日本の再生と国際化を考える

英才教育、日本語の国際語化、数値の3桁読み、度量衡改革、漢字仕様電脳、やる事は多い。

小説「天網」‥中国の通訳腐敗

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9小説 「天 網」
二章 日本人の金は盗ってもいい

    一

 りん、りん、りーん。森下弘宅に電話がかかった。
「先生、私は、周桂芳です。覚えていらっしゃいますか」
 森下は、上海日本語学校を辞めるというより任期終了で、次は、上海郊外の昆山で水処理の仕事をしていた。時に、江川終了半年後の、二〇〇三年一二月初めの頃だった。当年、六〇歳。
「ええっ、江川のあの周さんですか。」
「そうです。私は、今、朝日日本語学校で日本語一級の勉強をしています」
 森下は、周は自分の担任で非常に真面目な学生だったので、卒業時、周が上海で就職したいと言っていて、その時、推薦状を書いてやっていた。そればかりか、卒業直後、同僚の日本人講師三人と、彼女の「ボーイフレンド」に湖南省の衡陽から四川省の九寨溝まで自家用車で観光させてもらっている。忘れるはずがない。それにしても、就職じゃなくて、進学なのか。気が変わったのだろうか。
 いやびっくり。周は、どこへ行ったか分からなくなっていた森下を、卒業生仲間を頼りに捜し当てたのだった。
「先生にお願いがあります。実は、私たち三人は、江川を卒業してから、今度は朝日で一級を目指すことにしたのですが、どうも会話が不十分です。ですから、先生に会話指導をお願いしたいのです」
「朝日とは、あの江川の先にあった、あの朝日ですね。あなた方が、私の所まで通うと言うのですか」
「通います。それに、もう一人、朝日の別の学生もいます。その人も一緒に行きたいと言っています」
 上海松江から蘇州昆山までは、早く行けても四時間かかる。四人の学生はその距離を通うというのだ。往復すれば、八時間以上。すごい情熱だ。仲間とは、江川の呉敏娜娜と鄭莉蓉、朝日の呂巧英だった。

 次の週、周桂芳と呉敏娜が偵察に来た。森下は、軽い挨拶電話だと思っていたが、本気だった。悪くすると五時間もかかるのに、通い通せるのか。信じられない。
 呉敏娜は、森下の担任ではなかったが、知らない学生ではない。当時、江川日語には四五〇人の学生がいて、呉は喋れないので目立たなかったが、ニキビ面でいつもニコニコしていた記憶がある。森下の部屋で、小一時間の話。結論は、金曜日の夕刻昆山に参上し、日曜日の昼過ぎに上海に退散し、その間に合計二〇時間、缶詰で会話中心の日本語をすることになった。話が終わると、森下は、二人を近くの日本料理店へ連れていった。半年ぶりの話の花。
 二人は一泊して帰る。森下は、一度来たことのあるホテルに案内した。ここで不思議なことが起きる。シングル・ルーム(一人用部屋)に二人で泊まるというのだ。とても狭い部屋。こんな所に二人が寝られるのか。抱き合って寝るしかないじゃないか。本当に料金を節約したいだけか。森下は、卑(ひ)わいな連想をした。

 次の週、そろって四人がやってきた。この四人が、これからずうっと来るとなると、土日が全部潰れてしまう。日本語一級試験までは、後ちょうど一年ある。いくら何でも長すぎる。声には出せない。とは言え、年頃の女の子が泊まりに来てくれるのだ。結局は、「いいですよ」となってしまう。
 森下の住宅には、寝室が二つある。一つのダブルベッドに四人が雑魚寝することになった。できるのか。出来る、出来ないは、問題ではない。中国では、こういう事は当たり前だ。日本に来た中国人、一軒家に二〇人も寝起きするという例だってある。ありよりは、ずっといい。
 授業料は、どうなっているのか。ただ。その代わり、森下は、四人の食事のお裾分けをもらうことになった。だから、若い女の子は「先生、先生」。森下は森下で、自らも楽しんでいるようだった。

 彼女たちは、実際には、七ヶ月通うことになった。どちらもよく頑張った。勉強の合間は、みんなで雑談。「皆さん、ボーイフレンドはいますか」で花盛り。不思議、日本人は、よく、居ても居ないと言う。しかし、中国人は、素直に「いる」と答える。「いる」と答えれば、たいていセックスまでしている。男と女が知り合えば、セックスは当然のことのようだ。この時、呉敏娜を除いた三人は、「居る」と答えた。実状はどうか。
 周桂芳は、皆んなから、「周さんはいいね、衡陽に帰ったらボーイフレンドが家まで用意して、待っててくれるってね」とか「ボーイフレンドからたくさんのお小遣いをもらっているの」などと言われた。本当は、子供までいたが、周はその事は全く口にしなかった。ただ、後に、呂だけには告白していた。
 だけど、周は、森下には、「私は、あの人を忘れるために、衡陽から逃げてきて日本語を始めた」と説明していた。そうなると、三人の話とは全く違う。「逃げた」とは「阿片漬けになった夫から逃げた」の意味で事実と合致するが、そうなると、衡陽で観光案内をしてくれた「ボーイフレンド」とは一体何か。森下は、この時この一連の事実を全く知る由もなく、「逃げる」の意味が分からなかった。あまり根ほり葉ほり聞くこともできず、ただ「訳ありだ」くらいに理解した。
 もう少し正確に言うと、桂芳が話した「家」とか「お小遣い」とは、「家」とは離婚に際し分捕ったもので、「お小遣い」とは手切れ金のことだ。悪銭をたくさん稼いでいる。だが、少し緩解した阿片中毒の夫が、正月に飛行機で娘を連れて上海に詫びを入れに来ていた。それ以降、桂芳は、夫を半分許し、二ヶ月に一度は一三〇〇キロも離れた衡陽まで会いに行くことになった。最後の部分だけを、皆んなが知っていた。帰ったら結婚すると言ったが、これは真っ赤な嘘。これからも、ドロドロしたことが続く。
 呉敏娜は、四人の中では僅かに背が高いが、全面ニキビ面だというだけでなく、ひどいブスだと思われていた。自らを「処女」だと宣言したのは、皆が当たっていると思った。森下の所に来た時でもほとんど喋れず、後一年続けたところで一級合格はおぼつかない。そのためか、呉が特異だったのは、正月。他の三人は正月帰省したのに、呉だけは一週間泊まりこんで、発音練習と読書練習をしたのだ。森下に、すがり付く感じで、馬鹿な子ほど可愛く見えた。
 夕方になると、森下は、呉を伴(ともな)って散歩に出た。どういうことか、呉が森下の腕を取ってきた。自分の妻とさえ腕を組んだことのない森下。もう、うっとり。次の日も、次の日も、呉は腕を取ってきた。何とかこの娘を合格させてやらなければならない。それで、最後は一緒に寝たのか。野暮なことを聞くな。
 鄭莉蓉は、よくボーイフレンドから森下宅に電話が掛かり、その存在が明らかだった。最後まで続けられず、途中で同棲した。そして、呂巧英は、二股をかけているボーイフレンドがいると言った。後に、呉敏娜に対して、周には内緒だと言って、共に一回堕胎したことを告白した。この背後には、重大な事実が隠されているが、これが、呉敏娜の心理に少なからず影響を与えた。
 七月、彼女たちは、森下に礼を言って別れた。

8小説 「天 網」

    五

 李がダミーの手機(携帯)会社を使えば、手機会社と電話会社から面白いほど金が儲かった。一ヶ月一万元の利益が上がったこともあったし、二万元のこともあった。好事魔多しというが、まさにそうだった。順風満帆の手機販売会社の事業も、長続きはしなかった。李がまた吸毒(阿片)に手を染めたからだ。二年後の李三三歳、桂芳二五歳、桂英四歳のことだ。
 金があると見るや、ダニが寄ってくる。李には、心の隙が大きかった。結局、付け込まれた訳だ。SM運動は、体力の限界に挑戦するから疲れが大きい。それより、阿片を吸えば、全然疲れることなく、妄想による桃源郷の境地。李の三三歳という年齢は、その曲がり角にあった。悪魔の囁き。SMなんて苦しいばかりじゃないか。多少変化があるといっても所詮裸じゃないか。女の裸も十年で飽きただろう。楽していい気持ちになろう。李は気が付くと、再び阿片に手が伸びていたのだった。
 薬物には依存性がある。特に、阿片は、順次量を多くしないと、元と同じ効果が実感できない。裏金収入が多くなるに従い、李は警戒感が薄れ、依存症はあっという間に亢進した。わずか三ヶ月だった。もう誰の目にも、阿片中毒が分かるようになった。「止めて、お願い」「止めて、お願い」。桂芳は、泣いて懇願した。機嫌のいい時は、李は、「分かった、もう絶対に阿片には手を出さない」と。だが、薬が切れると、「オーイ、桂芳、助けてくれ。俺は死ぬ」と、禁断症状が激しかった。当たり前だが、桂芳は、なかなか薬を出さない。禁断症状が押さえられない李。「オーイ、桂芳、お前も阿片をやれよ。そうしたら、一緒に桃源郷へ行けるぞ」。李が注射針を持って桂芳を追いかけた。もう最後だ。桂芳は、向かいの親の家に逃げ込んだ。周易明も李湘南の阿片中毒には気づいていて、この期に及んではもう腹を括らなければならなかった。

 李湘南は、吸毒更正病院に収容された。中国の法律では、売人の死刑は確定的だが、中毒者は、症状が落ち着くのを待って処分が行われる。いずれにしても、李と桂芳の結婚が破局を迎えることは確定した。時に、桂芳が二六歳になったばかりの六月だった。李三四歳、娘五歳。
 これからどうするか。泣いてばかりもいられない。ちょうどその時、周易明が、偶然「湖南省は、日本の滋賀県と友好都市関係を結んでいる」「そうだ。そうだ、これだ」と閃いた。
「桂芳、日本語を勉強して、通訳にならないか。そうすれば、また湖南省の有力者と知り合いになれるかも知れない」
 桂芳は、自分が李を頼りにしたばっかりに、こんな目にあった。有力者との知り合いは別だとしても、日本語の勉強は、先の長い将来を考えると有効な選択肢だ、と思った。桂芳は、離婚の件は親に任せ、単身上海の日本語学校に行くことにした。

7小説 「天 網」


 李は、SM運動に疲れ、怪しげな光の酔いも行き着くところまで行った。ちょうどその頃、李の親・李湘元が華南大学の学長になった。学長ともなると、学長枠は絶大で、裏金は湯水のごとく入ってくる。そこで、李が思いついたのが、その金を事業に利用できないか。桂芳も、毎日毎日お経ばかりの青年団の仕事に飽きていた。
 意見一致。そこで思いついたのが、李が移動通信の自社を利用して、携帯電話機つまり手機を販売することだった。上海辺りでは、既に爆発的に売れ始めているが、ここ衡陽では売れるかどうかは未知数。それに、手機が売れなくとも、共産党幹部には通信費と称して毎月一万元の電話カードが配られ、そのカードは半値くらいで回収されているから、同時にカードの回収事業をやれば、手機販売が失敗することはあり得ない。
 そうと決まれば、善は急げ。李は親から二〇万元を借り受け、街の中心に中国移動通信の手機会社を設立した。実質ダミー(見せかけ)会社だから、形だけの会社。間口二間、奥行三間だ。トイレもお茶汲み場もない。中国では、よくある。李は三二歳、桂芳は二四歳、桂英は三歳。手機販売会社には、別の意味があった。李もこの時は、経理主任に昇進していた。もう、親の権威を借りなくても自ら裏金がつかめる地位にあるが、大々的に裏金を掴もうとすると、トンネル会社の存在が不可欠になる。そのためにも、手機販売会社というのは打ってつけの会社だった。
 会社設立について一言。大事なことだ。中国の国内会社を設立するには、出資者は民間人に限られ、その出資者が会社代表者となる。代表者は二人で、通常は主と副になる。大事なのは、実際の投資者が誰であろうと、法律上の会社所有者は主副二人の物になる事だ。本件の桂芳たちの会社は、公務員の李湘南名義では会社登記ができないから、周桂芳と他誰か一人の名義で登記することになる。形式的とはいえ、李湘元は、周桂芳に二〇万元を贈与する必要がある。こんなやり方では、後でもめないか。大いにもめる。それでも、李湘南がダミー会社を創るのだったら、妻の名義を借りるのが最も安全だった。
 この時、桂芳は一瞬変な気分になった。真の所有者は登記簿上何の権利もなく、こんな簡単な手続で、表見所有者を真の権利者として扱うのだったら、表見所有者である自分は、一筆書くだけで通帳の金が盗れるのじゃないか、と。将来、李への見返しができるかも知れない。

 桂芳は、三年勤めた営林局を辞めて手機販売会社に移り、総経理(社長)になった。一人ではできない、というよりこんな狭いところでは息が詰まり、経理事務員を雇った。すべての事務は彼女に任せ、自分は、一日に一回の棚卸しをすることにした。必ず毎日点検し、倉庫には厳重に鍵を掛けた。こうしないと、事務員が持ち逃げする。これがまた多いのだ。これでよし。桂芳は、必要に応じて銀行手続と入出庫、日頃は有閑マダム、良(い)い身分になった。半面、浪費の芽。
 衡陽の平均賃金は、五百元に満たない。手機は、一番安いのでも千元。買える人には、最低でも二千元の給料が必要になる。そんな人とは誰か。特別な人としか言いようがないが、その「特別」が問題になる。共産党幹部は、月一万元の通信費をもらっていて、これが半値の五千元で買い取ってもらえるので、この金で買える。他に買える人は、資材担当者だ。資材担当は、たいてい実際の買値と領収書の間に二重価格を設けているから、通常十%のリベート(手数料)が入る。そうなると、二、三回分の手数料で買える。何だ。裏金を掴んでいる者ばかりじゃないか。そうだ。たいていは、そういう者しか手機が買えない。だが、これで商売になるのか。
 裏金を掴んでいる人は多くはないが、桂芳は、商売にあまり困らなかった。共産党幹部の名簿を調べるとか、交礼会参加者の名簿を調べるとか、大学生名簿を調べれば、いくらでもお客を掘り起こすことができた。それと、未使用カードを現金代わりに使ってもいいとなれば、お客は何だか、ただで手機が買えたように気になり、結構売れるのだ。売上げは、順調に伸びた。カード回収の利益も馬鹿にならない。未使用カードは六掛けくらいで卸売り(回収販売)ができ、差額の一割が利益になるのだ。日本では、一九六〇年頃まで、贈答品の引取り再販売ということをしたが、あれと同じ事が、今、中国の中小都市で盛んに行われている。これを「礼品回収」という。
 さらに付言すると、手機の仕入れは、李が自由に経理操作できた。千元の物は、四百元以下で、必要なとき必要なだけ仕入れられる。在庫なしの利益率は抜群だった。

    6小説 「天 網」

    四

 夫の手が震えた。結婚三年目のことだった。李湘南の指が小刻みに震えたかと思うと、大きく震え、箸から食べ物を落とした。まさか。一瞬驚いたが、夫は一週間前にひどい風邪で薬を飲み過ぎていた。その所為だろうか。次の日はどうもなかった。よかった、どうもなかった。桂芳は安心した。

 結婚三年目、夫婦の倦怠期がきた。どんな熱烈な恋愛でも、必ずマンネリ(惰性)がある。桂芳は、団長として忙しいし、二歳になった子供への愛情で、夫の世話に欠けるところが出てきた。
 李は、美女を得て、夜は満足するまで相手をしてもらえるとはいえ、桂芳が家事に追われるのが気に入らない。倦怠を倍加させたのは仕事。電信会社の経理担当は単純そのもの。裏金は以前より多くなっていた。そうなると、また、火遊びがしたくなっていた。結婚後は、女遊びは収まっていたが、人間の本能に根ざす「飲む、打つ、買う」は、金があれば再発する。火遊びに油を注いだのが、一年前から李の親・李湘元が華南大学の副学長になっていたことだ。金が足らなくなれば、親にいくらでもせびれた。副学長になると、その分裏口入学の割当てが増えていた。
 昔の遊び仲間がまた集まってきた。「お前、あんな「別ぴん」を手に入れたけど、もうそろそろ昔の遊びが恋しくならないか」、「恋しいよ。男はだな、女を次々と換えることこそ、幹部への近道だよ」と、にやにや。
 李は、最初は桂芳が会議で遅くなる時などに、こっそり独りで元の飲み屋に通っていたが、それを昔のよからぬ仲間にめざとく見つけられたのだ。最初は、桂芳が遅くなるときだけだったが、次第に会社の接待だと嘘を言い、その頻度が確実に増えていった。
 男、三一歳。裏金ざくざく。何拍子も揃っている。堕落しないのが不思議かも知れない。どんな遊びをするか。軽いのは麻雀、トランプだが、次の段階では、バーのあの女を口説けるかということで賭ける。第三段は、覚醒剤。これは怖い。見つかれば確実に何らかの処罰がある。第四は、強姦。嫌がる女を手込めにできるかどうか。最後は、阿片への手出し。強姦と阿片は、立件されれば、死刑が待っている。中国の死刑、年間三千人を下らない。「お前、どこまでやれる度胸があるか」と言われると、ちんぴらどもなら、精々覚醒剤止まり。大物になれば「俺は、阿片にだって、手が出せるぞ」となる。
 李の手が震えたことから、覚醒剤に手を出したことまでは確実だとしても、阿片まで行っているかどうかは不明。桂芳は、李がよからぬ遊びに腑を抜かしている事は薄々分かっていたが、まさかの思いがあの一瞬の驚きだった。

 李の手に二回目の震えが来たのは、それから半年後の八月だった。夫三二歳、桂芳二四歳、桂英三歳。やっぱり覚醒剤をやっていた。いや、もっと進んでいるかも知れない。桂芳は、目の前が真っ暗で、どうしていいか分からない。自分の親に言うべきか。李の親に言うべきか。阿片まで進んだという確証はまだない。
 中国は一人っ子政策だが、桂芳の子は女児で、望めば権利として第二子ができる。桂芳には姉の暁梅がいるから、周易明の跡継ぎは、確定的義務とはなっていない。また、李湘元の妻方も妻に弟がいるからこれも確定的ではない。そんなことで、第二子が必要だとすると自分たち夫婦のためとなるが、将来の事を考えると、やっぱり男の子が欲しいというのが結論だった。ただ、第二子が生まれると、直接的な問題として、誰が養育するか。思案中、思案中となる。だが、桂芳は、青年団の団長として任務が忙しく、現実に子供を産む余裕があるかどうか。夫の手の震えはそういう中での出来事だった。
「ねえ、湘南、この震えは何から来ているの」
「何でもないよ。また、風邪だよ」
「嘘、あんなに震えるなんて、ただ事じゃないよ。阿片でしょう」
 桂芳は、事がここまで来れば、何か言わざるを得ない。なら、湘南も、白状せざるを得ない。
「いや、済まない。勘弁してくれ。もう阿片なんかに手出しはしないから」
 李は、泣いて謝った。謝ったからと言って、李の阿片中毒が治るわけではない。
「湘南、吸毒更正病院へ行こうか」
「辞めてくれ、そんなことをしたら、俺の人生は終わりだ。間違いなく死刑だ」

 分かっている。だから、桂芳は、相手の反応が知りたい。夫に何か不満があるに違いない。夫の世話をもっとしてやれば、不良仲間と付き合う必要もない。自分がいい女になっていい世話をしてこそ、男は女から離れられないのじゃないか。古今東西、世界の王妃は、例外なく妖艶だったじゃないか。
 桂芳は、目の入れ墨を考えた。目の永久化粧だ。それなら、風呂上がりでも、起き抜けでも、いつでもどこでも「目元ぱっちり」になる。その日のうちに、パーマ屋へ行った。桂芳の髪は、漆黒のストレート(直毛)、ロングヘア(長髪)。この妖艶さは、バーのマダム(女将)に勝るとも劣らない。身長は少し負けるが、首から上なら確実にテレビに出せる。これでいい。
「ねえ、湘南、これでいいでしょう。これからは、あなたが外で覚えてきたどんな体位でもするから、他の女には手を出さないで」
 何と妖艶な女。李は改めて自分の妻の奇麗さに驚いた。
「分かった。もう、お前一人で十分だ。化粧を塗りたくった、あんな女よりお前の方がどれだけ奇麗か分からないよ。俺、目が覚めたよ」
 目を化粧して、夜は怪しげな夫婦の交わりをする。李にとっては新しい刺激。一週間か十日はこれでよかった。だが、これもマンネリの日が近づいていた。
「SM(サディズム、マゾヒズム=虐待セックス)をしよう」
 どちらからともなく合意ができた。SMでは、性的な虐待を加え、体力の限界を極めつつセックスするものであるが、重点は虐待にあり、これは一種の厳しいスポーツだ。手足を縛って、脇の下をくすぐる。とても耐えられない。だが、それを強制させられたその後、その後に虚脱感と共に満足感が残る。ピンクビデオは、相手を縛って鞭で叩く。これは見せ物。そこまでしなくても、軽いところからいくらでも楽しむことができる。一つ技を克服したら、次の技に移る。こうすれば、体に傷を付けない限り、「もっとう、もっとう」と、新手の刺激で遊びが広がる。体力に自信があれば、のめり込んでしまうスポーツだ。もっとも、李の三二歳は、精力がもう限界で、この二、三年で燃え尽きてしまうかも知れない。それに対して、桂芳は二四歳。「もっとう、もっとう」の域にあるのではないか。
 果たせるかな、そうなった。李の寿命が半年で尽きた。新しい刺激はないか。李が変な照明器具とミラーボール(球形反射鏡)を買ってきた。男は、女が苦しんで悶えるのを、赤や青の光が交錯する中で見ようものなら、それだけで液を漏らしそうになり、体力は衰えていても、無上の喜びを感じる。女は、もちろん、性的虐待自身が耐えられない。夫婦は、共に七色の光の倒錯を楽しんだ。
 李の吸毒(阿片)中毒は、こうしている間、見掛上治った。

    5小説 「天 網」


 桂芳夫婦は、ほぼ完全に子育てから解放されている。親に預けっぱなし。中国ではよくある。というより、二十歳やそこいらで子供をつくらせた親にも一半の責任がある。娘の腹を借りて自分たちの跡継ぎをつくってくれた孫娘、また同時に、閨閥を拡大するための橋渡し、大事にしなければならない。何もかも、生きた道具だ。日本の平安時代の藤原氏の摂関政治と同じだ。ひょっとすると、あのような古代型の政治形態は、農業社会では、連綿と続けられてきたのだ。
 娘に子を産ませたら、共産党機関筋を利用して娘を大都会に就職させる例だってある。都会との絆をつくるのだ。娘を都会から呼び戻して結婚させた時は、子を産んだら直ぐ元の職場に復帰させる。これは、何も親自身のためにするものではなく、行く行くは娘夫婦のためになる。ちょっと待て。娘の桂芳夫婦は、夫の母方を嗣ぐのではなかったのか。可能性は大きい。だが、将来のことは分からない。二親は、できる方ができる事をする。生きた道具が奪い合いになることもある。全ては政略で、今この現在は、血族関係が優先しているに過ぎない。
 それなら、夫婦はどうなるのだ。そんなものは二の次。その二人が夫婦となって子を為したという事実があればよい。権力指向の前には、結婚生活の全てが犠牲になる。長年、夫婦が夜を共にすると相手なしでは生活できない。そうならないように、まだ完全に情が移らないうちに夫婦を引き離した方がいい。子という「かすがい」さえあれば、夫婦の絆が切れることはない。全く惨い習慣があるものだ。
 それで、この習慣の中で、男はどうなっていくのだ。三〇歳なら女なしでは我慢できないぞ。心配ない。夫婦別居の場合は、別の「女」を連れてきてもいいし、賄賂として美女がどんどん与えられる。いや、男とうものは、自分の才覚でどんどん女を獲得するものだ。
 なら、女はどうなるのだ。男ほどではないが、不倫はいっぱいある。男だけ許されて、女に許されないはずがない。元々、中国では、男女の交わりは当たり前のこと。自然の行為、神の所行だ。歴史的に、女の不倫が許されなかったのは、夫以外の子を宿してしまう男の身勝手から生じている。それさえなければ、不倫なんて次元が低い。最近の中国の避妊政策は行き届いてきて、一夜夫婦でも、百パーセント証拠を残さずに交われる。ならば、女でも発情したとき、不倫して何故行けないのだ。なに、夫以外の者に情が移るからって。それだって何故悪い。それが、男と女の関係じゃないか。なに、夫の嫉妬だって。そんなもの、夫に才覚がないからじゃないか。そもそも、離婚のあり得ない夫婦には、不倫もあり得ない。
 話は替わる。男でも女でも性欲は所与のもの。異性と交わるのが自然だとしても、自然条件が厳しければ、多少の不自然は仕方がない。不倫だって、ホモだって、レズだって社会制度を破壊しない範囲で最小限許される。世界史を調べてみよ、有名人の異常性欲、かなりというより信じ難いほど多い。考えて見よ。「証拠」が残れば、お家騒動は必定。だから、そんな知恵を産んだのだ。今の中国、社会条件は極めて厳しい。生きている意義を考えよ。発情したら発散。成行きでいいのだ。国家の避妊政策は、そのためにある。
 男は次々と女を換えた方がいいというが、李湘南は、幸か不幸か妻と同居。放蕩が過ぎたが、何といっても若くて美貌の女が手に入ったことでほくそ笑んでいる。それまでの女は、それほど奇麗でもないのに、自分が幹部の息子だと見るや直ぐに裸になってきた。中には情が移りそうな女もいたが、「不釣り合いだ」と親に反対された。桂芳だって同じだが、両家の家柄が適合してやっと一緒にさせてもらい、ほくそ笑まない訳がない。
 堕胎までして男に尽くした桂芳、今では夫を愛し、我が子を慈しむ良妻賢母。転居前は、子供を預けっ放しで夫婦だけの水入らずだった。夫婦そろっての衡陽在住は幸せそのもの。桂芳は、時に青年団の会合で遅くなることもあったが、何もなければ真っ直ぐ家に直行し、夫のために夕食を準備した。夜は、夫が満足行くまで相手をしてやった。そして、隣家の妻たちには、「奥さん、いい旦那さんを持って。将来は、あなたも旦那さんも幹部ですね」と羨ましがられた。
 結婚一年後、桂芳夫婦が易明の向かいの部屋に住むようになったのは、桂芳が「スキンシップ(肌と肌の交流)が大事」と言い出したことによる。というより、少しくらいならいいだろうと易明が許したからだ。転居後暫くすると、桂芳は、一日に一回は子供に会いに行くようになった。会えば、あやしたくなる。もう母乳は出ないが、あやせば情が移る。「これはいかん」「幹部候補生たるもの、情は禁物」。否定しても否定しても、湧き上がるものは抑えられない。だが、これこそ人間の情というものだ。だが、これがあっては、権力の頂点は望めない。だが、そんな事は、誰が言っているのか。
 易明は、失敗に気づいた。
 次の年の春節後の青年団の選挙で、桂芳は団長になった。自分は二二歳、娘は一歳。娘はかわいい盛りになったが、情を殺さねば、娘の教育にも悪いし、権力者の資質にも影響する。これからは、何事にも動じない冷徹な団長にならなければならない。決意を新たにした。

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