愛媛の古城

中世の山城めぐりをしています。幾多の戦火をくぐりぬけ、今はひっそりと山中に眠る古城に魅力を感じます。

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戦国時代の刀

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備州長舩祐定 
戦国時代に備前長舩で量産されたいわゆる数打ちものといわれる刀です。
足軽雑兵が登場し、戦乱が続きで増大した刀剣需要を満たすため
工房に職人を集めて分業体制をとり、流れ作業で刀剣を量産していました。
銘はその工房名みたいなものです。注文主の注文に応じて入念に製作された刀とは違います。
いわば実用の道具であり、戦場にて鎧にたたきつけたり、曲がったら足で踏んで
直したり、あるいは血を泥水で洗い流したりとか・・・、そんな風に使われる刀です。

こうした刀は美術品としての価値は乏しく安価に入手できます。
では武器としての性能はどうなのかというと、恐らく一定水準には達していたものと
思われます。実戦で使用する刀には切れ味よりも折れない頑丈さが求められた
のですが、その点においては優秀であったと思われます。

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戦国初期に流行った片手打ち用の短い刀です。お世辞にも美しいとはいいがたい刀身ですが、実用の道具なのでそれでいいのです。鎬筋の下には備前刀らしく映りが見えています。

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うねうねうねった鍛え肌がよく見えます。丈夫そうです。

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鎬地には矢傷と思われる傷跡が残っています。
戦国時代の近接戦の主武器は槍でしたが、こうした矢傷や切込み傷が残った刀が
多数残存しているところをみると、刀もかなり戦闘に使用されたのだと感じます。

どんな人が所持していたのだろうか・・・、などとあれこれ当時に思いを馳せること
しきりです。

高知県某鉱山

少々不安を感じる木製橋を渡ります。
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急斜面に石垣が連なっており集落が形成されていたようです。
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上へ登っていくと視界が開け鉱山跡が見渡せます。
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集落跡を抜けさらに上へ
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道はしっかり残っています。
ズリの上部に来ました。
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さらに上へ行くと広場になっています。
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機械室とか発電所とか?
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索道?
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主坑道跡?
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資料はないので全部推測です。
開いている坑道もありました。
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神社跡
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倒壊寸前の祠
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鉱石を祭っていたようです。
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さらに上方にも石垣が連なっています。
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釜戸跡が残っているところをみるとここらも社宅があったのかも。
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これでも一部しか見ておらず結構大きな鉱山だったようです。
 

詳しい地図で見る
太平洋戦争末期、見奈良駅のあたりには陸軍の飛行場が建設されていました。
その燃料格納壕が大興寺裏山に残っています。
農道沿いにいくつかの壕があったようです。
 
壕1 ゴミ捨て場と化しています。
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壕2 入り口を埋めてあります。
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壕3 こちらは大きく開口しています。
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入り口は廃材だらけですが入ってみました。
すぐに左へ直角に曲がっています。
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2m×2mぐらいの規模でゆうに立って歩けます。
長さは15m程で壕2とつながっており光がさしこんでいます。
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付近の様子
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隊員の宿舎としても利用された大興寺
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この寺はかつて温泉施設がありました。宝泉川上流から鉱泉を引いていたそうです。
寺の裏へ行くと硫黄の香りが漂います。
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近くにある無料鉱泉スタンド
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白猪谷鉱山跡

子持鉱山ともいい、高知白猪谷渓谷にあった銅鉱山です。
昭和40年代まで稼行されていました。
 
瓶ヶ森町道をよさこい峠から下り白猪谷へ。
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遊歩道が整備されており歩き易いです。
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脇にレールが転がっていたのでかつてはトロッコ道であったのかも。
バンガローのあたりまで来るとズリが見えます。
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歩道から少しそれてズリの対岸に来ました。
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しかし雨後のため水量が多く渡れそうにありません。
他に迂回ルートもないようで鉱山に行くにはここら辺を渡るしかないようです。
晴天が続いた日に再訪してみよう。

天河寺跡

天河寺は西条市黒瀬の南方標高680m程の山中にありました。
1342年には細川頼春が陣をはり、戦国時代には長宗我部や毛利の兵火により
焼失し廃寺になりました。
現在では坂中寺を起点に
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林道天河寺竜王山線が通じており車でも行けます。
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寺跡の平地には人が住んでいたようで廃屋が2棟ありました。
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この家には礼拝所のような建物がありました。
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多分天河寺を承継した極楽寺の関係だと思います。
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寺跡の平坦地には通路や建物の石積みがイメージ 9
随所に残っています。
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境内跡の廃屋
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石碑
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そして一番見たかったのが『愛媛面影』にいう石の判です。
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壽の文字ははっきり見てとれます。
『西条誌』にも記述があります
イメージ 5場所は寺跡の北側、林道と旧道が交差するあたりから少し下った斜面にあります。
離れて見るとただの岩にしか見えないので探すのに手間取りました。
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参考サイト 大保木村の歴史
 
 
 

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