|
2 中国東海岸、これが、古古日本人が通った道だ
3、福州は、陶器の積出し港、だが、めぼしい物はなかった
厦門から福州までは、高速バスで3時間半くらいだった。いいバスで、しかも無停車。特に言うことはない。
福州は、ちょうど台湾の(首)都・台北の向かい側。古代から近代に到るまでのこの地方の中心都市。今は、福建省の省都、人口は多い。かなり発達した街に違いない。だが、裏切られた。歴史的建造物が、全然少ないのだ。福州は、明代以降は、琉球(沖縄)貿易、博多貿易では、かなりの利益を上げた筈だ。大陸の冊封使(植民地支配使)は、この福州から出ていた。また、3千年前とかいう以前は、この地から、次々と商業貿易の勤しむ者が出てきた。後から博物館に行って分かるが、福州の後背地の福建省一帯は、焼き物で有名な街が多く、既に唐の時代から、陶器貿易が始まり、特に明代以降は栄えたとのこと。こんな事を考えると、歴史建造物が少なすぎる。
古日本人は、この地を通っているはずだ。私は食事をしたところで聞いてみた。この地方方言で1から10までの勘定の仕方を教えてくれないか。彼女たちは、知らないのだ。おばあさんは、知っているかも知れない。だが知らなかった。
古日本人が福建省、浙江省辺りから流れてきたとすると、我々の使っている「1、2、3‥‥」という勘定の仕方は、中国のこの辺りの発音と似ているはずだ。私は、この考えを確かめたかった。それが、例の質問なのだ。厦門に行った時、観光案内に聞くと、私の期待していた通りの答をくれ、それに満足したのに、福州では、それを知らないというのだ。ちょっとがっかり。
最初に、その勘定の仕方を紹介しておこう。1から10までを順に、
「ヤッ、ニ、サン、ス、ン、ロー、チェ、パ、チュ、サ」
と勘定する。この中で、「1、4、7」には、変化があり、「1」は鼻音にして「ンヤッ」、「3」は「サン」を一緒にして「セッ」とし、「7」は「チェ」の変形(c→t)として「ツァ」「ツェ」と発音する。
日本語と似ているか。「1」は、「ヤ行」「ア行」を類似行で、これを加味して「イッチ」、中国語を「ヤッチ」と発音すれば、なるほど「1」と「ヤッ」は似てくる。「4」は、中国音の「ス」「シ」は元々あまり区別はないから、同じだと見てよい。「5」は鼻音で「nゴ」となり、「ン」が「ンg」に変化したと考えれば、これも似ている。「6」の「ロー」は、日本語でこのようにも勘定し同じだ。「7」は、「シチ」を「シッチ」のように発音し、日本語では、中国音「チェ」の前に摩擦音「sッ」を加えると似てくる。「9」の「キュー」は、「チュー」とすればよく似てくる。「10」の「サ」だけは違うか。確かに違うように見える。だが、日本人は、以前は、「十」のことを「そ」と言った。「みそじ」「よそじ」「いつそじ」「むつそじ」「やそじ」「くそじ」だ。「そ」と「さ」は似ている。そう考えると、全く無関係ではないようだ。実は、この点は、前のブログに詳しく書いていた。
いや、私は、これを確かめたかった。だが、残念。誰も知らなかった。福州は、都会だから、新参者によってかき消されてしまったのかも知れない。以前、私は、寧波の南の田舎で、「イ、アル、サン‥‥」でなく、「ヤ、ニ、サン‥‥」という勘定の仕方でお釣りをもらったことがある。日本でも、我々は、「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、ここ、と」という勘定の仕方を忘れたのと同じだ、という気がする。
どこか古い所はないか。あった。福州にも、「西湖」公園(杭州・西湖が有名)があり、ここでは、市民が「胡弓」を弾いたり、歌を歌っていた。なかなか上手だ。地図を見ると、近くに「鼓楼」地区といういかにも古代風の名前がある。これこそ「歴史地区」だ。さらに、「鼓東」「鼓西」という地名があり、これがその中心だろう。そこへ行こう。
不満だが、古い町並みがあった。まだ、新しい。せいぜい2、3百年だ。ある所は、商店街になっていた。立派なもの。何人かの若者が昔風衣装をまとい、ある者が笛を吹いていた。私も慌ててシャッターを押した。聞いてみる。いつ出来たのだ。半年前だ、とのこと。道幅を3、4倍に広げ、これからの名所造りに忙しかった。最近、中国では、名所造りが多い。蘇州の「盤門」でも、古い所は10分の1くらいだ。他の都市では、古い建物がゼロというところもある。入場料だけは高い。目をむくぞ。
不満は、拭えない。あのごちゃごちゃした歴史商業街、庶民商業街がないのだ。私の歩き方が少なかったのかもしれないが、市内に、こんな感じの地名はなかった。
余り中国の歴史にケチは付けたくないが、南部都市は、歴史は古くてもその後の発展は少ない。杭州、寧波、紹興などと比べると、全く問題にならない。その理由は、この地の地形は日本の太平洋岸の都市と類似していて、大きな平野が無いために、余り大きく発展できなかったためだろう。例えば、三重県・熊野灘一帯は、海岸まで山が迫っているし、岩手県・三陸海岸も同じだ。多分、この地も、漁港に毛の生えた程度のものだったのだ。それと、南部地方では、夏の季節が長く、それほど苦労しなくても生きるのに切羽詰まるということが無かったからだろう。これは、一般に低緯度地帯の都市の起源は古いが、その後の発展は遅く、北部都市に負けるという傾向に一致するものだ。
更に、続く。
|