなければならない」。「法律を破る者は、‥‥の罪になる」。我々は、「分かった、本論を始めてくれ」。それでも止まず、30分ほど説教をしてから、やっと事情聴取になった。余談だが、「本法の法律云々」は、常套手段だ。日本人が被害にあって、当局に訴えると、まず最初にこのセリフを出し、我々を萎縮させてしまう。
そういう事からすると、ホンダ工場でも相当激しく懐柔があったと思われる。
それでどうなるか。我々の話合いの続きをする。理事長が嘘を言った。そんな事はあり得ない。私は、それを見ていた、とある日本人が言った。いや、自分が来た時は、うんぬんと理事長。そこで、なら、証人を呼ぼう。
いや、まあ、驚き。学生は、自分たちは、被害者なのに、理事長の前では、何も言えないのだ。ただ、じっとしているだけ。喋るのも僅か。そして、後になって、我々の前に泣いて謝る状態。我々日本人は、権力者の前では、何も言えない学生にどれだけ驚いたことか。裏返すと、そのように教育されているのだ。
4、実力行使
この段階まで来ると、労働者側も、段々腹が固まってくる。最後まで戦うか、妥協するか。
その前に一つ言いたい。中国では、こういう集会をする時は、名簿に署名する。そして、交渉が巧くいった時は、署名した者のみが恩賞にあずかる。日本のように、そこにいない人には、交渉の恩恵は与えられない。この点は、皆んなしっかり覚えて頂きたい。だから、集会に参加することは命がけなのだ。これは、学生集会をし、名簿を作った時、学生から聞いた。
さあ、実力行使。こうなると、心配な者は逃げる。多分、ホンダ工場でもそれがあった筈だ。
我々の所は、デモは法律でできないから、バスで、当局に嘆願に行くことになった。この時、警察関係者2、3人、教育局責任者5人がやって来た。朝8時にだ。そして、外には、黒塗りの車が10台くらい並んだ。多分、関係官庁だっただろう。
学生達が、集会を開いて、歓声を上げた。そして、玄関を出ようとした時だ。教育局員が、止めろ、止めろ。正に、止めにかかった。学生は200人、局員はどうすることもできなかった。まあ、こんな事で、実力行使が始まった。
そこへ、理事長が、ちょっと待ってくれ、お前達の要求をのむから。これで、騒ぎは収まった。だが、金は、最後の最後まで、払わなかった。何故か、前年にも騒動があり、理事長は、金員の変換を約束しながら、最後は、誰にも一銭も払わなかったからだ。理事長は、多分、その行動を予定したのだろう。
5、乱闘騒ぎ
労働者で、懐柔された者は、職場復帰したとのこと。組合は、後に反撃のために、証拠写真を撮ろう。これも我々の所でもあった。
集会は違法であるから、写真を撮られたら敵わん。労働者は、写真班に迫った。写真班は、最も当局に通じた者だから、その写真が撮れなかったら、証拠が取れない。なら、頑張ったはずだ。警察官が傍にいるのなら、何の心配もなく写真を撮り続けたはずだ。思い出す。50年前の日本、警察官が写真を撮ろうとすると、学生、集会参加者が怒って警察官を袋だたきにする事件が起きた。中国でも同じだ。ここでは、写真を撮っているのは、工場内の別の班だから、喧嘩は、本物だったと思われる。
よし、やったな。組合側が仲間を呼びに行く。もうこれからは、労働者側に勝ち目はない。警察がおれば、安心して、暴力を振るっていく。警察がいないところで事件が起きるのじゃないか。そうじゃない、警察官は、組合側が負けないか見ているだけ。もし負けるようならば、外で待機している機動隊(武装警察官)に応援を頼むのみだ。私は、労働者側がここで負けたのが幸いだったと思う。もし、機動隊が出動するようになれば、死者も出たはずだ。広東州で起きた暴動では、70人の死者が出たことがある。
6、日本人も危なかった
我々は、事件になることを心配して、日本領事館に予め電話を入れておいた。よかった。心配は中った。日本人が説得に応じないと見るや、ヤクザと公安警察5人ほどで、日本人を逮捕に来たのだ。「助けてくれ」、電話は領事館に直ぐ通じた。領事の仲裁で、彼らは逮捕を諦めた。いや、もう、彼らの怒りと落胆振りは、今でもよく思い出す。
私は、こういう事件を目の辺りにしたので、中国公安員のやり方がよく分かる。嘘じゃない。
以上、広東州、ホンダ自動車工場の乱闘騒ぎをこんな風に推量してみた。
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2010年06月01日
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