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■Final Magazine vol.7 WR#11 松村 歩(まつむら あゆむ) (写真提供:チームカメラマン 池田 理氏) 北京オリンピックでウサイン・ボルトが 9.69秒という100mの驚異的な世界新記録をたたきだしたのは記憶に新しい。 そのスピードは時速37kを超える。 数多くのスプリンターが人類最速を追い求めている。 最近、原子物理学者によって人類のスピードの限界は、 約350年後に記録される9.43秒という研究結果が発表されて話題を呼んでいるが、 先のことは誰にも分からないし、まして限界とは超えるために存在するはずだ。 そして、アメリカンフットボールのフィールドで、 ひたすらスピードを追い求める一人のえぐいアスリートがいる。 ”えぐいスピードプリンス”#11 松村 歩だ。 全盛期には手動計時ながら40y走で4.3秒を記録したそのスピードは本物だ。 スピードに対するこだわり、日本一への強い思いを聞くことができた。 小さい頃からスポーツが大好きな少年だった歩は、小学生時代はソフトボール、 中学生時代は野球に熱中していた。 勉強はあまり好きではなかったが、教師になるという夢を抱くようになり、 必死に勉強して見事に地元和歌山の名門初芝橋本高校へと進学する。 初芝橋本高校には普通科(進学科)、国際科、体育科の三つのコースが存在する。 サッカー部、バスケットボール部は全国レベルで近年は野球部も甲子園へ出場を果たしている。 しかし、これら運動部に所属する生徒は皆体育科で昼間から練習をしている。 歩はというと、教師になるべく普通科(進学科)入学したので、 部活動をすることはありえないはずだった。 ある日の体育の授業で、50m走があり、 歩の走りにスプリンターとしての才能を見出した人物がいた。 陸上部のコーチをしていた体育教師だ。 陸上部で本格的に短距離をやらないかと勧められた歩だったが、 普通科で授業がびっしりの歩にとっては練習もままならない。 しかし、元々体を動かすことが好きだったので、 陸上に挑戦したいという気持ちが日に日に強くなっていった。 そして両親におそるおそる相談すると、 返ってきた答えは意外なものだった。 ”ぜひ、挑戦しなさい” 後に聞かされた話だそうだが、 歩の両親は、歩が高校に入って勉強をするために大好きなスポーツをできないでいたことを残念に思っていた。 そして、陸上をやりたいという話を聞いてとてもうれしく思っていたのだ。 「昼間は授業だったので、早朝と夜に練習するしかなかった。 おかんは毎朝起こしてくれて、弁当を作ってくれた。本当に感謝しているよ。」 歩は今でも両親への感謝の気持ちを強く持っているのが伝わってきた。 そして、チームメイトと一緒に練習できない分、コーチは朝と夜、 つきっきりで指導してくれた。 そして、歩の努力の甲斐もあってスプリンターとしての才能が開花していった。 「吐かない日はないというくらい毎日辛かった。 でも記録が伸びていくのはうれしかったし、 何より応援してくれる家族やコーチのためにも投げ出すわけにはいかなかった。」 最終的に100mで10.86秒の記録をだして、和歌山県を代表するまでの選手に成長していた。 陸上に本気で取りくみながらも、 歩は教師になるという夢をもって勉強も両立させていた。 授業では一番前の席からずっと席替えせずに、毎日睡魔と闘っていた。 そして進路を決める時期になって、歩には学校推薦というご褒美が待っていた。 この推薦は勉強と部活動を両立させた生徒を対象としており、 普通科と体育科で文武がはっきり分かれている初芝橋本高校においては、 対象者がなんと歩一人だったのだ。 そして、志望は関西学院大学と立命館大学の二つにすぐに絞られた。 どちらにするか迷った歩だったが、決め手となったのがアメフトだった。 ある日、偶然NFLの放送を見た歩はその迫力に衝撃を受け、大学で挑戦したいと思った。 そして、選んだのが当時関西を3連覇中で前年日本一になった関学ではなく、 立命館大学だった。 「まず、絶対日本一になりたいと思った。 そして、どうせなら関学を倒して日本一になったらかっこいいな〜と思った。 あと直感的に青より赤になんとなく惹かれた(笑)」 立命館に入学した歩だったが、ここで更に大きな選択を迫られた。 アメフト部で活動しながら教員免許を取得するのが現実的に困難だったのだ。 「教師になるのは昔からの夢だったからすごい迷ったけど、 アメフトでどうしても日本一になりたいという気持ちが強かった。」 苦渋の決断を迫られた歩は、日本一への強い思いを胸にパンサーズへ入部した。 スプリンターとしてスピードには絶対の自信を持って フットボールの世界へと踏み込んだ歩だったが、 待ち受けていた現実は想像以上に厳しいものだった。 まず同期の新人といえば、昨冬から練習に合流しているスポーツ推薦組で、 高校で輝かしい実績を残した一流選手ばかり。 春の時点では一般入部は歩ただ一人だった。 体重が60kにも満たなかった歩は自慢のスピード以前に、 孤独な増量と筋力トレーニングの日々を余儀なくされた。 「ベンチプレスが初めは35kだった。 周りと比較して、自分はやっていけるのかと不安になった。 けど、陸上で培ったスピードだけはプライドがあったし、 ある先輩の言葉に大きな希望をもらった。」 その先輩とは現松下電工WRの長谷川昌泳選手だ。 一人でトレーニングをしていた歩に、 「あきらめないでトレーニングを継続していれば、いつか必ず成果は現れるよ。」 と声をかけたのだった。 そして翌年には、10キロ以上の増量に成功し、 ベンチプレスも100キロ以上を上げられるようになっていた。 持ち前のスピードに磨きをかけた歩は、WRとして徐々に頭角を現していく。 「WRユニットは本当にすごい人たちばかりだった。 特にノリさん(木下典明選手)にスピードで勝つことを目標としてがんばっていた。」 3年時の春からスターターにつくこともあった。 そして最終学年、最後に日本一となり歩のアメフト人生は幕を降ろすはずだった・・。 激闘の末、ライバルの関学を破って迎えた最後の甲子園ボウルの法政戦。 不完全燃焼のままよもやの敗北を喫してしまう。 就職も決まっていた歩だったが、煮え切らない思いがふつふつと込み上げてきた。 「なんかこのままアメフトやめれないと思った。1,2年で日本一にはなったけど、 それは自分がなったというよりは、先輩たちに日本一にさせてもらったという感じ。 まだまだ上手くなれるとも思ったし、もう一度社会人で挑戦しようと思った。」 そして歩が選んだチームがFRONTIERSだった。 先輩の河瀬さん(WR)の紹介でトライアウトを受け、入部することになる。 日本一という目標に向かって、日々進化を続ける歩だが、 最近特に思うことがあるという。 「昨年からOLは本当にしんどい練習に耐えてがんばっている。 そんなOLのパスプロで支えてもらっているのに、WRはイージーミスが目立つ。 絶対に捕るという強い気持ちで取組みたい。自分も含めてもっとやれるはずだから。」 そして何よりスピードに対する人一倍のこだわりも未だに強く持っている。 「昨年よりは速くなったけど、まだまだいける。 自分の売りはスピードしかないのだからだれにも負けたくないよ。」 客観的に見て、 シンプルなスピードならば間違いなく日本一といえる富士通FRONTIERSのWR陣。 そんな多くのライバルがしのぎを削る熾烈なユニットでも 歩はスピードNO.1へ挑戦を続ける。 そして、歩の口から最後に出てきた言葉はやはりこのキーワードだった。 「自分の成長もそうだけど、やっぱり最後は日本一になりたい。 自分が貢献しての日本一にね。」 陸上のスプリンター時代からこだわり続けてきた歩のスピードが、 日本一への道のりで何度となく炸裂することだろう。 ◆編集後記 #19もときさんからのコメント◆ ゲーム好き。酒好き。まさに酒豪・・・・ しかし、誰よりも真面目に繊細に取り組むアユム君。 その取り組みと謙虚の姿勢こそ、 スピード以外にアユムが持っている才能だと思います。 一緒にフロンティアーズのオフェンス、そしてワイドチームを引っ張っていこけ〜 次回!!!
アユムからご指名いただきました! ヒント:「日本を代表するライオン!!!ついにこの男登場☆」 |
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