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2、和語の深層構造は
想像するに、古古日本人の言葉は、助詞のない「私、魚、食べた」、いや、もっと簡単に「魚、食べた」程度の言葉だった。それでも十分生活できた。
社会が進化し、「ワシ / お前」の区別が必要になった。ちょっと待て、何で「ワシ」なのだ。上海辺りの方言で「ア」は「私」の意味し、これは、日本上代の「吾」に相当し、上海人は、よく「阿拉 (アラ )(発音:アラ,私たち)」と言う。
つまり、「ワシ → お前」「ワシ ← お前」の区別が必要になった。尤も、この段階では、「私は」と動作の主体を示す必要はない。相手方を特定すれば、事は足りた。だから、最初は、「ワシが、お前に」と言うには、指をさして「→ (指 ) お前」としたかも知れない。が、それが段々「に」という助詞に置換わっていく。何で「に」なのだ。分からない。だが、中国語で「に」は「你 (ニー )」で、「お前」を指す。だから、「に」が「向こう側(相手方)」を指す言葉として定着したのかも知れない。
かなり後れて「を」という助詞ができた。「魚、食べた」でも分かるが、中国語をそのまま読むと倒置になるので、それを明らかにするため、「食べた、魚を」と「を」を入れたのだ。漢文読下しには、よくこの「を」が出てくるので、大きな間違いはないはずだ。
そして、最後。「で/て」という「助詞」ができた。「で」は、今日的解釈では「です」で、付帯状況を表し、また、「て」は「そして」の意味で、動詞を下の文に繋ぐ。両者は、一見違うようだが、つい先頃まで、日本語には「濁音」と「清音」の明確な区別はなく、中国語の発音も似ている(清濁の区別は不明確)。両方あわせて、「繋ぎの言葉」だと見てもいい。なお、中国語では、付帯状況を表すには、その態様に合わせて「因」「为」「在」「于」‥‥と分けて使い、動作の連続には、一般に「連結語」は要らない。連続動作には、よく「得(これこれの動作を得て、これこれの結果になった)」を使う。
これだけの「助詞」で、表意者は、大体の意味が表せる。だが、情緒は表せない。そこで、「は」という「助詞」ができた。「は」とは、ちょっと「立止まる感じ」を表す。「はたと」の「は」の感じだ。立止まってどうするか。そう、考える。自ら考え、相手にも考えさせる。その結果、「は」の役割は「話題」を示し、その部分に「情緒」を与えることになった。この「情緒」は、「強調」を表すことが多い。
やっと終わった。これだけの助詞を合わせて「てにをは」という。幼児に言葉を教える場合は、まずこの「てにをは」を教えるが、それは、これだけの助詞が分かれば、簡単な表現ができるからだ。
さて、それで中国語の話に移るが、中国語でも同様なものがあるはずだ。中国語は、日本語と似ているが、違う。中国語は、同じ海洋祖語を持つが、文字の発明により「絵文字化」したからだ(私説)。つまり、「絵文字」中心の言葉では、「誰が:私」→「我」、「時は:昨日」→「昨天」、「場所は:京都」→「在 京都」、「目的は:あなた」→「为 你」、「どうしたか:買い物」→「买 东西」という調子で整理されて行くのだ。ここに人間の英知が見て取れる。言語がこうなるのは、生存競争の激しい大陸で切磋琢磨され、その結果、こんな技術が生まれるのだ。この場合、「あなたに」となる所は、表意の重要部分だと見えて、「对你」「向你」「为你」「给你」などと分化した。
面白いのは、中国語では、「は」「を」に当る言葉がないことだ。或る語が、動詞の位置を基準に、動詞の前にあれば、「主語」と捉えればいいし、後にあれば目的語として捉えればいい。いや、このように捉えるのは、実は英語流なのだ。英文法なのだ。中国語は、こうしなくてもよい。日本語と同じで、冒頭にあれば「話題」、文末にあれば「主語」または「目的語」としてもいい。「はじめに」で示したような文が、いくらでも出てくる。なら、「主語」か「目的語」かがはっきりしないのでは、文意が定まらないじゃないか。そう。だが、常識から、そのどちらかは分かるし、文意把握には、助詞が違っても支障のない事が多い。大雑把に言えば、冒頭の語が「人」ならば「〜は」としていいし、「事柄」ならば、「〜は」でも「〜を」でも文が続けられるのだ。
こんな不明朗では、中国語表現は曖昧じゃないか。心配ない。はっきりさせたい時は、「〜は」ならば「关于」を、「〜を」ならば「把」を、頭に説明語として置けばよい。つまり、前者では、「関連するのは〜、それは‥‥」となり、後者では、「掴む〜を、そして‥‥する」となる。
纏めて言うと、日本語と中国語は共に海洋語で、文の構造は非常によく似ていた。だが、日本語は、海洋語のまま進み、上に示したように、「話題(は)、向うは誰(に)、時は、場所はどこどこ(で)、何々(を)、どうする」という言語構造になった。それに対し、中国語は、日本語表現を絵文字化し、「我、为你、昨天、在京都、买东西」となった。なお、「を」を先に表現するには、「把东西、买了」のようにした。
どうですか、皆さん。中国語は、英語と比べると易しいでしょう。いや、本当に易しい。だが、難しいのは、発音だ。私は、発音の難しさには、閉口した。
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常識と呼応で解釈する中国語
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1章 古日本語の形成
1、南海人と東海岸人が一緒になって
人と言葉は、同時に動く。だから、人の動きが分かれば、言葉の成立がわかる。反対に、言葉から人の動きも分かる。日本人は、どこから来たか。今、盛んに「ミトコンドリアDNA」からその起源が調べられているが、顔かたち、言葉、生業、地理的条件を考えることも大事だ。
日本人の顔かたちは、中国「南方」人と同じだ。なら、日本人の祖先が、大陸東海岸人と共通なのは、考えなくとも分かる。ここで、「南方」を強調するのは、中国浙江省辺りには、日本語と中国語の発音や言葉に共通性があるからだ。
例えば、この地方の方言では、数詞は、「ヤッ、ニ、セン、ス、ン、ロー、チャ、パ、チュ、サ」と勘定する。麻雀をする人なら、この発音を聞いてピンと来るものがあるはずだ。少し補足すると、「ヤッ」とは、日本語で「イチ」を「イッチ」と発音する感じだ。「ニ、サン、ス」に説明はいらない。なお、「サン」は、「セ」とも近い。「ン」は、日本語では「ゴ」をよく鼻音にして「nゴゥ」と発音するが、この「n」の発音が「ン」と似ている。逆に言うと、大陸から「ン」が日本に渡り和語と出会った時、「ン」→「ngゥ」→「ゴ」と変容したのだ。「ロー」が「ロク」になる、これにも説明は要らない。「チャ(チャィ、ツェ)」は、何だ。困ったか。困らない。日本語で「シチ」を「シッチ」と発音しても可笑しくなく、この頭の部分の発音が「チャ」なり、「イッチ」と同じ感じになる。「パ」も分かる。「9」を「クー」と発音してみると、「チュ」の意味が分かるだろう。「ジュウ」は「サ」と言うが、これは、どうやっても「十」とは違う。私は、何回も発音してもらって、どこか「ジュウ」と似ていないかと考えたが、どのように聞いても「ジュウ」とはならない。だが、あった。今でも時たま年齢の勘定に使うが、「三十」のことは「みそじ」、「四十」のことは「よそじ」などと言う。そう、日本語で「十」のことは、「そ」と言ったが、実は、この「そ」は、「サ」が変形したものなのだ。
中国語との関係は分かった。だが、この渡来人が日本に押寄せる前に、日本に「大和言葉」つまり「和語」があったのは確かだが、この和語は、どこから来たのか。北方説、南方説、色々ある。私は、間違いなく南方だと考える。それは、日本語の発音体系が、インドネシア語、タガログ語の「母音系発音」「文法?」が似ているからだ。
私は、インドネシア語を詳しく調べたわけではないが、そんな感じが分かる。ちょっと待て。「気がする」というだけで、断言できるのか。勿論ダメだ。なら、別に根拠はあるのか。ある。ここから、地理学的根拠が大活躍する。
まず、海流の話。西太平洋には、世界最強の「北太平洋海流(日本海流)」つまり「黒潮」が存在する。「黒潮」の流速は、時速7キロにも達し、この速さは小走りにも匹敵する。嵐か遊びかは分からないが、一旦この流れに取込まれると、もう後戻りはできない。あれよあれよという間に、フィリピンから台湾、沖縄、南九州へと流されてしまう。自然に任せても1ヶ月はかからない。そう、こうして長い歴史の間には、インドネシア辺りの南海人(オーストロネシア人)が日本に流れ着くことになったのだ。歴史の本によると、南海人は、3、4万年前には、東京都の八丈島辺りまで流れ着いているという。これを「黒潮文化」などと言う。
その動かしがたい確実な証拠がある。鹿児島県の「上之原遺跡」だ。この遺跡は、桜島火山の火山灰の中から発見され、その年代は、1万年より少し前だという。つまり、確実な証拠から、南海人は1万年前までに日本列島に到着していた。
まだ、もう一つ現代に残る強力な証拠がある。それは、生業だ。南海人の生業は、漁業。魚を獲って生活していたのだ。皆んなも知っている通りだ。そして、南の海は、魚が多く生活は豊か。いや、これは間違っている。南の海は、魚の種類は多いが、量は意外に少ない。北の海の方が多い。それは、大陸から流れ出る餌が腐らないからだ。その事は、南シナ海より東シナ海、東シナ海よりも日本海、あるいは、日本の太平洋沿岸の方が漁獲量が多いことから分かる。また、韓国船、中国船が日本漁業水域でいつももめ事を起こしていることからも分かる。
偶然、黒潮にさらわれた者は、意外にも幸運だった。流されれば流されるほど食糧が多くなっていくのだ。そして、運良く日本に流れ着いた者は、飢えて死ぬことはなかった。こうして、日本沿岸には、南海人が住み着くことになった。これらの人が喋っていた言葉が、南海語つまり古古日本語(大和言葉)だったわけだ。当時の生活は単純で、古古日本語は、「はじめに」で示した通り簡単だったわけだ。
ちょっと待てよ。「ミトコンドリアDNA」の話はどうなったのだ。これは、遺伝子の話で、親子関係を余すところなく明らかにしてくれる。これから出てくる結論の方がもっと正確なのじゃないか。それによると、日本人の起源は、ロシア・バイカル湖近くのブリヤート人との繋がりが最も濃いと言うじゃないか。困った。今までの話は、皆んな根拠薄弱、日本人の起源は北方説に改めねばならないのか。「ミトコンドリアDNA(mDNA)」手法による遺伝経路が明らかになるに従い、日本人の起源は、今大揺れに揺れつつある。
お前、どうするのだ。遺伝子による決定法にも弱点がある。ミトコンドリアの遺伝子経路がたどれるのは、母方だけだ。父が誰かは分からない。特に、動物の生態学からすると、まず、雄がその群れからはじき出されて移動し、別の群を襲うところから始まる。だから、北方の男が、先住の南海人を支配したとしても、その間の出来事はmDNAの変化には現れない。また、南方系は漁労民、北方系は狩猟民で、生業が違い、棲み分けができていただろう。だから、ブリヤートの影響が大きいとしても全部じゃない。いくらか苦しい言い訳だが、北方説がこの言い訳を完全に潰すことはできない。よって、先に述べた「黒潮文化」の仮説は、打砕かれたわけではない。
纏めよう。日本人の祖先は、北から来た狩猟民族もあるが、それより古く、3、4万年くらい前には、日本列島に到着していて、彼らは、古古日本語を喋っていた。実は、この民族を、我々は「縄文人」と呼んでいるのだ。
そして、かなり後れて、2、3千年前から、大陸内の戦役に敗れて、東海岸から東シナ海へ飛込む者があった。これが渡来人で、「弥生人」と呼ばれる。弥生人は、武器を持っていて、漁業しか知らない「縄文人」を瞬く間に征服していく。この戦役が始まってからを「弥生時代」と言い、この時、村から国への変化が起きたのだ。西部劇で見るあのインデアンが白人に蹂躙されていくあの姿と同じなのだ。そして、この時、大和言葉に大変化を起きた。
いや、現代でも、日本語の深層構造はそのままで、日本語がカタカナ語に置き換わっていく現象が見られるが、当時の日本語の変化も同じだったことが読取れる。
ついでだが、なら、中国南方人も、海洋民族系統に属するのなら、そのずっと昔、何で日本語とは違う語順で喋るのだ。いや、困った。やはり、類似の理屈で「中国語化」していくのだ。2節で話そう。
(画像が張り付きません、どうするか考え中です)
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今日から、私が考えた中国語の学習の仕方を公開したいと思います。目 次
1章 古日本語の形成
1、南海人と東海岸人が一緒になって 6
2、和語の深層構造は 9
3、漢文の逐語読下し 11
4、「が」の登場(私説) 15
2章 橋渡しは、「呼応」で
1、「前提」は「在、于」で 17
2、「存在」は「是、有」で 22
3、「手段」は「用、以」で 24
4、「否定」は「不、没」で 27
3章 繋ぎの言葉
1、「格の表示」 ‥‥「て、に、を、は」 29
2、「物の説明」 ‥‥「が、の、な」 36
3、「並列的繋がり」‥‥「と、や」 38
4、「論理の繋がり」‥‥「て、が、に、も」 40
4章 相手のある動作
1、「aれる、aせる」‥‥「在る」「得る」「為る」の付加 45
2、損得表現「やる、もらう」‥‥「请、给」 47
3、受け身・使役 ‥‥「被、使」 50
4、相手に影響を及ぼす動作 ‥‥「叫、让、教、令」 53
5章 動作の意思解釈
1、意思要素の付加 ‥‥ 動作の付加語総論 55
2、動作の未来評価 ‥‥「要、得、会、能、可以」 58
3、動作の現在評価 ‥‥「刚、当、将」 62
4、動作の開始・終了‥‥「起、来」「正、在、着」「过、了」 64
6章 動作の複合表現
1、疑問・否定 ‥‥「不」「是不是」「吗」「呢」 69
2、複合動作 ‥‥「〜地−做」「(易、難)− 做」「做−好」 73 3、順接・逆接 ‥‥「就」「却」と「その他の接続詞」 77
4、論理決定語 ‥‥「只、该、够」 79
7章 さあ、実践しよう
1、学習の仕方 81
2、雨の話 83
3、好くない事 86
4、お互い様ですよ 89
8章 (物語) 一休さん
9章 (物語) 宝瓢箪
10章 (物語) 狐が猟師を打った話
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