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4小説 「天 網」
三
産後の休養を二ヶ月ほど取った後、桂芳は、親の知合いの紹介で営林局に勤めることになった。
中国の林業は、全然大したことはない。日本と比べると雨が少ないし、しかも、中国大陸の半分は、昔、海底だったところが隆起してできた土地で、こういう土地は、石灰岩質と鉄分が多く、一般にやせた土地だ。そのため、いくらか雨の降るところでも、鬱蒼と茂った森林というものはない。衡陽では、その事がよく分かる。大地は、どこもここも真っ赤で、鉄分が剥き出し。森林はおろか、人が手を加えた耕地ですら農業に不向きなのだ。
それなら、営林局は、何をするところかって。地方用にいくらか木材の伐採もあるが、主たる目的は治山治水だ。いくら少ないと言っても、雨期にはかなりの雨がある。治水をしっかりしないと洪水になる。自然任せの土壌浸食を許すようだと、一回の洪水で街が全滅してしまう。あの黄河なんか、歴史上何回も流域の街をつぶしてきたし、流路も変えてきた。その移動も半端ではない。今は北京の近くを流れているが、昔は長江近くまで南下していた。長江だって同じ。長江は、流路こそ変えていないが、大量の土砂を上流から運んで暴れ、そのたびに洪水を起こしてきた。二千年前、上海の大半が海だったことを思えば、そのすごさが分かる。
上流の治水事業は、分けても重要。衡陽営林局の使命はそこにある。植林、植林、植林。食糧増産の時代が終わり、植林の重要性が認識されてきた。だが、笛ふけど踊らず、それが役人。だが、面白い。毛沢東時代の村中総出の土木作業、あんな物はもうとっくになくなったが、共産党中枢部隊では、その精神は少しも衰えていないのだ。日本人から見ると滑稽だが、局員は大まじめで、「我々は、どんな困難があっても必ず社会主義建設をやり抜くぞ」「我々党員は、一人ひとりが国家のために身を挺して働くぞ」「今与えられた任務を完遂して、国家の一級表彰を受けよう」、などとスローガン(標語、目標)の連呼と決起に忙しい。はっきり言って、治水の仕事なんかより、スローガンの連呼は口だけで済み、楽な仕事だ。
桂芳は、すでに高校の時から、共産党青年団に属している。青年団というのは、いわば共産党の見習生の集団で、これが生え抜きの党員によって指導されている。団に入るのも簡単ではない。これには、二つの方法がある。一つの学校で数人しか推薦されない厳しい選抜で入る入団方法と共産党幹部の推薦による推薦入団がある。表玄関と裏玄関のようなものか。そうだ。ところで、桂芳はどうなんだ。幹部推薦は受けたが、これは安全装置とされただけで、それがなくても十分合格できた。
美貌で賢い。桂芳は、営林局に就職後、すぐに共産党幹部の目に留まった。
「お前、幹部候補生にならないか」
「光栄ですね」
桂芳は、二つ返事で承諾した。内心願っていたことだ。これで、共産党幹部への道が開けてきた。ただ、党員になれば、週に一回会議があり、これに出席して各種の任務をこなさなければならない。これが、ちょっと辛い。日本の政党員は、党員拡大、政党宣伝、票読みなどの下働きばかり。ボヤボヤしていたら後輩党員に追い抜かれて、地方議員の切符も貰えないことがあるが、中国では違う。共産党はエリートの象徴で、住民奉仕は形だけ、幹部に格好いいところを見せ、いかに権力の中枢に近づくか。これが仕事だと言ってもいい。その結果、どろどろした人間模様ができる。会議の辛さよりも、人間関係の方が辛いのかも知れない。
桂芳は、衡陽共産党幹部の子息という旦那は掴んだし、自らも、自力で上級登用の切符を掴んだ。後は、順風満帆に桂芳丸が全力で帆走するのを待つだけだ。
春節が過ぎて、青年団の役員選出の時期が来た。誰が団長になるか。日本の労働組合青年部の選挙は、「お前なれよ、お前なれよ」の一見譲合いの推薦待ちの選挙になる。ただ、部長推薦だけは、口には出さなくとも「俺を推薦してくれる者はないか」の見えざる確執がある。中国では違う。青年団は、共産党幹部への登竜門。最初から、幹部の息子や娘が名乗りを上げて推薦を競い合う。桂芳は二親の推薦で団幹部への名乗りを挙げてみたが、いくら美貌でも入社半年では早すぎる。ということで、団長推薦は逃した。もう少し下積み生活をせよ。つまり、もう少し「頑張るぞ、頑張るぞ」のお経を上げなければならない。
桂芳は、青年団幹部になってから、職務と生活が一変した。
まず、配転があった。庶務課だ。入所時は経理課で資金管理の補助をしていたが、忙しくなるということで実務から解放された。これが表向きの理由だ。
出勤すると、まず団事務所へ。団長も来ていた。ええっ、何、職場じゃないのか。もともと営林局なんか、計画と管理だけで現実の仕事はない。やるとしても、人夫集めが主な仕事。そんな仕事は、計画書が回ってきた時いつやってもいい。ええっ、それなら、そもそも営林局が桂芳を採用する必然性はないのじゃないか。そうだ。だが、最高権力者は、毛沢東時代に華々しく活躍し、今でもお経をしっかり上げている部署からしか出せないのだ。少し補足すると、一九六〇年頃、中国が食糧不足で餓死者が二、三〇〇〇万人も出たあの頃、あの頃に作った映画を見せるのが愛国教育だ。「人は、限界に置かれてのみ、鍛えられる」と。こういう所が頑張っていればこそ、今でも中国の屋台骨がしっかりしている。生産性とか目的意識という判断尺度はない。精神力だけだ。とにかく、歴史的に、筋金入りの幹部を養成することが第一の目標とされてきた。その意味では、中央の幹部養成大学がその第一任務を担っているが、他にも、現場を抱える党の拠点学校が地方にはいろいろある。桂芳は、親の意向で最初から特殊部署に就職したわけだ。
桂芳は、一通り団長以下の団員に挨拶し、団の回覧を読んでから職場に向かった。一時間ほど遅刻になるが、そんな事は問題ではない。
庶務課の仕事は、単なる雑務ではない。日本とは全く違う。特に、幹部資格を得た者の仕事は、権限行使、つまり、下から上がってくる要望に対する裁量権行使だ。局内の他の部課、出先機関や日雇い人夫に対する絶対的な権限を有する。桂芳が行く所どこでも、その傘下にある者は、作り笑いをして頭を下げた。
権限行使は、まさに虎の威を借るで、単なる職務執行ではない。いい気持ち。何故って。権限行使とは、自ら判断すること。幹部にはその素養が求められる。表向きはそうなのだが、営林局にそんな難しい仕事なんてある訳がない。「我々の部署に、会議費つまり宴会費をいくらか回してくれないか」「団員の愛国教育のために研修費を出してくれないか」「官舎の水道が壊れたが直してくれないか」果ては「団員の結婚式の費用を出してくれないか」といった次元の低いものばかり。最終決定権は庶務課長にあるが、その一次判断は桂芳のような者がする。日本でも、平(ひら)の総務課員が威張っているが、中国では、権限行使が個人の好みで行われ、権限の強さは日本の比ではない。となると、決定に賄賂は付き物。これが辞められないのだ。ところで、少し聞きたい。権限行使の職務と「我々は、社会主義建設云々」とはどう整合するのだ。しない。だから、スローガンの連呼はお経なのだ。
周易明は、これがあるからこそ娘が多少嫌がっても裏金の入るところへ入れたかった。勿論、結婚もその一つだった。桂芳も、李湘南と付き合う前は、親の汚れた姿を汚らわしいと思ったものだが、実際に裏金が入るようになると、正義なんかどうでもよくなった。なるほど、中秋節の党晩餐会は、権力志向の道具なのだ。それが実感として分かった。結婚に成功したその次は、上級庁である湖南省の幹部との渡りを付ける目標が待っている。
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