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板垣退助の言葉

 すげーどうでもいい話。大河ドラマで鳥羽伏見の戦いを描いた回を見たのだが、戊辰戦争についてまとめた「復古記」なる文献が紹介されていた。そこで出てきた「槍を振て銃丸の中を進み来る、其勢甚鋭し」という文章が、実は伏見の戦場の話ではなかったことが分かったので書いておく。この一文は復古記第9冊"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1148387"のp25に載っているんだが、そこに書かれているのは3日の伏見での戦闘ではなく5日に行われた淀千両松での戦闘。川沿いの葦の茂みに伏せていた会津兵に対して射撃を浴びせたところ「こらえかね」て飛び出してきたらしい。
 この淀千両松の戦闘も「鳥羽伏見の戦い」の一部と見なされているようなので、その意味では別に間違ったことは言っていない。ただドラマでは3日の伏見での戦闘が中心に描かれる一方、千両松の場面はなかったため、この記述が3日の戦闘のものであると思い込んでしまうリスクはある。実際には3日の戦闘が行われた伏見御香宮と、5日の戦闘が行われた千両松(淀競馬場傍)は4キロメートルほど離れており、全然別の場所だ。やはりソースの確認は大切である。
 ただし、3日の戦闘についても同書には「少にても相弛み候節は、会兵、新撰組と相見え、槍長刀相携、間合い三四十間の處迄懸寄候儀も度々有之候得共、隊中一同粉骨を竭して相働き打退け候」(p7)という表記がある。会津藩士と新撰組が槍や長刀を持って駆け寄ってきたとあるので、3日の戦闘で会津兵が槍を持って突進する場面が描かれていること自体は実は間違いではない。
 でもドラマのように旧幕府側が攻め込んで実際に白兵戦まで持ち込んだという記述は見当たらなかった。御香宮周辺ではなく、鳥羽と伏見の間にある竹田街道沿いならば、薩摩藩邸に対して旧幕府軍が「大砲を放て門扉を破り、斉く邸内に侵入す、3人を斬る」(p9)という記述があったけど。
 
 ちなみに戊辰戦争において参謀として会津に攻め込んだ板垣退助は、後に「会津戊辰戦争」"http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951582"の序文において印象的なことを述べている。彼は会津戦争について「其籠城せるものはただ其士族の階級のみにして、一般人民は之と風馬牛相関せざるの状あり」(p5)と述べ、その理由について「畢竟上下離隔し、士族の階級が其楽を独占して、平素に在て人民と之を分たざりし結果に外ならず。夫れ楽を共にせざる者は亦た其憂を共にする能わざる」(p7)としている。
 会津藩体制で何の利益も得ていなかった平民たちにとって、会津藩を守るメリットは全くなかったのだろう。戊辰戦争を目撃した英国人医師ウィリアム・ウィリスの記録("http://aizu.sub.jp/honmon_2/095.html"参照)でも、平民たちにとって会津藩政がろくでもないものであった様子が描かれている。旧体制のメリットを受けているのが武士階級だけだったので、武士階級以外にそれを守ろうとするのはいなかった。会津を一まとめと見なして論じるのは難しいように思う。
 しかし何より面白いのは、この板垣やウィリスの証言が、アザー・ガットが「文明と戦争」の中で指摘しているある現象を見事に裏付けている点だろう。ガットはもっと古い、農業による社会の階層化が進んだ時代の説明において「[エリートの]支配に服していた孤立した農民は、社会的・政治的事象に利害を有しておらず、戦闘の報奨にもほとんど関心がなかったため、概して劣った兵士だったのである。農民は服従していても戦場においては明らかに『使えない』戦力であり、その支配者が貴族的戦士やその配下に加勢するために動員した時でさえそうだった」(文明と戦争上、p403)と述べている。
 近代以前の国家において、少数エリートの支配は平和時には効率がいい面もあっただろう。戦国時代なら少数エリートだけが利益を独占しているような領国は早々に滅ぼされたかもしれないが、平和な江戸時代を通じてそういう藩が増えていったとしても不思議はない。だが動乱の時代になるとそれはむしろ藩の弱さにつながった。いや、話は藩レベルにとどまらない。国家レベルで見ても固定されたエリートが利益を独占する体制は、外部との争いにおいて意外に脆いことがありうる。
 少なくとも板垣退助はそう感じていたようだ。彼は序文の中で薩長の専横について「豺狼路に横わる奚んぞ狐狸を問わん」(p2)と記し、国内での対立より列強の方が恐ろしいことを指摘している。そして列強に対抗し「富国強兵の実を挙げんと欲せば、須らく上下一和、衆庶と苦楽を同うするの精神を以て、士の常職を解き、国民平等の制と為し、以て全国皆兵主義を行わざる可からず」(p7)と述べている。彼が自由民権を唱え、多くの国民が体制から利益を得られるような仕組みづくりに奔走したのは、実は「全国皆兵主義」という目的のためだったのである。
 現代的な左翼右翼の発想法では捩れを感じるかもしれない。しかしフランス革命史を知っている者なら板垣の主張を違和感なく聞くことが可能だろう。そもそもアメリカ独立戦争時やフランス革命期に「愛国者」と呼ばれていたのはバリバリの革命主義者たちだった。既存の体制を破壊し、新しくより平等な政治制度を築き上げた連中が、一方では国家総動員に加担していたのがあの時代だ。そしてそれは、ガットの分析とも整合性が取れている。対外戦争でより強くなるために、古い既得権を壊しより平等な体制を。苦を共にするためにも楽の分かち合いを。それが近代の理念だ。
 現代においては兵士の数が必ずしも戦場での強さに結びつくとは言えなくなったため、こうした発想はあまり見られなくなった。だが少数のエリート兵(例えばRMAの進んだ米軍のプロフェッショナルな兵士)ではなく、多数の素人兵が意外な強さを発揮するような条件が整えば、再びガットの、そして板垣のテーゼが復活する。その時に既得権を持つ少数エリートが圧倒的に利益を独占するような体制を敷いている国家は、実はとても脆いかもしれない。

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