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驚き、この中国人、言いたくないが言わねばならない
私の知合いの中国人が、日本と取引をしたいので、私にネットバンクを中継使用させて欲しいと申込んで来た。私は、昔からの誼みで、それに協力することにし、1ヶ月ほどかかってネット口座を作った。
そうすると、彼は、暗証番号を教えて欲しい、その後、暗号を替え、自分だけで取引をしたいと言ってきた。つまり、私を操り人形としたいと言いだしたのだ。そんな事ができる筈はない。私は、断った。それでも、彼が何度も、何度も、自分で入力したい、と。私は、日本の銀行はカードを貸すことは認めていないし、日本にはそんな商習慣はない、と言って彼をなだめた。
そして、約束の日に上海に行った。彼が飛行場に迎えに来るというので待っていた。遅いので、電話してみると、バスが少し遅れている、30分ほど待って欲しい、と。遅い、また電話してみる。と、自由な自分の口座ができますか、との質問。そんな大事なことは、ここではできないよ、後でする、と。
電話をしてからでも1時間経った。騙されているかも知れない。食事でもして待とう。結局、3時間待った。
私は、中国から帰ってきた。中国人が、いくら知合いだと言っても、違法・不当な口座を作ろうとしているとは想いもよらない。いや、まだ、あの時、彼には不都合な事が起きていたのだろう思っていた。で、「あの時、何で、私に無駄足を踏ませたのだ、何か言いたいことがあったら言ってくれ」とのメールを送った。何か、謝りのメールが来ることを期待していた。
直ぐに返事が来た。驚き。こう書いてあるのだ。要旨。
あら、よくも平気でそんな事が言えるね、それは、こっちのせりふでしょ、私を散々無駄足踏ませたのはあんた自身、ほんま自業自得!
ただで、私を使う気か? 冗談じゃない、今まで、あんたに頼んだこと、成功したのは一つもない、銀行口座作ってくださいって本気で頼んでいるのに、結局できなかった。 あんたにコントロールされた口座では、何の意味もないよ。あんたは、もはや何の利用価値もないよ。
もう、中国に来ないでくれ、上海にきたら殺すぞ! 殺さなくでも、散々な目を合わせてやる。上海人は、本気になったら何でもやる、気をつけろ!
と、これが、10年来付合ってきた中国人だ。
最近、個人・中国人による違法な貿易が増えている。彼は、私を使えば、モグリの貿易ができると考えたのかも知れない。盛んに手数料を払うと言ってきた。それが適わないと分ると、「殺すぞ/上海人は何でもやるぞ」との捨て台詞。
どんなに気を許した中国人でも、日本国民に迷惑を与え、引いては、自分自身に被害が及ぶかも知れない事にはきっぱりと断らねばならない。今次の事件では、何回か銀行に足を運ぶという無駄足はあったが、実質的被害は小さく幸いだった。
とにかく、中国人には驚きしかない。ちなみに、私はお人好し。中国では、給料をもらえなかった事が二度ある。違法なことを断ると、給料をくれない。皆さん、良くご記憶ください。
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中国事情、一般
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皆さん、
私は、この8日間、中国旅行に行ってきました。
以前と違って、中国語が上手になってきましたので、街行く人と交流ができ大変面白い旅行になりました。
私は、以前から人類が大陸中国からどのような経路を辿って島嶼日本に来たかということに興味があります。幸いに、今次、浙江省余ようの「河ぼ渡遺跡 7千年前」に行く機会がありました。この地方から、日本に稲が伝わったのではないかという遺跡です。
日本の遺跡に比べると少しもの足らない感じでしたが、多くのものを得ました。疑問も湧いてきました。遺跡は、海抜2mの所にあり、7千年前は縄文時代、この時「縄文海進(5〜6m)」があり、それなら、当時この遺跡は海中にある事になり、ちょっと遺跡年代に矛盾がある気がします。
後でゆっくり考えてみたいと思います。
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中国の食中毒事情、日本人には驚きの中り確率だ
久しぶりに、ブログを書く。
1 最初は、1週間に1度中った
私が、初めて中国に行ったのは、もう15年も前のこと。最初のうちは、いや、もう、中りっぱなし。1週間に1度くらいの割合で中った。ホテルでは、衛生に注意が払われてか、中った記憶ないが、街中の屋台、大衆食堂では、もう、恐ろしくらい中った。尤も、中ることを心配していては、中国には行けないという気持ちだった。中ったと思ったら、直ぐに「正露丸」を飲んだ。この成分は、「フェノール類」で、フェノール類には強力な殺菌性があり、これがあればこそ安心して中てられた。
1年、2年、3年、中る頻度が少なくなっていった。だいぶ中国生活になれた気分になった。まあ、それでも、どんなに長くても2、3ヶ月に1回は、中った。
2 大当たり、1週間以上ぶっ倒れた
さあ、これからが本論。
ある時、2006年、重慶で牛肉面を食べた。その時、肉片が余り熱くないのに気づいていたが、まあ、大丈夫だろうと言うことで食べた。麺類は、面は熱湯の中で温めるが、牛肉は、その上からぱっぱっと振りかけるだけだ。だから、私は、牛肉を面汁にしばらく漬けてから食べれば何でもなかった。今次、言われている生肉の表面の剥ぎ取り、あれと同じように表面を熱湯消毒すれば何でもなかったわけだが、気の緩みがあった。
明くる日、中ったことに気づいた。で、いつものように「正露丸」を飲んだ。2日経ったも、3日経っても治らない。いや、これは、単純な食あたりじゃないぞ。まだ、心配していなかった。
体がだるくなって、ベッドに寝たきり。と、そこで、血便が出てきた。いや、びっくり。そこで、思い出した。55年前、赤痢(法定伝染病)にかかり、病院に強制入院させられた時のこと、あの時、血便が出ていたのだ。
私は、辞書で調べて、知り合いの者に頼んで、薬局へ「赤痢」に効く薬を買いに行ってもらった。いや、その薬のよく聞いたこと。3日目もだめ押しにもう一錠飲もうかと思った。
3 恐ろしく強い薬だった、赤痢薬
はたと気づいた。何となく眼の前がかすんでいるのだ。危ない、目が潰れるぞ。気がつかなかったが、そんな薬を飲んでいた。
皆んな、どう思うか。何を飲んだか分からないが、そんな薬を飲んでいた。日本なら、絶対に、そんな薬を薬局で「赤痢の薬」くださいなんてな事では替えないだろう。
私は、中国滞在10年の間に合計3度赤痢にかかった。いや、病院には行っていないから、赤痢かどうかは分からない。血便が出てきたのだ。2度目からは、慣れたものだが、ある時は、レストランでステーキを食べた時のこと、便の色がおかしいじゃないか。いやに赤いのだ。その次も、赤かった。その時は、それほどひどくなかったが、やはり、例の「赤痢の薬」を飲んだらよくなった。
これで、私の話は終り。
4、初めての人は、大衆食堂へいくな
ある時、2006年の話、日本から来た社長を空港まで送りに行った。中国側の社長が、我々を空港近くの大衆食堂に連れて行った。出されたのは面。
社長が私に聞いた。この面は、食べてもいいか、と。そこで、私は、慣れた者はいいが、慣れない者は、肉を汁につけてからならいいと答えた。
社長は、昼飯だったが、適当な理由を付けて食べなかった。中国側は、その事に気づいたかどうか。知っていれば、トンでもない失礼なことだが、そういうそぶりを見せなかったから多分知らなかったのだろう。
中国の衛生観念は、日本流に評価すれば、「ない」に等しい。最近では、こんな事はなかったが、以前は、生肉を剥き出しで、自転車やリアカーに乗せて運んでいた。ちょっと、覆いらしき物をかぶせているものもあった。その程度だ。私は、その肉を見るたびに、この肉をレストランで食うのかと、ぞっとしたが、1ヶ月も食あたりに遭わなければ、余り注意することもなく、その肉を食べた。慣れは恐ろしいというのか、忘れてしまう。いや、中国人は、平気だから、私もそんな気になってしまうのだ。
中国事情を書いて、今次の生肉食中毒を弁護するわけではないが、やはり、肉は、熱を通すべきだ。私は、中国は勿論、日本でも生肉は食べたことない。そして、離中する頃は、余り売れていないところでは生ものの日本料理も食べなくなっていた。
皆さん、驚いたでしょう。
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アジア大会、中国審判は闇の中
アジア大会のテレビを見ていると、参加諸国から中国の審判は通常あり得ないやり方だと不満があったと放映された。日本のメダル数はもっと上がってもいいそうだ。
指摘例は、中国の出場した競技に、主審を中国にせよ、それが受け入れられないと、強引に副審2人を中国人にしてしまった。サッカーでは、中国には違反カードはないのに、何で相手国ばかりイエローカード、レッドガードが続出するのか。別の協議では、線審を中国人にして、ぎりぎりの判定は何で中国ばかり有利になるのだ。体操では、度重なる曲を間違えは、故意じゃないか。日本は、最終判定で柔道で不満があった。結果は、中国の金メダル100個。どう考えても可笑しいのじゃないか、というのだ。
そこで、思い出す。私は、中国で日本語講師を10年ほどやり、その中で、弁論大会、作文大会を経験してきたが、どう見ても可笑しい判定を何回もみた。その話をしてみよう。
1、東北でのはなし
ある時、弁論大会があった。優勝者は、下手ではなかったが、平凡な弁論。私は、審判員ではなく、自校の学生を引率したただの応援者。
他の日本人参加者は、別の者の方が断然上手だったと言った。私は、自己採点では順位を決めかねていた。だけど、私も1位入賞者には異議ありだった。
当時は、まさか不正があるなんて考えても見なかったが、今考えてみれば、ある学生を優勝させるための裏工作が働いていたとの印象は、拭えない。
2、湖南省の日本文化祭
私は、自分の学生を2人連れて参加した。正確に言うと、その学生のために何回も練習を担当し、これで間違いなく優勝できるというところまで練習させ、そうして会場に乗込んだのだった。
その内の一人の学生、その参加は確か17人だった。大学2年生なら、実質学習時間は1年ちょっと。だから、余り上手じゃない。出場番号は1番。
弁論が終わった時、会場から溜息が漏れた。余りにも上手で、誰が見ても間違いなく2年の部優勝間違いないと思われた。おまけは、私は、予想質問まで用意して練習させ、それが当たっていたので、審判員が「何でそんな事が答えられるのだ」と驚きの質問をしたくらいだった。その時、私は、こんな質問が来るくらいなら、ぶっちぎりの一位を確信した。はっきり言って、3年の部に入れても1位は無理だとしても3位までには確実に入れる水準だと思われた。
結果は、どうだったか、8位以下。とにかく入賞者の中に入っていなかった。我が校の日本語講師は、可笑しいのは当たり前、出場者を間違えたのじゃないかと言う者もあった。本人の落胆も大きかった。私が書いた本を渡しておいたら、1年後、思い出してメールをくれた。また慰めておいた。
もう一人の学生は、作文の部に出場した。私が1期担当した学生で、伸びが著しかった学生。大会に出場したいと言ったので、色々な場合を想定して作文練習をやった。いや、もう、湖南省1位は間違いないと思った。ちなみに、私は、私ほど中国で作文に力を入れて学生指導をした日本語講師はないだろうと自身がある。
作文大会は、決められた課題で、制限時間が1時間半で、実際に別室で文を書くという形式で行う。終了後、文章そのものは発表されなかった。
時間終了後、たまたま一緒になった日本人が、一人とても上手な学生がいたと言った。書かれた内容はこれこれで、こんな言い回しは簡単にできないと言うのだ。私は、にやり。それは自分の学生じゃないか。採点は終わっていたが、私はその事は言わなかった。1位を確信した。
結果は2位。信じ難かったが仕方がない。そんな伏兵がいたのかという思いだった。後で、その学生はどんな学生か分かると、やはり、信じられない気持ちになった。その学生の学校の学生では無理なのだ。無理かどうかは勿論分からないが、常識的に考えて、その学校の日本人に、中程度の水準の学生に対し、省1位になれるほど指導できる筈がない。私は、日頃の私の指導で、その人に負けるなどとは思いもよらないのだ。ちなみに、いくらか自慢話になるが、中国・東北にいるとき、卒論指導で、卒論優秀者は私の学生が殆どだという成績を残した。皆が私の卒論の指導を受けたがっていたという実績がある。
なら、今から考えれば、裏があったとしか思えない。今だから、多分あの採点は可笑しかったと言える。
3、日本留学審査
ある時、日本留学の選考試験を担当した。私は、日本人だから、参考意見を言うだけ。何か意見を発表してもらった。弁論大会と大体同じだ。審査の前に特にそのための練習をするという訳でもなく、日頃の態度とか、全体評価で代表を決めた。最終選考は、中国人が行った。個人留学と違って、何がしかの奨金が出るから頑張らねばならない。
一人は、日本育ちだったので、文句なく日本語が上手。だからと言って、作文だとか、主張の論理の上手さまで上手だという訳ではなかった。その他の学生が、どうしても留学したい、と言って私のところへ来た。試験の2、3日前だ。情熱は凄かったが、成績は並みの上。そんなに行きたいのだったら行かせてやってもいい、そんな感じだった。さあ、別室で口頭試験。私が関与したのは、ここまで。
結果は、日本育ちのその学生ともう一人は、平凡で大人しい学生。この街のどこかの大学の先生の娘。私の作文成績は普通。喋るのも普通。はっきり言って、その学生に決める必然性はなかった。私のところに来た学生と比べても、特に優れている訳でもなかった。紙一重だ。
今から考えてみると、中国事情がこれほど不明瞭なら、日本語科長が買収された可能性がないとは言えないとの感じ。
4、中国の審査は闇の中
今次のアジア大会の中国の強さは驚嘆に値するが、微妙な判定は、誰かの指示で審判結果は事前に分かっている、という感じが強すぎる。
それは、中国に言論の自由はなく、審判長その他の審査員が別室で判断する審判制度を採っていては、不正はやり放題だといってもいいからだ。今度のアジア大会のテレビの指摘を聞いて、やはりそういうものかという思いだ。
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中国の半強制募金
4月14日、中国・青海省玉樹で地震があり、約2千人が死亡した。今回はどうするかと思っていたら、やはりあった。募金集会だ。大講堂に、職員、学生を集めて大募金集会を行った。我々外国人も参加した。地震に対する義捐、特に問題はない。だが、これが嫌み映る。
テレビカメラを入れ、お金を入れるところを写す。そんな儀式をするから、皆んな出て行かねばならない。出て行けば、金を入れないで帰ることはできない。これでは、半強制的じゃないか。50年も前のこと、日本では、「赤い羽根募金」というのがあった、町内会毎に回ってきて、誰それはいくら、誰それはいくらと金額が分かるようになっていた。本当に金がなければ、袖は振れないが、明らかに強制募金だった。非常に批判が強く、止めになった。中国の募金は、正にこれだ。というより、共産党の組織を通じて、集会に徹底参加を呼びかけるから、下部の者は堪ったものじゃない。極めて低賃金の掃除のおばちゃんも参加していた。
いや、それで済めば、しつこいなで腹も癒える。まだ、その後があるのだ。援助先では、「有り難う集会」をやるのだ。今回は、まだ見ていないが、こういう事をやれば、大抵何かやる。
これでは、国民大衆は、政府、共産党に踊らされているのじゃないか。もし共産党がなければ、確かに金は集まらないが、それを共産党がいるから、中国は助け合いの行き届いた国だと宣伝に利用されているようで、どうも気分が悪い。外国人にとっては、「共産党」は、裏ばかりなのに、こういう機会を通じて、共産党の宣伝をするのが非常に気に入らないのだ。
別の話になるが、ある地区で再開発事業があった。そうすると、「共産党のお陰で」街がこんなに奇麗になった。と書いてあるのだ。その裏には、強制立ち退きで、家を奪われた人がかなり沢山いるはずで、そのようなことは一切無視されているのだ。ちなみに、ある地区では、出ていかない者の名前を張出し、強制執行をしたとの文も張出されていた。神戸の大震災の後の新町造り、減歩があり、皆んな、いやいやの移転だった。中国では、ああいうことも一切無い。まだ、お負けがつく。新規事業をすれば、必ず役人の懐は、賄賂で一杯だ。これは、暴動となって現れる。新聞紙上を賑わしている。そして、それを外国が報道しようとすると、政府は、それを抑えにかかる。全く、訳の分からぬ国だ。
なら、こんな儀式はやらなくてもいいのか。難しいところだ。
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