日本の再生と国際化を考える

英才教育、日本語の国際語化、数値の3桁読み、度量衡改革、漢字仕様電脳、やる事は多い。

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東大生の2桁掛算は、新発見か
 
 東大医学部生が、2桁掛算の新しい方法を発見した、とのライブドアの記事が載っていた。本当に新しい方法か。実は、この計算は、私は5、60年も前からやっているし、ソロバンの掛算は、東大生の発見した計算方法そのものだ。
 
 先ず計算方法を紹介する。例として、
 64×8
 を計算する。これをどのように計算するか。
 
 「ろくは48」で、これを先に計算して紙に書く。その後に「しは32」でこれをその後に書き、中間の「8」と「3」を足して「11」だから、これを重ねる。繰上がった「1」は、先頭の「4」に加えて「5」とするというのだ。紙に書けば、次のようになる。
 
  8 3  →  512
   11 
 5 1
 
 インドでは、19×19までの計算は九九があり、考えなくてもそのまま答を出せる。それに対抗してか、上のような計算が載っていた。だが、何も新しいものはない。この計算の特徴は、上の桁から計算することだ。上の桁から計算することにより、大きな計算間違いをしないで済むところに特徴がある。私が50年前にやっていたのは、検算の意味をかねてやっていた。このような計算は、今はやっていないのか、私は不思議に思う。
 
 振返って考えてみると、今の子供は、掛算は、下の桁から繰上がりを指なり紙なりにメモしてやる計算しか出来ないのか。そんな画一的な算数計算をやっているのか、これにも驚きだ。
 
1、言葉の類型
言葉の発生
 最初の言語は、表現要素の重要性から、「誰/何」「どうする/どうだ」のうち、とにかく「一語」を表現したと考えられる。例えば、「俺/お前」「魚/犬」「取った/食べた」「大きい/赤い」などだ。これには、多分異議はなく、その発生については、私には見当が付かないが、10万年より古かったことは確かだろう。犬や猿でも、遠吠えをして意思疎通しているし、イルカなどは超音波で更新していること当然だろう。だが、100万年/200万年より古いかとなると、疑問がある。いずれにしても、こういう単純な言語の発生は相当古いと見てもいい。
 
2語語への進化
 それより複雑な言語が必要になった。どう変化しただろうか。現在、地球上には6千もの言語があり、語順が微妙に違っている。なぜ、「SVO」になるのだ、いや、「SOV」になるのだといっても、一方言語内の人が他方言語を眺めると、相手方言語が出来ていく過程が奇妙に見えて仕方がない。ましてや、有る民族の言語が他の有力な言語と遭遇して、語順が変化したなどと聞くと、そんなバカなと言いたくなる。少し考えてみよう。
 最初、たった「一語」だった意思表現の要素は、生活の必要性その他の理由で、いきなり「SVOSOV」へと変化したのだろうか。そんなことは無い。世界の言語分類を見ていると、膠着語、孤立語、抱合語、屈折語などとして分類されているから、なぜか、こういう形式の言語が、何となく一直線の目標に向って分化していくように見えるが、これは間違いだ
 言葉の必然性から、当然「二語」になったと思われる。「誰−どうした」「どうした−誰」の形になったはずだ(他にもあるが省略)。「私、食べた」でも「食べた、私」でも分り、その区別はなかっただろう。まだ、面白い事が分る。ところで、前文「、食べた」と後文「、食べた」は、根本的に文の構造が違うのか。現代英語法の感覚から違うだろう。前文は、「食べるのは、私」だし、後文は、「食べるのは、魚」。だから、前文は、合理的に「私は、魚を食べた」で、後文は、「魚が、餌を食べた」となるはずだ。だが、この解釈は、当時の生活常識から見て間違いであるのは明らか。
 日本語ならこう解釈する。前文は「私は、(魚を)食べた」、後文は「魚を、(私が)たべた」と。つまり、二語段階に発展した段階では、生活常識から「は/を」の区別はなく、その場に応じて解釈してよかったのだ。つまり、「主語」と「目的」の区別は必要ないのだ。論理から言うと、言葉で表現することにより実体状況が明らかになるのだが、言葉は、生活の必要に応じて生れ、半分は実体から、半分は言葉から判断してもよいのだ。ちなみに、我々日本人は、米国人に対し「魚、食べた」型の英語を発っすれば、相手は、「餌」でも食べたかと思い、慌てて文を訂正したくなるが、そんな必要は全くない。ちゃんと「私は、魚を、食べた」型に理解してくれる。どんな言葉でも、常識によって理解されているのだ。
 こんな時代は、いつから始ったか。人類進化が新人類にまで達すると、意思表現も豊になり、私は、10万年を境に「二語」という言葉が出来はじめたと思う。
 新人類が活躍する時代になると、急速に言葉が発達し始める。「誰/物 − どうする」型の言葉はどう変化していくのだろうか。第一に考えられるのが、「どうした − 誰/物」だったはずだ。この形式では、現代文法の自動詞・他動詞の常識から、次の4態に別れる。
 
 「、食べた」/「食べた、私」
 「、たべた」/「食べた、魚」
 
 これが、英語文法で表現するときの「S()V()」/「VS」と「O()V()」/「VO」の区分だ。英文法では、文の各要素に「格表示語(その要素の意義を説明する語=助詞)」つまり「主語」だとか「目的」だとかの説明をしないので、上の4文は文法上ひどく異なった文のように見える。その結果が、上に示した例文解釈だ。それに対し、日本語のように「助詞」を付ける言語では、上の4文は同じ内容を表していることが分る。単に「助詞」が省略されているだけだと解釈されるからだ。例えば、こうなる。
 
 「私、食べた」/「食べたのは、私だ」
 「魚、たべた」/「食べたのは、魚だ」
 
 これで、全て同じ内容の文になる。尤も、助詞が10万年前から在ったわけではなく、日本語の生成歴史から見ると、せいぜい2千年前からの話だ。ちなみに、多くの日本語助詞が、中国漢字を取入れて創作されていくのだ。こう考えると、地球上の言葉は、歴史時代に入る直前までは、かなり自由な語順で喋られていたことが分る。
 
3語語への進化
 さて、やがて表現の要素が3語になる時代がやってきた。「私、食べた」「魚、たべた」を1文になったらどんな言葉が出来たか。英文法の原理に従って、「SVO(←主・動・目)」「SOV」のどちらかに分化していくのか。私は、間違いだと思う。2語段階では、「主・動」「動・主」あるいは「目・動」「動・目」の態様が許されていたのに、3語段階では、上の2つしか許されないことはない。当然、上の4文の混合型が出来たと考えられる。その際、その類型は、主語系を幹として、述語(動詞)系を添える形で表現するか、その反対で作られていったと思われる。日本語文法を眺めていると、「主語−述語」の構造をしており、世界の言語も同じ感覚で解釈出来そうだ。
「私、食べた − (それは) 魚だ」              ‥‥印欧語系
「食べた、私− (それは) 魚だ」/「食べた、魚− (それは) 私だ」‥‥アラビア語
「私         − 魚、食べた」/「私    − 食べた、魚」‥‥東亜系
「魚         − 私、食べた」
 全部で大体6種類できる。英語は概ね第1類型、日本語は概ね第4類型、中国語は概ね第5類型だ。尤も、中国語は、漢字の解釈が自由で、第3、第4類型の物も含む。
 
2、要素の説明方式
説明語の添加 ‥‥前・後置詞、修飾方式
 中国語は、その歴史性から考えて日本語に似ている筈だが、英文法に従うと、どうも英語に似ているように見える。それは、中国語が「格表示」に「前置詞構造」を採っているからだ。だが、全体を見ると、中国語は、やはり日本語に近い。それは、文の骨格と同時に各個要素の説明の仕方が関係しているからだ。これには、「格説明」と「修飾説明」の仕方が関連している。
 「格説明」は、文法用語で言えば「前置詞/後置詞(助詞)」をその要素に対してどのように配置するかの問題だ。そして、「修飾説明」は、「去年植えた−桜の木」のようにその要素を具体的に説明するのに、その要素の前に置くか後に置くかの問題だ。順次説明する。
 
前置詞・後置詞(助詞)
 主語を表すにはどうするか、目的を表すにはどうするか、更に、場所は、時は、手段は、となるとここに一つの問題が生じてくる。日本語なら、「私」「何」「何処」「何時」「何で、当然のように思われるが単純じゃない。英語や中国語では、「は/を」に説明語を入れないし(区別なし)、「で/に」は「要素の頭」で行うし、そして、中国語では長い説明の「で/に」は助詞形式で行う。バラバラのように見える。ここに何か法則はないか。その根本を考えてみよう。
 「上海」で場所を表した場合、「上海」は表現の中心語で意味は重く、「で」は軽い。そこで、この表現形式は「重−軽」の表現形式をとっている。なら、「上海の中で」としたらどうか。「の中で」は、「で」だけより表現に重みが増す。そこで、この表現形式は、「重−中」の形式だと言える。英語では、どんな説明語でも中心語の前に付き、日本語では、後に付く。日中英の形式を比較すると、中心語の説明形式に次の違いがあることに気づく。
 
         単純説明    複雑説明
日 : 上海     上海の中で    ‥‥全て後置説明
中 : 上海    上海     ‥‥前;軽い説明、後;重い説明
英 : in Shanhai    within Shanghai  ‥‥全て前置説明
 
 これから言えることは、日本語は、これらの説明語のうち、単純な言葉は「助詞」と呼ばれ、実質を伴うものは、ここには現れていないが「動詞/助動詞」と呼ばれる。例えば、「徒歩京都に行く」の場合、意味は同じだが「徒歩」とすれば「助詞」だが、「徒歩よって」とすれば動詞を使ったことになる。そして、「在上海」の「在」は、前置詞構造をしていて英語の「in」と似ているが、意味は非常に軽く「ある」という意味しかなく、「場所」を表す記号に過ぎない。そこで、「在」は、「介詞」つまり「繋ぎの言葉」と呼ばれる。そして、英語の場合は、「in」は、「中/ある範囲内」を表し、単なる記号のようにも見えるが、「within」すれば、「〜の範囲内で」という実体的意味のある言葉と分ける必要はなく、これらの言葉は「前置詞」と呼ばれる。
 それで、これを文の構造と比較してみると面白いことが分る。日本語では、「助詞」と「動詞」は、文章上「文の要素− 助詞/動詞」の語順をとっていて同順位であり区別の必要性はない。つまり、単純な形が「助詞」で、複雑なものが「()動詞」となる。英語流に表現すると「OV」となる。それに対し、英語は、「動詞」と「前置詞」の文章上の位置が同じで、これを区別する必要はなく、これは「VO」となりなる。いや、面白い。日文と英文は、微小構造も全体構造も同じ構造をしているのだ。
 中国語はどうか。英語に似ているか。それが何とも言えない。例は替るが、「食事をする」は、確かに「」で、「動詞−目的語」で、「介詞−文の要素」と同じ構造をしている。しかし、「吃」は、「把吃了」のように「ご飯を食べる」の形式でも書け、反対の構造にもなる。尤も、「吃了」は、「掴む、ご飯を、そして、食べた」と解釈すれば、語順が逆転する訳ではない。更によく見てみよう。「吃」で一つの「動詞」とは見れないか。他にも「读书」という言葉がある。形の上の意味は、「書を読む」だが、実質は「学問をする」の意味だ。こうなると、「」「读书」は、確かに動詞だ。つまり、「吃」だとか「」だとかは、「介詞」よりいくらか具体的な意味を持っているが、「介詞」と同じ扱いにしても困らない動詞なのだ。再考してみると、具体的描写の「動詞」は「何々を−どうした」となり、一見「動詞−目的」の形の動詞は、一語では表現できない「動詞」と見ることができるのだ。要するに、中国語の「どうする−何を」の部分は、「VO」と「OV」の中間表現なのだ。
 以上から、中国語の構造は、各要素は「介詞−その要素」となっているが、全体は構造は「話題−時−場所‥‥最後に、動詞」となっていて、日本語と同じなのだ。
 
修飾語の形式
 次は、ある要素の具体的説明の方法を見てみよう。日本語は、例えば、「昨日買ってきたばかりの真新しい−鞄」のような形式でし、説明語は、全て説明される言葉の前に付く。非常に分りやすい構造だ。面白い事に中国語も同じ構造をとる。つまり「‥‥ 」のような形になる。それに対して、英語では、「the new bag which I bought ‥‥」の形式をとる。この構造は、抽象的説明は「前に」、具体的説明は「後に」という形式を採っているように見える。なら、全て後からする言葉はないか。ある。ラテン系の言葉だ。なら、もう一度見てみよう。英語の抽象的説明とは、「前置詞」構造の変形とは見れないか。出来る。
 日本語、中国語、英語の構造を総まとめすると、次のようになる。「何が−どうする」に注目し、それにどんな言葉が付加されるかと考えると、世界各国語言語はそれほど大きくは違わない。
 
日本語 :             説明語中心語助詞(−それが)どうする
中国語 : 介 詞説明語中心語        (−それが) どうする何に
英 語 : 前置詞        中心語 説明語 (−それが) どうする何に
 
 
 
 
 
 
算数・数学は、こう勉強しよう
 
 私が読んでいるブログ投稿者が、算数・数学の学習法は間違っているのじゃないかという投書がありました。私も間違っていると思い意見をすると、その方法を是非教えて欲しい、との意見がありました。そこで、私が今次書いた「東アジアの動力学 風詠社」のなかで書いた「算数・数学」の学習法を紹介します。
 
 
教育改革 ‥‥学習塾を経験して
 私は、職業病で、企業を退職してから、かなり長く学習塾をしていた。この時、公立学校では、どんな事をしているのか垣間見た。
 
学校の実情:学校の教師論から始めよう。教師は、将来の戦士を育てる重要な職業。ある時、教師は、聖職か労働者かで議論があった(1970)。教師の資質が低ければ、労働者と言わざるを得ない。これでいいのか。
 誰が言ったのか。たぶん、デモしか先生、いや、間違いなく、デモしか先生だ。「デモしか」とは、先生「デモ」しようか、先生「しか」できなかった先生の事をいう。50年も昔の話だ。で、最近の教師、老人が多い。先は言わなくても分かる。陰から漏れ聞こえる。いや、もう、わしら、着いていけないよ。
 中国と比べてみると、その差たるや歴然校長でも、50歳程度。一般教師は、30歳未満の若者が多い。いや、老人も居るには居る。だが、目立たない。エリート校での、若者先生は、ほとんどが英語を喋る。溌剌している。私は、交流に行ってびっくりした。江蘇省・揚中の中高一貫校だ2005)。
 日本の将来、誰に、任せたらいいのか。ベテラン(古参)教師か、若者教師か。いや、何とも言えないよ、か。若者は、知識だけで教える能力はないよ、か。こんな寝言を聞いているから、日本の国際学力が、日に日に落ちる
 いや、ベテランにだっていい教師はいる。問題は、実力のない教師が多すぎる事だ。私は、定年後渡中した教師と交わってみて、文系教師だとはいえ、理科知識の低さには驚く。いや、今の若者も低い。理系離れは、その一例だ。
 中国は、どうか。大学の文系には、英文科、日文科、旅行科といった学科がある。始業前に、前の授業跡が残っていることがある。積分計算の跡、ベクトル計算の跡。取立てて難しい訳ではないが、日本とは隔世の感。多くの日本の文系学生が、小学校の分数計算ができない。中国では、数学を、論理思考の基礎と考えている、ようだ。そうでなければ、こんな演習をする筈がない。納得。
 戻ろう。皆様、お母様方、ベテラン先生とニューフェース(新米)先生、どちらがいいですか。と、質問してみれば、直ぐ分かる。90%の母親が、新米でも、若者先生がいいと言う。なぜ、分かるのだ。私は、学習塾の経験から学校が垣間見れたし、自らも、よく我が子の学習参観に行ったからだ。
 「ベテラン(熟練)」なんて、嘘ばかり。年を取れば取るほど、無能者が増える。論理思考が、まるでなっていない。若くて、学のある、母親が嘆くのも無理はない。塾に行かせねば、我が子が遅れる。言わずもがなの世情。
 これに対する、学校の弁解。「塾は、先走った事をする」「論理思考をしない」「出そうな所のつまみ食い」、ありとあらゆる非難。間違ってはいない。だが、彼らの無能の裏返しだ。これに、油を注いだのが、マスコミ(報道機関)。この勉強部屋は、お母様方が、共同でする放課後の教室です。子供たちとお母さんで、分からない所の教え合っこしています。だから、落ちこぼれなんか、一人もいません、と。こんな内容、これでいいのか。問題は、マスコミの姿勢にある。
 
2 技術だけで原理を教えない教育:私は、あの頃(1985)、落ちこぼれの実体を見て、原理不足というより、原理なしに、暗記を押しつける学校学習が驚きだった。いや、そんな事はない、との学校の反論が聞こえる。だが、生徒の口から出てくる言葉が何よりの証拠。極めて簡単な原理を聞いても、誰も知らないのだ
 誰かが、「テントウ虫解法」という、算数や理科に使う一般解法を持込んだ。技術としては優れている。いや、この方法自体は、50年以上も前から存在する。違うのは、テントウ虫という生き物を解法に取込んで、表現を柔らげたことだ。だが、残念。これは、解法(技術)であって、原理ではない。つまり、その道具を使っている間は、「簡単だ」「分かった」「そんな事だったのか」と分かった気になるが、一ヶ月もすると、奇麗さっぱり。パソコンの立上げ方を覚えて、プログラム理論が分かった、と言えないのと同じだ。
 私自身の経験で言うと、中学校の物理は簡単だった。高校では、似たような公式ばかりで、手が着けられなかった。大学の教養、これは、ほとんど覚えていない。それから十年、物理の背後の哲学が見えてきた。これぞ、正に自然法則だった。例えば、惑星運動のケプラーの法則、ここに、面積速度一定の法則が出てくる。これは、面積を、エネルギーに化体すれば理解できる。なぜ、あの時、先生が、技術と哲学を教えてくれなかったのか。その時、やっと原理が分かった。
 解法技術では駄目、理論は、肌で感じられる現実模型が必要だ。私は、訴えた。関心を示した親や生徒は少なかった。そんな事で、結局、私は、小中学生用に、30冊を下らない自塾の学参書を書くことになった。
  テントウ虫解法と面積図解法(水道方式)
イメージ 1
 
 テントウ虫解法は、「き、そ、じ」は単に暗記の便宜で、この図は、何も教えてくれない。忘れたら終り。それに対して、面積図解法(水道方式)は、変換解法は、変換後は、面積関係を見ながら、一つひとつ数量関係を明らかにできる。忘れても、縦は、変動する物(量)、横は一様変化の物(量)で、思い出せる。また、この図は、別の数量関係にも使え、応用範囲は広い。
 
 先に戻って、学校学習で大事なことは何だ。原理だ。私は、原理を識者に分からせたかった。そのため、自分の書いた本を、総数なら3千冊は無償で配って、教育関係者と市民に、その重要性を啓蒙した。塾チラシにも、その一部を書いて、何十万枚も配った。だが、効果は少なかった。一般人には、いくらか難しかったのだろう。新聞社にも訴えた。学参会社にも訴えた。が、誰一人として相手にしてくれなかった。
 何故か。何にも増して、マスコミ関係者が、自然科学に極めて疎い事にある。そのため、私が説いている原理を理解できないのだ。あの時、何年もかけて考えた原理は、20年以上経った今も、手に取るように覚えているし、最高だと思っている。未だに、誰かが、理解してくれないかとの淡い希望が棄てられない。
 
 
私の本
「常識と呼応で前から解釈する中国語」
に対する次のような書評がありましたのでここに発表させていただきます。
色つけは、私がしました。
なお、後半に、私の意見を掲げておきます。
 
 
書評:
当方、中国在住5年目の駐在者です。

本書は、実用書です。

本書がとっている中国語解釈の方法は、多義語についてコアイメージを頭の中にいったんプールしておいて、後続の内容で意味を確定させるというもので、コアイメージをプールさせる技術を呼応、後続の内容に応じて意味を確定させる技術を常識、この二つの技術を用いると前から解釈できる、としています。

実際に中国語をある程度速読・即聴できるようになってから本書を手に取ることになりましたが、中国語を前から順に解釈するための技術の記述としては間違っていないと思います。
具体例はあげませんが、思わず膝を打ってしまった箇所も多かったです。

ただし、注意点が3つあります。

1.書かれている中国語に対する速読技術である
2.頭の中で中国語を日本語に直す技術である
3.定説とは言えない著者の持論の中で断言的な部分がある

外国語は、慣れてくるといちいち頭の中で日本語に変換しなくても意味がとれるようになってきます。
それは音と意味がぴったりくっつくという感覚なのですが、本書の「書かれている中国語を日本語に直す」ことに重きを置いてしまうと、聴覚(音)ではなく視覚に頼った理解で満足してしまう可能性があります。
視覚に頼った外国語学習は、読み書きはできるけれども会話はだめ、という状態を生み出してしまう可能性があるので、それでもよい人は別にして、この点注意が必要です。
学習のとっかかりとしては、本書の内容は納得できる部分が多いですので、上記限界を理解したうえで実用書として利用できれば、大変有益と思います。

本書の技術を、音としての中国語に対して日本語に直さないように適用できるようになると、大変素晴らしいですね(多読・多聴が必要と思います)。

著者の持論の部分は、人によっては余計に感じるかもしれません。そう感じる方は実用書と割り切って読まれたらよいかと思います。
また、文法マニアの方が読まれると、文法用語の使い方など目につく部分もあると思いますが、しっかりした文法書を読んでもセンテンスを前から解釈する技術はなかなか得られませんので、良いとこ取りと割り切って読まれるのがよいと思います。

このような内容の本は日本の中国語の学習本の世界ではまだあまり例がありませんので、星4つとさせていただきました。
 
 
これに対する私の意見。
中国語は、漢字を見れば感覚的に分かりますが、どうも正確な意味が取りにくいです。
どうしたら、それができるか。私は、日本と中国の歴史から考えました。
十年考えてたどり着いたのが、この方法です。
 
書評者は、字を見ながら意味を取って行くにはこの方法はいいが、会話には向くかは疑問だと書いていますが、私の経験では、私の方法で中国文を直読即解できるようになったら、会話は、嘘のように上達しました。急速に上手になっていったのは、60才になってからです。ぺらぺらとは言えませんが、とにかく自分の思っている事は、文法的には正しいとは言えませんが、即口から出てくるようになりました。
今、私は、続本として、日本語から中国語をどのように構成していったら著作準備をしています。
 
 

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 世界記憶力大会のテレビを見て
 
今日のテレビを見ていたら、世界記憶力大会をしていました。
いや、すごい暗記力ですね。
 
思い出してみると、私は、40ほど前、テレビ解説と全く同じ事を研究しました。テレビ解説と寸部違うところがありません。
あの記憶力の本は、確か渡辺剛彰でした。電網で調べてみましたら、やはりそうでした。そして、それと全く方法をとり、新聞で何回も何回も宣伝したのが川村明宏理論です。
ということで、この点について少し意見を言いたくなりました。
 
 
1 この方法は、いい方法か、有用だ
 記憶は、何かを見たとき、はっとして思い出します。その意味で、漫然と記憶していたのでは、全く覚えられません。
 この方法は、鮮明な記憶をするために、何かと結びつけて覚えるための道具を用意しています。そして、覚えるべき事が出てくると、それと関連づけて、記憶をなるべく具体的にして覚えます。
 記憶術の基本原理はここにあり、これは正しいです。訓練次第で、テレビで出てきた世界記憶力王の様な事ができるでしょう。
 
2 なら、弱点はないか、単純記憶にしか適応できない
 私は、この記憶法を実際に自分で実行してみました。なるほど、漫然と覚えるのと比べれば、確かに効果はあります。
 しかし、そう、ここから問題なのです。
 記憶術には、記憶目的物と対比させている道具(被記憶媒体)を完全に記憶するところが重要で、これがしっかりしていればしているほど、目的物との結びつきが強くなり、記憶が鮮明になります。
 残念、各種の記憶をしようとすると、被記憶媒体が一つで、目的物が多数ある場合は、媒体1:目的物n となり、何種類か覚えようとすると、媒体−目的物の組合せがいくつもできて、少し時間が経つと記憶が混乱してしまいます。
 それと、もう一つ、媒体の1番目、2番目、3番目ばかり多くなり、それらとの記憶ばかり多くなり、1、2、3との記憶は混乱が多くなります。
 そういう事で、この記憶術は、1回こっきりの短時間の単純な記憶以外の記憶には余り役に立ちません。つまり、この記憶術が役に立つのは、テレビに出てきた単純な数字の記憶とか、トランプの記憶のような物しか有効ではないということです。それが、この方法を私がやってみた感想です。
 
3 一般の理科などの記憶は、モデルでする
 前記の記憶術は、無意味綴りのような記憶に向いています。雑念を排し、集中力を高め、短時間で勝負するような記憶です。
 そして、理科の力の問題の理解のような学習を重ねないと理解できないような内容は、理科の原理を含むモデルを作ってそのモデルとの対比で覚えるのがいいでしょう。
 例えば、「電気」なら、それと相通じるモデルはです。そこで、電気の性質と水の性質を徹底的に比較して、電気の取扱いを完全に水に置換えてしまえば、見えない物が見えるようになり、電気が手に取るように分かるようになるでしょう。
 数学で言えば、速度と距離、鶴亀算、仕事率などの問題は、面積図に置換えれば、これらの目に見えない数量関係が、面積という視覚で捉えられる量に変わり、これまた簡単になります。
 そこで、思い出しました。そう、ソロバンが目に見えない数値を珠という可視物に置換える道具でした。だから、数の足し算、引き算は、数のことは何も考えないで、珠のことだけを考えるようにすれば、計算が速くなるのです。
 
4 具体的可視化、これが記憶術の基本だ
 いわゆる記憶術は、学習を必要とする項目には適応できません。私は、その事に気づきました。
 その後、私は、学習塾を経験しました。ここで、記憶術を利用する学習法を考え出しました。目に見えない物は、モデルに置換えて具体化するという方法です。
 この後を書き始めると1冊の本ができてしまいます。
 その纏めとして、私は、
生活に密着した学習を
という本を書きました。学習は、生活事項と結合して理解せよと言う本です。
続いて、算数の本、数学の本、中学生の理科の本を書きました。
更に考えていると、社会、国語にも、同様な考え方ができることに気づき、社会は、「考える社会」という本を書いてみました。中学生用です。
 全部で35冊以上になったでしょう。
 
 考え直してみると、25才から30才頃まで、記憶術にこり色々考えたことがその後の物事を考える基本になりました。
 ついでに言うと、あの時考えたことは今でもしっかり頭にたたき込まれていて、今でも役に立っています。
 
 

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