日本の再生と国際化を考える

英才教育、日本語の国際語化、数値の3桁読み、度量衡改革、漢字仕様電脳、やる事は多い。

教育

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2 教育、どうして「負け組」に負担をかけないで国際競争力に勝つか

★ 負け組をなくしつつ、国際競争に勝てるのか
 なら、「勝ち組」をつくらないで、「国際競争」に勝てるのか。命題の趣旨は、これと同じだ。無理だ。「技術なし」で世界に勝てる訳がない。だが、やっている国がある。米国だ。常に軍事力で相手に恐怖を与え、相手に譲歩を迫るのだ。このやり方は、侵略戦争に繋がる。だから、この方法だけは、やっては行けない。

 なら、どうしても「技術」により世界競争に勝たねばならない。となれば、「勝ち組」の存在は、不可欠。カンボジアでは、ポルポト政権は、知識人、商人、その他国を動かしている上流階級を全部粛正した。百万人とも二百万人とも言われる虐殺。そうして、完全共産の素朴で平等な社会を造った。よくなったか。トンでもない。原始生活に逆戻りだ。嘘かと思うような、40年ほど前の話だ。


 「勝ち組」はどうしても必要。問題は、その次だ。「勝ち組」に「名誉」以外のどんな「利益」を与えるか。米国流ならば、「搾取」に匹敵する利益を与えると事となる。それほどの利益が得られるならば、皆がそれを目指して頑張るだろうとの考えによる。だが、ここが間違っている。搾取された多くの民衆が怒り狂い、政府は、民衆を抑えるために、軍隊を強化せねばならない。こうして、あの米国の悲劇が起きる。

 ならどうするか。「勝ち組」には、名誉とそれに付随する僅かな利益を与えるだけでよい。大事なことは、少なくても、必ず「利益」が必要だ。そうでなければ、苦しい努力に誰が手を出すか。いい男、いい女。これは、もっと大事。絶対だ。何故、人は頑張るか。勿論、いい異性が欲しいからだ。はっきり言って、これがなければ空しい。それが満たされるためには、通常収入の2倍は文句なく必要だ。だが、それだけの収入を与えても、彼の社会に対する貢献の方が大きいだろう。

 更なる利益はどうか。与えてもいい。その替わり、「自分で稼いだ利益以上の収入」を得る者には、「他人に迷惑を与えた分」だけ社会奉仕をしてもらおう。つまり、「累進課税」。どこまで、必要か。超高額所得者は、その大部分は、「搾取」による収入だ。だったら、最高税率「90%」はあってもよい。日本は、戦後40年がそうだった。
 こうして、「勝ち組」には、高度累進課税が適用される。その割合は、上位5%には90%、上位10%には80%とかいう具合に定めればよい。そして、国民の半分以下は、無税にするとか言うようにすればいい。割合で決めれば、大きな問題は起きない。


 そうすると、どうなるか。「勝ち組」の人は「尊敬」されこそ「妬まれる」ことはない。ちなみに、現実は、「勝ち組」の収入は、「搾取」から得られるものがばかりで、社会に軋轢を生じさせる。「社会的非難」者が多い。例えば、「サラ金のドン」「不動産所得王」。テレビ俳優は、あれは自分の力によるものか。違う。テレビに助けられての収入だ。しかも、一人の者が放映を独占すると、国家の意見が偏り、民主主義の観点からもよくない。だから、彼らには「高度累進課税」をかけるべきだ。



★ 「英才教育」は、「勝ち組」の犠牲において行え
 「高度累進課税」を設ければ、「勝ち組」は強制的に「社会奉仕」をさせられる。この制度さえあれば、「英才教育」によりどれだけ日本の「国威発揚」をしても何の問題も起きない。むしろ、「英才」に日本の国を救ってもらおう。むしろ、我々からお願いしよう。

 なら、一般学生の教育はどうなるのだ。こちらに「競争原理」は程々にせねばならない。さらに下位生には、一般教養と職業訓練を中心とした教育をしよう。それでは、詰まらないか。彼らは、将来エリート(秀才)に助けてもらうのだから、文句は言えない。いや、「勝ち組」に入りたいなら、いつでも努力して普通教育組に入れ、嫌になればいつでも「職業中心組」に戻れるようにしておけば、何の問題もない。

 私は、学習塾をしていたからよく分かる。戻りたくても戻れない学生。こんな制度にするから学生が切れてしまう。私は、下位4分の1くらいは、学問でなく強制職業訓練にする制度にした方がいいと考える。ちなみに、中学3年生でも小学校3年生の算数ができない学生。この学生に2次方程式だの、さらには高校の関数だの、対数などを学ばせるのにどんな意味があるのか。英語は、We are students. などの文をやっていたが、4年目にして、まだ中1の初めの一歩すら踏出せないなら、もう英語なんかやめた方がいい。だが、文部科学省が定めた高校基準によれば、形だけでもやらざるを得ない。早く、常識を取り戻せ。


 纏めて話そう。これは理念型で、小学校から高校を概念的に纏めたものだ。

1 上位10%には、国際競争戦士を育てるための英才教育をしよう。この層には、飛び級を認めよう。大学入試に落ちた者は、飛び級をした分の留年を認めてやろう。また、懸賞金、奨学金をふんだんに出そう。成績が悪くてこの枠に入れなかった者は、強制的に一般学生に戻そう。切り捨てじゃない。マラソンでも、強制走行禁止があるだろう。あれと同じだ。

2 次の40%には、一般学生としての競争をさせよう。つまり、上位半分の学生には、競争原理を取入れた教育をしよう。概ね今の制度と同じだ。

3 中位から25%には、ゆとり教育を施そう。原則として、競争はしない。

4 さらに下15%には、職業訓練を中心とした教育をしよう。
  仮に何か学問的なことを教えても、理解できないし、役立たせることも出来ない。国語だけは、少し多めに学習させよう。

5 最下位10%には、生活と軽作業を中心とした教育をしよう。

 何だ、これは。学生を完全な輪切りにする差別教育じゃないか。そう、だが、学校卒業後の事を考えると、この方がいい。今の虚無的若者(ニート)を見てみよ。仕事が出来ないから、自活すら出来ないじゃないか。高校で分数計算が出来ない学生、英語のABCをやらなければならない学生には、国家は鬼にでもなっても、その学生の将来の生活指導を中心とした教育をすることが、本人のため、国家のための利益にある。差別することが平等に反すると主張してみても、何の利益も出てこない。頭を冷やせ。ちなみに、中国の教育制度は、通常学生には、職業訓練に重点が置かれている。日本も、教条主義をやめ、現実をよく見よう。

1 教育、どうして「負け組」に負担をかけないで国際競争力に勝つか

★ 競争社会は、所与の物だ。既得権を保護してはならない。
 「英才教育」をしなければ、「国際競争」に負ける。自明の理だ。中国を見てみよ。だが、日本では、過度なというか、そうでなくても「負け組(落ちこぼれ学生)」が奔出する。こんなに「負け組」をつくっては、社会・国家が成立つはずはない。もっと「ゆとり」を持とう。なるほど、いい考えだ。戦後の日本は、可及的に競争を廃し、「皆んな皆んな一緒の教育」だった。

 なら、戦後の日本、皆んな一緒に昇段し、皆んな一緒の文化的生活が出来るようになったのか。トンでもない。やはり、上位者5%から10%だけが甘い汁を吸う社会だった。よく考えてみよ。誰が、「ゆとり社会」などと言っているのか。既得権者だ。つまり、ある時、一定の成績を上げ、その後は、甘い汁を吸いながら、何の努力もしていない貴族だ。医師、弁護士、その他資格を持つ者であり、上級公務員、大臣だ。中には、最初から貴族(お坊ちゃん)で、漢字もろくに読めないものもいる。彼らは、他の多くの国民大衆が一定水準の教養を持つことは歓迎するが、それ以上の教養を持つことに反対する。何故か。自分たちの聖域が壊されるからだ。



★ 人類進化の歴史を考えてみよ
 はっきり言って、「ゆとり教育」「ゆとり社会」「ゆとり国家」を主張する者は、既得権者つまり「怠け者」だ。半数以上の大学教授が、「教授の任期制」に反対している。こんな怠け者心では、「学問の進歩」はあり得ない。この「既得権社会」、つまり「貴族保護社会」を打破こそが、社会進歩には必要だ。変化あるいは努力は、進歩の母。生物進化、人類進化を振返ってみよ。その生物、その人種が、逆境に打勝てた時、初めて「進化」つまり「生残り」ができた。

 下等生物の「藻類」、彼らは、水がなくなり生命の危機に曝された時どうするか。驚きに行動を見せる。それまで無性体だった「藻」が「雌・雄」に分かれて、「有性生殖」を始めるのだ。つまり、「セックス」を始めるのだ。「接合」という。遺伝子がばらけて種類の違う「藻」が出来れば、ひょっとしたらその中の一つが生き残ってくれる。そうとでも解釈できる行動をとる。こうして、彼らは、何億年も生きながらえた。私は、面白い実験をしてみた。川砂に朝顔の種を一つ蒔いた。養分ゼロ。どうなるか。1ヶ月ほどで、高さ15センチほどになった。どうなるのかな。驚いた。ある時、一輪だけ花を咲かせ、実を結んで枯れた。何と、涙の出るような努力だった。生物は、限界に置かれると、生命の維持だけは果たそうと努力するのだ。

 人間に当てはめてみよう。男と女。権力と腕力のある「男(皇帝)」でも、一人では生残れない。男は、誰彼構わず女を求め、女は、理不尽でも、それを受入れる「本能」が働く。こうして「遺伝子の変化」が起き、人類は生残りが可能になった。自分は優秀だから「クローン」を創ろうとしても生物進化はあり得ない。いや、何と神の業は凄い。皆んな、外国人と結婚するのは怖いか。混血児は強い、優秀だと。だが、これは一面の真理で、実は怖いのだ。混血児の大半は、藻くずとなって消えていくが、ある者は生残ることがある。この非常に厳しい現実が、人類の進化をもたらした。皆んな、その僅かな期待に自分の人生が賭けられるか。

 安全、安全。男が女を求めず、女が男を排除すれば、社会は成立しない。成熟社会には、どうも、こんな傾向があるが、これは、社会の衰退を意味する。余談だが、日本社会には、どうもそんな傾向が出てきた。中国人に比べたら、性行動が弱い。



★ 戦後の教育は、一直線に「競争」を排除してきた 
 戦後社会を振返ってみよう。ある「教育者」が叫んだ。
「教育とは、豊かな教養をもち、豊かな社会で、余裕のある生活をするための知識と知恵を授けることだ」。

そして、「競争」を極力排除した。こんな教育論は、「言葉の遊び」だ。
反対も言える。
「教育とは、激し生存競争に打勝つために、できるだけ小さい時から訓練することだ」と。なら、「スパルタ教育」か。

 だが、社会が厳しければ厳しいほど、国際競争が厳しければ厳しいほど、「スパルタ式」が真実みを帯びる。「競争」が世界化したのに、「非競争」こそが教育の理想だ、などと言っているから、日本は、今日の体たらくなのだ。


 ええっ、何だって。なら、日本の今日の繁栄は何なのだ。そう、そこを研究すると、今日の日本の教育のバカさ加減が分かる。また、どうすべきかも分かる。

 日本は、明治から昭和にかけて発展し、さらに、戦後の30年ほどは発展を続け、最後の10年は「高度成長時代」とも言われた。この時、日本の教育政策に花が咲いた。戦前に教育を受けた者は、自分の学歴のなさを嘆き、せめて子供だけはその苦しみを味わわせまいと「進学」を勧め、子供の方も、親の苦労を知っているから、「競争心」丸出しで勉強したからだ。我々の時代だ。先生も親と同じ世代で、「競争心」を共有していた。いわば、先生と我々は、二人三脚だった。その花が咲くのが1960年前後からだ。つまり、この年から15年ほどが日本の高度成長期を創るのだ。

 我々が成長している間に、教育界に大きな変化が訪れた。戦後のいわゆる民主化教育だ。皆んな苦しい生活、少しでも全体がよくなる教育をしよう。教育の基準は、上位者に標準とするのではなく、下位者にしよう。そうなると、「競争を煽るな」「集団意識を持たせよう」「底上げをしよう」、いろんな事が言われた。

 特に問題になるのが、「イデオロギー(特定の考え方)」を持込み。これは、厳に排除された。自然科学でも。例えば、「電気」の例で話そう。「電気の挙動」は「水」に似ている。だから、「水との対比」で教えねばならない。だが、電気は水ではないから、「比喩」を持込むことは「イデオロギー」を教えることになる。何故、別の「比喩」が行けないか。結局、電気の学習は、「公式」の説明に終わる。これで、電気のことが分かるか。分かれば、天才だ。いや、分かるのは電気の取扱に過ぎない。諸氏の中に、中学校で習う「オームの法則」「ジュールの法則」さらに「電磁気の右ねじの法則」「フレミングの左手の法則」を覚えている人はいるか。私は、60才を過ぎたが、完璧に覚えている。説明できる。何故か。私は、塾をやっている頃、電流は「水流」に置換え、電磁気は「散水とその風圧」をモデルに使って理解したからだ。「自然科学」は、「比喩」は必要だ。

 「社会科学」はとなると、大いに問題がある。小学校、中学校では、およそ意味のある事は教えられていない。「大化の改新 645年」「鎌倉幕府開設 1192年」。これに一体どれだけの意味があるのか。そもそも、「天皇中心の政治」とは何か。「天皇とは偉い人」なのか、どうなのか。最近、「天皇」とは、中国(朝鮮)から流れてきた一武将のようだと言うことが分かってきた。皆んなは、受入れるか。さらに、「天皇」「貴族」「武士」「百姓」、これらの階級はどんな「感じの人(理念型)」か。言葉の上で分かっても、全然実体は分からない。だが、「やくざの総親分」「親分」「子分」「虐げられている民衆」を対置させれば、古代史は手に取るように分かる。私がこの事を知ったのは、恥ずかしながら30才を超えてからだ。

 だが、こんな説明は、天地がひっくり返っても、学校では、教えない。許されない。ある時、私は英語の勉強をしていた。英語の週刊誌に、英国の歴史教科書の一場面があり、農民一揆などが解説してあった。驚き。比喩は私と違うが、「権力の本質」が詳しくあり、「権力者」は「悪者」とまでは言わないが、「美化」などはしていないのだ。常に、批判的。なるほど、これならよく分かる。日本とは、隔世の感じだ。


 政治・経済は、「権力批判」に結びつきやすく、丸でアホみたいな事ばかりを教えている。「憲法の3原則は、何か」とか、「消費税は、何パーセントか」とか、そういう外形ばかり。本当は、「憲法」の重要性、例えば「前文」の解説とか、「戦前の惨めさ」から「人権の重要さ」導くことがだいじなのだ。ある時、生徒が「国会議員になるには、どんな試験があるのか」と。「戦前の制限選挙」を考えていたようだ。「民主主義」の意味が分かっていない。

 「社会」とは何か。「上流」「中流」「下層」の人がピラミッド構造の集団で生活し、その全体で社会集団を捉え、ピラミッドの上には「権力者」が居り、下には「下層国民」がいるというモデルを理解せねばならない。だが、そもそも、「上下の階層」などというモデルは、「イデオロギー的」で、全然許されない。

 だが、そのモデルがないと、ある制度は、誰の利益のために創られ、どのような利益をもたらすか分からない。だが、それを示せば、権力の不公正さが分かってしまう、とでも言うようだ。私が、この構造に気付いたのは、もう40才近くだ。


 少し長くなった。日本では、羮に懲りて膾を吹いたから、教えた事は無味乾燥な「結果」だけだった。これで、電気が分かり、化学が分かり、歴史がわかり、公民(政治・経済)が分かるのか。イデオロギー性を排除した結果がこれだった。

日本は、勉強しすぎるから学力が低下するのか

橋下徹大阪府知事が、討論会で教員を批判し府民から強い非難を浴びている。

橋下の主張は、「教育界に競争精神を導入し、学力の向上を図ろう」というものだ。
それに対して、府民は、「競争を、あおるほど意欲が育たない」「教育は、競争や比較とは違う」というものだ。

 どちらの主張が正しいのか検討してみよう。
 競争は、生きとし生けるものに共通に当てはまる原理だ。その意味で、橋下が「教育界に競争精神」を導入するのは、自然の原理で常識的な主張だ。

 なら、日本は、「競争を煽り」却って「学力を下げたのか」。最近の「学力の低下」はひどいし、「国際学力も、世界10位くらい」でかなり落込んでいる。



 そもそも、教育とは、
 第1段としては、「生きる知恵を授けること」。その意味では、「生活実践」を十分させることが大事。日本では、できているか。お世辞にも「出来ている」とは言えない。

 第2段は、「読み書きと計算」ができること。これは訓練で、小学校段階だ。できているか。学校であろうと塾であろうと、もう「訓練、訓練(トリル漬け)」。辛い事ばかりだ。特に、意味を考えずにやれば、辛さは倍加する。一昔前までは、競争、競争で、この段階の事は、ある程度良い成績が上げられた。たぶん、世界の優等生だっただろう。

 第3段は、「方程式」「国語表現」という手段を使って、考えながら日常生活に生じる事象を解決していくことだろう。ここは、どうか。大学生になっても、「分数計算」ができない者が続出している。「論理思考」ができるとは、お世辞にも言えない。なら、「国語表現」はどうか。「漢字」は千字知っていれば、御の字。大学生になっても、変な若者言葉と平仮名ばかり。「作文」はどうか。大学生でも小学生並だ。
 中学校では、高校入試のために、「数学」や「国語」はかなり一生懸命やったはず。何で、こんな事になってしまうのか。ひどい惨状だ。意味も考えずに「暗記、暗記」だったからだ。それと、「英語」。できる者は、ある程度できるようになったが、「不毛の努力」、大学生で「英語」が喋れる者は極めて少ない。こちらも、惨状を呈している。ちなみに、中国の大学生は、圧倒的大差で、日本学生より英語が上手だ。

 第4段は、さらに「高度な道具」「外国語」を使って、「科学技術」「人文科学」を研究することだ。大学生になって、「方程式」が分からない、「平仮名」ばかりで文を書き、「外国語」はまるでだめ。これで、研究ができるのか。この段階では、もう「お笑い」でかない。いや、東大や京大なら、そんなことはない。だが、彼らは、競争、競争で息切れしている。大学院に行かなければ、本当の勉強は始まらない。
 なぜ、こんな事になったのか。橋下は、「競争が足りないから」、府民は、「競争しすぎたから」という。ここでは、勝負はつかない。


 これに対する答は、中国の教育事情を見ればどちらが良いのか一目瞭然だ。

 中国には、「一般学校」と「進学学校」がある。まず、これをしっかり認識されたい。これは法律上の区別ではなく、自然発生的にできた「現実」の区別だ。日本に当てはめれば、「学校のランク付け」だ。これらの学校では、学習内容が全然違う。

 「一般学校」では、一般教育をし、次には「実業学校」へ進む。日本でいえば、50年前の学校状態だと見てもいい。

 「進学学校」では、「中学入試」「高校入試」「大学入試」を目指して特別教育を行う。断っておく。これは、私立学校がやっているのではない。公立学校がやっているのだ。よく、「○○実験校(小、中、高)」と言われる。
 小学校では、時間の拘束は一般学校を変わらない。中学からは、「猛烈塾」並の教育が始まる。全員(一部例外はある)が寄宿舎生活をし、朝7時から授業が始まる。最初の1時間は、監督者付の自習だ。そして、昼休み2時間、この間には1時間の強制昼寝をする。夕方4時位から、部活が1時間半くらいある。それから夕食。夜7時から10時までが自習の時間だ。そして、入浴、就寝。大体11時頃だ。丸で軍隊生活と同じ生活だ。

 休みは、日本と同じか。聞いて仰天。1週間に、1日もないのだ。それじゃ監獄と同じじゃないか。そう、監獄と同じ。いや、日曜日の昼から、日用品の買出しに半日の外出が許される。夜には自習時間が待っている。こんな生活を6年間続けるのだ。夏休み、冬休みはある。2ヶ月と1ヶ月。だが、学年が進むに従って、この期間に少しでも勉強しようと、「北京」や「上海」の「夏期講習」に行く者が多くなる。1ヶ月くらい泊まりきりだ。

 一つ驚くことを聞いた。浙江省の高校。一貫教育の1クラスは、60人から70人、このクラスが5から6クラスある。つまり、1学年は3000人くらいだ。少ない学校でも2000人はいる。ここで、とてつもなく激しい競争が起きる。
 次が、驚き。最下位クラスの担任が、首になるというのだ。なら、同一学年の教師は、全て敵同士。こんな状態の進学競争だというのだ。実際にその試練を受けてきた学生から直接聞いた話だから、大きくは間違っていないはずだ。あまりにも行き過ぎ。後には、首にはならなくなったそうだ。それにしても、学生だけじゃない、教師もとてつもない試練を受けていた。日本に当てはめれば、日本が雇った「サッカーの監督」、監督が所定の成績が上げられない時は首になるのと同じだ。

 江蘇省の学校。私は、見学してきた。授業は全て英語でやるのだ。英語の授業を参観した。ほとんどが若い先生。数学とか物理には年寄りもいたが、その先生でも、何とか英語を話した。放課後、高校1年生と英語で話してみた。結構上手だった。先生と話してみた。遙かに、遙かに上手だった。
 さらに驚いたのは、なら部活は盛んじゃないのだろう。それが違っていた。踊りにしても、太極拳にしても、絵画、習字、全て専門家かと思うほど上手だった。日本で比較できるような物はない。別世界かと思う。この学校は、「北京大学」「精華大学」さらに「米国留学」を目指す「超・超エリート学校」だった。



 中国の学力は、正に世界1。北京オリンピックのメダル、中国は、ブッチ切りの世界1だった。もう、ほとんど、死ぬまで頑張る。それがあの成績なって現れた。もっとも、学問をやっている者と運動をやっている者は別の学生。だから、「学問」と「運動」が両立しているとは言えないが、共に、命がけ。

 日本のオリンピック選抜選手がどんなに厳しい訓練に耐えているか知っているだろう。テレビで面白おかしく放映する。あれと同じ事が「学問」の分野でも行われる。運動であろうと、学問であろうと、同じなのだ。学生に、体力の限界まで頑張らせるのだ。

 文化振興制度では、こんな事をやっている。学校単位で、省単位で、全国単位で競技会が開かれる。私の学生の話(大学)をしよう。日本語弁論大会。1ヶ月前には、校内大会がある。枠は、学年当たり1人、ある所では、学校当たり1人。可能性のある者は、「先生指導して下さい」と申込んでくる。「学校代表」になり「省代表」になれば、この上なく名誉。朝から晩まで練習、練習。断っておくが、それ以外の者は普通だ。

 昨年の私の学生は、作文の部で「省1位」(省名は書きにくい)、弁論の部では、3位に入った者が1人。今年は、作文の部で1位になりそうな者が居る(今週の土曜日が競技会の日だ)。さらに、弁論の部でも3位までに入りそうな者が1人いる。これは、私の「学校」の成績じゃない。「私」が担当した学生の成績だ。学生がここまで頑張れば、私も同じように頑張らざるを得ない。選手と監督(コーチ)は、よく一体物だと言われるが、正にその通りなのだ。私も楽じゃないが、学生の努力には頭が下がる。オリンピックのマラソンとかいう苦しい競技と同じだ。その内の一人は、高校の時、ピアノの部で1位になり、北京に行ったといった。何と、高等学校でも頑張っていた。
 少し古い話になるが、私が卒論を担当した学生。優秀卒論6名のうち、5名は、私の指導生だった。2人は、日本に留学し、1人は、英国に留学した。
 彼らに作文を書かせてみる。「私は、国家と私の名誉のために、○○の学習・訓練を耐え抜いた」と書く。
 今の中国、幹部の堕落で、ひどい国だと思うだろう。確かに、そうだ。だが、やるべき事はちゃんとやっている。私は、感心するばかりだ。もう一度、書く。やっている者は、「競争に打ち勝ち、名誉を得たいと思っている者だけだ」。普通の学生は、「普通の勉強と普通の職業訓練」を受けている。教育とは、「やりたいと思う者」に「死ぬまで頑張らせる環境」を創ることだ。一般学生には、「一般教育」でよい。
 

 読者は、この中国の制度をどう思うか。「競争を、あおるほど意欲が育たない」「教育は、競争や比較とは違う」なるか。
 そうか、「やはり、煽っては行けない」か。中国では、順位が付くから頑張るのじゃないか。私の学生でも、「国家と自分の名誉」のために頑張るのじゃないか。

 日本で、煽っているのは、「塾」であり「予備校」だ。そして、それについて行けない「(公立)学校」が「俺たちは、高給だから、そんなに頑張りたくないよ」と言っているのじゃないか。弛んでいるのは、「国家」であり「県」であり、「公立」学校だ。「私立学校」が頑張れば頑張るほど、「教育とは、云々」という「ご託」を並べる。だから、最近の日本の「国際学力」は下がる一方なのだ。

 「やる気のない先生」は、とっとと消え失せろ。ついでに言うと、「教員免許制度」が悪い。免許のある者を「優遇」するから、彼らは、自分たちの「城」を守ろうとして、「日本を崩壊」に導く。「教員免許制度」には「期限」を設けよ、さらに、「免許のない者」にも「教員への道を開け」。開けば、「ご託」を言う者は一人もいなくなる。

 橋下徹知事が「もっと競争させよ」という気持ちが分かる。橋下は、弁護士。司法試験は、日本一難し試験だ。この試験に合格するためには、どれだけ苦労したことか。その苦労があればこそ、「日本の窮状」が痛いほど分かるのだ。私は、断固、橋下を支持する。
 なお、橋下は、「自民党」の推薦を受けて知事になった。「自民党」の政官業癒着の古い体質は、中国の公務員の腐敗と堕落と一緒だ。だが、橋下がやっていることは、中国がやっている国際競争力のある「人造り」「産業造り」とよく似ている。この点では、私は、「橋下を強く支持する」。

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