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原発の地震事故、放射線の危険性
東日本大地震で、福島原子力発電所が地震と津波で大事故を起こした。地震から10日経って、自衛隊、東京消防庁の協力で、やっと爆発の危険回避の峠を越えたようだ。
最初の2、3日は、原子炉外壁の爆発が起きるなんて思いもよらなかったが、全ての電源が破壊されると、日に日に温度が上がり、水蒸気爆発が起き、一時は、もう本当に炉心爆発もあるのじゃないかと心配になった。
最も不可解なのは、刻一刻と爆発の危険が迫っているのに、政府も自衛隊も危険を冒してでも放水しようという構えを見せないのだ。出てくる言葉は、放水に対しては、放射線が強すぎて危ない危ないで、手を拱いているだけ。自衛隊は、一度は、ヘリコプターに水を積んで現場に行ったものの、1分かそこいらで水はまいてこれるのにそのまま帰ってきたことだ。また、国民に対しては、放射線量は増えていないから爆発の危険はない、だが、安全のためには20キロ圏は避難せよ。こんな矛盾した対応があるのか。
最後は、外国から、日本は、原子炉の消火は諦めたのではないか、とまで言われた。
1、放射線が強いところには、近づけないほど危険を感じるのか
自衛隊、東京消防庁の会見を聞いていると、隊員の危険が大きくて近づけないとの自己弁護ばかり。
ところで、放射線が強いと、火の中に跳込むような恐怖感があるのか。つまり、強い放射線の危険性が視覚で感じられるのか。発表を聞いていると、そんな感じがもろに伝わってくる。はっきり言って、そんなことがある訳がない。目に見えないは、何らかの教育がなければ、恐怖は感じないはずだ。
2、恐怖は、目しか感じない
私の昔話をしよう。私は、新入社員の頃、鉱山で研修を受けた。穴の中をくぐって行って、さあ、ここから切羽に入るという所は、最大高さ30mの垂直な壁を梯子で上っていく。考えてみよ。地上8階くらいのビルに、安全装置も何もなしで上っていくのだ。もし、足を踏み外したら、それまでというところだ。尤も、10mくらいの所に簡単な踊り場があったから、いきなり30mの落下ということはなかったが、それでも、ただでは済まない高さだ。
我々は、親方の後に続いて梯子を上り下りした。この間、全く怖くなかった。何故か。そう、坑道の中は漆黒の闇、見えるのは、自分の電灯の前だけ。そう、そういう闇夜では、自分が地面から20mくらいの所にいても全く恐怖心がないのだ。見えないということは、実に恐ろしい。正に、めくら蛇に怖じずだった。
そう、見えない放射線が怖いなどということがあるはずはないのだ。少し前の話になるが、東海村で作業員がめくら蛇に怖じずで、やってはならない操作をやっていたので、ある時、ついに臨界事故を起こしたのだった。
別の話をしよう。同じ30mだ。やはり、研修中の出来事。我々研修生は、あの集合煙突に上ってみようかということになった。140mの煙突に上り始めた。地上30mの所に踊り場があり、3本の煙突を繋ぐ通路があった。なら、通路を通って向こうの煙突に移ってみようか。そうしよう。腰辺りまで安全柵が付いていたのに、足が震えて向こうに行けないのだ。どこを見ても、何もない、地上まで遮る物がない空間。落ちるはずはないのだが、すけすけのこんな世界では、ひどい恐怖心。
我々は、2つめの踊り場に上がる勇気がなくなって、ほうほうの体で煙突を降りることになった。
恐怖とは、こういう事をいうのだ。視覚というものは恐ろしい。私は、消防庁の職員が、放射線が強すぎて前へ進めないということはあり得ないと思う。そもそも、その付近の放射線は強くて近づけない程の所か。
3、核実験場ネバタの放射線量
その前に、米国の話をしよう。米国ネバタでは、何回も核実験を行った。その時、地上班の軍人は、「光は見るな、目が潰れる」との教育は受けたが、それだけ。そこで、実験場から数キロの所に塹壕を掘り、ピカドンと爆発の直後、早くも爆発現場に一目散に走り込むという軍事訓練を受けていた。
今から考えれば、即死してもいい線量水準の所へ、防護服もなしで突っ込む軍事訓練だった。兵士は、何回も何回もそんな訓練を受けた。だから、後年、癌にかかる者が多かったと言われた。
まあ、無謀もいいところだったが、今次の原発事故の放射線量と比べれば、恐らくウン万倍の放射能、放射線を浴びたと思われる。感覚的には、燃えさかる残り火の中に入っていくのだから、当然そうなるはず。数値で言えば、何千何万ミリシーベルトの水準になったはずだ。
兵士の受けた放射能水準は、非常に危険な領域にあるといえるが、それが直ちに「死」を招く危険にあったわけではない。その事から考えても、消防庁の危険なんて危険の内に入らない。
4、線量は、CTスキャンの数倍に過ぎなかった
病院に行くと、そう、それならCTスキャンをしてみましょうと言われる。この線量は、医療用だから僅かなものか。トンでもない。CTスキャンは、人体を輪切りにしながら、何回も何回もX線撮影を繰返す。総線量は、通常撮影の300倍で、最高で10ミリシーベルトの放射線を浴びるという。
今次、福島地区で発表された線量は、「マイクロシーベルト」の水準。ミリの1000分の1の量だ。マイクロの位で大騒ぎしているのに、癌患者に照射する1回の線量が10ミリもあるというのは驚きでしかない。癌患者に、健康人の1千倍もいくらも放射線を浴びせるのに抵抗はないのか。しかも、何の危険教育もしなくて。
なら、今次の消防庁職員の浴びた線量は、どれだけだったのか。放射線量がとても強かったのだから、米軍兵士の所までは行かないが、患者の百倍くらいの1千ミリシーベルトくらいにはなったのだろう。
トンでもない。テレビの会見を聞いていると、最高で50ミリだった。何、それじゃ、癌患者は、癌で死ぬのではなく、放射線で死ぬのじゃないか。バカ、見方が間違っている。50ミリという値は、人体に影響を与えないとは言えないが、直接的には、影響のない量で、高々CTスキャンの5倍から10倍程度しかなかったのだ。何で、こんな量が危なくて近づけない値なのか。事故の大きさから考えると、消防士は、全く危険を冒す水準ではない。
ちなみに、癌には「放射線治療」というのがある。これには、放射線を避けるのではなく、癌細胞を殺すということで、大量の放射線を浴びせるのだ。患者なのだから、そんなに多くはないのだろう。じゃない、私の記憶では、5千ミリシーベルトとか言う量を照射するのだ。一度に照射すると、患者が死ぬ恐れがあるというので、これを10回とかいう回数で照射するのだ。考えてみると、この水準から言うと、消防士の放射線の危険性はないに等しい。
5、国家の危機に退院の安全の犠牲は仕方がない
テレビを見ていると、隊員の危険は、安全性を再考して100ミリシーベルトにしたという。そして、実際の被曝線量は50ミリだったという。
今までの議論からして、読者は、原子炉の炉心溶融の危険に対して、隊員の危険は丸で無いに等しいと思わないか。私にはそう見えるが。
消防隊に、お前、日本国のために死ね、と要求できないのは当然。だが、隊員の危険は余りにも低すぎる。今次の原子炉爆発は、やっとなさそうになったと言えるが、いや、冗談抜きに一時は危なかった。危険危険で、地震後一週間ほどは、隊員が怖じ気付いて前に進まなかったのを見ていると、多くの国民は、こんな隊員に何で給料など払わねばならのだ思ったはずだ。
私は、提案したい。大事故、主権侵害に対しては、自衛隊、消防隊員は、国民の何倍かの危険を背負うのは当然の義務だ。癌患者と同程度の危険を負っても少しもおかしくない。なら、国家のために働く者は、一般人の十倍百倍の危険にすべきだ。数値で言えば、危険の程度にもよるが、今次のような極めて危険な段階の国家の危険の時は、1000ミリ程度の危険、無理なら少なくとも500ミリ程度の危険は背負ってもらわねばならない。
ついでに言うと、放射線とは、エネルギー、つまり、振動に過ぎない。放射線を浴びれば、電子レンジの中に入れられたのと類似の反応が起きるだけで、それによって、出来物ができるとか何とかいうような物ではない。被曝が終われば、生体の反応も次第に元へ戻る。ただ、放射能の場合は、「物」であるから、その後も生体に影響を与えるが、防護服を着ていれば、かなりの部分「物質」による汚染は避けられる。こちらは、裸でなければ、かなり安全だ。
合わせて、被曝は、最大無作用量がなかったり、その後、10年、20年後まで癌などになる影響を与えるが、それほど恐れるものではない。災害時の危険との調和を考えるのが、日本国のためになると思うが、皆さんはどう思うか。
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