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12月15日(月)の午前2時30分。 敬虔なクリスチャンである彼が、 幼いころから欠かさず行っている日曜日の教会での礼拝を終えて帰宅後、 午前0時から開始した取材が終了した時間だ。 私は大学時代に海外への留学の経験はあるが、 既に錆びつきかけている英語と、 逆に年々上達している彼の日本語を交えながら行ったインタビューは2時間半にも及んでいた。 そう、12分クォーターならばアメフトの試合がちょうど1試合終わるくらいの時間だ。 人は集中している時は時間が短く感じられるものだが、 こんなにもあっという間に時が過ぎた経験は自分の26年の人生を振り返ってみてもそうはない。 そのくらい彼の話は魅力的で興味深かった。 いや、それは彼自身の人間的な魅力がそうさせたのかもしれない。 日本人より日本人らしく、アメリカ人より勇敢。 FRONTIERSでは6シーズンプレーしているWR”青い眼のサムライ”#15ブラッド・ブレナンだ。 昨シーズンのプレーオフ準決勝で負傷して以来、 復帰後初の公式戦出場となった今プレーオフ鹿島戦で、 驚異のパフォーマンスを披露したブー。 日米での経験、WRのテクニック、気になる今後を含めたFRONTIERSへの思いまで赤裸々に語ってくれた。 4人兄弟(兄、姉、弟)の次男としてサンフランシスコで育ったブー。 幼いころから様々なスポーツにに取り組んでいた。 ブーがフットボールを始めたのは13歳の時だった。 その後、聖フランシス高校に入り2年生までアメフト、バスケ、 野球と3競技をシーズンスポーツでプレーし、 3年生の時はアメフトとバスケを専念した。 その中でブーが自分に最もフィットしたスポーツと断言したのがバスケだ。 鹿島戦で浮かせたパスをエンドゾーンで4人のディフェンダーを振り切り、 見事にジャンピングキャッチしたプレーは記憶に新しいが、 まるでバスケのリバウンドを捕るようだった。 不動のポイントガードとしてチームを牽引したブーは、 チームをカリフォルニア州のNO.1へと導いている。 「他のチームは背の高い黒人選手ばかりだったけど、 そういうチームを倒していくのは快感だった。 バスケは好きだし、最も自分の能力を引き出せる競技という確信はあったけど、 背が低くてカレッジ以上のレベルでのプレーは難しかった。」 約1m80cmあるブーの身長だが、アメリカではPGの身長が2mを超える世界。 フットボールに懸ける思いは年々強くなっていった。 さて、高校時代のブーのフットボールキャリアについてだが、 2年までWRとCBを経験して3年時はWRに専念していた。 現在もそうだが、彼はレシーバーとして高さ、 スピードなど身体能力が特に傑出しているわけではない。むしろ並だ。 しかし、彼は高校時代から地区のベストWRとしての地位を確固たるものにしていた。 その要因はハンズ(捕球能力)、テクニック、 相手ディフェンスのパスカバーを読むカバーリードの3つだ。 つまりWRとしての総合力が高い選手といえる。 テクニックやカバーリードについては後述するが、 これらを支えたのが当時UCLAのWRとして活躍していた兄のブレントの存在だ。 現在はサンノゼ大学でWRコーチをするブレントは、 ブーに最新のカレッジレベルのテクニックや知識を叩き込んでいった。 こうしてブーのスマートなプレーぶりは高校時代に完成されていったのだ。 アメフトで大学の奨学金を得るために、 自分のビデオを強豪大学に送って売り込んだが、 推薦は得られず一般入部でNCAA(全米大学体育協会)1部の強豪アリゾナ大学へと進学した。 アメリカのフットボール人気は言うまでもないが、特にカレッジにおけるそれは凄まじい。 強豪校の対戦には数万人の観衆が集まり、 ボウルゲームの優勝賞金は数千万円に及ぶ。 ブーが進学したアリゾナ大学は、57,000人収容のスタジアムをホームグラウンドとして、 時折NFL選手も輩出する強豪校だ。 地区ではベストWRだったブーだが、 NCAA1部の強豪となると各地区のベストの選手が集まっており、 最初はそのレベルの高さに圧倒された。 それを物語るのが1年めのシーズン、公式戦でのレシーブがわずか1回だったという事実だ。 しかし、この唯一のキャッチはブーにとって忘れられない思い出となっている。 「シーズンの最終戦、ライバル校との試合終盤に出場のチャンスをもらったんだ。 SFがブリッツして明らかにオフサイドしたんだけれど笛は吹かれなかった。 フィールド上の全員が固まっていた瞬間に、僕は走り出してノーマークでTDパスを受け取ったんだ。 僕がカレッジでやっていけるのか心配していた姉は、試合終了後フィールドに下りてきて、 泣いて喜んでいたよ。」 ありえない誤審だったが、翌日の新聞にはブーの初キャッチの写真が掲載されることとなる。 公式戦での活躍は1キャッチのみだったが、チーム内でのブーの評価は確実に高まっていた。 その証拠に2年時から奨学生の対象となり、 授業料が全額免除されることとなる。 アメリカの大学スポーツといえば文武両道というイメージがあるが、 実際はそうなのだろうか? ブーに尋ねてみると予想以上の答えが返ってきた。 「コーチは選手がきちんと授業に出席しているかどうか、 確認しに来ることもあるし、成績が落ちたら試合にださなかったり、 きつい朝練を課したりするんだ。ちゃんと勉強しろと常に言われていたね。」 学生の本分である勉強を怠らないという姿勢は素晴らしいが、 大学時代アメフトしかやらなかったため、見事に留年した私から言わせてもらえば疑問が残る。 どうしてもバカな選手や、チームの主力の成績が落ちてしまったらどうするのだろうか? 「そういう場合はチームで優秀な家庭教師を付けたり、 テストがだめならレポートを提出したり、教授に頭を下げに行くこともあるよ(笑)。」 ブーは苦笑いしながら答えてくれたが、 そういう所は日本と同じだな、と私は少しほっとした。 ちなみにブーは完全な文系で、成績は可もなく不可もなくといった具合だったそうだ。 2年時から随時試合に出場するようになったブーは、 3年目に最高のシーズンを経験することとなる。 UCLAに喫した1敗以外は10戦全勝で、ホリデーボウルというボウルゲームを制覇。 アリゾナ大学はこの年全米でも4位にランキングされた。 ブーがポールに上っている写真は、この年ライバルのアリゾナ州立大学に勝利して、 観客がフィールドになだれ込んできた瞬間だ。 アメリカでのカレッジフットボールの熱狂ぶりが伺える。 WRとして堂々たる活躍をしたブーだが、 NFLのドラフトにかかるまでのレベルには力及ばなかった。 しかし、卒業後もフットボールを続けたかったブーにとって、 思わぬ選択肢が待ち受けることとなる。 卒業後、アメフトを続ける決意をしていたブーは、夢のNFLへ行くため、 アリーナフットボール・カナディアンリーグ・そしてNFLヨーロッパのトライアウトに挑戦したが、 惜しくもスカウトの目には止まらなかった。 それでもフットボールを続けたい想いは変わらず、 辿り着いたのは、日本のXリーグだった。 アメリカ人コーチの紹介もあり、 ブーはオンワードでのプレーを決意する。 ちなみに日本でプレーする外国人は全くいなかった時代。 ブーは当初日本でアメフトが行われていることさえ認識がなかった。 「日本人とアメフトは全然イメージが結びつかなかったし、 社会人リーグがあるといってもそのレベルは低いものだと思った。 しかし、サイズこそないものの素晴らしい選手が何人もいて、そのレベルに驚かされたよ。」 日本語が全く話せない中、最初は選手間のコミュニケーションがとれないブーだったが、 一緒に食事をしたりして徐々に異国の環境に適応していった。 しかしプロフットボーラーへの夢を捨てきれず、ブーは日本で1年ほどプレーした後、 すぐにカナダでトライアウトを受け、見事バンクーバーに本拠を置くBCライオンズに合格する。 日本でカナディアンフットボール(CFL)の認知度は低いと思うので、 少し補足を入れておくとアメフトとの大きな違いは三つ。 一つは12人でプレーすること。 二つ目はエンドゾーンが20yずつあること。 最後は3rdダウン制であることだ。 NFLのサラリーキャップ対策もあって、 過去にはカート・ワーナーやリッキー・ウィリアムズらのスタープレーヤーもCFLでプレーしている。 だがブーがCFLのフィールドでプレーすることはなかった。 大きなけがをしてしまい入団できず。 その後、カリフォルニアに戻ったブーは、 半年間リハビリをしながら友人が経営するバーでウェイターをして生計を立てる。 そして、傷が癒えて再び向かった先はなんと日本だった。 オンワード時代に知り合った富士通のカート・ローズHC(現慶応大OFFコーディネーター) に誘われたのだ。 こうしてFRONTIERSのWRブラッド・ブレナンが誕生する。 |
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ここで区切るとは…
竜くんやりますね!!
第2弾は1ヶ月待ちとかないでしょうね…??
年内掲載求む!!
2008/12/25(木) 午前 8:58 [ KIM ]
>kim
区切ったのは私です!!
あまりにも文字数が多かったので・・・・
システム上、全て載りませんでした。。。
年内に載せます!
2008/12/25(木) 午前 11:00 [ EIJI ]
EIJI
なら話が早い!
今日中にアップ求む!
2008/12/25(木) 午後 1:58 [ kim ]