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derbingleのブログ
ビング・クロスビーのCDコレクションを整理を兼ねてアップしています

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1月2月は忙しくて、夜はヘロヘロなのに
日課みたいにヤフオクやらeBay見て・・・
とりあえず、ウォッチしていく中で、同じ映画なのに表紙が違う
ん?パンフ??プログラム???
映画の「パンフレット」と「プログラム」の違いってなんだ?


色々調べてみると、早稲田大学 演劇博物館のサイトにこうありました
・ プログラムは戦前・戦後に映画館が独自に発行していたモノ(ほとんどが無料)
・ パンフレットは 1960年代頃より全国一律で発行しているモノ(有料)

なるほど!ということで、「映画プログラム」で検索していくと
プログラムをまとめた書籍も何冊かありました


早速、確認してみると・・・

「洋画プログラム コレクション」(スクリーン増刊)H1.8.5発行
 ジャンルに分けて、プログラムの表紙を並べて監督・出演者名を併記しているだけ
 しかも、これはパンフレット時代でしょうって作品も・・・
 インターネットが無い時代だと眺めて楽しめたかな
 ただ、今回求めていたモノではない


本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本


「洋画プログラム コレクション」佐藤忠男 編 S58.11.25発行
 こちらもジャンルに分けて、プログラムの表紙を並べてるスタイル
 ヤフオクでプログラムを検索してると、
 同じ映画でも映画館によって全然表紙が違う???
 そういった違いをとことん追求&解説してくれるようなのが見たかったんだけど
 その辺りを、この時代&商業ベースに求めるのは無理か

 ただ、佐藤氏の「はじめに」を読んでると有益な情報が・・・
 曰く、
「プログラムとは上映する作品の予定表だから1枚の紙切れでいい。
 しかし、大都市の封切館では競って、数ページから数十ページのモノを発行。
 この習慣は日本独自のものとして続いている。」
 
 そういえば、海外旅行しても映画のパンフレットって見たことない。
 eBayでもプログラムらしきモノは、
 ドイツの二つ折りのリーフレットくらいしか出品されてない。


本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本


「懐かしの復刻版 プログラム映画史 大正から戦中まで」
   日本映画テレビプロデューサー協会 編  S53.4.1発行

 これが、求めていたモノに一番近い
 プログラムを原寸大復刻 & 発行劇場名も記載されていて資料性高し

 口絵には、「パンフレット」とありその説明に「昭和6、7年頃劇場で
 一般観客、プログラムに添付して配布したもの。」とある。
 
 じゃあ、映画の紹介がされてるモノと時間割的なモノの2部セットだった?


 本文を見ていくと、復刻版の下にはみだし情報があります
 P.11 第一新聞 ・・・浅草帝国館のモノで、これがプログラムの始まり
    ・ 週刊 大正8年1月25日 第148号とあります
     (右から左に横書きしてあるので、あ〜読みにくい)
    ・ 裏面には、 回数券定価(十回券) 特等 4円50銭
                       一等 2円70銭
                       普通 1円80銭
      とありますが、1回の値段なのか?10回分の値段なのか
      とても、見当がつきません

 P.303 昭和12年(1937年)7月 盧溝橋事件、日中戦争に
     大蔵省、映画の輸入本数制限を通告
 
 P.305 昭和13年(1938年) 内務省令、映画一興業3時間制

 P.311 昭和13年4月 国家総動員法、公布
     このキャプションがあるプログラムは『舞踏会の手帖』
     それにダンシングチーム応援出演とあるので、
     まだそんなに緊迫してないのかな

 P.318 昭和13年9月のプログラムには、「完全冷房中」とあり
    「紳士淑女諸君に御願ひ・・・チューインガムを御捨てになる時は
     紙に包んで御捨てください。之は文化人の常識で御座います」
     とある

    「ゴミ箱に御捨てになること」までは、求めていないのかな

 P.338 昭和14年(1939年) 映画法施行、外国映画の上映本数制限

 P.347 昭和14年5月のプログラム
    「九日より厳選洋画封切」の謳い文句と共に
     フレツド・アステーアの『カツスル夫妻』

 P.367 昭和16年(1941年)12月 太平洋戦争始まる
     裏面には、コロンビアレコード『なんだ空襲』の広告

 P.373 昭和17年(1942年)4月 米機日本本土初空襲
 
   P.375 昭和17年6月 ミッドウェイ海戦

 P.377 ハワイ・マレー沖海戦(円谷英二特撮監督)

 P.379 英語の雑誌名禁止

 P.387 紙不足で、封筒になるプログラム登場(ちなみに切手は5銭)

 P.391 戦局多難につきプログラム廃止


本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本


「懐かしの戦後篇 続・プログラム映画史 昭和21年から昭和32年まで」
   日本映画テレビプロデューサー協会 編  S54.6.1発行

 こちらは、先の続編
 戦後篇なので聞きおぼえのある映画も多い

 口絵  昭和21年4月11日 日比谷映画劇場ニュース 復活
     裏面には、昭和18年11月25日(第491号)から中断とある
     コロンビアレコードのワルター指揮(維納フイル)の広告あり

 P.10  戦後映画ベストテンの昭和21年度1位は『我が道を往く』

 P.11  昭和21年5月2日の中央映画劇場のご挨拶
    「連合軍民間情報局映画課によって、先ずアメリカ映画を一括提供する
     中央配給機関が設置。
     中央映画劇場は、その機関の専門館として中部地方に4月11日デビュウ
     した」とある。

 P.32 『我が道を往く』近日封切の広告
     映画中唄われる歌として
      星で揺れるよ(字がつぶれてて違うかも・・・)
      いつの日にか
      ハバネラ
      トウラトウラトウラ
      我が道を行く(こっちの行くね)
      アヴエ・マリア
      聖なる夜
      アデステ・フイデレス
     何故かコロンビア映画となってる
    
 P.34  1947年6月の新宿セントラル・ウィークリーは
    『運命の饗宴』と
    『ワイキキの結婚』(本邦封切…昭和12年盛夏とあるからリバイバルね)
     ストウリイとして話の紹介がありますが、
    「そして此のお話と云ふのが、極くたわいのないものでございますが…」
     と、まあ正直です。

 P.37  昭和21年10月29日のプログラム№26の裏面には、
    「七つのアカデミイ賞獲得作品『我が道を往く』」
     はみ出しには、21年11月3日 日本国憲法公布とある。
     白洲次郎が、監禁されて強姦されたらって言ってた頃なんや

 P.55 『スヰング・ホテル』MPEA(S22.6.10)このヰはいつまで使うのかな

 P.73 『モロッコへの路』神田東映(S22.12.30)
     中面には「47年の回顧帖」なるものがあって
     スイング・ホテル(ここではイ)のコメントが
    「ビン・クロとアステアがひどく楽しそう」だって
     ビン・クロって初めて見たな
     昔、ピーター・ガブリエルのコンサートに行った時に
     近くの客が、ピーガブって叫んでたのを思い出した
     本人に聞こえても、何のことかわからんでしょうと心でツッコミ

 P.91 『聖メリイの鐘』帝国劇場№34(S23.7.27)
     7月27日ー8月23日
     毎日 12時・3時・6時 3回
     税共料金 ¥90・¥50 
    (何の説明も無いんだけど特等とか2等とかが当たり前にあったのかな)

 P.391 淀川長治先生が「プログラムに見る映画追憶」というプログラムに
     関する詳細な文章を書いておられます。
     流石ヨドチョー先生
     これを読むと、あ〜こういうことだったのね!と全て解ります。
     曰く
     ・ 大正10年(1921年)は、入り口で切符と引き換えに全員がただで
       もらう
     ・ 初めは、ハガキ1枚大のザラ紙
     ・ 映画館自身が毎週印刷、編集者も自前
     ・ このため、プログラムの交換もさかん
     ・ 戦後、有楽町スバル座が35頁のプログラム、これは20〜25円
     ・ 同時期に、丸の内名画座などにはザラ紙無料のプログラムも
     ・ 戦後、昭和21年(後の都筑道夫氏によると2月28日)に
      『春の序曲』と『キューリー夫人』でアメリカ映画が再開
     ・ 他でも書いておられたゴーイング・マイウェイは”ゴマメ”にしか
       聞こえない話
     ・ アメリカ映画は、CMPE(セントラル・モーション・ピクチュア・
       エクスチェンジ)というアメリカ官僚が一括配給していた


当時のオリジナルも、今回いくつか購入したので、改めて紹介していきます。

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