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4、お互い様ですよ
皆んなが、困っている時がある。そんな時、あなたは、どうしたらいいか。そう、手伝ってやったらいい。どうも有り難う。では、その時どうするか。答は、次に。
山羊爷爷 拉 着 一车 青草, 吃力地 向 坡 上 爬 去。
山羊のおじさんが 引いて いる① 一台の 青草を 苦労して 向かった 坂を 上に そして 這って 行った②
山羊のおじさんが一台の青草(の車)を引いていて、苦労して坂を登っていった。
一只 小熊 看见 了, 连忙 跑过去 帮 着 推 车。
一匹の 小熊が 見た しまった③ 急いで 走って過ぎて行った④ そして 助け
一匹の子熊がこれを見ていて、急いで駆け寄り、車を押すのを手伝ってやった。
车子上了 坡, 山羊爷爷 说:“小熊, 谢谢 你!”
車は 上がった 坂を 山羊のおじさんは 言った 小熊くん 有り難う
車は坂を上がり、山羊のおじさんは言った。「小熊くん、有り難う」と。
小熊 遥 遥 头 说:“没 什么。”
小熊は 揺らした
小熊は、頭を横に振り、「何でもないよ」と言った。
小猴 上 树 摘 果子, 一 不小心 从 树上 摔了 下 来。
小猿が 上った 木に そして 摘んだ 果実を そして ちょっと⑥ 不注意で
小猿が木に登り実を摘んだ。そして、不注意で木から落ちてしまった。
在 树下 玩 的 小熊 抱起 小猴 就 往 医院里 跑。
木の下で遊んでいた小熊は、小猿を抱き起こし、直ぐに病院へ走っていった。
猴爸爸 感谢 小熊 及 时 救了 小猴,
猿のお父さんは 感謝した 小熊に そして 間に合う 時間に⑩ そして 助すかった⑪ 小猿が
猿のお父さんは、小熊に感謝し、ちょうどいい具合に、小猿が助かった。
小熊 摆 摆 手 说 :“没 什么。”
小熊は 横に振った
小熊は、手を横に振って、「何でもないですよ」と言った。
夜里,刮 起了 大风,下 起 暴雨。
夜に⑫ 吹き 始めた⑬ 大風が 落ち 始まった 暴風が
夜には、大風が吹き、大雨が降った。
小熊 住 的 房子 倒塌 了。
小熊が 住んでいる その家が 倒れてしまった⑭
こうして、小熊の家が倒れてしまった。
小熊 急 得 不知 怎么 办 才 好。
小熊は 緊急事態になり⑮ 分からなかった 一体どのように⑯ したら やっと 好くなるか⑰
小熊は、慌てふためき、どうしていいか分からなかった。
“小熊,我们 帮 你了。”
小熊くん 私たちが 助けてやる お前を
「小熊くん、俺たちがお前を助けてやるよ」。
朋友们 一起 动 手, 给 小熊 盖了 一间 新房。
仲間達が 一緒に 動かした 手を そして 手を出し 小熊に
仲間達が、一緒に手を動かし、小熊に新しい家を造ってやった。
小熊 感激地 谢了 又 谢,
小熊は 感激して⑲ 感謝した また 感謝した
小熊は、とても感激して、何回も何回も礼を言った。
朋友们 一口 同声的 说: “没什么。 我们 都 是 好朋友。”
友達は 一つの口にして 声を揃えて 言った 何でもないよ 私たちは 皆んな それは いい友達だ と
友達は、口をそろえて言った。「俺たちは、いい友達じゃないか」と。
①「拉着」:「着」は、「継続」を表し、「拉着」は、「引き続ける」となる。そして、「続ける」は軽いので、「引いている」となる。
②「爬去」:「爬去」は、「這って、行く」。「行く」だけでは掴みにくい時は、「そ」を付け「そこへ行く」とする。一般に、「行く」「来る」の様に「動き」を表す言葉は、「場所」を付けた方が分かりやすい。「そこへ 行く」「そこから 来る」という具合にする。
③「看见了」:ここの「了」は意味が弱いので、「見た、見た、終わった」→「見た」とする。
④「跑过去」:これは、「走った、過ぎた、行った」で、「走って通り過ぎた」→「走り去った」となる。ここでは、「行く」ところは、木の下だから、「駆け寄る」となる。
⑤「帮着」:「着」は軽いので、「助ける、続ける」→「助ける」となる。
⑥「ちょっと」:「一」の意味は、多岐に亘る。「少し(通常)」「少しでさえも(強調形)→全部」。ここでは、「少し」。
⑦「摔了下 来」:「落ちる、終わる、下へ、そこへ近づく」で、「下へ落ちてきた」となる。文意から、良くないことが起きたから、「了」を「しまった」とし、「下へ落ちてしまった」となる。
⑧「的」:「的」は、「そ」「その」くらいだが、前文が長い時は、「その」として捉えておくと文意が把握しやすい。
⑨「就」:「就」は、「A → B」の感じだから、「それで」「それから」となる。「そ」は、前述のことを指す。
⑩「及时」:これは、「及ぶ、時に」で、「いい時に」となる。
⑪「救了 小猴」:これは、「助ける、小猿を」か。勿論、それでよい。しかし、「絵文字言語」では、「自動詞」「他動詞」の区別はない。そしてまた、「は、を」の区別もない。両方を「が」で置換えてもいい。そうすると、「助かる、小猿が」となる。この現象を、「中国語独特の」という者があるが、上のように解釈すると、特異現象ではなく、「絵文字言語」に伴う「一般現象」だ。日本語も、この流れを汲んでいる。「を」とすべき所が、「は」で書けるのはその証拠だ。
⑪「夜里」:どのように助詞を付けるか。「(裸で)夜(中国語調)」「夜に(時の明示)」「夜には(話題となった時=夜の話)」の3態ができる。ここでは、「大風」が吹くのだから、「話題」が適当だ。
⑫「刮起了」:これは、「吹く、始まる、終わった」→「吹き始めた」となる。
⑬「倒塌了」:これは、「倒れた、終わった」だが、「悪い内容」だから、「倒れてしまった」とする。
⑭「急得」:これは、「急いで、得る」だが、何を得るのかと考えると「気」だ。「気が急いだ」となる。その後が「不知」だから、「急いでも、どうしていいか分からない」→「慌てふためく」となる。簡単に言うと、「急(気が急いで)、得(その状態になって)」だ。
⑮「怎么办」:これは、「一体、どのようにするか」となる。「一体」を入れると、繋がりの調子がいい。
⑯「办才好」:「どうしたら、やっと、よくなるか」→「どうしたらいいのか」。
⑰「盖了」:これは、「蓋(屋根)を付けた」の意味だが、これで「家ができる」の意味になる。
⑱「感激地」:これは、「感激、そのように(/その状態で)」、次が「動詞」だから、「感激して‥‥」となる。
山羊爷爷 拉着 一车 青草, 山羊のおじさんが一台の青草(の車)を引いていて、
吃力地 向坡上 爬去。 苦労して坂を登っていった。
一只小熊 看见了, 一匹の子熊がこれを見ていて、
连忙 跑过去 帮着 推车。 急いで駆け寄り、押すのを手伝ってやった。
车子上了 坡, 山羊爷爷 说: 車は坂を上がり、山羊のおじさんは言った。
“小熊,谢谢 你!” 「小熊くん、有り難う」と。
小熊 遥遥头 说:“没什么。” 小熊は、頭を横に振り、「何でもないよ」と言った。
小猴上 树 摘 果子, 小猿が木に登り実を摘んだ。そして、
一 不小心 从树上 摔了 下来。 不注意で木から落ちてしまった。
在树下 玩 的 小熊 抱起 小猴 木の下で遊んでいた小熊は、小猿を抱き起こし、
就往医院里 跑。 直ぐに病院へ走っていった。
猴爸爸感谢 小熊 及时 救了 小猴, 猿のお父さんは、小熊に感謝し、
ちょうどいい具合に、小猿が助かった。
小熊 摆摆 手 说 :“没什么。” 小熊は、手を横に振って、
「何でもないですよ」と言った。
夜里,刮 起了 大风,下起 暴雨。 夜には、大風が吹き、大雨が降った。
小熊住 的 房子 倒塌了。 こうして、小熊の家が倒れてしまった。
小熊 急得 不知 怎么办 才 好。 小熊は、慌てふため、
きどうしていいか分からなかった。
“小熊,我们 帮 你了。” 「小熊くん、俺たちがお前を助けてやるよ」。
朋友们 一起 动 手, 仲間達が、一緒に手を動かし、
给 小熊 盖了 一间新房。 小熊に新しい家を造ってやった。
小熊 感激地 谢了 又 谢, 小熊は、とても感激して、何回も何回も礼を言った。
朋友们 一口 同声的 说: 友達は、口をそろえて言った。
“没什么。我们 都 是 好朋友。” 「俺たちは、いい友達じゃないか」と。
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2010年09月01日
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3、好くない事
ここで取り上げる文は、前段は、芝生の上でサッカーをすると好くない、後段は、水の無駄使いは好くないという文だ。こういう事が書いてあると思って読み進めて欲しい。必ず分かる。
图上 画 的 是 几个 小朋友 在 草坪上 踢 足球,
図上に 描かれた① 物は それは 何人かの② 小さな子供達で
図面上のものは、何人かの子供達で、芝生でサッカーをしていて、
一位 大 姐姐 劝 告 他们 要 爱护 草坪。
一人の 大きな お姉さんが 勧めて 告げた③ 彼らは 今から 愛護すべきだ④ 芝生を と
ある大きなお姉さんが、彼らに芝生を保護すべきだ、と勧告(/注意)した。
我 会 对 他们 说 如果 在 草坪上 踢 足球,
私は
私は、彼らに、ひょっとして言うかも知れない。もし、芝生でサッカーをするならば、
会 伤 害 小草, 使 它们 慢慢 干枯,
ひょっとして⑦ 傷を付け 害する⑧ 小さな草を そして 使う それらを そして ゆっくりゆっくり 枯らすかも知れない
ひょっとすると、小さな草に害を与え、徐々に枯らしてしまうかも知れず、
人们 就 看 不到 绿色的 草地,
人々は それで 見ようとしても⑨ 至らない 緑の 芝生に そして
人々は、そうだと、緑の芝生が見れなくなり、
公园 就 不 美丽 了。
公園は それで
公園が⑪、美しくなくなってしまいます。
①「画」:「描いた」か「描かれた」か。「人」を描く必要がある場合は、この区別は大事だ。そうでなければ、どちらでも構わない。日本語でも同じだ。前者ならば、「誰かが描いた」とすればいいが、余り意味はない。我々は、英語の影響を受けたので、受け身か能動の区別が大事だと思うだけだ。
②「几个」:「疑問」は、「一体」「果たして」など強調する言葉を使うと繋がりやすいが、「いくつ」は違う。だが、後に「か」という疑問助詞を付ける。これで(強調の)平衡がとれている。
③「劝 告」:日本語にも「勧告」という言葉があるから、それにしたがってもいいが、1文字ずつ言葉の論理を確認することはもっと大事だ。「勧める、そして、告げる」→「勧めて、告げる」→「勧め(e)、告げる」→「勧告」。
④「要 爱护」:「今から愛護‥‥」。その後をどうするか。「勧告」の内容だから、「すべきだ」となる。なお、「要」の締括りの言葉は、英語の5助動詞だ。
⑤「我会‥说」:主語が「私」なので、「私は、会して‥‥(できる?)」。その後どうするか。「できる」でよさそうだが、少し違和感がある。「勇気を振るって」と付加せねばならない。そこで、「かも知れない」となる。
⑥「如果」:「もし‥‥ならば」と呼応するが、どこまでかかるか。「動詞」ごとに確認する。ここでは、次の行に「会」が出てくると、「条件節」でなくなるのが分かる。
⑦「会」:後の「傷害」の言葉を見ると、「傷を付けることができる」では可笑しいことが分かる。「傷害するかも知れない」となるのが分かる。
⑧「伤害‥干枯」:「会」の内容はどこまでかかるか。第1動詞は「伤害」、第2動詞は「干枯」。次の文を見ると、「就」がきて、「A就 B(A → B)」の構造が見えるから、「会」は、「干枯」で終わりだと分かる。
⑨「看 不到」:「動詞」の後に「不」が来た時は、「ても」の強調形(逆接)にすると、下へ繋がる。「見ても、終わりまで到達できない」→「見られない」となる。
⑩「就‥了」:これは、「就く‥‥それが完了する」の意味。この文の内容は、「悪い結果が生ずる」のだから、「汚くなってしまう(完了という真理)」とする。
⑪「公園が」:「が」ならば「明示(客観)」。「は」ならば「頭脳(主観)」。前文の結論を言っているのだから、「が」の明示形をとった方が理に適う。
解釈が終わったら、言葉の論理が分かっているかどうか、さあ練習してみよう。
图上画的是 几个小朋友 図上に描かれた何人かの子供たちが、
在草坪上 踢 足球, 芝生でサッカーをしています。
一位大姐姐 劝告 他们 要 爱护 草坪。 ある大きなお姉さんが、
彼らに芝生を保護すべきだ、と注意した。
我会 对他们 说 私は、彼らにひょっとして言うかも知れない。
如果在草坪上 踢足球, もし、草原でサッカーをするならば、
会 伤害 小草,使 它们 慢慢 干枯, ひょっとすると、小さな草に害を与え、
徐々に枯らしてしまうかも知れない。
人们 就 看 不到 绿色的 草地, 人々は、そうすると、緑の芝生が見れなくなり、
公园 就 不美丽了。 公園は、こうして美しくなくなってしまいます。
(続き)
图上 画 的 是 一个 小朋友 见 妈妈 洗 菜 时,
図面上に 描いた ものは①
図は、ある子供が母が野菜を洗っているのを見た時(のものであり)、
水 都 流 了 出来, 他 劝 妈妈 要 节约 用水。
水を④ 全て 流して しまって
水を流しっぱなしにしていて、そこで、彼は、母に水は節約すべきだと進言した。
我 会 对 妈妈 说 我们的 生活 离 不开 水,
私は 会した
私は、母に会って言った。私たちの生活は、水から離れられず(/とは切っても切れず⑩)、
老师 告诉 我们 地球上的 淡水 越来 越 少,
先生が 教えた⑪ 我々に 地球上の 淡水は
先生は、我々に教えてくれた。地球上の淡水は、ますます少なくなってきて、(/た、と。そして、)
所以 我们 一定 要 爱惜 水。
だから⑬ 我々は 必ず⑭ 今から哀惜せねばならない 水を、と
だから、我々は、必ず水を大事にしなければならない、と。
①「画 的」:「的」は、「もの/物/事/所」などの総体で、「名詞化語」だ。ここでは「物」。だから、「描いた物」となる。前段では、「描かれた」としたが、ここでは、「描いた」としてみた。
②「见」:「見る」は、「誰が、見る、誰が、どうしているのを」となる。または、「誰が見た、それは、‥‥しているところ、だ」となる。「それは型」の方が下へ続けやすい。
③「时」:「〜の時」で、前半が長い時は、「‥‥をした、その時/そのような時」とするとよい。感じは、日本語も中国語も同じだ。
④「水 流了」:「水を 流した」か「水が 流れた」か。「絵画的」言語では、「水が流れて」いればよく、文法などはどうでもよい。つまり、「を(人が、それを支配して)」でも「が(それが、自力で)」でもいいのだ。日本語でも同じ感じだが、「を/が」に分けるから、後をどうするかが問題となる。3章1節参照。
⑤「出来」:「できる」とは、「字」から分かるように、「結果が外に現れる」との意味だ。日本語では、「いい結果」が出ないと「できる」とは言わないが(←スポーツ選手がよく使う)、中国語では、「広く結果が出れ」ばいい。だから、「出来」を論理解釈すると、「それが、外へ出て、ここへ来る」だ。
⑥「だから」:1文終わり、次の文に移る時には、何か繋ぎの言葉を入れる。絵文字(漢字)である中国語は、絵だけで分かる時には、説明語は入れない。ここでは、軽い繋がりで、「だから」を入れておく。
⑦「劝」:「勧める」は、「誰 → 誰に、ある事をするように」となる。
⑧「要 节约」:「要」は「今から」だが、結びの言葉は、「勧める」の内容だから、「‥‥すべきだ」となる。
⑨「离 不开」:中間に「不」があるので、「離しても、開かず(離せない)」「離れても、開かず(離れられない)」となる。「絵文字型」言語では、「自動詞」か「他動詞」かなどと言う必要はない。どちらでもいいのだ。ただ、どちらかに決めれば、日本語では、次の言い方が異なる。
⑩「とは切っても切れず」:⑨において、この場合は、「離す」より「切る」がいい。そうすると、前は、「〜とは、‥‥」となる。
⑪「告诉」:これは、「告げて、訴える」。意味は、「教える」。日本語の「告訴」は、裁判に訴えるというような厳しい意味があるが、中国語では、相手がいる場合に「言う」という程度の意味になる。
⑫「越来 越」:これは、「越えて、ここへ来ると、これから益々越えて‥‥になる」→「ますます‥‥になる」となる。長くなるので、「越えて来ると、ますます」→「ますます」とすればいい。
⑬「所以」:解釈は、「そ(前文物)こから来た所 の物は、以 下の物(結果物)になる」→「だから」となる。
⑭「一定」:「一定」とは、「一つに、定まる」→「必ず」の意味になる。よく、この後「一定要」と繋がる。「必ず、‥‥をすべきだ」となる。日本語で「一定」は、「ある程度」の意味だが、これとはかなり感じが違う。
さあ、練習してみよう。
图上画的是 一个小朋友 见 妈妈 洗 菜 时, 図は、ある子供が母が野菜を洗っているのを
見た時(のものであり)、
水都 流了出来,他 劝 妈妈 要 节约 用水。 水を流しっぱなしにしていて、そこで、
彼は、母に水は節約すべきだと進言した。
我会 对妈妈 说 我们的 生活 离不开 水, 私は、母に会って言った。
私たちの生活は、水とは切っても切れず、
老师 告诉 我们 地球上的 淡水 越来越 少, 先生は、我々に教えてくれた。
地球上の淡水は、ますます少なくなって、
所以 我们 一定 要 爱惜 水。 だから、我々は、
必ず水を大事にしなければならなりません。
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2、雨の話
この節からは、小1教科書による例文だ。日本より遙かに難しいだろう。ここからは、少し纏めて翻訳し、不要な「呼応語」には取消線を入れる。
我 喜欢 雨, 春天 的 雨 使 种子 发芽,
私は 好きだ 雨が① 春の天気
私は,雨が好きだ。春の雨は、種子を発芽させる⑥(/種子に発芽を促す⑦)。
使 大地 一片 桃 红 柳 绿。
大地を一面に⑪、桃を赤く、柳を緑にする。
夏天 的 雨 给 大地 洗 个 澡,
夏の日 の⑫ 雨は
夏の雨は、大地を洗い流し、
人们 觉得 很 凉快。
人々は⑮ 感じる (
だから、人々は、とても涼しく感じる。
①「好きだ−雨が」:日本語では、勿論「雨が 好きだ」となるが、倒置で表現すると、どうしても「〜を」と表現したくなることがある。それは、「が」も「を」も、事実を指す言葉(英語でいう目的語)だからだろう。「好きだ」となれば、その事実をさして、「〜を」としても可笑しくない。倒置では、無理に「が/を」の統一は必要ない。
②「使」:「使う(強使役)」「使いを送る(弱使役)」。広義の使役は、相手に向けた動作の全てに、「使役作用」がある(4章4節)。「絵文字」表現では、その強さまでは表さない。そこで、「使」の解釈は、「強使役(〜を)」から「弱使役(〜に)」にまで広がる。これは後から分かるのだが、「雨 → 種子(自然現象)」ならば、「弱使役」に属する。
③「種子に」:「使いを送る、種子に」となる。「送る」と動詞にしたので、後に、繋ぎの言葉「そして」を入れる。
④「そして」:「使いを送り、そして、発芽させる」と繋がる。
⑤「発芽させる、そして」:全体の1文が終わったので、「そして」を入れる。
⑥⑦「発芽させる」:「雨の作用」をどう捉えるかによって表現が替わる。「強い作用」だと思えば、「させる」となるし、「それほど」でもないと思えば、「発芽を促す」でよい。
⑧「使」:この一連の「絵文字構造」は複雑。「雨 → 大地、その結果、桃を赤く、柳を緑にする」。後は、これを日本語でどう表現すかの問題になる。このままでも文章化できる。「大地に雨が降り、桃が赤く、柳が緑になる」。これでは、「雨の作用」が出ていない。そこで、「‥‥赤く変えてやる/変えてしまう」などを考える。また、本文で示したようにもできる。どれがいいかは、分からない。日本語に表現するには厄介な問題があるが、小学校1年生で分かるのだから、中国語の意味は、感覚的には、上の解釈程度のものに違いない。
⑨「桃红」:「桃が赤くなる」「桃を赤くする」が考えられるが、「雨の作用」を考えると、「桃を」が妥当だ。ちょっと待て。「主語」と「目的語」を勝手に変えてもいいのか。中国語では、「は」「を」の指定は無いから「常識」に従って解釈してよい(3章1節)。判じ物だ。
⑩「柳緑」:これも⑨と同じだ。だけど、「桃红柳緑」で、何で、こんな意味になるのか。それは、朗読の仕方だ。
⑪「大地を一面に」:「大地一片」をどう解釈するか。「大地」は、「指示」されたものだから、「明示」すれば「が」で、「大地が(/は)一面に、桃が赤くなる」となる。「単なる指示」ならば、「大地を一面に、桃を赤くする」となる。雨の作用を考えれば、後者が妥当だ。この辺りは、3章1節参照。
⑫「的」:「的」は、繋ぎの言葉で、「の」「その」「な」「そのような」「という」などで結べばいい。
⑬「给」:「给」は「やる/手を出す」でいいが、「给」の意味は広く、最後に「損得評価」の必要なことが多い。その時は、「给」の訳語は消える。
⑭「洗 个 澡」:これは、「洗澡」の間に「个」の入った形だ、と言う解釈では、いつまで経っても聞取りはできない。どうしても、前からの辻褄が必要だ。「洗う、体を、そして、奇麗にする」→「入浴する」と解釈する。
⑮「人々は」:この文は「人々は‥‥」、前の文は「夏の日は‥‥」で全然繋がっていない。だから、繋ぎの言葉を必要とする。この場合、前文が原因になっているので、後文との間に「だから」と入れればよい。「絵文字型文」では、このように適当に「繋ぎの言葉」を入れる必要がある。
⑯「觉得」:「感じる」は、2つに解釈できる。「感じる、‥‥のように(倒置)」「感じる、それは、‥‥(こと)です(語尾が「ことです」と替わる)」。
⑰「凉快」:「感じる、涼しく」「感じる、それは、涼しいことです」の2つの表現ができる。
さあ、練習してみよう。
我 喜欢 雨,春天的雨 使 种子 发芽, 私は、雨が好きです。春の雨は、種子の発芽を促し、
使 大地 一片 桃红 柳绿。 大地を、一面に桃を赤くし、柳を緑にする。
夏天的雨 给 大地 洗个澡, 夏の雨は、大地を洗い流してくれ、
人们 觉得 很 凉快。 だから、人々は、涼しく感じる。
(続き)
秋天的 雨 给 大地 换上了 金色的 外衣,
秋の日の 雨は
秋の雨は、大地を金色の上着に換えてくれ、
大地 丰收 了。
大地は 豊かに収めた③ そうなった④
そして、大地に豊かな収穫をもたらした。⑤
可是,昨天的 雨 太 可怕 了,
しかし⑥ 昨日の 雨は とても⑦ 恐ろしい
しかし、昨日の雨は、とても恐ろしく、
就 像 天上 有 人 把 一盆一盆水 往 下 倒,
それで⑧ まるで⑨ 天の上に
まるで、天の人が水桶をひっくり返した⑫ようで、
把 道路 和 庄稼 都 冲 坏 了。
道路と作物に大損害を与えた。
①「換えてくれる」:「雨 → 大地、その結果、黄金色」で、原則的には、「大地」が利益を受ける。ここでは、これをどう表現するか。 「雨」の立場で書けば、「換えてやる(/くれる)」で、「大地」からは、「換えてもらう」だ。
②「上着に」:「換える‥‥に」と呼応するから、「上着に」となる。
③「丰收」:「豊かに、収める(こと)」→「豊かな収穫」となる。ここも、「雨 → 大地、その結果、収穫」だから、「収穫をもたらす」となる。
④「了」:「了」は、第1義は、「完了」。ここでは、「その状態に到達した」との意味を表す。もし、完了でなかったら、一般論で、「到達するものだ」となる。一般に、「辞書形」より「過去形」の方が、「臨場感」がある。
⑤「もたらした」:③、④の状態を日本語でどう表現するかの問題。「もたらした」くらいが妥当だ。
⑥「可是」:訳語は、「しかし」でいいが、論理解釈すると、「可となって欲しい、だが 実際は、‥‥」と反転する。
⑦「太」:「太」は、「大変多い」だが、更に「行きすぎ」の場合もある。訳は、「とても‥‥多い/とても‥‥多くて、し過ぎる」となる。形の上から、どちらかは分からない、と言うより、中国語では、それを区別しない。日本語では、最終的にどちらか判断しなければならない。ここでは、「恐ろしい」だけで、「〜過ぎる」とはしない。
⑧「就」:「A就 B」の形は、「A だから B」を表す。後は、日本語の問題だ。「単純順接」なら「それで」、「強い順接」なら「それなら」とすればよい。この後に、「それで直ぐに」あるいは「それならそのまま」などと補うと更に意味が明確になる。
⑨「像」:「像」は、「像ができる」で「似ている」の意味。これを呼応で表現すると、「まるで‥‥のようだ」となる。この「まるで」は、どこまで掛かるか。具体的に追っていくしかない。結局、「倒したように」までとなる。
⑩「有」:「有」は、「そこに‥‥がある/いる」と呼応させればいい。「有人」は、定型化され「誰か‥‥」となる。
⑪「往」:「往」は、「行く」の意味で、「行き先は」となる。ここでは、「往下」で、「下向きに」となる。
⑫「ひっくり返した」:ここには「〜した(過去)」の文字がない。「返すように」か「返したように」か。過去形には、「臨場感」があり、この方がいい。なお、日本語の「過去」は、「完了」と実質的に同じだ。
⑬「和」:「和」は、「と」としてよいが、解釈では、「そ(前の事柄)」を補って「それと」とすると汎用性が出る。
⑭「しまった」:「しまう」は、「終う」「仕舞う」で、「仕舞う」には、「最後の踊りが終わり、少し空疎な気持ち」が漂う。つまり、「しまった」とすると、「残念」の気持ちが出る。そこで、日本人は、「悪い事」が起き、それが「現在」に及んでいる時、よく「しまった」と言う。「壊してしまった」とは、その意味だ。
では、練習してみよう。
秋天的雨 给 大地 换上了 金色的外衣, 秋の雨は、大地を黄金色の上着に換えてくれ
大地丰收了。 大地に豊かな収穫をくれる。
可是,昨天的雨 太可怕了, しかし、昨日の雨はとても怖くて
就像 天上有人 把 一盆一盆水 往下 倒, まるで、天上の人がバケツをひっくり返したようで
把 道路 和 庄稼 都 冲坏了。 道路ともう作物を激しく破壊していった。
(続き)
雨 给 人们 带 来 许多 好处,
雨は
雨は、人々に多くのいい事をもたらし、
有时 也 会 人们 带来 灾害。
ある時は
また、ある時は、人々に災害をもたらすことが④ある。
①「帯来」:これは、「帯して、(ここへ)来る」の意味だ。日本語にすれば、「もたらす(←「持って、有らす」)」となる。簡単に「携帯する」としておけば分かりやすい。
②「也」:これは、「それもまた」くらいの意味。意味が広い。3章3節参照。
③「会」:「会」は、「会する」で、「何回か会う」こと。そうすると「できる」「そういう事もある」となる。両者に矛盾はない。ここでは、「雨」についてのことだから、「ひょっとして、‥‥」となる。
④「ことがある」:よく市販の本には、この場合「こともある」と、情緒を表す「も」と書いてあるが、主張が「情緒的」で曖昧になる。「が」は、「明示」で、主張に「客観性」がある。会話では、「情緒」が大事だが、既述には用いない方が確実だ。
さあ、練習してみよう。
雨 给 人们 带来 许多 好处, 雨は、人々に、多くのいい事をもたらし、
有时 也 会 人们 带来 灾害。 また、ある時は、人々に災害をもたらす事がある。
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