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9小説 「天 網」
二章 日本人の金は盗ってもいい
一
りん、りん、りーん。森下弘宅に電話がかかった。
「先生、私は、周桂芳です。覚えていらっしゃいますか」
森下は、上海日本語学校を辞めるというより任期終了で、次は、上海郊外の昆山で水処理の仕事をしていた。時に、江川終了半年後の、二〇〇三年一二月初めの頃だった。当年、六〇歳。
「ええっ、江川のあの周さんですか。」
「そうです。私は、今、朝日日本語学校で日本語一級の勉強をしています」
森下は、周は自分の担任で非常に真面目な学生だったので、卒業時、周が上海で就職したいと言っていて、その時、推薦状を書いてやっていた。そればかりか、卒業直後、同僚の日本人講師三人と、彼女の「ボーイフレンド」に湖南省の衡陽から四川省の九寨溝まで自家用車で観光させてもらっている。忘れるはずがない。それにしても、就職じゃなくて、進学なのか。気が変わったのだろうか。
いやびっくり。周は、どこへ行ったか分からなくなっていた森下を、卒業生仲間を頼りに捜し当てたのだった。
「先生にお願いがあります。実は、私たち三人は、江川を卒業してから、今度は朝日で一級を目指すことにしたのですが、どうも会話が不十分です。ですから、先生に会話指導をお願いしたいのです」
「朝日とは、あの江川の先にあった、あの朝日ですね。あなた方が、私の所まで通うと言うのですか」
「通います。それに、もう一人、朝日の別の学生もいます。その人も一緒に行きたいと言っています」
上海松江から蘇州昆山までは、早く行けても四時間かかる。四人の学生はその距離を通うというのだ。往復すれば、八時間以上。すごい情熱だ。仲間とは、江川の呉敏娜娜と鄭莉蓉、朝日の呂巧英だった。
次の週、周桂芳と呉敏娜が偵察に来た。森下は、軽い挨拶電話だと思っていたが、本気だった。悪くすると五時間もかかるのに、通い通せるのか。信じられない。
呉敏娜は、森下の担任ではなかったが、知らない学生ではない。当時、江川日語には四五〇人の学生がいて、呉は喋れないので目立たなかったが、ニキビ面でいつもニコニコしていた記憶がある。森下の部屋で、小一時間の話。結論は、金曜日の夕刻昆山に参上し、日曜日の昼過ぎに上海に退散し、その間に合計二〇時間、缶詰で会話中心の日本語をすることになった。話が終わると、森下は、二人を近くの日本料理店へ連れていった。半年ぶりの話の花。
二人は一泊して帰る。森下は、一度来たことのあるホテルに案内した。ここで不思議なことが起きる。シングル・ルーム(一人用部屋)に二人で泊まるというのだ。とても狭い部屋。こんな所に二人が寝られるのか。抱き合って寝るしかないじゃないか。本当に料金を節約したいだけか。森下は、卑(ひ)わいな連想をした。
次の週、そろって四人がやってきた。この四人が、これからずうっと来るとなると、土日が全部潰れてしまう。日本語一級試験までは、後ちょうど一年ある。いくら何でも長すぎる。声には出せない。とは言え、年頃の女の子が泊まりに来てくれるのだ。結局は、「いいですよ」となってしまう。
森下の住宅には、寝室が二つある。一つのダブルベッドに四人が雑魚寝することになった。できるのか。出来る、出来ないは、問題ではない。中国では、こういう事は当たり前だ。日本に来た中国人、一軒家に二〇人も寝起きするという例だってある。ありよりは、ずっといい。
授業料は、どうなっているのか。ただ。その代わり、森下は、四人の食事のお裾分けをもらうことになった。だから、若い女の子は「先生、先生」。森下は森下で、自らも楽しんでいるようだった。
彼女たちは、実際には、七ヶ月通うことになった。どちらもよく頑張った。勉強の合間は、みんなで雑談。「皆さん、ボーイフレンドはいますか」で花盛り。不思議、日本人は、よく、居ても居ないと言う。しかし、中国人は、素直に「いる」と答える。「いる」と答えれば、たいていセックスまでしている。男と女が知り合えば、セックスは当然のことのようだ。この時、呉敏娜を除いた三人は、「居る」と答えた。実状はどうか。
周桂芳は、皆んなから、「周さんはいいね、衡陽に帰ったらボーイフレンドが家まで用意して、待っててくれるってね」とか「ボーイフレンドからたくさんのお小遣いをもらっているの」などと言われた。本当は、子供までいたが、周はその事は全く口にしなかった。ただ、後に、呂だけには告白していた。
だけど、周は、森下には、「私は、あの人を忘れるために、衡陽から逃げてきて日本語を始めた」と説明していた。そうなると、三人の話とは全く違う。「逃げた」とは「阿片漬けになった夫から逃げた」の意味で事実と合致するが、そうなると、衡陽で観光案内をしてくれた「ボーイフレンド」とは一体何か。森下は、この時この一連の事実を全く知る由もなく、「逃げる」の意味が分からなかった。あまり根ほり葉ほり聞くこともできず、ただ「訳ありだ」くらいに理解した。
もう少し正確に言うと、桂芳が話した「家」とか「お小遣い」とは、「家」とは離婚に際し分捕ったもので、「お小遣い」とは手切れ金のことだ。悪銭をたくさん稼いでいる。だが、少し緩解した阿片中毒の夫が、正月に飛行機で娘を連れて上海に詫びを入れに来ていた。それ以降、桂芳は、夫を半分許し、二ヶ月に一度は一三〇〇キロも離れた衡陽まで会いに行くことになった。最後の部分だけを、皆んなが知っていた。帰ったら結婚すると言ったが、これは真っ赤な嘘。これからも、ドロドロしたことが続く。
呉敏娜は、四人の中では僅かに背が高いが、全面ニキビ面だというだけでなく、ひどいブスだと思われていた。自らを「処女」だと宣言したのは、皆が当たっていると思った。森下の所に来た時でもほとんど喋れず、後一年続けたところで一級合格はおぼつかない。そのためか、呉が特異だったのは、正月。他の三人は正月帰省したのに、呉だけは一週間泊まりこんで、発音練習と読書練習をしたのだ。森下に、すがり付く感じで、馬鹿な子ほど可愛く見えた。
夕方になると、森下は、呉を伴(ともな)って散歩に出た。どういうことか、呉が森下の腕を取ってきた。自分の妻とさえ腕を組んだことのない森下。もう、うっとり。次の日も、次の日も、呉は腕を取ってきた。何とかこの娘を合格させてやらなければならない。それで、最後は一緒に寝たのか。野暮なことを聞くな。
鄭莉蓉は、よくボーイフレンドから森下宅に電話が掛かり、その存在が明らかだった。最後まで続けられず、途中で同棲した。そして、呂巧英は、二股をかけているボーイフレンドがいると言った。後に、呉敏娜に対して、周には内緒だと言って、共に一回堕胎したことを告白した。この背後には、重大な事実が隠されているが、これが、呉敏娜の心理に少なからず影響を与えた。
七月、彼女たちは、森下に礼を言って別れた。
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